第6回 再放送が生む歴史感覚
藤津亮太
前回に続き'70年代の再放送を取り上げる。
前回見た通り各局は'71~'72年にかけて、夕方にアニメ(を含む子供番組)を本格的に編成するようになってくる。そして、中でも夕方の再放送枠に力を入れているのが日本テレビとNETだった。
本放送ではフジテレビとNETの本数が多かったが、再放送はまた状況が異なるのが興味深い。
では'70年代に(関東圏で)再放送された作品はなんだったのか、具体的に見てみよう。
以下、当時の新聞のテレビ欄を調べ、'70年から'79年の10年間に再放送された数をカウントし、再放送回数の多い順に並べたものだ。
■ ルパン三世('71) 8回
■ 魔法使いサリー('66) 6回
■ 魔法のマコちゃん('70) 5回
■ 巨人の星('68) 4回
■ 天才バカボン('71) 4回
■ デビルマン('72) 4回
■ ピュンピュン丸('67) 3回
■ サイボーグ009('68) 3回
■ サスケ('68) 3回
■ カムイ外伝('69) 3回
■ さるとびエッちゃん('71) 3回
■ ゲゲゲの鬼太郎('71) 3回
■ アパッチ野球軍('71) 3回
■ ど根性ガエル('72) 3回
■ バビル2世('73) 3回
■ 魔女っ子メグ('74) 3回
■ 宇宙戦艦ヤマト('74) 3回
■ 鋼鉄ジーグ('75) 3回
'70年代で区切ったために、'70年代後半の作品は当然ながらランクインしづらくなっているし、放送話数が多い作品は自動的にリピートの数が減りがちである、ということを踏まえても、再放送された作品の大まかな傾向は感じることができるだろう。
そもそもアニメを含めた放送権を買い取る形のTV番組は、本放送の際に「●年で●回放送する」と契約が結ばれるという。再放送はそれに基づいて、行われる。この契約の期間は、三年が一つの目安となっているようで、それ以降は、また個別に契約を結ぶことになる。あるアニメが本放送と違う局で放送されるのは、この契約が切れて以降のこととなる。
放送局が違えば、正式な意味では「再放送」とは呼ばないが、本稿ではそれも含めて「再放送」とくくっている。
たとえば上のリストの『ど根性ガエル』だが、3回の「再放送」うち最初の1回は、放送局であるTBS。その後は、日本テレビで2回放送されており、それを合わせて3回とカウントしている。
再放送は放送局からすると「本放送している番組への誘導」「空白な時間帯の効率的な穴埋め」などが主な理由となるだろう。
しかし'71年~'72年に平日夕方のアニメ再放送枠が固まり、それなりのボリュームのアニメがまとまって編成されるようになったことにより、視聴者側にとって「アニメの再放送」はまた別の機能を持つようになった。
その機能は大きく二つある。
一つは、放送という情報が一方的に流されていく「フローの場」の中における一種のアーカイブ機能。
もう一つは、アーカイブの延長線上にある、本放送では陽の当たらなかった番組と新たな視聴者を出会わせる「再発見」の機能。
今回'70年代の再放送状況を調べてみると、比較的NETの再放送はアーカイブ性が高く、日本テレビの再放送はどちらかといえば「再発見」の場として働いていることがわかった。
まずNET('77年から社名変更でテレビ朝日)の再放送作品から見てみよう。
前回も指摘した通りNETは16時から子供向け番組の再放送枠としているために、まず前提として放送本数が多い。特撮作品もかなり再放送している。
そんな中で再放送の柱となっているのが「魔法少女アニメ」と「ロボットアニメ」である。もう少し丁寧にいうと、ここでいう「魔法少女アニメ」とは、'60年代後半から'70年代半ばにかけて東映動画(現・東映アニメーション)が制作した「東映魔女っ子シリーズ」(「魔法使いサリー」('66)、「ひみつのアッコちゃん」('69)、「魔法のマコちゃん」('70)、「さるとびエッちゃん」('71)、「魔法使いチャッピー」('72)、「ミラクル少女リミットちゃん」('73)、「魔女っ子メグちゃん」('74))になる。
この「魔女っ子シリーズ」が継続している'70年から'74年までの5年間、平日夕方に再放送された番組は28本。そのうち3分の1強にあたる11番組が「魔法っ子シリーズ」の作品となっている。
8年にわたって継続している本放送されているシリーズ最新作へ、旧作を使って誘導しようという番組編成の意図がわかりやすく伝わっている。
それはそれとして、実はそれ以上に意味があったのが、シリーズの過去作にアクセス可能になたことにより、「その作品を見た」という共通体験を持つ層を広げる効果があったことだ。
わかりやすく例をあげよう。
たとえば'70年代に頻繁に再放送された『魔法使いサリー』。'60年生まれの人が6歳で本放送見た作品を、'73年生まれの人がやはり同じく6歳で見ることができるのだ。二人の年の差は13歳もあるが、それを超えて「6歳で『サリー』を見た」という共通体験が二人を結びつけることを可能にするのだ。
また『魔女っ子シリーズ』の現在の作品と過去の作品が、同じブラウン管の中に映し出されるということは、その二つの対比が可能ということでもある。同一シリーズ故に二つの作品の間に共通部分が多いからこそ、制作年の違いとそれにともなう内容的あるいは技術的な変化がくっきりと浮かびあがって見える。この変化を一言でいうと「歴史」ということになる。
つまり'63年の『鉄腕アトム』放送開始から約10年を経て、再放送という「アーカイブの回路」が固定化したことによって、「アニメの歴史」が具体的に目で見て体験できるようになったのが、'70年代前半に起きた出来事だったといえる。
'60年前後に生まれた世代は、アニメファンの第一世代ともいわれ、生まれたときから国産TVアニメに触れてきた世代だ。
'70年代前半とは、これらの世代が10代――というか思春期前期――に突入した時期であり、その時期に「アニメに歴史があること」が体感できる状況が確立されたのだ。
この状況で自覚された「歴史感覚」は、ストレートな進歩史観ではあるのだけれど、こうした「歴史感覚」がなければ『宇宙戦艦ヤマト』にあれほど人気が集まることはなかっただろう。
そしてさらに言うならば、アニメが再放送の回路を失い、本放送のみとなった時にアニメの歴史感覚は失われたのではないか。
その歴史感覚の有無は、「ブーム」といわれるムーブメントの内実に大きく影響を与えているのではないか。
というわけで、第6回にしてようやく今後のテーマを提示することになった。
'70年代前半による、再放送枠の確立と、ゴールデンタイム用コンテンツとしてのアニメ(と特撮)の存在感。これがどのように変質していくか。それが今後のこの連載の一つのトピックとなる(合間にいろろ寄り道はしますが)。
それは、さておき――。
次回は今回語り損ねた日本テレビの再放送枠に象徴される「再発見」機能を確認してみたい。
[筆者の紹介] 藤津亮太 (ふじつ・りょうた)
1968年生まれ。アニメ評論家。編集者などを経て、2000年よりフリーに。著書に『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社)。編著に『ガンダムの現場から』(キネマ旬報社)など。アニメ雑誌、そのほか各種媒体で執筆中。
ブログ:藤津亮太の 「只今徐行運転中」 http://blog.livedoor.jp/personap21/
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