真新しい家が並ぶ頭地代替地。ひっそり静まり返っている
工事車両が残したほこりの中に、昔ながらの農家が1軒。近くの畑に尾方茂(79)がいた。
頭地は国営川辺川ダム計画で水没する予定。489戸の移転は1981年に始まった。7割が村を去った。ほかは周辺6つの代替地に移り住んだ。尾方は移転を拒否し、妻チユキ(75)と暮らしている。毎日のように説得に来ていた役人は、ダム計画の滞りとともに姿を見せなくなった。
20アールの田畑で米、麦、ソバ、ニガウリを栽培している。飲み水はわき水。豆腐やこんにゃくも自家製だ。築120年の家、先祖代々の土地。「自分の生活を続けたい。ただそれだけです」。顔に深く刻まれたしわが穏やかな表情をつくる尾方。視線を上げ、「上の生活がうらやましいとは思わんです」とも話した。
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水没予定地から約50メートル上の高台に頭地代替地がある。尾方の家から直線距離で200メートルぐらいか。
白い壁、光る瓦、堂々の和風建築。真新しい家々が整然と並ぶ。108戸。役場や道の駅もある村内最大の集落だ。住民たちは移転補償金で家を建てた。「ダム御殿」と呼ぶ人もいる。
この頭地代替地が村の懸念の1つになっている。住人でもある村議会議長の照山哲栄(75)は「このままだと10年後に限界集落になる」と言い切った。
お年寄りの1人暮らし、夫婦だけの世帯が少なくない。「5年もすれば空き家が出る」。代替地にある五木東小学校は村内で一番大きな小学校だが、今春の入学者は5人。「家の前を走り回る子どもたちの姿も見られん」。話し続ける照山の顔がゆがむ。
ひっそり静まり返る家並み。80代の男性は「住民の多くが村を出てしまい集落はバラバラ。近所は知らん人ばかりで、外に出歩かなくなった」と言った。1人暮らしの70代の女性は「私が死んだ後、(家を)どうするか考えていない」。
田舎ならではのコミュニティーが失われ、過疎が忍び寄る。
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代替地は水没予定地の旧集落ごとにあてがわれた。頭地が最大なら、最小は大平。18戸あった旧大平集落で村に残ったのは3戸。指定された代替地は、まさにがけっぷちにある。
国道445号沿いのコンクリート擁壁。高さは約40メートル。見上げると、谷に突き出す形でコンクリートの土台があり、そこに3軒の家が肩を寄せ合うように立っている。夫婦1組、そして2戸は1人暮らし。4人は70、80代。「こんなところに家があるから台風のときは怖かです」と、夫婦で暮らす平野フジエ(79)。
4人の結びつきは強い。朝、昼、晩。1日3回、どこかの家に集まって世間話に花を咲かせる。
代替地には、旧大平集落から自分たちで、神社の社と観音様を移した。4人は毎年3月18日の神社の祭りを楽しみにしている。村を離れた旧集落の人たちが里帰りしてくるからだ。その日、4人は赤飯と自家製こんにゃくで歓待する。
「いつまで続けられるかね」。1人暮らしの山下スミエ(86)がつぶやいた。
(敬称略)
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=2007/10/05付 西日本新聞朝刊=