福江島、黄島を経由して赤島までつながっていた電話線の海底ケーブルは断線したままさび付いていた

福江島、黄島を経由して赤島までつながっていた電話線の海底ケーブルは断線したままさび付いていた

 63の島からなる長崎県五島市。52が無人島で、人口が最も少ないのは9人が暮らす蕨小島(わらびこじま)。連載の舞台、赤島も10人しかいない。

 赤島の海岸線に、赤褐色にさび付いた古いケーブルが横たわっていた。市の中心部の福江島から黄島、赤島へ離島をつなぐ電話の海底ケーブルだ。1999年に台風に見舞われてから、通信の不具合が相次いだ。2001年、完全に断線した。今では役目を終えた遺物となっている。

 一般電話は有線から無線方式に切り替わっている。この夏、光情報通信のケーブルも敷かれた。3年前の1市5町合併をきっかけに始まった総額47億円の大型事業。ケーブルテレビが映り、インターネットにもつなげるようになる。

 ただ、赤島にはパソコンがない。住人は皆、高齢者で、誰も使いこなせない。「それよりか、役所は、草刈りの人手ば貸してくれんかの」。島で最年長の釣永遼一(80)は本音をこぼす。
 「限界集落」にとって共通の敵。それは、刈っても刈っても、生い茂る雑草。赤島でも、草刈りがま片手でなければ先へ進めない道が増えている。

   ☆   ☆

 国の過疎対策や支援は、島の切実な悩みと、どこかかみ合わない。自治会長の今村泰己(67)から、ある逸話を聞いた。それは終戦直前-。

 赤島も当時、米軍上陸作戦のうわさがあった。ある日、旧陸軍から突然、数丁の銃が届いた。丸腰だった赤島で唯一、住民に与えられた自衛の武器だった。だが、肝心の弾が一向に届かない。

 カツオの好漁場に囲まれている赤島は、古くから海賊の標的となった。江戸時代には刀を差した武士が島に常駐した、と伝えられる。占領を狙う異国船の見張りが目的だったという。

 大陸に近く、四方は海。いつ外敵に襲われるか。太平洋戦争のさなかも、赤島はおびえていた。

 戦況はますます悪化。五島上空でも米軍機が旋回した。8月9日、長崎市に原爆投下。そして玉音放送。「おやじは、ぶぜんとして銃身ば磨きよった」。最後まで赤島には弾が届かなかった。

   ☆   ☆

 今村は58歳まで、旧福江市役所の職員を務めた。少しでもふるさとのためにと、赤島に戻ったのは9年前。まず、小さな漁船が係留できる船着き場づくりに取り掛かった。

 流木で組んだいかだで、対岸から岩を運び、1つ1つ積み上げてセメントで固めた。漁師たちの手を借りながらの人力作業。完成まで1年8カ月かかった。

 とはいえ、素人仕事。台風の高波で、積み石がいくつか崩れ落ちた。市役所の後輩に相談を持ち掛けた。「国の災害復旧事業に採用されればいいのですが…」と言葉を濁した。

 63の離島を抱え、厳しい懐事情が続く市。国の公共事業も細ったままだ。役所の都合も職員の立場も分かる。今村は、だからこそ、言いたい。「セメントだけでも届けてくれんか」。石積みぐらいなら、赤島の漁師だけで直せる。

 美しい海が一望できる集落の中心部。そこに光情報通信の中継局はある。そびえ立つ鉄塔は銀色に輝き、草むした集落を見下ろしている。 (敬称略)

    ×      ×

 ふるさと再生への取り組みなどの情報を「わたしたちの九州」取材班までお寄せください。ファクス=092(711)6242。メールアドレス=tiiki@nishinippon.co.jp

=2007/10/08付 西日本新聞朝刊=