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<<   作成日時 : 2009/06/02 09:43   >>

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 昨夜、友人から電話がかかってきて久しぶりにゆっくり話をした。仕事を失い、彼女も失い、お母さんや弟さんも亡くし、親しくしていた友人も亡くし、よくここまで立ち直ってくれたなあと涙が出てきた。
友人はまだ仕事はしていないけれど、インターネットを通じた友人ができ、教会に行くようになって心の支えと生活の規律ができてきたようで、以前胸の中で温めていた仕事のことに対してもまたやってみようという意欲が出てきたようだった。最近になって初めて知ったのですが、友人は実は子供の頃から片耳が良く聴こえないのだそうで、今度手術をするのですが、家族も彼女もいなくてさぞや心ぼそかっただろうに良くがんばっていたのだなあ、なぜもっと優しくしてあげられなかったのだろうと改めて私の思いやりが足りなかったなあと涙が出たのでした。
 友人と話していて思ったのは、私の中には苦しんでいる人や孤独の中にいる人のそばに寄り添ってあげたいという根源的なものがあるということだった。それは子どもの時に、クラスの仲間からバカにされていたり仲間に入れてもらえない子と私は一緒にいることが多かったし、そういう子に勉強を教えてあげるのが好きだった理由だと思う。友達が放課後宿題がわからないからと校舎の裏に一緒に行って勉強を教えてあげたこともあった。会社員になってからは精神的に苦しんでいる同僚の傍にいたし、仕事の重圧や孤独に耐えている上司の傍にいた。それはたぶん遡って考えれば、私が1歳の時に死の床にあった曾祖父の傍にいたからなのでしょう。
 死や病気といった負のものを忌みきらうものとして日常生活から隠ぺいし病院や施設に隔離してしまった現代社会で、私のような存在に居場所がなかったのは考えてみれば当然でした。でもそういうものは本来日常生活の中でいつも私達が接して自分のありようを考えるそういうものであるべきだと思うのです。軽薄な安易な社会の風潮とはおさらばしたいです。

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