第二次大戦後、復員してきた若者たちは英国製のモーターサイクルに魅せられ、
ハーレイ・ダビットソンに代表される自国のモーターサイクルは大きくて重いスポーツ性に欠ける ものとして人気は断然、トライアンフやノートンといった英車にありました。 トライアンフ・レーサー ノートン・マンクス 600 1958年 しかし、1930年代、クラスC (市販車改造,オーバーヘッド・バルブ→500cc , サイド・バルブ→750cc)を成立させ、レギュレーションでレースを自国が有利に成る様、 画策してきた米AMAでしたが、そのハンデをものともしない英国車の目覚しい発展には ハーレイ・ダビットソンの経営陣も実走するレーサーの投入を考えなければならない事態となって いる事を自覚せざるを得ませんでした。 1952年 Kモデルが発表になりましたが英車的な操作系、「右足チェンジの 左足後輪ブレーキ」が最大の特徴でした。 また、4速のギア・ボックスをユニット構造に収め、 交換はカセット式で行えるなど新機軸も盛り込まれました。 オーバルダートトラック・レース仕様であったKR系の他に米国独自のTTレースやロードレースでの 使用を考慮したスイングアーム・フレームを持ったKRTTを製作しました。 初期トラブルに悩まされたKRTTでしたが、ハーレイ・チューナーの英知も加わって、 定勝マシンに成長して行きました。 1960年代英車などの外国製品インポーター達のAMAに対する発言権が増し、 1970年代からは一律750ccの排気量制限でデイトナ200マイルなどの レースが行われる事となりました。 ハーレイもKR系から新型OHVのXRシリーズへ開発の中心を移す結果となりました。 一部の例外を除いてサイド・バルブ方式の可能性が最後まで追求されたのが KRモデルでした。 1968年仕様にしたKRTT KRモデルは最も輝きを放ったハーレー製レーシング・モデルと呼ばれています。 1969年仕様にしたKRTT by SS992 | 2009-05-24 03:30 | 憧れだった美女達 | Comments(0)
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