小学校と校区の合同大運動会に、板屋から一人姿を見せた真子美津子さん
「降りよるでしょう、そっちも」。福岡市早良区板屋の真子(まこ)美津子(73)は、地元の脇山小校区自治協議会長、結城勉(72)宅に電話をかけた。結城の家は、板屋から山道を下って11キロの小学校そば。「もう上がっとるですよ、こっちは」。結城の家族は、美津子に運動会が決行されることを伝えた。
9月最後の日曜日。脇山小と校区自治協議会の「合同大運動会」は、定刻通り始まった。
運動会が小学校と校区の共催に切り替わったのは5年前。児童数が約130人にまで減り、小学校単独での開催が難しくなった。当時の児童は、いくつもの競技に立て続けに出場。少人数で準備や片付けに追われた。運動会が終わると皆、ぐったり疲れていた。
むかで競走、玉入れ、地域伝統の「お田植え舞」。合同運動会になってから、地域住民も子どもたちと一緒に競技に出る。運動場にかつての熱気が戻った。今年は校区の12地区から約400人が参加。だが、板屋からは、民生委員の美津子が姿を見せただけ。住民31人の大半が高齢で、運動会の選手はいない。
民生委員になって9年。運動会はずっと独りぼっちだ。昼食後、応援席のパイプいすで舟をこぐ美津子の姿があった。この日、会場が最も沸いた最終競技の地区対抗リレー。今回も板屋は出場できなかった。
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シャッターを下ろした板屋の元雑貨店。「具合はどげんですか?」。店主だった真子茂利(87)に、美津子が声を掛けた。
茂利の妻は、福岡市内に入院中。2年前に自宅で倒れた。救急ヘリが到着するまで、茂利は人工呼吸で妻の命をつないだ。自身も昨年6月のヘルニアの手術後、体調が悪い。車の運転もやめた。福岡県春日市の息子に電話して、食料などを届けてもらっている。
1年、また1年、集落の住民は老いていく。美津子の周囲に気掛かりな高齢者が増える。
真子ハツ子(78)の夫もここ数年、寝込みがち。4、5年前に米作りもやめた。「古米でも、板屋ででけたとは、うまかもんね」。最後の年に収穫した米を、もみで保存。家族で食べる分を少しずつ精米している。
熊本県八代市出身。夫とは見合い結婚だった。「こんな山とは思わんし、最初は泣こごたった」。今では住めば都だと思っている。最も近い福岡県那珂川町の病院まで、バスを乗り継いで夫を連れていくのは、さすがに骨が折れるが。
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板屋の民生委員は山あいの世帯を回る。月1回は山を下りて、市街地の早良公民館での定例会に出る役目もある。車なしでは仕事にならない。運転ができる美津子の後任は見当たらない。
民生委員の任期は1期3年。美津子は2期を務め終えた3年前、もう1期やってほしいとの要請をいったんは断った。どんなに固辞しても、自治協議会長の結城は「もう1期だけ」と引かなかった。
夫を若くして亡くした美津子は1人暮らし。「私ももう介護される年やけんね」。でも、お年寄りばかりの板屋で、民生委員を欠くわけにはいかない。板挟みの苦しみ。結局、引き受けた。
その任期も、残り2カ月で切れる。結城は再び美津子の家を訪ね、深々と頭を下げた。3年前とまったく同じ光景。「もう1期だけ。頼んます」。その言葉も、そっくり同じだった。
(敬称略)
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=2007/10/11付 西日本新聞朝刊=