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映画は細部に宿る 髙山文彦
映画マニアとしてアニメ業界に名高い髙山文彦監督に「映画の細部」を聞こうという本連載。「細部」が話題だけに、話題もあっちこっちの寄り道ほうだい。今回も果たしてどこまで行くのやら。
第2回 東映時代劇と『ダンディー少佐』と命名法
―というわけで今回は高山さんの映画体験を聞いてみたいんですが……。最初に見た映画って覚えていますか?
髙山 なんだったんだろうなぁ、4、5歳位の時だから全く憶えていない(笑)。俺が小学1〜2年生の頃って東映時代劇の全盛期で、男の子は大抵チャンバラ好きだから、俺もやられちゃって映画好きになった。でも小学校低学年だったからお金がなくて、親の財布からくすねて見るしかなかったんだよね。ばれたら、結構怒られるわけだけど(笑)。
―そりゃ、怒られるでしょうね(笑)。
髙山 映画館に足を運べるのは、小遣いもらった時か、親の財布からくすねるのに成功した時だけ。見たい映画が見られたわけじゃなくて、お金がある時に映画館にかかっているものを見ることが多かったなぁ。俺、中村錦之助が好きだったんだけど、実際にはあまり好きじゃない大川橋蔵の『新吾十番勝負』(1959年、監督/松田定次)とか見る破目になったり。錦之助の映画を見ることができても期待のチャンバラ時代劇じゃなくって、美空ひばり共演のミュージカルっぽいやつだったり、一心太助の出るコメディぽいものだったりした。
―沢島忠監督の『家光と彦左と一心太助』(1961年)とかですかね。
髙山 そうだったかなぁ。当時、何が悔しいって、学校から家に帰る途中に映画館があったんだけど、映画館に入るところの幅2mぐらいの細めの道の両側にずらっとポスターが貼ってあるんですよ。田舎の映画館なんで1週間で3本上映、すると1カ月分12本ぐらいのポスターが貼ってあって。ものすごく見てぇと思うけど、でも、金が……みたいな。
―通学路に映画館があったんですか? いい環境ですねぇ。
髙山 でも、逆にこう、欲望だけをかきたてられるわけ(笑)。
―すると小学校時代から、ものすごく筋金入りの映画好きという感じですけど、どうしてアニメ業界を選んだんですか? 翻訳家志望だった時期もあると聞きましたけど。
髙山 まあ、それは大学生になってちょっとの間の話で。
―大学は大阪の学校でしたっけ?
髙山 うん。大学は、途中からもう行きたくなかったんで、ほぼドロップアウトして、バイトして映画を見る生活を続けるようになって、最終的には退学しちゃった。それで、東京でも行くかって東京に出てきたんですよ。
―それはきっかけとかあったんですか?
髙山 俺、当時、サム・ペキンパーに狂っていたんだけど、まだ劇場で見たことの無い『ダンディー少佐』(1965年、監督/サム・ペキンパー)の上映権がもうすぐ切れるっていうんですよ。今みたいにビデオやDVDがある時代じゃないから、上映権が切れると永遠に見れないかもしれない。そうしたら、文芸座のオールナイトのプログラムの中に『ダンディー少佐』があるのを雑誌の記事で知って。見たいけど上映は一晩限り、しかも場所は東京の池袋。結局、大阪から上京して映画を見て、その後一週間ほど高校時代の友人のアパートに転がり込んで都内の映画館をはしごしていた。
―『ダンディー少佐』は第1回にも出てきた西部劇ですね。
髙山 そうそう。それで、その友達の1年先輩に麻雀好きな人がいて、夜は誘われて麻雀を打ってたの。で、その人は後にズイヨー映像、日アニ(日本アニメーション)を経て、トップクラフトに入る、と。
―そこでトップクラフトが出てくるんですか!
髙山 ちゃんと東京に出てきたのは、その『ダンディー少佐』の時から2年後かな。その頃は、半年準社員で働くと、60日間位失業保険がもらえたんで、しばらくはそれで食おうかと思っていたら、その友達から、「麻雀やった先輩が、トップクラフトというアニメ会社でバイトを探しているんだけど」という連絡があって(笑)。
―そこでアニメ業界と接点ができたわけですね。トップクラフトって、アメリカとの合作を中心に手がけていたスタジオですよね。後に『風の谷のナウシカ』(1984年、監督/宮崎駿)の制作母体になりますが。
髙山 そう、ランキン・バス・プロダクションというとこの作品を手がけていて、その時は『ホビットの冒険』(THE HOBBIT)(小説1937年、アニメ1978年)という、J・R・R・トールキンの同名小説のアニメを作っていた。俺はそこに、トレスがけ(トレスマシンを使い動画をセルに転写する作業)のバイトで入って。『ホビットの冒険』のキャラって、当時としてはものすごく線が多くて、細かったんですよ。アニメで普通使っている濃い鉛筆ではだめで、動画は2Hの鉛筆を使っていた。その線をセルに転写するのが大変だったんですよ。
―色が薄くて、うまく転写できないわけですね。
髙山 だから、最初に弱めにトレスマシンを通して軽く転写した後に、もう1回、トレスマシンを通すというやりかたが必要だったの。これがかなり手間のかかる作業で、それをもう一人の友達と一緒にずっとやってた。
―それがきっかけでトップクラフトに入ることになったわけですね。
髙山 この業界は、アニメが好きで入ってくる人が大半なんだけれど、俺の場合は、『ダンディー少佐』がなければこの業界に入っていなかった(笑)。トップクラフトには偶然入ったわけだけれど、後でよかったなと思ったことがあって。トップクラフトって小さい会社ながら、作画、美術、撮影、編集といった全パートが揃っていたから、アニメの制作工程を全部観ることができたの。
―それは重要なポイントですね。
髙山 バイトを始めたのが'77年5月ぐらいで、終わったのが11月だったかなぁ。トップクラフトって、一カ所で一つの作品をやっているんで、原画マンは原画が終わると動画を手伝うし、作画が終わるとアニメーターも仕上げを手伝うから作品への一体感があるんですよ。俺も撮影とか手伝って、最後の日、明け方に現像所の人が撮影済みフィルムを受け取りに来ると全員拍手して送り出したりして。その後、いきつけの喫茶店でモーニングを頼んで、ぱっと朝刊を開いたら詩人の石原吉郎の訃報が載っていたことを覚えている。
―えーと、調べてみると石原吉郎が亡くなったのは'77年11月14日のようですね。
髙山 石原吉郎は学生時代に好きで読んでいたので、すごく印象的だった。で、その共同作業をやる一体感に高揚して、アニメっていいかもしれない、とちょっと思っちゃったんですね(笑)。
―運命の分かれ道(笑)。それでトップクラフトの撮影に入るわけですよね。
髙山 うん、その後、トップクラフトの原(徹)社長と話した時に「君、映画好きみたいだから、演出やらんか?」みたいな話になって「やれるものなら、やりたいですが、何をやればいいんですか?」って答えたんですよ。そうしたら「君は絵が描けんから、そうだな、まず撮影覚えろ」って話になり、欠員のあった撮影に入ることになった、と。
―へぇ〜、そういう経緯でアニメ業界のキャリアが始まったわけですね。
髙山 で、オチがあってですね。さっき東京まで出てきてわざわざ見た『ダンディー少佐』。実は、その2カ月後に、あっさり大阪で上映した(笑)。飛田OSっていう、とんでもない古い三番館でかかったんですけど、悔しくって4回見ましたね(笑)。
―(笑)。大阪で上映するまで待っていれば、別の人生があったかも。
髙山 いつも思うんだよね。詩人の田村隆一の「帰途」のパロディ。「演出なんか覚えるんじゃなかった/アニメのない世界/アニメが存在しない世界に生きていたら/どんなによかったか」って(笑)。
―(笑)。と、今回アニメ業界に入るまでをうかがったんですが、ちょっと映画の話もしとかないとアレかなと思ったんですが……。
髙山 そうだねぇ(笑)。『ダンディー少佐』の話題が出たからっていうわけじゃないけれど、ここのところ、わりと気になっているのは「名前」なんだよね。
―名前、ですか?
髙山 欧米の小説だと架空の登場人物をタイトルにした作品って結構多いじゃない。『ジェーン・エア』、『ボヴァリー夫人』、『アンナ・カレーニナ』、『オリバー・ツイスト』とか。映画も『インディ・ジョーンズ』(1981年〜)シリーズとか『アニー・ホール』(1977年)とか。でも日本の小説や映画のタイトルは架空の人名を避ける傾向があるんじゃないかと。小説で架空の人物の名前をドンとつけているって、ぱっと思いつくのは『鳴海仙吉』(伊藤整)ぐらいかなぁ。岡本喜八監督が映画にした山口瞳の『江分利満氏の優雅な生活』(1963年)とかあるけど、あれはEverymanで、匿名としての名前だしね。その点では矢作俊彦の『スズキさんの休息と遍歴―またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行』(1994年)のスズキさんも同じだし。ミステリ系の小説は『半七捕物帳』とか、名探偵の名前がタイトルにつくことが多いけど、これは特殊な例外で、同一主人公の連作を前提としているからだと思う。
―確かに。なんか文化的な好みの差とかあるんですかね。
髙山 そういう中で宮崎さん(宮崎駿監督)の『風の谷のナウシカ』ってすごく珍しいし、いいタイトルだと思うんだよね。
―そう言われると宮崎監督は、主人公かそれに近い要素をそのままタイトルにするケースが多いような……。
髙山 その延長線上でいうと、作家における登場人物のネーミングパターンってあるような気がする。ひとつは、まったく名前をつけない記号で処理するタイプ。主人公は「僕」「私」で、それ以外のキャラも出てきても数字だったり記号的な、広い意味で「あだ名」っぽい命名を使う人。典型は初期の村上春樹かな。「ぼく」と「鼠」だからね。それとは対照的なのが、登場人物は劇的な選ばれた存在だから現実離れした名前をつけるんだ、っていうタイプ。代表は……梶原一騎かな。星飛雄馬、花形満、どれもインパクトあるよね(笑)。
―飛雄馬は、ヒューマン(人間味のある)のもじりだそうですからね。
髙山 ところがネーミングセンスが『あしたのジョー』(1968年、講談社)になるとちょっと抑えめで、わりと普通になるんだよね。変わっているのは丹下段平ぐらいで。
―高山さんはネーミングはどうしているんですか。
髙山 その時々かな。『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(1989年)の時は、連邦側とかは構成をやってくれた結城(恭介)くんと脚本の山賀(博之)で決めたはず。ジオンは俺のほうで出したかな。『超時空オーガス02』(1993年)の時はいろんなところで言っている通り、競馬の馬から(笑)。ユーザーフレンドリーという馬がいて、それを適当なところで切ってザーフレンにする、とか。そういえばちょっと前に出た『日活アクション無頼帖』(2007年、著/山崎忠昭、ワイズ出版)にもネーミングの話は出ていたよね。
―山崎忠昭ってアニメの脚本もいろいろ書いていた方ですよね。
髙山 そう。日活アクション全盛期にいろいろユニークな脚本を書いていた人でね。彼は、わりと回りの人からつけているんだよね。最初の印象の悪かった長谷部安春監督をチンピラの名前につかったりして。あの本はアニメに関する話題も載っていて、おもしろいんでおすすめですよ。
―へぇ、そうですか。読んでみます。それでも匿名・あだ名系とドラマチック系の命名法の違いって、その人の趣味の差なんですかね?
髙山 うーん、それもあるかもしれないけど、なんか極端に触れる例もあるんだよね。たとえば大江健三郎ってずっと記号的な名前の主人公を使っていて、本名をほとんど使わず「バード」(『個人的な体験』(1964年))というあだ名で全編を通していたりしたんだけど、ある時から、極端な名前にシフトするんだよね。『日常生活の冒険』(1964年)の斎木犀吉とか、最近では古義人(コギト)とか。
―境目は『洪水はわが魂に及び』(1973年)あたりですかね。あれは本人が本名を捨てて、大木勇魚って名乗っているって設定でした。斎木犀吉って、なんか富野由悠季監督のキャラみたいな語呂ですね(笑)。
髙山 (笑)。そういうシフトをするのってジョージ・ルーカスもそうなんですよ。『THX-1138』(1971年)みたいに管理社会で人はナンバーで呼ばれる世界を描いたかと思ったら、『スター・ウォーズ』(1977年)でルーク・スカイウォカーだからね。スカイウォーカー。スペオペの主人公にここまでふさわしい名前はない(笑)。
―っと、今回は時間がここまでなんですが、この話題いろいろと広がりそうですね。じゃあ、次も「キャラの名前のココロだぁ!」ってことで、次回に続く!
構成・文:藤津亮太
次回予告
日本映画の巨人、黒澤明のキャラクターははたして、記号系・象徴系のどちらで命名されているのか。名前をめぐる冒険は、もうちょっとだけ続くのだった。
※内容が予告通りとは限りません。
髙山文彦 プロフィール
アニメ制作スタジオのトップクラフト、アートランドを経てフリーに。1989年『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』で監督デビュー。現在公開中の『ストレンヂア 無皇刃譚』では脚本を務めている。代表作は『WXIII 機動警察パトレイバー』(総監督)、『ガンパレード・マーチ 〜新たなる行軍歌〜』(監修・シリーズ構成・脚本)など多数。
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