|  | きょうのコラム「時鐘」 2009年6月3日
 フィギュアスケートの織田信成選手が京都の本能寺を訪れた記事があった。織田信長の子孫が五輪の活躍を期すだけで十分面白いが、信長の命日を前に参拝する演出はなかなかの高得点である 427年前の6月2日、明智の反乱を最も早く知った織田方の武将は前田利長だったらしい。信長の娘・永姫を妻にしていた利長はその朝、若妻を伴って安土城を出て京の手前で「信長死す」の知らせを受けたという 利長は「社長の娘を嫁にもらった婿さん」である。部長クラスだった父・利家も鼻高々だったろう。が、瑞龍寺の石廟や野田山墓地に残る永姫の特別扱いを見ると、立派な嫁をもらった婿殿の気苦労がよく分かる などと空想していたら、利長は勝野洋さん、永姫が浅野ゆう子さんとの記事が目にとまった。秋の高岡開町記念大行進の配役だった。4世紀の長きを生きる「信長・利家社中」は偉いものだと妙な感心をする 400年を行ったり来たりの話になったが、これも百万石まつりや開町記念祭を平凡な時代絵巻にしたくないからだ。郷土の人と歴史を知る演出に磨きをかけてほしいのである。 |