469.最後のサイドバルブレーサー HD-KRTT
 第二次大戦後、復員してきた若者たちは英国製のモーターサイクルに魅せられ、
ハーレイ・ダビットソンに代表される自国のモーターサイクルは大きくて重いスポーツ性に欠ける
ものとして人気は断然、トライアンフやノートンといった英車にありました。

  トライアンフ・レーサー

  ノートン・マンクス 600 1958年

しかし、1930年代、クラスC (市販車改造,オーバーヘッド・バルブ→500cc ,
サイド・バルブ→750cc)
を成立させ、レギュレーションでレースを自国が有利に成る様、
画策してきた米AMAでしたが、そのハンデをものともしない英国車の目覚しい発展には
ハーレイ・ダビットソンの経営陣も実走するレーサーの投入を考えなければならない事態となって
いる事を自覚せざるを得ませんでした。

1952年 Kモデルが発表になりましたが英車的な操作系、「右足チェンジの
左足後輪ブレーキ
」が最大の特徴でした。 また、4速のギア・ボックスをユニット構造に収め、
交換はカセット式で行えるなど新機軸も盛り込まれました。

オーバルダートトラック・レース仕様であったKR系の他に米国独自のTTレースやロードレースでの
使用を考慮したスイングアーム・フレームを持ったKRTTを製作しました。

初期トラブルに悩まされたKRTTでしたが、ハーレイ・チューナーの英知も加わって、
定勝マシンに成長して行きました。







1960年代英車などの外国製品インポーター達のAMAに対する発言権が増し、
1970年代からは一律750ccの排気量制限でデイトナ200マイルなどの
レースが行われる事となりました。
 
ハーレイもKR系から新型OHVのXRシリーズへ開発の中心を移す結果となりました。

一部の例外を除いてサイド・バルブ方式の可能性が最後まで追求されたのが
KRモデル
でした。

 1968年仕様にしたKRTT


KRモデルは最も輝きを放ったハーレー製レーシング・モデルと呼ばれています。

 1969年仕様にしたKRTT

by SS992 | 2009-05-24 03:30 | 憧れだった美女達 | Comments(0)
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