夏休み

夏休み


夏休みになりました。今日はわたしと要君で、紺ちゃんと瑠璃君を迎えに学校に行きました。紺ちゃんは忘れ物を取りに行くだけだったけど、なかなか帰ってこないので、多分瑠璃君のところにいると思いました。
お昼に学校に着きました。やっぱり、二人セットで体育館の前にいました。
「紺ちゃん、瑠璃君久しぶりだねえ。」
「まあ、一週間顔あわせてなかったからな。」
二人とも元気そうでした。要君は相変わらずあの調子の二人を見て少しあきれていました。
でも、みんながいると楽しいので、今年の夏も私は元気です。
七月二十九日 秋本由香
 
まったく、紺乃は何考えてんだ。こっちのこと全部見透かしたような目で「あたしは何もわかんないわ」とでも言いたげに動いてやがる。まるで、俺の反応を見て楽しんでいるようだ。……正直言って頭にくる。紺乃に,というより自分に。一緒にいればすぐつっかかってきて、お前なんかどっか行っちまえとか思うけど、いなかったらそれはそれでイライラする。なんか好きなのか嫌いなのかはっきりしない。確かに好きだけど,自分でわかってるくせに気持ちとは逆に動いてしまう。自分で自分がイヤになる。そんなときに限って紺乃は俺に優しい。やっぱりお見通しなんだろうな。
とりあえず今度言い合いになったときは絶対に引いてやらないぞ,と。
七月三十日 君島瑠璃 
 
八月二日。要が夏カゼをひいた。昨日から水以外は口にしてないらしい。そんなんじゃ良くなるものも良くならないぞ。要も少しは由香を見習えばいいんだよ。由香の抵抗力は並じゃないからな毎年三学期の中頃なんかはインフルエンザとかで騒いでて学級閉鎖になったりするけど由香だけはけろっとしてた。要はうつったらよくないってあたしたちを近づけたがらなかった。そのとき、「あ、やっぱり要はいいやつだ」と実感した。
初めて会ったときは、冷たそうで、常に一歩下がって「別に」って言う目で物を見てるんだろーなあ、と思わせる独特の雰囲気があった。でも今はかなり要の空気が柔らかくなっているのがわかる。これは、絶対に由香の影響だと思う。実際あたしだって由香に会ってから、人を怖がることは少なくなった。あたしは、(男子はおいといて)女子にも一時期恐れられていた。怒ったようなカオは本当は何も考えていないときのぼーっとした表情。荒っぽい話し方も直そうと思ったけど物心ついた頃からこうだった。それでも、そこらの奴よりは頭と運動神経だけはよかったから、そういうことではバカにされなかった。というより、させなかった。
そんなあたしを、みんなは怖いと言っていたけれど、本当に怖がってたのはあたしのほうだ。「萩原さんて怖いよね」なんて言っている奴が本当にあたしを恐れていたかどうかは知らない。だけど、いつもそういわれることが怖くて一人でいた。「別に」っていう目をしてたと思う。そうしていたのは何より怯えていたから。当時は、由香はクラスは違ったけど委員会で同じだった。由香と話すようになってあたしはあまり人を怖がることはなくなった。気が付いた頃には、もう「萩原さんて怖いよね」とは言われなくなっていた。
要を見ているとつくづく由香がいてよかったと思う。――瑠璃のバカは……まあ、よかったということにしといてやろう。ヤツがいないと暇だ。一日のエネルギーの三割をヤツとの言い合いに費(つい)やしているように思う。
さあ、明日は何を言ってやろうか――。それを考える時間が好きだ。瑠璃のことは好きだけど嫌いだ。なんだそれは、と思わず自分で自分でつっこんでしまう。でも本当にそうなんだから仕方ない。瑠璃もあたしも変なヤツだ。でも二人そろってなら悪くはない。
とりあえず要に何か食べさせよう。おい瑠璃、なんか消化のいい物買って来い。
八月二日 萩原紺乃
 
「おーい要、マジで食った方がいいぞ?」
そう言われても食欲がない。
「――食欲ないんだ。」
と答えた。由香は、
「かなめくん、ちゃんと食べなきゃ大きくなれないよ。」
などとこの場の会話としてはすごくずれたことを言っている。
「いや、一七〇もあれば十分だから。」
君島は、
「食欲なくても腹は減ってるはずだからさ、なんか食った方がいいよ。」
と君島としては意外に(意外に、は失礼か)まともな発言。俺だって頑固なわけじゃない。治りが遅くなっても困るので、とりあえずなんか食べとこうと思った。
それから約三日後。俺は夏風邪が治った。あの夏バテにも似た言いようのないだるさから開放されたと思うと気分がよかった。
それより、問題なのはあの二人だ。いつも一触即発の状態に見えた紺乃さんと君島が今回ばかりは本当にけんかになったらしい。由香は止めさせようとしたけど二人とも頭に血がのぼって周りが見えなくて止められなかったらしい。
「……で、由香は君島と紺乃さんがけんかしちゃって自分は暇になって気が向いたからここに来たんだ?」
「まあ、そんなとこかなあ。でもね、本当に怒ってたよ。紺ちゃんは今まで瑠璃君に何言われても『嫌い』って言わなかったのにね、今日は言っちゃったの。」
理由は由香も離れていたからよくわからなかったらしい。それにしてもあの紺乃さんが怒るぐらいだから君島も相当なことを言ったんだと思う。突然、由香が何かに反応したように言った。
「紺ちゃんあと五分でここに来そうな気がする。」
「なんで?」
「んー? ――なんとなく。」
本当に五分後紺乃さんは来た。かなりびっくりした。(前々から思っていたけど由香の動物的勘はかなりの確率で的中する。)
「当たったね。なんとなく。」
「うん。自分でもちょっとずごいなーって思った。」
紺乃さんは異常に元気がなかった。いつもの覇気はどこへ? といった感じだ。
「嫌いって言ったんだ。」
重たい沈黙に耐え切れそうにない、と思った矢先、紺乃さんが口を開いた。
「あたしバカだ。自分でややこしい方に持ってってる。」
何も言い返せなかった。変にわかったような口をきくのはよくないと思ったからだ。ひきつった口元が歪んで紺乃さんは顔を見られることを拒絶するように下を向いた。次の瞬間、雫が二つ落ちた。白くて細長い指をつたって、冷えたフローリングの床に流れていく。それが繰り返されている。紺乃さんは泣いているんだ。
今まで絶対に人に弱味を見せることなく、ずっと強くありたいと願っていた彼女にとって、最大の弱みは君島瑠璃そのものだった。だから大切に想っていても半ば嫌っているように扱っていた。
「ほんとうは好きなのに、すっごい大好きなのに……。」
好きで好きで仕方ないものを嫌いと言ってしまうことはどれだけ苦しいのだろう。それは大事なものを自ら手放すときの辛さに似ているかもしれない。
なぜか今の紺乃さんを見ていると悲しくなってくる。この状況、俺の記憶にあったような気がする。
昔――小学校五、六年ぐらいの頃だった。ちょうど俺が写真を探すことが怖くなった時期だ。多分、無意識のうちに写真に写っている「何か」を見ることを拒んだのだろう。
何か違和感があった。はじめて由香と会った時、由香はなれなれしく話しかけてきたのに嫌な感じがしなかった。もっと別の言葉でいえば、「前から知っているような懐かしさ」だろうか。どっちにしろ、初対面という感じではなかった。少し色素の薄い髪や人なつっこい笑顔を、どこかで見た気がした。
それよりも今は紺乃さんをどうにかしないといけない。このまま泣きつづける、というのも彼女のプライドが許さないだろう。どうにかして元気付けようと思うけれど、なかなかいい言葉が見つからない。俺には、
「紺乃さん、大丈夫だから。なんとかなるよ。」
と、月並みの言葉しかなかった。どうしていつもこうなんだ。伝えたいことは複雑だったり、たくさんだったりするけど、俺の言葉はいつも月並みで、気の利いたことを言えない。つまり不器用なのだ。きっとそうだ。そうでなければ今ごろ何を言えばいいか、何て悩むはずがない。それに、何とかなると言っても保証が……。何やってんだ。俺は。俺がマイナス思考になってどうする。紺乃さんの痛みを俺はよく知っているのに。そうか。それで俺まで悲しくなったんだ。昔、俺も似たようなことをしたからだ。
紺乃さんのことは由香に任せて、俺は君島と話をしにいった。あいつは紺乃さんが好きなんだから今ごろ落ち込んでいるはずだ。案の定、君島はかなりの精神的ダメージを受けていた(ように見えた)。
「嫌いって言われたんだ。情けないよな。」
先に口を開いたのは君島だった。俺は何も答えられなかったけど、君島は続けた。
「紺乃ってさ、実は結構キレイなんだ。初めて会ったときなんか見入っちゃってさ。」
そう言って照れくさそうに笑った。
「昼休みに体育館で遊んでてさ、裏が中庭になっててそっちにボールが転がって。拾いに行ったとき見つけたんだ。木の影でぼーっとしてて、なんか紺乃の周りだけ時間がゆっくり流れてるみたいで。じいっと見てたら紺乃気付いてさ、振り向いた瞬間『なんだお前?』って言われたよ。その時は紺乃は恐れられてたから有名でさ、ああ、こいつがあの…ってすぐわかった。でも全然イメージ違ってたなぁ。なんとなく凛々(りり)しい感じだろうなって思ってたのは当たってたけど。」
確かに凛々しいというのは当たっているかもしれない。ややつり気味で切れ長の目、由香とは対照的な艶やかな真っ黒い髪――など、そう思わせるものを紺乃さんは持っている。(要するに、とがっている、とか鋭い、とかそんな感じだ)でも、どうして君島は紺乃さんを綺麗だと思ったんだろう。
「なんでって――なんとなくそう思ったんだよ。みんな紺乃の鋭いところしか見ていないじゃん。あいつにだって柔らかさはあるよ。ちゃんと笑うし、優しいとこだってあるし。見た目だって肌白くって柔らかそうだなって思うよ。」
いくら惚れているとはいえ、あの紺乃さんをキレイだという君島の美的感覚はよくわからなかったけど説明されたらなんとなく納得できた。好きじゃないとそこまで見ないから気付かない。紺乃さんを「キレイ」だと言えるのは紺乃さんを好きな奴だけなんだ。
だったらなおさら仲直りしてもらわないといけない。君島がいないと紺乃さんは淋しいだろうし、君島だって紺乃さんがいないと淋しいだろう。それに俺だって二人が気まずくて何も言い合わなくなったら辛いものがあると思う。きっと由香も。思い切っていった。
「紺乃さんは君島のこと大事に想ってるよ。嫌ってなんかないから会って来いよ。」
紺乃さんには悪いな、と想った。でも二人とも素直じゃなくて不器用で。とりあえずなんでもいいからきっかけが必要だと思った。
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