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社説:東関親方 だみ声もっと聞かせて

 外国人力士・親方のパイオニアとして数々の足跡を残してきた元関脇・高見山の東関親方が今月、65歳で日本相撲協会を定年退職する。

 「相撲は『彼女』と一緒。この社会で努力と辛抱を学んだ」。東関親方は最後の本場所となった5月の夏場所後、ユーモアを交えて45年の相撲人生を振り返った。「彼女」は優しいときばかりではなかっただろう。言葉に表せない、さまざまな思いも去来しているに違いない。

 東関親方は米ハワイ州マウイ島生まれ。大相撲のハワイ巡業でスカウトされ、初めて日本の土を踏んだのは1964年、19歳の時だった。

 ハワイ出身の若者が異文化である相撲界にとけ込む努力は並大抵のことではなかっただろう。言葉の問題や食事にはじまり、相撲界特有の上下関係など、どれ一つをとってもよほどの覚悟と決意がなければ耐えられるものではない。

 現役最高位は関脇。ついに大関、横綱昇進はかなえられなかったが、全盛時に200キロ近い巨体で数々の名勝負を繰り広げ、相撲ファンに多くの思い出を作ってくれた。

 「記憶」だけでなく「記録」でも偉大な足跡を残した。

 幕内在位は最多の97場所。幕内出場1430回と幕内連続出場1231回は2位に大差を付ける歴代1位の記録だ。とりわけ偉大なのは幕内連続出場記録だ。

 81年の夏巡業で左足首を痛め、直後の秋場所2日目、高見山は入門以来18年目にして初めて休場を経験した。64年春場所の初土俵からの連続出場1425回は歴代4位だが、68年初場所の新入幕から足かけ14年にわたって続けてきた連続出場は不滅の鉄人記録といっていい。

 幕内通算成績は683勝750敗(不戦敗3を含む)。勝っても負けても多くの観客の前で相撲を取り続けたのは、まさに「プロのかがみ」。CMでひょうきんな一面をのぞかせるなど、相撲取りを茶の間の身近な存在にした功績も大きい。

 「年寄名跡の襲名は日本国籍を有する者に限る」という相撲協会の規定ができたのは76年、高見山のための「踏み絵」のような規定だったが、80年に日本国籍を取得した。84年夏場所を最後に現役を引退し、年寄・東関を襲名、親方としても横綱・曙や人気者の高見盛ら多くの関取を育て、相撲界に恩返しした。

 横綱が「品格」を問われる振る舞いを繰り返し、名門部屋の師匠が入門したての若者を死なせたとして実刑判決を受ける事件も起きている今の相撲界。東関親方の目にはどう映っているのだろう。今後は相撲界の外側から独特のだみ声で愛のムチを振るってもらいたい。

毎日新聞 2009年6月3日 東京朝刊

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