昨日、一緒に遊びに行ったお嬢さんMちゃんは、つきあうのが大変なので周囲からわがままな子と思われて、一緒に外出してくれる仲間がだんだん減ってしまったという。でも、私はわがままというのとは違うと思う。彼女は自分でもどうしたらいいのかわからないのだと思う。 20歳くらいまでの私は注意が外に向かず、他人が自分をどう思っているかということばかり気になってしまっていた。自分が関心のある人やモノは極端に気になるのだけれど、それ以外の人のごく普通に客観的に関心を持つということができなかったような気がする。人からどう思われるのかとても気にするのに、他人を見て笑ったり怒ったりそういうことはできなかった。要するに極端に自分に自信がなく対等な関係を築けなかったということだと思う。 Mちゃんも一緒に電車に乗っている時にMちゃんのことを話していて私が何気なく笑ったら、傷いたのかとても気にして「まだ笑ってる?」とKさんに何度も聞くのだった。それにKさんに、「Kさん怒ってる?」と心配そうに聞いたり、傍若無人に見えて実はとても傷きやすく、人からどう思われるかをとても気にしているようだった。 私も20歳くらいまでは自分の性格のことばかり悩んでどうしたらいいか考えていて、家族のこと、学校のこと、社会のことなどを客観的に考えることができなかった。すべて自分が悪いと思っていたからだった。それができるようになったのは、大学生になり上京してまがりまりにも彼ができ、自分の家庭を相対的に見ることができて問題点に気づいたこと、サークルにいて社会が男社会であり自分の学歴がそこでは無力であり自分の居場所さえ見つけられず、それまで自分だけの問題だと思っていたことが世の不平等ということに関係するということに気づいたからだったと思う。そしてこのままの自分ではダメだと思い、自分を変えるために自分の人生を受け入れることが出来た時に私の人生は再スタートしたと思う。 Mちゃんは、もっと自分の気持ちが自分の性格ではなく、外のものや人に注意が向くように、周囲の人が手助けしてあげることが必要ではないかと思う。どうせ見てもわからないからと思わずにモノを見せながら説明して少しでも関心を持たせたり、とても食べられるものが少なくても「この子はこれしか食べないから」と同じものばかり食べさせるのではなくできるだけ様々なものを食べさせて食べ物に興味を持たせるとか、家の中で掃除などお手伝いをさせてみるとか、絵本を読んであげるとか、とにかく少しでも語彙を増やしたり、話せなくてもできる他人とのかかわりの方法を教えていくべきだと思う。 我が家は核家族で、両親にとても共通点が少なく、会話のない刺激のない家庭に育ったので、姉も私もぼーっとしていて羞恥心のない性格になってしまった。大学のサークルのラウンジでカップラーメンを食べていて恥ずかしいと言われたり、人と一緒にいると落ちつかないので道を歩いていてよくあぶないと言われたり、夢遊病者のように歩いていたり、テニスコートの整備が終わったところを気づかずに歩いて性格が悪いと誤解され批難されたりした。私は社会人になるまで人と接する時に黙っていて相手を怒らせてしまうことがよくあった。テレビを見ていても人の表情ばかり見ていて話している内容はあまり聞いていないというのがごく最近までの私だった。本をじっくり読むのも苦手だった。だから自分の中に集中しやすい気持ちを外に向けるのは、意識的に努力しないとダメだったのです。 |
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