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『ニュースの狭間』
“ネクスト・ブレイク”を目指すアメリカの日本人映画監督たち

 
2009/05/29

ニュースの狭間
取材現場でふと目についたこと。毎日ニュースを報道していて、見えてきたこと。バラエティ・ジャパン編集部員が流れていく「ニュースの狭間」にあるトピックを取り上げ掘り下げていくコラム。エンタテインメント・ニュースから、世界が見えてくる。

 ハリウッドでの活躍を夢見て海を渡る日本人が増えている。ここでは、アメリカで長編を監督した、あるいは短編の実績をもとに長編企画の開発中である、という日本人フィルムメイカーを4人紹介する。 登場する監督たちの奮闘ぶりは個性豊かで、渡米前後の経緯もさまざまだ。この中から、明日の国際舞台に立つ映画人が誕生するかもしれない。

【オスカーに手をかけた男】

 2009年は『おくりびと』が外国語映画賞、『つみきのいえ』が短編アニメーション賞と、日本作品が2つのオスカーを獲得した。実はその2年前、短編実写部門で最終候補の10作品に残った日本人監督がいる。

馬場政宣
馬場政宣
■ 氏名: 馬場政宣(ばば まさのり)
■ 出身地: 愛知県
■ 好きな映画: 『ニューシネマ・パラダイス』、宮崎駿作品

■ 渡米まで: もともと興味があったのは「英語」。映画の字幕の仕事を志し、上智大学の英文科に入学。UCLAから「映画」の授業を教えに来ていた先生に影響を受けて、アメリカに渡って“つくる側”に進もうと決心する。

■ 渡米後: 約1年半、UCLAのエクステンション(公開講座)で映画製作を勉強。卒業後、少女が「お盆」に、戦死した父を迎えに行くという短編ファンタジー『千代のお迎え』を監督。初めて35mmフィルムで本格的に製作したこの作品が、いきなり2007年アカデミー賞短編実写賞ノミネートのひとつ手前である、10作品の候補に残った。

 「渡米したのが2001年の9・11米同時多発テロ事件の直後だったんです。その大混乱を目の当たりにして、自分なりに作品の中で『戦争』を描いてみようと思ったのがきっかけでした。日本人にしかできないものをつくりたかったので、お盆という日本独自の文化を取り入れました」

 惜しくもノミネートが逃したが、アカデミーの公式リストに自分の名前が載っているのを見た瞬間の感激は、今でも忘れられないという。

『千代のお迎え』の1シーン
『千代のお迎え』の1シーン
『千代のお迎え』人集め、資金集め

 当時はどうやって映画を製作したらいいのか、右も左もわからなかったという馬場。とりあえず人集め、お金集めが必要だと思い、起こした行動が功を奏した。

 「2001年のカンヌの短篇部門でパルムドールを受賞した、日本が舞台の『おはぎ』が好きで、デイヴィッド・グリーンスパン監督にいろいろ聞いてみようと思ったんですね。なんとか連絡先を調べて、メールを送ったらすぐ返事が来て、『いいよ、会おうか』と(笑)。『千代』のアイディアを話してアドバイスをもらおうと思っていたんです。でも会って話したら、アドバイスどころか、『自分もこういう作品をつくりたかったから一緒にやりたい』と言ってくれまして。彼が知り合いを大勢紹介してくれて、スタッフを集めることができました」

 グリーンスパン監督との出会いで「人」は集まった。だが資金面まで監督に頼るわけにはいかない。

 「知り合いに、東京のアート好きのお金持ちを紹介されて、東京まで行って会って企画を話したら、けっこう興味を持っていただいたんですね。でも『これに投資してどのぐらいお金回収できるの?』と聞かれて、その時僕は、そういうことをまったく考えてなくて(笑)、とりあえずビジネスプラン作ってきてって言われたから、ビジネスプランって何? って思いましたけど(笑)、いろんな人にきいて、つくってまた会って……と交渉を繰り返していたら、最終的に出資していただけました」 

 初めての体験ばかりで、さまざまな壁にぶつかりながら仕上げた『千代』の製作過程が、馬場にとっての本当のフィルムスクールだった。同作は現在、iTunesで配信されている。

『千代のお迎え』のポスター
『千代のお迎え』のポスター
 「出資者のためになんとかお金を回収したいと思っています。でも最後に彼に会った時、iTunes配信が決まった話しをしたら、『出資したのはお金が欲しかったからじゃない、君の思いにかけたお金だから、もう気にしなくていいよ』と言ってくれました。僕もこういうことを言える人になりたいし、これに甘えずに頑張りたいと思っています」

 現在馬場は、ロサンゼルスにある製作・配給会社で働きながら、『千代』の長編企画を開発中。そのほか、プロデューサーとして数作品を手がけている。

 「日本人としてアメリカにいる人間の観点を生かして、人種の垣根を越えた普遍的なストーリーをつくりたいと心がけています」

『千代のお迎え』公式サイト

馬場政宣の作品情報はこちら>>

【ハリウッドに必要なビジネスマインドを持った男】

 若いフィルムメイカーは、作品づくりに気持ちが向かい過ぎ、ビジネスマインドに欠ける傾向があるが、資金繰りや自分を売り込む能力に長け、すでにハリウッドで長編を2本製作し、劇場での公開とDVDリリースを果たした監督がいる。

北村昭博
北村昭博
■ 氏名: 北村昭博(きたむら あきひろ)
■ 出身地: 高知県
■ 好きな映画: 『トレインスポッティング

■ 渡米まで: 高校2年生の時に家族旅行で訪れたロサンゼルスで、 UCLAのあるウェストウッドの街の自由な空気に憧れた。子どもの頃から映画監督を志望していたので、ハリウッドで映画を撮る夢を膨らませ、高校卒業後すぐに渡米。

■ 渡米後: ノースカロライナ州のノースカロライナ・スクール・オブ・ジ・アーツで1年半、映画製作を学んだのちにロサンゼルスへ。役者への演技指導を学ぶために演劇学校ビバリーヒルズ・プレイハウス(BHP)に通う。この間、「映画を撮るために必要なのはお金だ」と強く感じ、出資者を探し続ける。

 「いくらつくるスキルがあっても、数百ドルで撮った作品では多くの人に見てもらえない。とりあえずお金だ、と思っていました」 

出資者との出会い 

 「BHPに通っていた50代の男性、コンスタンティン・カルディスと親しくなったんです。テキサスの不動産で大金持ちになった人。友だちになりましたが、僕はお父さんがいなかったので、父親代わりみたいなところもありましたね。 自分が童貞を捨てたときの体験をベースに書いた脚本を彼に見せて、ファミレスでミーティング。その場にあった紙ナプキンで契約書をつくって、約200万円の出資にサインしてもらいました。もちろん彼も出演させる約束で(笑)」

 日本の母親に残りの制作費を援助してもらい、約300万円で初の長編“PORNO”を完成させた。その後、カルディスらと製作会社「KALPAR PICTURES」を立ち上げ、北村は社長に就任する。 

“I’ll Be There With You”の1シーン
“I’ll Be There With You”の1シーン
 すべてが順風満帆だったわけではない。必死に売り込むも、“PORNO”の配給は決まらなかった。日本の友人たちは社会人となり、日々、焦りを感じていた。そんな頃に経験したある女性との出会いと別れを題材に、2作目となるサスペンスホラー“I’ll Be There With You”の脚本を書き上げる。

 「制作費は5000万円に跳ね上がって、主演はアレック・ボールドウィンの弟のダニエル・ボールドウィン。出資はこの作品もほとんどコンスタンティンですが、さすがにプレッシャーがありましたね」

 優秀なクルーを情熱で説き伏せ、安いギャラで参加してもらった。通常は1日1000ドルのDP(撮影監督)が100ドルで参加してくれるなどした上、1日に脚本9ページ分という撮影スケジュールで、14日間で92分の作品を撮りきったという。このあたりにも、北村のビジネス能力を垣間見ることができる。

北米で発売される“I’ll Be There With You”のDVD
北米で発売される“I’ll Be There With You”のDVD
 完成した同作にはセールス・エージェンシー(イレブンアーツ)も決まり、ドイツでDVDも発売された。そして、今年1月23日から29日にかけて、ロサンゼルスの映画館ダウンタウン・インディペンデントで、“PORNO” “I’ll Be There With You”が同時公開された。

 さらに、6月16日に“I’ll Be There With You”の DVDが北米で発売されることも決定したという。

 また北村は、俳優としても活動し、ヨーロッパのホラー作品 “The Human Centipede” に主演している。現在は次回作2本の準備中。今後の目標は「『ドラゴンボール』を日本に取り戻すこと」と語った。

北村昭博の作品情報はこちら>>

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