ニュージーランドのバイク・チューナー、バート・マンローは1,000cc以下で
流線型フィアリングを用いたクラスに挑み、1962年に、850cc にボアアップしたエンジンで、 時速288km の世界記録を樹立しました。 1967年には、950cc に更にボア・アップしたエンジンで、階級記録の時速295.44kmを 樹立しました。 記録は往復路の平均値を取ります。 片道で彼はインディアンでの 最速速度記録を非公式ではありますが、出しました。 更に高速の時速331km です。 映画「世界最速のインディアン」の モデルとなったニュージーランドのバート・マンローの出した 記録は未だに破られていないとの事です。 トライランフにはボンネビルというバイクがありますがやはり、ボンネビルのソルト・フラッツで速度記録を更新した事を記念して発売された物です。 トライアンフ T6 サンダーバード 1956年 その記録は 1949年にトライアンフ、 サンダーバードベース の 「ストリーム・ライナー、テキサス・シガー」が出した345.04km/hです。 これを記念して発売されたのがT-120 ボンネビルでした。 トライアンフT-120 ボンネビル 1959年 しかし、バート・マンローが出した記録は1967年、排気量は950ccなので 1,000cc以下で流線型フィアリングを用いたクラスだと思います。 トライアンフが出した記録も1946年で排気量649ccなので 1,000cc以下で流線型フィアリングを用いたクラスだと思います。 マンローよりトライアンフの記録の方が排気量は少なく、出した記録は速いのです。 しかもトライアンフの方が21年も早く記録されています。 これは一体どうした事でしょうか? 実は記録の登録を巡ってトライアンフとFIMの間に争議が起こってトライアンフの記録は認められなくなってしまったのです。 しかし、一般大衆にはそんな事はどうでも良い事でした。 僅か649ccエンジンのトライアンフが時速300kmの壁を破った!それだけで充分でした。 また、バート・マンローが称えられるのは地球の反対側からたった一人でマシンを携えて やって来たからでもあります。 しかも、マシンは殆ど手造りでした。 タイヤなどノーマルタイヤのトレッドパターンを肉きり包丁でそぎ落としてスリック・タイヤに していました。 更にテキサス・シガーがトライアンフの支援を得られたのに対し、 バートはインディアンの支援を受けられませんでした。 インディアンという会社が1953年には倒産してしまっていたからです。 こうした困難にもめげないガッツの有る奴は、特にアメリカでは尊敬されます。 バート・マンローの「インディアン」、トライアンフの「テキサス・シガー」どちらもアメリカン・ドリームの代表として 優劣を付けるなどと言う野暮なことはしないのがヤンキー魂なのでしょう。 誰よりも速く走る・・・その事に命を賭ける男達! 女性には馬鹿にされそうですが、私は男の夢はいかに単純で解り易い物が好きです。 by SS992 | 2009-05-24 20:06 | レース | Comments(0)
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