SPECIAL TALK
#05 出渕裕 メカデザイナー
『ヤマト』は自分にとっては青春──大袈裟かもしれないけど、人生のターニングポイントで、この業界に入ったいちばん大きなキッカケですね。『ヤマト』がなかったら、おそらく今の仕事はしてませんね。それは自分だけではなく、河森(正治)も庵野(秀明)もたぶんみんなそうですよ、本当。『ヤマト』がもしなかったら『ガンダム』もない。『マクロス』もない。『パトレイバー』もない。『エヴァ』もない。本当にそうだったと思います。それだけ偉大な作品だったということです。
アニメーションの作り方って戦闘モノだと、「定点観測モノ」と「移動モノ」に大別されると思うんです。『エヴァ』などは前者、『ガンダム』や『ヤマト』は後者。集団を宇宙戦艦という箱庭に入れてそのまま移動させているのが『ヤマト』で、舞台がそのまま移動するロードムービーだと言ってもいい。
ロードムービーだと、移動して行く先々の風景が変わらざるをえず、その分だけ設定の量が増えるわけです。人が普通に住み、生活しているような風景だと描くのも大変ですしね。でも逆に、宇宙で箱モノにして、移動して飛行しながら戦闘があったり、惑星に行ったりする構成だとそれほどでもない。何せ「宇宙」ですから、そんなに背景はいらない。で、その方程式を最初に作ったのが『ヤマト』なんじゃないかと。
あと『ヤマト』とか『ガンダム』といったヒット作品に共通しているのは、「何が起こっているの?」というところから始まって、「実はこうですよ」という、後からわかる演出になっているところじゃないでしょうか。
第1話のアバンタイトルで見る人の心をつかむじゃないですか。冒頭から説明もなく冥王星の戦闘があって、いったいどういう状況なのかというところで、「バーン」と赤い地球を見せられて、と。説明過多じゃないからこそ後で大変なことになっているのが伝わるわけです。そして最後に赤い夕陽にヤマトがガーンとくる。この導入の仕方は何度見ても凄いんですよ
PROFILE
出渕裕
1958年12月8日生まれ。『聖戦士ダンバイン』(1983年)、『機甲界ガリアン』(1984年)、『機動戦士ガンダムZZ』(1986年)、『逆襲のシャア』(1988年)などのガンダムシリーズ、『機動警察パトレイバー』(1988年)、『科学戦隊ダイナマン』(1983年)などのスーパー戦隊シリーズ、『仮面ライダーアギト』(2001年)など、実写・アニメを問わず数多くの作品でメカニックやクリーチャーデザインを手がける。『ラーゼフォン』(2002年)で初監督をつとめる。川田工業株式会社の二足歩行ロボット、HRP-2(愛称プロメテ)の外形デザイン・イメージも担当。現在「月刊COMICリュウ」にて『出渕裕の酔いどれ人生相談』を連載中。また、デビュー30周年を記念して、『出渕裕画業 30周年記念画集IIIX』を徳間書店より6月30日に発売予定。
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