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電脳如是我聞 - 長尾メモ8 weblog このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2009-06-03

最近は怖がられてあまり質問されない

よく「長尾さんのブログは、字ぱっかりで、難しいことが書いてあって、さっぱりわかんないので読んでません」とか言われて、どぼじでどぼじでと、零れ落ちた涙がアメリカンクラッカーを始めてしまうんだが、根が色々な意味で難しい人間なので、しょうがないよなとも思う。

こう見えても、一応、技術者なので、昔はPC系の質問をされることが多かったのに、最近は滅多になくなってしまった。もしかすると、歳を取って益々頑固で嫌な奴になり、あっちこっちから嫌われているだけなのかもとも思うが、それならそれで、もういいやという感じであって、最近になって、ひょっとすると、万が一、白馬に乗ったお姫様は迎えに来てくれないのかもとも思うのだが、いやナニ大丈夫、もうすぐ迎えに来てくれる、西荻周辺は道が分かり難くてね、もう30年くらい、近所で迷っているんだと思うな。

物事をわかり易く説明するとか、丁寧に説明するとか、そういうことは昔から自信があって、本業では「教え屋」とか「教師になれ」とか「1を訊くと10しゃべるのでウザい」とか散々言われていたのであって、確かに日常生活では、クドいくらいに色々なことを丁寧に説明したがるタイプなんだが、それは訊かれた場合であって、訊かれない場合は、意外と冷たかったりする。ましてや、過去十数年に渡って、延々PCの操作を、初心者に訊かれ続けて、往々にして、延々サポートしたにも関わらず、何も悪くないことで誤解されて文句言われたりする経験を、散々してきているので、もうPC関連は、わざと不親切にするようにしている。あと、サイト更新したいなら、エディタでHTML開きなさい(グリフォン向け)。

但しだ、HTMLに関しては、何も不親切で言っているだけではないのだ。別にね、HTML全部をエディタで編集しろと言っているわけではない。そっちの方が全然早く簡単なケースが多いから、しかも何をやるにしても、そうやってわかってやった方が、絶対役に立つから、基本とか原理とかを教えてあげようとしているのに、「このリンクをここに貼るにはどうすればいいか」だけが気になって、そのものずばりの答えや、結論だけ訊きたがる人は、自分本質的な成長を自分で拒否しているわけである。

「別にこのリンクをここに貼れさえすればいいんだ、技術屋でもないんだし、そんなこと成長しなくてもいいやい」という人は、一生、質問できる人を回りにキープするという労力が必要となるわけだ。そういう人生もあるにはある。ただ、そういう人生は、自分の人生としては好きではない、自分で勝手に学んでしまう方がよっぽど楽しいぜと考える人もいる、という想像力くらいは、せめて持って欲しい。もしくはカネおくれ。

2009-06-02

高田の背番号も知らないわけではない

国内のペナントレースがどうなっているかも知らない癖して、イチロー打率は知っている。野球に関心が薄れても、イチローや松井の戦績くらいはネットでチェックするからだ。

格闘技ファンでも、国内状況、特に自分が関わっているようなインディー世界は、まったくわかってない(というより、わかろうとしない)人は多くて、その割には海外の状況とかには異様に詳しくて、何だかなと思うことが多いんだが、何のことはない、自分も野球に関しては、そうなっているという。

自分から、積極的に関わろうとしない限り、格闘技に関していえば、会場に足を運ぶか、ネットであれば相当マイナーなところまでチェックしようとしない限り、一見すべての情報等価に転がっているネットであっても、それは自分から情報を取りに行くからであって、受動的に情報を得ている場合は(例えば、ルーチンワークで一般ニュースサイトを見るだけというレベルは、最早受動的と言っていいだろう)、こと海外のメジャーな情報など、国内マイナー情報よりは、はるかに親切にわかり易く提示されていているということだ。

この前の「DREAM」で、試合後のカンセコに群がるカメラマンの多さにも驚いたが、石井の「戦極」参戦が、一般ニュースとして散々流れることにも驚く。メジャーはいかにしてメジャーになるのか。誰がメジャーであると決めればメジャーなのか。個人のリテラシーとは別に、世間の基準というものは確かにあって、それを読み対応する能力が必要なんだが、わかっちゃいるけど面倒くさい。どうも、根がマイナー指向でいかん。

2009-06-01

表裏比興

ああ、ちょっと面白くなったと気を許したら、やっぱり茶番になっちゃった。「天地人」ですが。

この脚本家だと、岩松了をもってしても、「表裏比興の者」の真田昌幸が、食い意地張った、ただの小悪党になっちゃうという。おまけに、娘の長澤まさみエロ忍者に育ててるし。しかもせっかく忍者に育てたのに、しっかり監視までつけて男関係チェックしてるし。経費の無駄だと思う。チェックした挙句、隣国の家老に惚れてるし。ダメじゃん、くノ一として失敗作だろ。

それにしても、エッチパパだよなあとか、こう書いていくと、実は結構面白い設定のような気もするんだが、まったく面白くなってないところが大問題。

徳川に攻められたら、忍者が出てきて、ばんばん炸裂弾投げちゃう真田ってのは、やっぱり、大河ドラマとしては間違っていると思う。そこまでやるなら、岩松了の科白は延々軽薄なギャグ一色にしてさ。で、キメで一瞬冷めて、長澤まさみにドスの効いた科白をぼそっ。そういう演技が出来る人なんだからさあ。そこまでやってくれるなら、どんなに軽くても(いや軽ければ軽いほど)、面白いと思うんだがなあ。相方で、ふせえりの登場希望

ああそうだ、三木聡の新作「インスタント沼」が封切られたんだ。観たい観たい暇がない観たい。

2009-05-31

「適材適所」は子供に伝わるのか?

いやあ、今日の「シンケンジャー」は凄かった。テーマが「適材適所」。小学生低学年は読めないよ! 23時台のリーマンモノのドラマで出てきそうな内容。いくら何でも対象年齢高過ぎで、果たして世間の子供はついて来ているのか?

適材適所は当たり前なんだが、往々にして、その適材が周辺にいなかったり、雇う余力がなかったり、組織たるもの、そういう基礎体力が最初の勝負なんだよな。そこがベンチャーを成功させる為の第一の門。

その辺り、シンケンレッドの志葉家は、殿であるだけあって、資産家みたいなので、あんなに黒子をフル雇用する余裕があって羨ましい限りである。それにしたって、固定資産税相続税は大変だ。切り盛りに才覚は必要。

2009-05-30

世界には概ねラザロやプーがいる

金曜の夜だというのに、しこしこ仕事をしていて、今週は土日もびっちり仕事だ、今晩くらいゆっくり寝ようと思ったら、そういう時に限って疲れ過ぎていて、2時間で眼が覚めてしまう。くそっ、せっかく寝ることを自分に許したのにと思って、代わりに、届いていたけど、見る時間が作れなかった、ジョージ・ロイ・ヒルの「スローターハウス5」を観る。

やはりこれは超傑作だ。冷静な眼で見れば同時期に撮られた「明日に向って撃て」や「スティング」より、出来がいいのではないか。端役まで含めてすべての役者がドンピシャな表情を見せ、カットは緻密に編集され、もうこれ以上はないのではと思う繋ぎ具合。そこに被るグレン・グールドの名曲。音の被せ方、使い方、自分がジョージ・ロイ・ヒルに多大な影響を受けていることを再確認した。

原作カート・ヴォネガットであるからSFなのである。主人公は時間を超越してしまい、自分の人生のあらゆる時点に、同時に遍在するという話。こういう書き方をするとわかり難いかもしれないが、映画を観るにあたっては、そんなことは気にする必要はない。爺さんとなった主人公のキチガイ親父的回想シーンフラッシュバックされ、延々繋がっていると理解しても何ら問題ない。

ましてやポストモダン的・ライトノベル的に、「時間を超越する」という設定は、実は今時の若者には分かり易い設定なのではないか。きっと、時代がヴォネガットに追いつき始めているのだ。ライトノベル・ファンでも、特にゲームアニメと合わせて理屈をこねたがるようなファンは必見だよ。若者にこそ観て欲しい。さらにカルト映画ファンだというなら、この映画を観ていないのはモグリ。今すく観なさい。

第2次世界大戦において、原爆投下の広島以上の死者を出したとされる、ドイツ古都ドレスデン空襲という出来事がメインになっていくため、反戦映画的なコピーと共に語られることもあるが、そんなことも、どうでもよろしい。極論してしまえば、戦争はその他多くの悲惨な出来事と等価。心温まる小さな逸話が積み重なるように、悲惨な出来事も積み重なるのである。時は淡々と繰り返し、人は死んでいく。まさにヴォネガット的「そういうものだ」の世界。明るい虚無。だからこそのオプティミズム

ジョージ・ロイ・ヒルは、この映画の10年後に、似たテーマ、似た感触で、これまた傑作の「ガープの世界」を撮っている。ロビンウイリアムス俳優として才能が開花した映画であることもあり、こちらはメジャー扱いされることも多い。しみじみ素敵な映画。

似た感触であるんだが、原作のジョン・アーヴィングは、ヴォネガットとは異なり基本的にはリアリズム作家であり、SF的な出来事は起きない。が、それだけの違いであり、感触はよく似ている。SF的な設定であることで、メタフィクショナルな批評性が発生するという意味では、この「スローターハウス5」の方が、自分の好みである。勿論「ガープの世界」も、かなり好きな映画なんだが。

この2作、原作も超傑作で、先に読んでも全然構わないと思う。先に読んでしまって、映画を後から観ても、映画が原作に負けていない稀有な例。まあ「ガープの世界」の原作は上下巻で長いけどねえ。

「スローターハウス5」ではラザロという人物が、そして「ガープの世界」ではプーという人物が、物語のキーになる。世界には、常に、ラザロやプーが遍在する。だからこそ、世界は虚無であり、ゆえに美しくなる可能性を秘めている。その意味は、この2作をじっくり観て頂ければ、理解できると思う。

映画の方。
 

 


小説の方。
 

 

2009-05-27

冬来たりなば春遠からじ(の筈なんだが)

いやあ、ディファでの内藤大助タイトル戦ってのは、ちょっと、否、かなり見たかったなあ。よんどころなき理由で行けなかったのだが。録画した地上派をざっくりみた感じでは、試合もかなり面白く。何と言っても、ディファだし。さすがにボクシングリングは入れていたが(当たり前か)、これといった設営もなく。あのそこそこ広告売れました感があったマットは何なんだろうな。中国に持っていくつもりだったマットなのか。

それにしても、バックステージまでよく知っている会場がテレビに映ると、それだけで、何かぐっと来るものがありますな。心配された客入りもそこそこだったらしく、これもさすがだ。しかしだよ、「国民の英雄」が、直前告知とはいえ、ディファを超満に出来ないのだとも言えて。

実は、ディファに行けなかった「よんどころなき理由」というのは、横アリに行っていたからだ。この3日で合計睡眠時間6時間くらいの身体で何やってんだという感じで。死ぬかと思った

その「DREAM.9」休憩明けまでは、神興行の予感だった。超人トーナメントが、やたらいいスパイスになっていて。爆笑して、ぎゃはは何だこの茶番、クソ面白れーなと、鼻クソほじりながら楽しめる感じ。が、後半急速に失速。

しかし、メインの前にやった、ファン・プレゼントの抽選会、あれはいったい何でしょう。当たる商品もショポいし、スポンサー絡みでもないし、何故あれをあそこでやるのか、さっぱりわからない。自分が演出を担当していたら、刺し違えても阻止すると思う。わざわざ興行の流れを、メイン前で、ぶった切ってどうしようというのだろう。

自分が考え付く唯一の理由は、あれは元々メイン終了後にやる予定だった。それをKID敗戦の流れを雰囲気を変える為に、あえて、あそこに移動したのではないか。だったら、わからなくもなくもない。……やっぱり、それでもおかしいが。可能性は低くとも、起こるべきアンハッピーな事態を想定しておくのは、主催者の務めであり、その想定があれだとするなら、かなりショポい。あと、試合が終わるたびに、勝った選手に向けて、リング下から何やら指示を出している加藤さんを、いちいちカメラが抜くのは何故? あれは見せてはいけないんじゃないの?

2009-05-26

不通失礼

気がつくと、携帯が止まっていたりする今日この頃。いやさっき復活させたけど。別に貧乏してるわけじゃないやいっ! 忙しいだけだいっ! ほ、ほんとだいっ!

ええと、昨日は水道が止まったのは内緒にしておいてくれ給え。

2009-05-23

比喩の上手さが文章の上手さというけれど

デブと出不精は別物であるように、貧乏と貧乏症は違う。いやこの比喩はおかしいが。勿論、貧乏症なんて言葉は曖昧な言葉であって、自分なりの定義なんだが。

30代の半ばで、比較的経済力に余裕が出た(つまり貧乏でなくなった)時も、自分は貧乏症だった。自分の語彙では、貧乏症とケチはまったく別の概念で、むしろ反語に近い場合すらある。経済的に余裕がない場合、ケチと貧乏症は、比較的似たような事象になって現れることが多いと思うが、余裕がある場合は、逆な事象になるのだ。ケチというのは、カネを持っていようがいまいがケチだが、貧乏症というのは、カネを持っていると、むしろ浪費となるという話。

自分はちょっとした外食をする時、例えば定食屋みたいな場所(比較的リーズナブルな店の代表例としてあげてます)でも、オプションの1品追加をしたくなってしまう。貧乏な時のコレは、見栄であるともいえるが、カネを持っている人間がこれをやると、貧乏症の典型例という解釈。何となく豪華にしたいんだね。が、ホントに豪華にしたいなら、安いところなんかに行かなければいいのだ。そういう話。

使いかけの目薬が捨てられない。これも、貧乏症の典型例だ。老眼の話は散々書いているが、その影響もあり、目薬常備になって久しいんだが、高くても千円ちょっと(ほとんどのモノは数百円)にも関わらず、イマイチな場合でも、買い替えられない。同じ症状に効く別の薬を併用するのはよくないという知識はあって(いや別の症状であっても薬の併用は注意が必要だ)、まずは、これを使い切ってからとか思ってしまう。

とは言え、目の調子の悪さが本格的なので、清水の舞台から飛び降りるつもりで(と思ってしまうのが貧乏症)、新しい目薬、しかもハイエンド商品(とか言っても千円程度)を買ってみた。「涙より粘性があるので、効果時間が持続」なんてのがウリで、そのウリに嘘はなかったのだが、結果として、涙で目がかすんで見えない状態が持続してしまい、さすと、しばらく益々モノが見えない。

清水の舞台から飛び降りたら、普通死ぬもんな。そんなもんだよ世の中。貧乏症をこじらせて貧乏になってしまったというか。また比喩がおかしい。

2009-05-21

迫り来るウイルスの脅威

最近は、自分がソフト技術者だと言っても、誰も信じてくれないので、たまには技術系の話でも。

某ウイルスが猛威をふるっていることになっていて、いや新型インフルエンザの話ではなく、コンピューター上の話。コンピューターウイルスね。あえて、ウイルスの名前は書かない。というのは、これマッチポンプであるような気がしてならない(未だポンプは明確になってないけどね)。現時点では、確定的な事は何も出ていないので、断言は勿論避けるが、自分の印象としてはそんな感じなので、名前を書くと、その火付けにより強く加担することになる(勿論、書かなくても多少は加担してしまっているわけだが)。

いやね、根は同根なのかもしれない。新型インフルエンザと。こっちは全然専門外なので、一体どの程度の危険性があるのかわかってないし、軽々しく何かを言えないんだが、何か、あまりに過剰反応なのではという気がする。つまり、ネットの時代となり、情報の浸透の仕方が変わってきている。浸透速度もそうだが、浸透経路が変わってきたのに、情報を受け取る側のリテラシー能力はまったく変わってない為、より曖昧な情報が爆発的に広まってしまう。典型的なデマの発生と拡大の図式というか、やがて風が吹けば桶屋が儲かるという。反応の過剰さはリテラシーの低さに比例しているのではないか。ファイヤーウォールが1番必要なのは、人の心なのだ。

違うかな。違うかも。全然自信ないや。いやまあ、所詮、技術者だけど私学の文科中退だし。

2009-05-19

黒イチゴと人造人間

最近は、自分がソフト技術者だと言っても、誰も信じてくれないので、たまには技術系の話でも。

ここで自分のモバイル系端末についてのスタンスは書いたんだが、それ以降も、スマートフォン系はそれなりにチェックはしていて。「Blacberry Bold」OS搭載の機種がドコモから出て、このOS、スマートフォンでも、何というかアイフォン的な方向ではなく、質実剛健というか、要はメールが添付ファイル含めてちゃんとチェック出来ればいいのだよ的な割り切りがよくて、かなりグラっと来ていて、10年くらい前だったら、欲しいぜ欲しいぜ欲しくて死ぬぜと、早速購入してしまったと思うんだが、そこはそれ、長年の無駄使いの歴史により、何とか物欲を押さえていたら、アンドロイドOS(いわゆるグーグルフォンと言われるアイフォン対抗の基本ソフト)が、いよいよドコモに搭載されるようで。

オープンソース系(アンドロイドもリニュクスコアのオープンソースOSなのだ)はその内容や開発手法云々より、原理主義な人達が五月蝿くて苦手なんだが、これはちょっと温かく見守りたいなあという感じがする。いやそのつまり欲しいというか。携帯電話OSの分野で、現在は圧倒的なシェアを誇りながら、今後は旗色が悪いように見える、シンビアンOS(なんて誰も知らないよね)も、欧米携帯ハードの巨人ノキアが、オープンソース化してるみたいだし(但しこのOSはUNIX系ではない筈)、アイフォンも、OS10でBSDコアなわけで、さらに言えば、ウインドウズも、NT以来UNIXコアであり(と断言出来るかは微妙だが)、当然携帯用のCE(呼び方が古いよ)もUNIX系のOSと強引に言えなくはない。

つまり、西海岸でドラックやってラリパッパなヒッピー的文化が生み出した、UNIXとオーブンソース思想は、おれ個人がどんなに嫌おうと、PCの分野だけでなく、携帯電話の分野でも勝ちつつあるわけだ。勿論、携帯がPC化してるだけと言えなくもないんだが。

と、深く薀蓄語る予定が、やたら浅い上に間違っていること書いているような気がするので、この辺でおしまい。…ホントにおれは技術者なんだってば。

2009-05-18

だから前田慶次郎は誰がやるんだ

昨日の、大河ドラマ天地人」が、突如面白くなった。本能寺の変が終わって、その直後の歴史のすっ飛ばし方は如何かと思うものの、笹野高史の秀吉がようやく風貌に一致する時期になったこともあり、小栗旬の石田三成が、最近ではそう描かれることが少なくなった嫌味で傲慢な典型的な三成像を、上手く演じていることもあり、初めてと言っていいくらい、面白いと思わせてくれた。尤も、三成は、来週でいきなりベビーターンしてしまうみたいなんだが。

が、何より、今回初演出だった野田雄介という人の能力の可能性も高そうで。これから数回この人の演出が続くようなので、これは楽しみ。脚本は相変わらずなんだが。そうそう、真田昌幸岩松了がやるそうで、これはいいキャストだ。すんげえ軽い役だったりするかもだが。

映像作品の場合、演出と脚本と編集は三位一体だが、そのどれかひとつがイマイチでも、充分他で補完出来てしまう場合も多く(勿論その前提となるのは、キャストなんだけど)、そんなことを考えさせる回だった。

脚本というのは、具体的な作業としてどういうものかは、誰でもイメージが沸き易く、分かり易いと思うんだが、演出や編集というのは、一般の人間にはわかり難いことが多い。まず編集といえば、実際に撮った映像を切り刻んで並べていく作業であり、これは実際の編集作業をしたことがない人には、非常にわかり難い作業だと思うが、最近では、動画サイト用の簡易映像編集ソフトを使ったことがある人が増え、直感的に理解しやすくなっているのかもしれない。何と言っても、分かり難いのは、演出という作業だ。

テレビドラマの場合、特に大河ドラマみたいに複数の演出家とそれを束ねるチーフがいる場合、映像作品として最終的に誰の作品なのかというのは極めてわかり難く、チームの作品と言ってしまえばそれが答えなんだろうが、この辺り、誰が具体的にどういう作業をするのかという話から始まり、映画における「監督」や舞台芝居における「演出」と比較すると、個人の作家性は、あまり発揮出来ないカタチになっていることは想像出来る。

などと、ボソボソ書きながら、実は「天地人」と微妙にキャストがガブっている、樋口真嗣リメイク版「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」と、原典である黒澤明の名作(とされる)の新旧作比較しながら、演出と脚本の絡みについて書きたいんだが、とっくに旬を逃していることもあり、どうも進みませんな。と、書こう書こうと思っているメモ書きだけが消化しきれずに溜まっていく。

2009-05-17

圧倒的な正しさは何やら気恥ずかしい

ジュエルス観戦の為に、新宿に出る必要があったので、ついでに人と会ったり諸々予定を詰め込み、観よう観ようと思って時間が作れなかった、クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を観てきた。新宿ピカデリー。いやあシネコンになってて凄いの。「天使と悪魔」のトム・ハンクスの舞台挨拶があるとかで、すんげえ人出。ただでさえ、映画館で映画観ないのに、ましてや休日に映画館に行くなんて、多分10年ぶりくらいなもんで(大体平日の1回目か2回目だ)、最近自分にとっては、もう異次元空間って感じだった。

かなり早く新宿に出て、ブラブラしてたので、DVD屋とか冷やかしていたんだが、13日に発売された、カート・ヴォネガット原作ジョージ・ロイ・ヒル監督の奇跡の傑作「スローターハウス5」がどこにも置いてない。同じタイミングで出た「ハリーとトント」みたいな渋い映画は山積みされているのに。「SPA!」の最新号でもレビューが出ていたし、ひょっとしたら売れているのかもしれん。にわかには信じがたい現象だが。

実は、アマゾンで発売日に注文したら、19日発送とかになってしまい、早く観たくて観たくて、売っていれば買ってしまうつもりだったのだ。この映画、旧題は「屠殺場5号」であって、これ関連でDVD化が遅れていたのかと心配していたが、関係ないようでよかったよかった。この映画に関して、観たら色々書くと思うので、数日後に。

で「グラン・トリノ」なんだが、モン族関連とかイーストウッドの役作りとか科白とか、細部を肴にして延々酒でも飲みたくなる映画なんだが、どうも気恥ずかしい。凄くいい映画過ぎて。圧倒的に正しくて。こういう映画を褒めるのは、どうもな。「正しさ」を描く場合、もう少しキッチュ(死語)にしてもらわないと、どうも、おれはダメだ。但し「ミリオンダラーベイビー」とか「硫黄島からの手紙」みたいな曖昧な(それは同時に詩的であるということでもあるんだが)わかり難さはなく、ここ最近のイーストウッド映画と同じく、しっとりじっくり重厚なんだけど、充分分かり易く、にも関わらず詩的さも失ってないので、誰にでもお勧めしやすい傑作ではある。

ジュエルスは超満員で盛り上がっていました。関係者の皆様、お疲れさまでした。

2009-05-16

私と世界の戦いでは、私に支援せよ

昨日はこのブログ始めて以来、2番目か3番目のアクセスがあったんだが、これは勿論、扇情的なタイトルをつけて、スポナビにトラックバックを飛ばしているから。しかし、結果としては、がっくりだ。アクセスは伸びても、リーダーやアンテナに登録してくれる人が増えたわけでもなく、要はイチ情報として処理されているだけ。それじゃ意味ないんだよなあ。つまり、今回は新しい出会いはなかったのです。ああ、46歳独身の寂しい晩春。

自分の筆力がないのが一番だが、結局スポナビへのトラックバックから人を呼んでも、そこからリビーターになる人は限りなく少ないということなんだろう。勿論、内容にもよる。例えば、プロモーター論みたいな方が、はるかにリピーターが発生する。それはもう、はっきりデータで出る。こってり味は引きはあまり強くないが、当たりの確率は高いということ。何か美味いんだがよくわからないが、一度食べると止められないみたいな人がある一定の確率でいる。加えて、タイトルをちょっと工夫すれば、引きも強く出来るので、その辺りのデータを取って、……とか、ナニもごもご書いてんだという話だが。

次のヴァルキリーの開催も決まってないこの時期に、いったい何でそんなにアクセス乞食になっているんだといえば、とにかくデータが欲しいんだよね。色々やってみる。どう人が反応し、どうアクセスが上下するか。結局、ネットは廉価でコントロールしやすいメディアであるので、こと格闘技に限らず、どこに球を投げて何がどう返ってくるか、そういうデータを、地道に積み上げておきたい。テストケースは、このブログだけではなく、隠れて色々やってはいるんだが、ここは、ひとつのモデルケースとしてのブログ、実名出してやるブログというケース。あれですな、マッドサイエンティストが、自分の研究成果を確かめる為に、自分を改造してしまうようなもんですな。いや違うかも。

おかしな話だが、今のサイバー格闘技界(笑)、アクセスを稼ぐという意味では、意識的な人間はスポナビのトラックバックセンター頼りになっているわけだし、かと言って、トラックバックの意味を理解しないままブログを続ける人もまた山ほどいるわけで、いったい、ブログで何が出来るのか、何をするのか、ネットの世界も格差社会なのか、自分はネットでも負け組(苦笑)なのか、考えに考えても、答えが出ないことはわかっているんだが、これはもう考えることが好きだとしか言いようがなく。

いい文章を書いているブログがあって、これは好きだなあと思って、毎日楽しみにしていたのに、やがて更新が減っていき、ある日突然閉まってしまう。伝えておけばよかった。私は貴方の文章を毎日楽しみにしていますよと。そうすれば、もう少し読み続けることが出来たのに。

2009-05-15

所くんからKIDに寝返った内藤大助

内藤選手とKID選手が合同公開練習をしてて、ここで内藤選手が話していることが、相変わらずいい感じだ。KID選手も内藤選手をリスペクトする発言をちゃんとしてて。というわけで、タイトルは人寄せ以外に意図はないので念の為(紙プロの方の記事にそのクダリがあります)。

【スポナビ】
KID「パンチすごい」、WBC王者・内藤と合同練習=DREAM

今回みたいにKID選手との合同練習を試合前にやって、注目されるのはプロとしていいことだとオレは思っている。こういうイベントをやるとなんだかんだと叩く人もいるけど、オレは刺激を受けるし、こういうことをやって注目される以上は、下手な試合はできないって思うからね。それにこういうことをやっていけば、ボクシングと総合格闘技がいっしょになって盛り上がると思う

【kamipro.com】
ボクシング世界王者の内藤大助と“神の子”山本KIDが合同練習!!

今回の練習はイベント前の盛り上げの一環で、凄くいいことだと思います。お客さんも注目してくれるし、僕らもテンションが上がりますから。でも、たまに『何やってんだ』って叩かれるんですよね。『試合に集中しろ』とか言う人もいる。でも、僕はプロ意識が強いから自分にも気合いが入るんです。こういうことをやればやるほど下手な試合はできなくなるから。今日は刺激を受けてまた張り切る要素になりましたよ

まあ、微妙に違うんだけど。

スーパーハルクトーナメント云々は別として、こういうことは、もう無条件にいいことであり、例えば今回の状況では、内藤選手の持っている数字におすがりするのは、総合の方であるにも関わらず、「ボクシングはマニアの世界だ」なんていう古い価値観・世界観で、ボクシングを切ってしまう人を見かけることがあり。総合やプロレスより、ボクシングは常にメジャーであり続けたというのに。勿論、そのボクシングの側には、野球やサッカーには勝ててないという劣等感は当然あるだろうし、新興のK−1や総合に押されているという危機感も当然あるだろう。

それでも、と思う。当たり前の話で、マニアにすら届かない、けれどきっちりした世界が底辺を支えているから、亀田三兄弟が登場する土壌がボクシングには存在し、そして内藤選手のブレイクにも繋がったわけだ。勿論、総合以上に古いシガラミが内部にはきっとあって、そこで苦戦している関係者も多いんだろう。マスコミ対応でも、未だ共同かなんかの配信に頼っている体制には疑問を感じることも多い(これはマスコミの側にも責任大だが)。

けれど、数日前にやはり発表があった、大橋会長の「エアボクシング」構想(これがあまり報じられてないのも如何なもんかと思う。面白いのに)といい、そういう古い価値観からすると、怒られてしまいそうなアイディアで、前に進もうとしている意気込みが、未だ生まれてくるとこに、ボクシングの歴史と底辺の厚さを感じる。

2009-05-13

火事と喧嘩はネットの華

プロモーター、必死ですという話(と、最初に書いておかないと、格闘技ネタだと思ってもらえない)。

火事と喧嘩はネットの華とタイトルに書いてみたものの、ここのところ(というかもうこの5年以上)、ネットも安定しつつあって、どこも面白くない。そもそも、喧嘩の場所であった掲示板が壊滅状態で、現実的には、2ちゃんだけになってしまい、しかしあれは匿名掲示板であって、喧嘩というより一方的にディスりたい人達がやるものであって、真っ当な喧嘩にはならない。では、ネットに喧嘩はなくなったのかというと、そんなことはなくて、あるところにはある。

現時点で、比較的面白いのは2つあって、ひとつは「はてな匿名ダイアリー」と「はてなブックマーク」周辺。もうひとつは「発言小町」(という状況がもう1年以上続いている)。共にそれなりに匿名性は高いものの、そこそこ記名性もある。前者は、このブログも「はてな」だし、かなり身近ではあるものの、どうもオタク臭(と同時に比較的インテリ臭もするのが救いだが)がキツいような気がして、正直怖い。自分一人の力では手に負えないような気がする(2ちゃん以上にコントロールしきれなそう)。一方後者は、ある意味凄く開かれていて、その分、人生どマークな世界が展開されるので(この説明で伝わる人は少ないかもしれないが)、必然的に釣り場としても盛んとなり、その結果、いかに仕込み臭を抑えるかが課題であり、かと言って、抑え過ぎると当然スルーされ話題にならないので、このバランスが難しい。

根本的な問題として、何でお前そんなに喧嘩に拘るのだという話になるのだが、それは簡単な話で、話題作りである。別に、自分一人が気持ちよくなる為にブログを書いているだけなら、現時点でも、一般人としては、それなりのアクセスがあるのであって(あくまで一般人としてだが)、充分なのである。が、前回のヴァルキリー直前など、伸びぬチケット売り上げと、あまりのどこにも話題にされなさに、何かをせねば感バリバリとなり、さてどうするか、何をすればいいと、必死で頭を回転させた結果が、「46歳、格闘技のプロモーターやってます、チケット売れずに破産寸前です、どうしたらいいでしょうか?」と発言小町にトピを立てることだったのだが、どうも忙しい最中にコントロールする自信もないし、それ以上にどこまで効果が出るか確信がもてなかった為、自重した。

その代わりにやったのが、ここでプロモーター論などを書くことだったのだが、アクセスは飛躍的に伸びるものの、どうも浸透していかない。簡単に言えば、ふふーんと読み過ごされるだけだ。本気で読まれない。言葉が虚空に吸い込まれていく感じ。

要は、ひとりスーパーハルクトーナメントというか、入り口は何でもいいのだ。それが最強超人決定戦であっても、かわいこちゃん路線であっても。が、もう自分は現時点で後者の路線を取る気はない。それが大して効果がないこと(勿論、多少は効果あるんだよ)、過去に散々やって、その答えを知っているからだ。少なくとも、自分が出来るやり方では、コストに見合うパフォーマンスは得られない。

格闘技の面白さ自体を伝えなければ、何にもならないのだ。ところが、格闘技自体の面白さというものは、要は、もう見てもらわないことには、どうしようもないものであり、つまり構造矛盾。そんなに簡単に伝わるものなら、業界全体が、こんなに冷え込んでない。

同じ多少でいいのなら、しょうがないので、長尾メモ8というプロモーター側の人間を、「痛い奴」としてあっちこっちに見せて、人を寄せようというわけだ。真っ当に固いことを書いても、ごくごくわずかのマニアに評価されるだけで、しかも自分を評価してくれるような人間は、大体もう知り合いなのであって、つまり身内褒めは、当たり前の感性を持っているならやりたくないから、やってくれない(のだけど、今回は自分のあまりの必死さを感じとった知り合いが何人も協力してくれた、ありがとう)。

勿論、100人のうち100人に「痛い奴」と思われてはいけないわけで、せめて30人くらいには「だがそれがいい」と思わせなければいけないわけで、その程度の自信はあるんだが、どうもそこに至るキッカケが上手くつかめない。

しょうがないので、ぼちぼち、カリスマ・ブロガーのグリフォンさん(id:gryphon)に喧嘩を売ってみたりするものの、裏山がNHKスペシャル「沸騰都市」で特集されるほどの人気者のグリフォンさんは、金持ち喧嘩せず、いやカリスマ・ブロガー喧嘩せずであって、ちっとも付き合ってくれない。番頭に怒られたら、ヘコヘコする癖によ。ちっ。