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映画は細部に宿る 髙山文彦
映画マニアとしてアニメ業界に名高い髙山文彦監督に「映画の細部」を聞こうという本連載。「細部」が話題だけに、話題もあっちこっちの寄り道ほうだい。今回も果たしてどこまで行くのやら。
第5回 岡本綺堂と少女マンガ、
そして『シンプル・プラン』
髙山 最近、岡本綺堂の『鎧櫃の血』(光文社文庫)を読んでいるんだよ。
―それは、どういう小説なんですか?
髙山 『半七捕物帖』のスピンオフの短編小説集。『半七〜』の方はミステリだけど、こちらは江戸時代に書かれた『耳袋』とかに通じるところのある奇譚集。本来のタイトルは『三浦老人昔話』なんだけれど、文庫化の際に三浦老人もの以外の短編も収録したんで、改題してある。もともと『半七捕物帳』って、語り手である“私”が、岡っ引きあがりの老人・半七の話を聞き書きしているというスタイルの小説なんだけれど、『三浦老人昔話』は、“私”が半七から三浦という名前の老人を紹介されて、その話を聞きに行くところから始まるの。『半七〜』も『三浦老人〜』も、この「聞き書き」というスタイルが効果的に使われていて、半七が現代の人――というか小説の設定だと明治時代だけど――に江戸時代のことを語って聞かせるという構造だから、語りの中で江戸時代の事物とか、いろいろな説明が入っても不自然じゃないんだよね。
―時代物だと、前提条件もいろいろありますからね。
髙山 そう。で、この『三浦老人昔話』を読んでいて巧いなぁと思ったのが、その“私”と三浦老人の距離感の描き方。一編目の『桐畑の太夫』の時は、知り合ったばかりだから、訪れた時は丁寧すぎる位の物言いで接しているんだけど、二編目の『鎧櫃の血』になると、話し好きの三浦老人が「今日は夕方まで人質ですよ」って、挨拶にユーモアを交えてくる。これだけで、二人の距離が縮まって、前より親しくなっていることが判って、描かれていない間の時間の経過まで感じさせる。自然な流れの中で書いているから、すっと読めちゃうけれど、巧いんですよ。こういうセリフはなかなか思いつかないんだよなぁ。
―小説だから、そういう何気ないセリフが印象に残るというのもありそうですね。
髙山 活字で読むというのが大きいよね。映画だと、自然であればあるほど聞き流しちゃって、観客の印象に残らないかもしれない。あと、この小説を映画にする時に難しそうなのは、挨拶した後、部屋に通されて話しを始めるまでの段取り部分……本題に入る前の前置きなんだよね。小説では、会話と地の文章を組み合わせて効率よく端折っているんだけど、映画で演出するんだったらどうしようか考えると、いろいろ難しいところが多いんだよ。
―というと?
髙山 挨拶が終わったら、履き物を脱いだり、廊下を歩いて、部屋に通されて、お茶が出されて……という段取りがあるでしょう。これをそのまま描くとタルくなるのは間違いないけれど、全部省略すればいいかというと、そうでもない。老人の話の中身が滑稽な失敗譚だったりして、春風駘蕩といった味わいの小説だから、こういう題材の導入部をちゃかちゃかしたテンポでで演出したらまずい。江戸時代に生きていた老人の雰囲気を感じさせるためにも、挨拶のシーンは必要だから残すとして、その後をどう端折り、かつ、ゆったりとしたペースで物語を進めるか、ということを考えると……なかなか難しい。
―やっぱり本を読みながら、どう演出するかを考えちゃうことは多いんですね。
髙山 職業だからねぇ。こういうシーン、どうやればいいのか悩んでいるのが、昔からいろいろあるんだよ。例えば、萩尾望都の『ポーの一族』の一場面なんだけれど、ヒロインの少女のメリーベルと語り手の少年が始めて出会うところ。一つのコマに、バラに囲まれてたたずむ少女の上半身と、見ている少年の眼のアップが重ねて描かれているわけ。永遠の一瞬が定着されている、非常に印象的で素晴らしいコマなんだけど、これを仮に映像化するとしたら、どうすればいいんだろうって。普通にカットを割って、たたずむ少女、見ている少年の眼、みたいな処理だと少女マンガらしい柔らかな印象が消えてしまうでしょう。じゃあ、長めのO.L(オーバーラップ)で繋ぐのか? それだと少女のカットの色と、見ている少年のカットの色が重なって、画面が汚くなりそうだ。難しいからといって、キービジュアルのこの絵をはずしちゃうことは考えられないしね。
―萩尾さんをはじめ、いわゆる「24年組」と呼ばれる女性マンガ家さんは、実験的なコマ割りも多いから映画の文法に置き換えるのは難しそうですね。
髙山 それでも萩尾さんは、プロットは男性的というか、輪郭がくっきりしていて少女マンガらしくない部分もあるじゃない。これが形式も内容も少女マンガそのものみたいな、大島弓子さんだとさらにハードルがあがるんだよね。時々『さようなら女達』や『バナナブレッドのプディング』、やってみたいなー、と思うときもあるんだけれど(笑)、どうやれば大島さんの世界になるか見当もつかない。
―そうですよねぇ。それにしてもどうして岡本綺堂なんですか? やはり映像化してみたいと?
髙山 うん、岡本綺堂ってもう著作権が切れているでしょう。ならばこれを連作でアニメにしたらおもしろいんじゃないかって思っていた時期があって。『半七〜』の中には、導入がものすごく見事なやつがあるんだよ。ある朝、旗本の屋敷の屋根の上に、3歳ぐらいの子供が寝ている。びっくりした大人が屋根に上って、その子供を下ろしてみると、子供は既に死んで冷たくなっている。近所の人に聞いてもその子供を知っている人は誰もいない……。
―おお、それはすごいですね!
髙山 (笑)インパクトのある導入部分でしょう。ほんと、画にしたら魅力的だと思うんだよ。豪勢な屋敷の瓦屋根に、鮮やかな色の着物を着た子供が横たわっていて、屋根の向こうには江戸の朝の空……。しかも提出される謎が凄い。殺人事件ならば、何で死体をわざわざ屋根の上に置いたのか、事故だとしても、幼児が一人で高い屋根に上がれるはずがない。掴みとしては申し分が無い。ただ、このエピソード、ミステリとしての解決はちょっと半七シリーズの中でも落ちるほうなんだけれど(笑)。
―(笑)映画って長編を削るよりも、短編をふくらませたほうがおもしろくなる場合が多いって、よく言いますよね。
髙山 黒澤明監督の『椿三十郎』(62年)なんかも、原作は山本周五郎の短編『日々平安』だからね。
―そうなんですか。
髙山 もともとは黒澤が、助監督で愛弟子の堀川弘通のために『日々平安』を原作に忠実にシナリオ化したけれど、『用心棒』(61)の続きを作れということになって、仕方ないから『日々平安』のシナリオを書き直して『椿三十郎』になったんだそうで。原作と映画を比べると、なかなか面白い。
―原作と映画では違うんですか?
髙山 ストーリーはだいたい一緒。大きく違うのは、まず主人公像。『日々平安』のほうは、尾羽打ち枯らした浪人で、空きっ腹抱えて困っている。映画の三船敏郎みたいに強そうじゃないの。そんな浪人が、若侍たちの藩の陰謀を暴く計画を知って、手助けに成功すればこの藩で仕官できるんじゃないかと考えて協力を申し出る……功利的な性格というか、結構抜け目の無い奴なんだよ。
浪人が、「これから切腹をするので介錯してほしい」と頼むのが小説の冒頭シーン。人の良い若侍が浪人の事情を聞いて小銭を恵み、そこから関わり合いが始まる。
―切腹は最初から狂言なんですね。
髙山 そう。金をせしめて飯を食うための臭い芝居(笑)。小説では、中盤で、浪人が悪人たちに取り入る時に作り話をするの。お堂に野宿をしていたら、偶然若侍たちの密談を聞いて、それが不穏な内容だったんで注進に参ったとかなんとか。この作り話を、映画では実際の導入部にしている。三船だと、狂言の切腹をするキャラクターじゃないから、小説の導入部はそのまま使えないと判断して変更したんだと思う。
―へぇ、巧妙に換骨奪胎してますね。
髙山 あと大きく違うのは、クライマックスに出てくる合図。小説では、屋敷に火を放って、その煙が行動開始の合図になるんだけれど、映画の方では椿の花を流すのか合図になっている。黒澤は、その流す椿の花をパートカラーでそこだけ赤く見せたかったそうなんだけれど……。
―ああ、それは『天国と地獄』(63)の……。
髙山 そうそう、『天国と地獄』で使われるパートカラーの煙につながっていると思うんだよね。『日日平安』の煙、『椿三十郎』で断念した赤い椿、『天国と地獄』のピンクの煙、という流れで煙が復活している。ちなみに、狂言で切腹をするというアイデアは、脚本家の橋本忍が『切腹』(62、小林正樹監督)でも使っている。橋本忍は『椿三十郎』の脚本には参加していないし、『切腹』には原作小説が別にあるけれど、これだけ時期が近いと、なにか影響みたいなものもあったかもしれない。あるいは、共通のネタでそれぞれの小説が書かれたのかもしれないけど。……ともかく『日々平安』と『椿三十郎』は、脚色というものを考えるときにはいい教材だよ。アクションシーンをどうやって組み込んで活劇にするかとか、ユーモラスなシーンをどう使うかとかのお手本になる。原作では、みすぼらしい浪人の言うことを周りの人間が簡単に信じて、事態があまりにもスムースに進行するんで、ちょっと突っ込みたくなるところがあるんだけれど、映画ではそこを逆手にとって、浪人を疑ってやたらに突っかかる若侍(田中邦衛)を配置して、お話のリアリティを確保している。
―逆に長編をうまく脚色した映画ってありますかね?
髙山 デキのいい長編ほど構成が緊密にできているから、映画用にダイジェストするとつまらなくなくなるってのはよくあるよね。長編小説の傑作は、映画化しない方が無難かもしれない。もちろん、いくつか例外はあって、あっと驚く脚色をやってくれたのはサム・ライミ監督の『シンプル・プラン』(98年)かな?原作は読んでます?
―いいえ。
髙山 広い意味での犯罪小説なんだけど、主人公はごく真っ当な一般人。僕らの周囲にいるような普通に会社勤めしている奴が、ひょっとしたきっかけから悪事に手を染め、ドミノ倒しのように状況がどんどん悪化していくさまを描いている。スコット・スミスの処女作で、発表された時絶賛の嵐だったの。これほど完成度の高い長編ミステリ書いてデビューしたのは、『死の接吻』のアイラ・レヴィン以来じゃないかって。実に見事な出来栄えで、傑作としか言いようが無い。
―それがどう料理されているんですか?
髙山 ひとことでいうと、長編の真ん中あたりでずばっと切って終わらせちゃってる。
―え、それで終わっているんですか?
髙山 うん、映画としてちゃんと終わってる。すごくクレバーなやり方だな、と。映画の脚本もスコット・スミス本人が書いているんだけれど、真ん中で切 るのはサム・ライミの提案だったんじゃないかと思う。ある意味、とてつもなく荒っぽいやり口だから、少なくとも原作者の発想とは思えない。小説の方が大傑作なんで、比較するとちょっと分が悪いけれど、映画化としては成功だと思う。
―長編小説だと『白鯨』なんかも映画化されてますよね。
髙山 『白鯨』(56年、ジョン・ヒューストン監督)といえば……脚色とはちょっと話がずれちゃうけれど、小道具の使い方がサミュエル・フラー監督の『最前線物語』(80年)と似ているんだよね。
―というと?
髙山 『白鯨』にクイ―クェグという銛打ちが出てくるでしょう。彼は航海中に自分の死を予感して、船の上で自分の棺を作リ始めるんだけれど、その棺が最後に語り手であるイシュメールを救うことになる。船が沈んだ時に救命ボートの変わりになるの。『最前線物語』では、ノルマンディー上陸作戦の時、濡れないようにライフルの銃口にコンドームをかぶせるシーンが出てくる。俗流フロイト主義みたいな冗談かと思っていると、その後、解放した村に産気づいた女がいて、衛生兵が逆子の赤ん坊を取り上げることになる。手術用のゴム手袋が必要なんだけれど、そんなもの無いから、コンドームを手袋代わりに指に装着するわけ。『白鯨』では、死者のための棺が生き残るためのアイテムになり、『最前線物語』では、産児制限のためのコンドームが赤ん坊を生かすためのアイテムになる、と。
―そのものの機能が逆転しているところが、いいですね。というわけで、今回話をうかがうつもりだったサム・ライミとカートゥーンの関係については、また次回ということで。
構成・文:藤津亮太
次回予告
アニメと実写。似ているようで似ていないし、違っているようで共通点も多いこの二つ。市川崑、ティム・バートン、サム・ライミ、押井守、庵野秀明。両者を越境する監督たちに触れつついろいろ考えてみよう、のココロだぁ!
※内容が予告通りとは限りません。
髙山文彦 プロフィール
アニメ制作スタジオのトップクラフト、アートランドを経てフリーに。1989年『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』で監督デビュー。現在公開中の『ストレンヂア 無皇刃譚』では脚本を務めている。代表作は『WXIII 機動警察パトレイバー』(総監督)、『ガンパレード・マーチ 〜新たなる行軍歌〜』(監修・シリーズ構成・脚本)など多数。
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