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声失った妻よ、きょうも「寅さん」になるよ(1/2ページ)

2009年6月2日23時57分

写真:旅行したときに幸子さん(左)と撮った写真。「また、行きたいね」=06年ごろ撮影、静岡県内、写真はいずれも原さん提供旅行したときに幸子さん(左)と撮った写真。「また、行きたいね」=06年ごろ撮影、静岡県内、写真はいずれも原さん提供

 東京で、腹いっぱいご飯を食べられるくらいの人気者になりたい。タレント原一平さん(71)=世田谷区在住、本名・日下部護(くさかべ・まもる)=の芸名にはそんな思いが込められている。「フーテンの寅さん」の物まねで売り出し36年。「声なき」妻、幸子さん(66)に支えられての芸の道だ。

 ハイトーンで若々しい声の持ち主だった幸子さん。舌の付け根にピンポン球ほどの膨らみができ、声帯だけでなく舌も切除したのは89年5月だった。いまは人工発声器を使って声を出している。

 「声帯模写の仕事をしている私の身代わりになってくれたのです」と原さんは言う。

 幸子さんは手術の前日、「人生80年とすれば、私の人生の半分は話すことができました。幸せでした」と最後の声で留守番電話にそう吹き込んだ。声を失ってからは、都障害者福祉会館(港区)で人工発声器で声を出す訓練の指導員をしてきた。

 今春、原さんは、東京のお笑い芸人でつくる「東京演芸協会」の副会長になった。それを知った幸子さんは、「こ、れ、か、ら、は、ま、わ、り、の、ひ、と、と、け、ん、か、し、な、い、で」と人工発声器を使って注意したという。

 2人は北海道出身。1967(昭和42)年、旭川で結婚した。大手楽器メーカーの営業マンだった原さんは成績を伸ばし、本社の「教育課長」に昇進。だが社員に「クビ」を言い渡す仕事がつらかった。「もうやめるよ。芸人になる」。幸子さんにそう告げたのは35歳だった。

 もともと芸達者の原さん。学生時代から色々なのど自慢大会に出場しては優勝した。だが、プロの世界は厳しい。鳴かず飛ばずの日が続いた。「顔の形も声も渥美やんにそっくり」と喜劇役者の関敬六さんが親友の渥美清さんを紹介。お墨付きを得て寅さんの物まねを始めた。

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