| *・・悲しい現実・・* |
入り口から、 犬収容室(5部屋)→猫収容室(ゲージ)→処分室→焼却炉 の順に部屋が並んでいます。
収容棟の扉を開けるとすぐに、犬達が吠え出しました。 入り口から見て、左手に扉が5つ。 手前から1、2、3、4、5・・・ 犬達は、新しい日を迎えるたびに1つ隣の部屋へ移動していきます。 一番手前の「1番目」の部屋は、収容される犬が午後に到着する為に空でした。 一番奥の「5番目」の部屋にいる子達は、次の日に処分されます。
皆、何故人間の姿を見て鳴いているのでしょう。 「人間」が「何かをしてくれる」のを知っているからです。 きっと、職員の方や訪れた私達が「ここから助けてくれる」と信じているのでしょう。 逆に言えば、それだけ人になれている=人と暮らしていたという、証明になっているように思いました。
ここにいる子達は、飼い主に裏切られ、捨てられたり持ち込まれた子がほとんどです。 でも、人を信じている彼らに、私は何もしてあげる事は出来ません。 ただただ、吠える犬達に謝り続けるしかありませんでした。 それでも犬達は「人間」を信じ続け、その後、処分場へと向かい、信じている「人間」によって殺されます。 私も、彼らを裏切る人間の一人となるのだと痛感しました。
 多くの飼い主が現れなかった犬達が、 この暗い部屋で生涯の最期の日を迎えています
 収容部屋の他に、5つの部屋が用意されています。 この子は「負傷動物室」に隔離されていた子です。 交通事故に遭い、持ち込まれたというこの子、 ケガが痛むのか元気がなく、足腰が立たない様子でした。 この子も、飼い主が現れなかった場合には、
収容部屋の子達と同じ扱いを受けることになります・・・
 収容室で飼い主を待つ子。 この子は、5番目の部屋にいた子です・・・
「5番目」の部屋を過ぎてすぐの所に扉がありました。 扉の奥には、5日間飼い主を待ち続け、収容期間を終えた犬達が、処分場へと向かう為の通り道が見えます。 あの通り道を歩く犬達は、何を考えながら歩くことになるのでしょう。 中には、ずっと信じてきた飼い主の事を考えている子もいるでしょう。 彼らは、この通りを歩く意味を知っているのでしょうか・・・
 奥に見える、茶色いタイルの所が、 犬達が最後に歩く通り道になっています。
通り道を過ぎた所に、猫が収容される部屋がありました。 猫は犬とは違って、部屋の中に更にゲージが用意されていました。 この日訪れたのは午前中だった為に、猫はまだ1匹も収容されていませんでした。 (こちらに収容された猫は、犬とは違って即日処分対象となります。前の日に収容された子は、もう処分されていたのです・・) きっと、ゲージの中に猫がいたら、犬よりもはっきりと姿を確認できたでしょう。 私は心の中で、猫がいなかった事に安心していました。 でも、実際にはこんな考えは卑怯以外の何者でもありません。 ただ時間がずれていた、それだけの話であって、このゲージには、いつも猫が満杯になっているのですから・・ きっと、この写真を撮った数時間後には、このゲージは満杯になっていたはずです。
 十数個のゲージが並んでいます。
 このゲージの中で、収容された猫達は最期の時を迎えます。
猫の収容所を通り過ぎた所に、いわゆる「ガス室」と呼ばれる、ガスを送り込まれる箱がありました。 こちらは、犬用のガス室です。 無機質な金属で出来た箱。 5番目の収容部屋から通り道をたどってきた犬は、この箱の中へと追いやられます。
 想像していたよりも小さな箱でした。 横2m、縦1m程。
 四角い2つの窓が並んでいる箱が、「ガス室」です。
 上部に見える、緑色のポンプを伝ってガスが送り込まれます。
大きなガス室の横に、小さなボックスがありました。 この箱が猫用ガス室です。 猫は暴れてしまう為に、収容ゲージ毎このボックスに入れられて、ガスを送り込まれます。 当センターの猫引き取りで最も多いのは子猫。 子猫なら、かなりの数の子が収容できるそうです。

 上の取っ手部分を開けて、猫を入れる仕組みになっています。
ガス室の様子は、このモニターで見ることが出来ます。 私が訪れた日、ガス室は稼働していなかった為に、真っ黒の画面でした。
「もがき苦しんだり、けいれんを起こす子もいる」というお話でした。
 処分時はこの画面に、苦しむ動物達が映し出されている事になります。
ガス室での処分が終わると、犬は100cm程下のこの場所にまるでダンプカーの土などの様に、落とされていきます。 猫用ガス室はもう少し高い位置に設置されている為、150cm程の高さからこの場所に落とされます。 担当職員の方の言葉「犬も猫も、死んだら物同然の扱いを受ける事になります。」 実際に現場を見ただけでも、下に落ちる様子は物同然である事が分かります。
 今まで、一体何匹の子がここに落とされていったのか・・・ とても、正視できませんでした。
落とされた動物達は、そのまま焼却炉へ移されます。 灰に近い状態まで焼却する為、ここまでの作業は朝一番で行われるそうです。 焼却炉は2つ設置されており、この日は「2号炉」が稼働していました。 私が訪問した日の朝早く、収容部屋5から移されてきた子達です。
 手前が「1号炉」、奥がその日稼働していた「2号炉」です。
ここに積まれたボックスには、灰になった子達が眠っています。 医療廃棄物扱いにしている為、 ボックスは閉めたら開かない仕組みになっているそうです。

 収容部屋には、大きな犬もいたのですが、お骨はとても小さかったです。
 焼却炉外観
当初、私は収容されている犬達の姿を、瞳を写真に収めようと考えていた。 悲しい瞳が、何を訴えているか・・それを伝えたかった。 でも、犬達が収容されている部屋の前で、私はみんなの顔を見ることすら出来なかった。 収容部屋のガラスは、犬達が出たがって引っ掻いたからだろうか、曇っていてみんなの顔をはっきり見ることは出来ない。 それでも、私達を見て必死に話しかけてくる子達はたくさんいた。 みんな、「ねぇ、早く助けてよ!!」と言っているようだった。 この必死な子達を脳裏に焼き付けるのが、カメラに収めて後で見るのが怖くなって、私は正視する事もカメラに収める事もやめた。 今になって、彼らがこの世にいた証として、彼らの姿を脳裏に焼き付けるべきだった、彼らの最期の姿を撮るべきだった、と後悔している。 もしカメラに収めていれば、彼らの「遺影」となったのに・・と。
ふと、1匹の黒い大きな犬が目に飛び込んできた。 ガラス窓に顔をピッタリと近づけ、吠え続けている。 卑怯にも見ないようにしていた私の脳裏に、今でもしっかりと焼き付いている。 「ねぇ、ここから出してよ!ねぇ、ボクを連れて帰って!」と言っているかのように必死に吠えていた。 柄や大きさから言って、ハスキー犬だと思う。 元気あふれるその子は、私に向かって吠え続け、助けを求めていた。 窓を開けて、みんなを一斉に外に出してしまいたい衝動にかられる。 今、この子達を全て助け出してしまえたら、どんなに気が楽になるか。 その気持ちの裏で、そんな事をやっても何の解決にならない事も分かっていた。 『この子達だけではない・・ 他にも、気が遠くなるほどたくさん、助けを求める子がいる。 明くる日も明くる日も毎日毎日、この部屋はこうして満杯になるのだ・・』 泣きながら「ごめんね、本当にごめんね。」としか繰り返せなかった。 そのハスキーの子は3つ目の部屋にいた。 あれからもう、2日が経っている。 もし、飼い主が現れなかったら・・・ この文章を書いている今日、あの子は5番目の部屋に収容され、来週の月曜日には処分されてしまう。 来週の月曜日の午後には、小さな小さな骨となってしまう・・・
私はあの日から、「今日は5番目の部屋の子達」「今日は4番目の部屋の子達」・・・と数を数えてきた。 私が数を数える事が出来るのは、たったの5回。 生きる猶予が5日間(土日含めて一週間)しかない現実を思い知らされると同時に、5回しか数えることのない自分の立場を考えた。 ここにいる子達は何万匹と犠牲になる動物達の、ほんのほんの一部でしかないのだ・・・見えない所で、あの光景は日常だったのだ・・・と。 今日もまた、あのガス室に動物達が送り込まれ、そして焼却されているだろう。
私は今まで「センターで動物達が殺されている」事実は知っていたけれど、毎日毎日「今日も殺されている」と考えたことはなかった。 しかし、実際に見てきた今、その事が頭から離れない。 センター見学。 以前から「実状を見なくては・・」と思いながらも、「悲しすぎて絶対に見られない」と思っていた。 今回、機会あって訪れる事となり、本当に悲しく、辛い現実に苦しみながらも、見学できて良かったと思っている。 あの日、訪れなければ私はいつまでも想像の中でのセンターでしかなかったのだから。 あの辛い現実の半分も、知らずに過ごしていたのだから。
とても辛い現実ですので、決して強要するつもりはありません。 でも、もしご自分の地域の現実を自分の目で確かめたいと思える方がいらっしゃるのなら、是非お勧めします。 見ないよりも見た事で感じる「何か」はとても大きいと思います。 また、「人間」がセンターへ動物を持ち込んでいる以上、誰も関係ない施設とはいえないとも思います。
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