記者の目

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記者の目:新型インフルエンザの国内初感染=高野聡(大阪科学環境部)

 ◇的確な情報提供、国の宿題 ウイルスと付き合う知識を

 新型インフルエンザの感染者が相次いだ大阪、兵庫両府県では大規模な休校・休園措置が取られ、観光業や地域経済が打撃を受けた。感染者が出た学校が中傷を受ける残念な事態も起きた。人々がこうした恐れを抱き、混乱したのは、政府が行動計画の前提とした「強毒性ウイルス」のイメージと対策についての説明不足が原因だと私は考えている。秋には第2波の流行が懸念される。それまでの間、ウイルスの知識、対策を的確に情報提供することが、政府に課せられた最大の宿題だ。

 新型ウイルスの国内感染をめぐる最初のボタンの掛け違いは、水際対策についての政府の認識と国民の受け止め方の違いだった。

 世界保健機関(WHO)が警戒度を引き上げ、政府が対策本部を設置した4月28日、舛添要一厚生労働相は「ウイルスの国内侵入を阻止するため、水際対策に万全を尽くす」と表明した。専門家の多くは「いずれウイルスは入り込む。水際対策はそれまでの時間稼ぎ」という認識だったが、防護服姿の検疫官が機内検疫する様子は、「侵入を防げる」という幻想を国民に与え、ウイルスへの過度の恐怖感も植え付けた。

 高熱やせき、鼻水、全身のだるさを伴うインフルエンザの症状はつらい。高齢者ら免疫力の低下した人だと死亡することもあるが、健常な人であれば自然治癒する。ウイルスの変異によって例年、国内で数百万人が感染する。それだけ身近な病気ともいえる。

 今回の新型ウイルスが季節性ウイルスのAソ連型と同じ「H1N1型」とわかったのは、国内初感染が発覚する前だった。WHO緊急委員会委員の田代真人・国立感染症研究所インフルエンザウイルス研究センター長は4月28日、「強い病原性を示唆する遺伝子はない」とジュネーブでの記者会見で指摘している。糖尿病などの基礎疾患のある人が重症化することもあり、侵入・拡大への警戒を安易に解かなかった事情は分かる。だが、この段階では、人々を安心させる情報の方が、より必要だったのではないか。

 5月に国内感染が確認された後、行政と一般の人との新型インフルエンザの対策をめぐる理解の差も大きかった。

 国と自治体は、▽感染拡大の速度を抑え、地域医療や社会の混乱を防ぐ▽基礎疾患のあるハイリスク層への感染拡大を防ぐ--という立場だ。

 大阪府新型インフルエンザ対策協議会の奥野良信委員長は「対策は、封じ込めでなく、感染拡大の速度を抑えること。重症者が出ても患者が急増しなければ十分対応できる」と公衆衛生の考え方を説明する。行政の真意は十分伝わらず、多くの人は自分も感染するのではという恐怖感ばかりが強まった。患者の多い関西への旅行を敬遠したり、関西から戻った人が出社拒否されるなど過度な反応も出た。経済損失など払った代償は大きい。

 新型ウイルスは、03年以降、東南アジアで、強毒型鳥インフルエンザウイルス(H5N1型)の鳥から人への感染が報告され、警戒が始まった。WHOの呼びかけで日本政府も行動計画を策定してきた。メディアも「H5N1型は全身感染し、死亡率が60%に達する」「人に免疫がないため、世界的大流行(パンデミック)を起こす」とセンセーショナルに取り上げてきた。

 だが、強毒型鳥インフルエンザウイルスが人から人に感染する新型ウイルスに変異するという想定に対しても、専門家から疑問の声が上がっている。

 菅谷憲夫・けいゆう病院小児科部長は「専門家の間では、H5N1型による新型ウイルスは出ないという声が高まっていた。昨年の国際会議はそうした流れ一色だった」と指摘する。こうした情報は学会誌に掲載され、厚労省の専門家会議でも上がったが、「まだ主流でない」と判断された。97年にH5N1型の新型ウイルス変異を警告した根路銘(ねろめ)国昭・元感染研呼吸器系ウイルス研究室長も「遺伝子を分析し、H5N1型が新型ウイルスになるには、まだ時間がかかるとの結論を得た」と話す。

 専門家全員がH5N1型が新型ウイルスになる可能性を否定しているわけではない。しかし米国は既に重症度に応じて対策を取る方針を策定し、WHOも昨年、同様の原案をまとめていた。日本政府は追随の動きを見せたが、柔軟に対応できなかった。自戒を込めて言えば、メディアもこうした情報の提供が不足していた。

 インフルエンザだけでなく、他の未知のウイルスが登場する可能性もある。人間とウイルスは共存を続けなければならない。過剰に反応せず、確かな知識を持ってウイルスと付き合うすべを持ちたい。

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 ご意見は〒100-8051 毎日新聞「記者の目」係kishanome@mbx.mainichi.co.jp

毎日新聞 2009年6月2日 東京朝刊

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