白洲正子(しらす・まさこ 1910―1998年)という人を長年誤解していた。何しろ旦那は、あのイケメンの白洲二郎なのだ。彼女は薩摩藩士の伯爵家に生まれ、祖父は樺山資紀(海軍大将、伯爵)、母方の祖父は川村純義(海軍大将、伯爵)である。
女性として初めて能舞台に上がり、随筆『能面』と『かくれ里』は、それぞれ第15回と第24回の読売文学賞を受賞している。古典美に関するカリスマ的存在で、死後も再編集の著作が続々と刊行されている。だから漠然と、華族出身の女優・久我美子(くが・よしこ)のように知的な美人だと勝手に想像し、敬して遠ざけていた。
ところがその後、NHKの「私のこだわり人物伝」(知るを楽しむ)というテレビ番組で、細川護煕が語り手となって「目利きの肖像―白洲正子―」という4回シリーズが流れた。本放送は06年2月だったが、私はその何度目かの再放送を偶然見た。
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200602/tuesday.html
目からウロコとは、このことだ。細川は「白洲さんはね、ウチへ来ていい骨董品をみつけると『ちょっと、これ貸してね』と言って持って帰るんですよ。でも、返ってきた試しはないですね」と笑いながら話していた。本人の過去のインタビュー映像も流れていたが、まるで大阪のおばちゃんである。旧宅は武相荘(ぶあいそう 東京・町田)というらしいが、愛想が良く笑顔の絶えない人で、偉ぶったところは微塵もない。しかも奈良が大好きだという。
「これはしまった」と、あわてて本屋に走り、文庫本を何冊か買って読んでみたが、これは面白い。このトシまで、こんな面白い本を読まずに済ましていたとは、全くうかつだった。
そこで白洲の代表作『かくれ里』にあやかり、一般にはあまり知られていない「大和のかくれ里」を、思いつくまま当ブログに掲載することにしたい。初回は大蔵寺(おおくらじ 宇陀市大宇陀区 奈良検定テキストP153)である。この寺は『かくれ里』の2番目に、「宇陀の大蔵寺」のタイトルで登場する。白洲はテレビの取材で訪ねたそうだ。そのくせ、書き出しの一文は《私はテレビに出るのが苦手である》だった。
私がこの寺を訪ねたのは、今年の8/15だ。Wikipediaによると《龍門真言宗の寺院である。山号は雲管山(うんかんざん)。院号は医王院。本尊は薬師如来》。《松山地区と吉野方面を結ぶ国道370号沿いの山中の栗野地区にあり、国道から急な坂道を1kmほど登ったところに位置する》。
国道には「車通行止」との標示があったので、車を駐めて急坂を歩き始めた。樹木が鬱蒼と茂り、日陰になっているのは有り難いが、真夏のことなので、まもなく汗がふき出してきた。道沿いでは、ご覧のような石仏も見られる。
《寺の草創については判然としない。寺伝では用明天皇の勅願により聖徳太子が創建したと伝わる。平安時代初期には37歳の空海(弘法大師)が入山し、真言宗最初の道場と定めたとされる。弘法大師が高野山を開く前に道場としたとされることから「元高野」とも呼ばれ、信仰されてきた》(Wikipedia)。彼女が訪ねたときは、この辺りで樹齢千年ほどのクチナシが花をつけていたそうだが、この日、花は見当たらなかった。
写真の手前が《本堂(重要文化財)鎌倉時代の建築。寄棟造、杮(こけら)葺き》。左奥が《大師堂(重要文化財)鎌倉時代の建築。宝形造、杮葺きの建物で、弘法大師を祀る大師堂としては日本最古とされる。堂内には「厄除開運の御影」とも呼ばれる空海37歳の坐像が安置される》(Wikipedia)。 昔は栄えた寺だったのだろうが、今は周りのコウヤマキの方が立派に成長し、その間に遠慮しながら伽藍が配置されているような案配だ。
『かくれ里』によると《昔の寺院は、自然を実にたくみに取り入れているというか、まわりの景色の中にすっぽりはまりこんで、人工的な建造物であることを忘れさせる。寺院だけとは限らない。神社も住居も、あたかも自然の一部のごとき感を与える。これは彼らがあらゆる物事に対して、敏感だったために他ならない。現代の生活は、人を神経質にさせるが、決して敏感にはしてくれない。過敏とは一種の精神の麻痺状態であると思う》。古寺を見た感慨が、見事な文明批評になっている。当ブログ読者の南都さんなど、このくだりを読んで膝を打たれることだろう。
さらに白洲は《本堂も御影堂と鎌倉時代の建築で、全体として軽快な感じがあり、細部にわたってこまかい心が通っている。たとえば御影堂の蟇股(かえるまた)など、すっきりした彫刻で、こういう山寺にふさわしく、どこにも肩をいからした所がないのが気持ちいい》《鎌倉時代の建造物が多いのは、その頃寺が急激に栄えたのか、それとも東大寺と何か関係があったのであろうか》《少なくとも、私にとって、こんな美しい寺が忽然と現れただけで、今日一日を十分生きた心地がした》(『かくれ里』)と書いている。
これが《弁事堂 本堂より一段低い場所にある庫裏の脇に建つ小堂。明治時代の美術界を指導した岡倉天心が寄進したもの。この寺の住職をしていた丸山貫長(明治の廃仏毀釈の時代に仏教復興運動に取り組んだ人物)は天心と親交があった。内部に鎌倉時代の地蔵菩薩坐像を安置する》(Wikipedia)。
白洲は《地蔵様の居場所がなかったので、天心がお堂を建ててあげたのだろう。大蔵寺はいかにも彼が好きそうな寺で、ただそれだけのことなのだが、なんとなく私には、心に残る話であった》(『かくれ里』)と書いた。
『かくれ里』を読まずにこの寺を訪ねていたら、何の感慨もなく、単に古ぼけた大寺だとしか思わなかったことだろう。それにしても、こんな山奥にこんな大寺が残されていたとは、全く、「知れば知るほど奈良はおもしろい」。
お育ちは超一流なのに、
喧嘩の話や
武勇伝など、お人柄を彷佛とさせる
エピソードを知るたびにまた好きになります。
イッセイ・ミヤケの服も着こなす、
お洒落さんだったそうですよ。
> 喧嘩の話や武勇伝など、お人柄を彷佛とさせる
> エピソードを知るたびにまた好きになります。
これは面白いですね、まだその辺を書いたものには行き当たりませんが、そのうち出てきそうです。アレックス・カーさんとも交友があったそうですし。
白洲さんが訪ねた跡を追ってみるのが、これからの楽しみです。
おかげで記憶できそうです。
白洲二郎・正子についても読んだことがない。近年テレビ放送で色々流れるけれども・・・・なんだかこういう名門・貴種は苦手。樺山資紀は日本史では帝国議会での「蛮勇演説」が有名、薩摩閥意識濃厚な政治家軍人ですが、文部大臣時代の仕事はすばらしい。川村純義は軍人に徹したか。お公家さんからすれば、「薩摩の成り上がりども」になりましょう。下流階層の私めなど「日本文化」を結局は理解できないのでしょう、下流にも文化は開かれているけれども・・・・本質はつかめない、楽しめないもののようです。
> 宇陀の大蔵寺、探訪できていない、その動機もない。
> 岡倉天心寄進あたりにテキストの記憶が・・・・・
まさに「かくれ寺」だったわけですね。それは私の本望です。
> なんだかこういう名門・貴種は苦手。
白洲正子の文章は、男性の文章のように思い切りがよくて、ズバッと核心を突いてきます。奈良に関連するものも多く、いちど立ち読みでもされればと思います。
一体いつ頃から管理されなくなったのだろう。
鐘楼で遠慮がちに鐘をついた。思った以上に大きな音響にちょっとびっくり。
しばらくすると森林組合の男性が、急な石段をあがってきた。鐘の音を聞いて、「住職が帰ったと思いあがってきてみた」ということだった。
帰り道、県道手前で作業をする農家夫婦に、大蔵寺に参拝したことと、無人で荒廃した様子を伝えたが、「檀家一堂も恥ずかしい」と事情を話してくれた。
事はともあれ、由緒ある古寺をこのままに放置し朽ちるままにすることは絶えずたい。
国と奈良県の重要指定文化財であり、景観保存地域
であるのならば、国、県の何らかのバックアップを緊急に要請したい。
東大寺西大門勅額・快慶作地蔵菩薩立像、興福寺世親菩薩像、手向山神社舞面、称名寺薬師如来立像、法華寺維摩居士坐像、朝護孫子寺信貴山縁起絵巻、中宮寺半跏思惟像・・・。
疎開には搬入、管理、搬出に多額な資金がかかり、その全額を国や県が負担しなかったため、寺からも相当負担したようです。
日本の宝である文化財を戦禍から守ってくださったありがたい寺が荒廃しているというのは、本当に嘆かわしいことです。今度は国や行政が責任をもって支援する番ではないでしょうか?
http://ookuraji.web.officelive.com/default.aspx
HPによれば、ご住職は他県でご活躍の様子です。
観光、写真撮影目的の来訪者の狼藉にお怒りのご様子です。
にしても、早くお帰りいただきたい、ですね。
> 一体いつ頃から管理されなくなったのだろう。
> 荒廃した様子を伝えたが、「檀家一堂も恥ずかしい」と事情を話してくれた。
白洲正子の『かくれ里』には《むろんこの山寺には、そうした明るさはない。といって、密教寺院につきものの陰鬱なきびしさはなく、雑木山のハイキング・コースといった気分である》とあり、私が受けた感じと似ています。
名刹というものは、京都の観光寺院のように庭はきれいに掃き清められ、観光バスやタクシーが駐車できるスペースがなければいけないのでしょうか。そうなると進入路も広げて舗装する必要があり《雑木山のハイキング・コースといった気分》も味わえなくなります。
こんな「かくれ寺」があっても良いではありませんか。雑草による荒廃より、押し寄せる(無知な)観光客による荒廃の方が、よほどコワいです。
> ご住職は他県でご活躍の様子です。観光、写真撮影目的の来訪者の狼藉
> にお怒りのご様子です。にしても、早くお帰りいただきたい、ですね。
同感です。お寺にいて、目を光らせてほしいものです。
> 太平洋戦争時、国宝の疎開先として多くの文化財を保護管理していたようです。
> 今度は国や行政が責任をもって支援する番ではないでしょうか?
これは初耳でした。貴重な情報、有難うございました。庭の草刈りだけでもすれば「荒れ寺」の雰囲気は幾分和らぐかも知れません。その程度の「管理」は必要ですね。
仏教には戒律があり、それは僧侶にも課せられたものです。
寺やその寺域は観光やハイキングコースではありません。霊場です。
古寺は1500年に渡り南都で培われた仏教と日本人のかかわりの場所です。
また墓所を持つ檀家の寺でもあります。
信者ならずとも訪れる観光客をしてこのブログにその在りように愚痴を投稿させる寺が嘆かわしいと思っているのです。
> 寺は信仰の場です。仏教には戒律があり、それは僧侶にも課せられたものです。
> 寺やその寺域は観光やハイキングコースではありません。霊場です。
子供の頃、親に手を引かれてよく近所のお寺に行きました。盆と正月以外では、お祭りや花(桜、牡丹など)を見に。学校からは、写生会でお寺を訪ねました。
落語も講談も、お寺から始まりました。寺子屋という言葉がありますが、お寺は学校でもありました。
観光寺院化するのには反対ですが、お寺にはいろんな顔がありますので、お参りする人は、それぞれ目的を持って参拝して構わないと思いますが…。
当山、事情がありまして現在は、このような荒れ放題となっております。
また、皆様のコメントは厳しくも的確な事として受け止めております。
実は私、住職 田辺獅豊は大蔵寺に居住しており、恥ずかしながら管理をしております。
明治期の廃仏毀釈、近隣暴動の襲撃などの復興が著しくなく、先代でほぼ現在のようになりました。
復興の為に尽力を尽くしておりますが、御参拝の皆様にはご迷惑をおかけしております。
大蔵寺には 檀家がなく(コメント中には檀家のお話がありますが)お察しの通り廃寺寸前です。
復興の為の資金を得るために講演を行ったり、他活動を行っております。
この様な時に、貴ブログを拝見し、当山が考える復興の姿を先んじて考察されている事に、大きな喜びを感じております。
まだ時間がかかりますが、必ず復興を致しますので、今後の大蔵寺を見守って頂けましたら幸いです。
また、個人的に貴ブログのファンとして、今後も拝読させて頂きますので、宜しくお願い致します。
合掌
> 住職 田辺獅豊は大蔵寺に居住しており、恥ずかしながら管理をしております。
私がお邪魔したとき、寺務所の前に車が駐まっていました。田辺さんのお車だったのですね。
> 事情がありまして現在は、このような荒れ放題となっております。
> 貴ブログを拝見し、当山が考える復興の姿を先んじて考察されて
> いる事に、大きな喜びを感じております。まだ時間がかかりますが、
> 必ず復興を致しますので、今後の大蔵寺を見守って頂けましたら幸いです。
岡倉天心も白洲正子も愛したこの名刹の復興には、賛同される方も多いと思います。こないだの奈良検定1級にも「岡倉天心が寄進した弁事堂のある寺院は」という問題が出ていたほどです。
私見では伽藍の復興より、まずはボランティアを募り、草刈りと掃除から始められてはいかがでしょうか。協力すれば仏さまをご開帳いただき、ご住職の法話が聞ける、という特典でもつけられれば、人が集まると思うのですが…。
> ブログのファンとして、今後も拝読させて頂きますので、宜しくお願い致します。合掌
これはもったいない。当ブログで何かご協力できることはないか、考えてみます。今後とも、どうぞよろしく。
宗教、文化、自然、社会を、どの様に調和していくか大きな課題となっております。
皆様にボランティアをして頂けるに足る行いを心がけて活動していきますので、今後とも宜しくお願い致します。
春のツツジが見頃になるまでには…と考えています。
暖かくなりましたら是非、経過を見に御参拝ください。
そしてまた、ご指導頂けましたら幸いです。
合掌。
> ボランティアをして頂けるに足る行いを心がけて活動していきます
> 春のツツジが見頃になるまでには…と考えています。
> 暖かくなりましたら是非、経過を見に御参拝ください。
了解しました。また、ぜひ進捗状況をお知らせください。
パンクしたオートバイが放置され、寺域の路は雑草が茂り満足に歩くこともできない。
いつ頃から管理されなくなったのだろう
> 森林組合の男性が、急な石段をあがってきた。鐘の音を聞いて、「住職が帰ったと思いあがってきてみた」ということだった。
帰り道、県道手前で作業をする農家夫婦に、大蔵寺に参拝したことと、無人で荒廃した様子を伝えたが、
「檀家一堂も恥ずかしい」と事情を話してくれた。
> HPによれば、ご住職は他県でご活躍の様子
> 今度は国や行政が責任をもって支援する番ではないでしょうか。その程度の「管理」は必要ですね。
> また墓所を持つ檀家の寺でもあります。
信者ならずとも訪れる観光客をしてこのブログにその在りように愚痴を投稿させる寺が嘆かわしいと思っているのです。
まとめると、大蔵寺の管理者である住職は寺域に私物やゴミを放置し、草刈りも掃除もしない若しくは出来ない人間で、
森林組合や檀家という農家夫婦にいつ帰るかも知らせずに寺を無人にしている。
寺を、恥ずかしい、嘆かわしいと思われる状況にさせているのは当の住職であるように思われます。
住職の自業自得で廃寺寸前になっている様にも考えられます。
> 住職 田辺獅豊
> 大蔵寺には 檀家がなく
住職の法名は以前、田邉史宝だったらしい。法名を変えるとは何事なのでしょうか?
大蔵寺には檀家が少なくとも一件はあったと思いますが…。
他ブログからのコピー
Commented by 大藏寺 at 2008-07-25 20:38 x
こんにちは。
奈良県宇陀市の大藏寺と申します。
貴ブログ、お写真を楽しく拝見させていただきました。
この度、大藏寺公式HPを開設致しましたので、この場をお借り致しまして宣伝をさせて頂く事をお許し下さいませ。。
また平成15年より登山家や写真家による諸問題から、雲海が見える景色までの道を全面封鎖をしておりましたが、
マスコミによるブームが去った事と判断致しまして、特定の写真愛好家の方のみ通行の解禁を致しました。
まだまだ様々な問題を孕んでおりますが、これを機にご縁を頂戴頂ければ幸いです。
長々の書き込み、失礼致しました。
大藏寺住職
田邉 史宝(髭の坊主です)
大藏寺アドレスsntgm396@ybb.ne.jp
HPアドレスhttp://ookuraji.web.officelive.com/default.aspx