曽家分校の校庭で遊ぶブライアン君(中央後ろ)ら=大分県日田市前津江町
男の子はブライアン・ビスカラ(12)。日本人とフィリピン人の父母に連れられ、大分県日田市の天瀬町から熊本県境に近い前津江町に移り住み、赤石小曽家(ぞけ)分校に入学した。分校は1911(明治44)年の開校以来、2度目の児童ゼロの危機に直面していた。入学者がなければ休校や廃校になる。ブライアンはそれを阻む「誘致児童」だ。
旧前津江村の村議会議長だった梶原公人(69)は、つてを頼りに移住してくれそうな家族を探した。ブライアンの両親が住む天瀬町まで1時間余り。何度も訪ねて頼み込んだ。「家を用意する。教育費も補助します」
村は分校の隣に3LDKの一軒家を建てた。約1300万円。児童誘致のための村営住宅は、地区で4軒目だった。
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ブライアンは2年生までの2年間、先生と2人きりの分校生活を送った。フィリピン生まれなので当初、日本語をうまく話せなかった。先生が用意した友達は人形の「分(ぶん)ちゃん」。分校なのでそう呼んだ。先生は声色を変え、2役をこなした。3年生に上がるとブライアンは読書感想文で全国入賞した。
5年生になった昨年から5キロ離れた本校にバスで通い、放課後、分校に立ち寄る。今、児童数22人の本校で野球やサッカーをするのが楽しみ。ただ、分校の4人が気にかかる。今春入学した弟影虎(6つ)もいる。校庭に着くと、フラフープやホッピングで遊ぶ後輩たちが駆け寄ってくる。
高齢化が進む曽家地区。16世帯(58人)の大半は学齢児童がいない。だが、全世帯がPTA会費を負担する。児童のいる世帯の半額、年2400円。総会にも出席する。会場は分校の多目的ホール。地区の集会もここで開く。今年6月、住民は分校の子どもたちと九重“夢”大吊(つ)り橋に出掛けた。年に一度の「社会見学旅行」だ。
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2年前、ブライアンには妹が生まれ、家族は5人に増えた。両親は、間伐や下草刈りなどの山仕事、近所からの頼まれ仕事で日銭を稼ぐ。庭の畑で野菜を作る。月収は10万円余り。安定した収入を得られる新しい仕事が見つかる当てはない。
同じ2年前、村は旧日田市と合併し、過疎対策の風向きが変わってきた。学校活性化対策事業や山村留学生制度が消えた。「誘致児童」世帯に月額2万円、1人増えるごとに1万円加算して支給される教育費補助は半分になった。
ブライアンが来春、地元の中学校に通うためには、家族から離れて寮に移らねばならない。父の長尾守(59)は数年前、病気で入院したことがある。車を運転できない母セシリア(40)は子どもを背負ってバス停まで2時間歩き、病院に通った。「フィリピンに戻ろうか」。最近、父母の会話にそんな言葉が交じる。
相良自身も20年前、前津江に移ってきた。2人の子どもは分校で育った。今、自宅から市中心部の職場に通っている。
「子どもたちの弾んだ声を毎日聞けて楽しい」。相良は月曜日からまた、ハンドルを握る。 (敬称略)
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集落から1つ、また1つ、暮らしが消えてゆく。原野に戻る田畑、廃屋、そして残った人々も、がらんとした集落とともに老いを深める。「わたしたちの九州」第3部は、瀬戸際で耐える九州各地の集落を歩く。
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=2007/10/01付 西日本新聞朝刊=