槻木地区を流れる綾北川を見つめる松本照彦町長(手前)と椎葉袈史教育委員長

槻木地区を流れる綾北川を見つめる松本照彦町長(手前)と椎葉袈史教育委員長

 山道が峠の小さなトンネルを過ぎると、熊本県多良木町の槻木(つきぎ)地区。日向灘に注ぐ大淀川の源流のひとつ、綾北川に沿った谷に田畑が張り付き、家屋は点在する。約80平方キロと町全体の半分を占めるが、大半は山林だ。人口は165人。65歳以上の高齢化率は66.1%に達する。

 小学校の1校は今春廃校、もう1校は休校。中学校は多良木中に統合された。子どもは高校生と中学生の4人だけ。寄宿舎生活を送り、槻木には週末にしか帰ってこない。20代も30代もいない。

 この「限界集落」に多良木町長・松本照彦(59)は住む。毎日、峠を越えて役場に通い、月に1度は要望活動で上京する。目にするたびに変化する東京。巨大な民間活力とは縁のない古里が思い浮かぶ。「だからこそ政治は大切」と痛感する。

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 祖父の代から、食料品中心の雑貨店を営んできた。高校は熊本市、大学は東京。長男だが「店は継ぎたくない」と思い、東京で弱電関係の会社に就職。ところが、オイルショックに見舞われ、にわかに里心がついた。

 24歳で帰郷し、町内の会社に再就職。間もなく独立し、5年前まで町中心部に近い場所で縫製工場などを営んできたが、住まいを移そうとは思わなかった。「槻木がよか」。東京経験があったからこその感情でもあった。

 だが、環境や人情だけで集落は生き残れない。基幹産業の林業は不振。放牧、キク、ワサビ…。地域の試みは次々に失敗した。

 今年、独り暮らしのお年寄りが病死し、何日もたって発見されるという「都会のような出来事」が起き、山村に衝撃が走った。松本は1999年に町議、2005年に町長となった立場にますます重みを感じるようになった。

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 多良木町は槻木地区で昨年から、住民座談会を重ねている。廃校となった小学校施設の有効利用、グリーンツーリズム、農産物加工などの活性化策について、住民に「官民協働」を呼び掛ける。

 「住民が主役でなかと地域づくりは長続きせん。立ち上がった地域を町は応援する」。それが「官」と「民」のはざまで導き出した松本の持論。「あれも、これも」取り組みたいのはやまやまだが、町の財政事情も頭から離れない。硬直化の度合いを示す経常収支比率は06年度が91.3%。警戒ラインの75%を大きく上回る。地元に特別に肩入れすることも許されない。

 反応は出てきた。シイタケ栽培などに取り組む落合龍見(48)らが、地元食材を使う料理を紅葉見物客などに提供する計画を進め始めた。「若者が帰ってこられる生活基盤を」と落合。思いは同じだ。

 だが、町長としては、高齢化した地域の動きは、まだまだ物足りない。やはり槻木の住民である町教育委員長の椎葉袈史(けさし)(58)は「林業という地域の軸が低迷して以降、みんなの気持ちが1つになりにくくなった。その日の生活が最優先。槻木の中でも収入格差が広がった」とみる。

 松本や落合が踊り手を務める町指定文化財「上槻木の太鼓踊り」は、高齢化で12人の踊り手がそろえられなくなり、今月20、21日の祭りで披露することができなくなった。松本は「時間がなか」と漏らすようになった。
 (敬称略)

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=2007/10/06付 西日本新聞朝刊=