第6話『夕実とユーミ』        担当:初恋双葉


 コタツの上で短い足を組んで「ようす」しているその小さなハンプティ・ダンプティは、"チャモ"と名乗った。
「私はあなたのお父上に頼まれて・・・いや、正確には遠隔的に操作されて、こうして緊急発動したわけです。」少し胸を反らせて(胸、と言えるかはわからないが)チャモは言った。
「・・・お父上? お父さんが・・・何? 操作?」余計に頭がこんがらがった。
「ゆっくり説明している時間はありません。とにかく、この中を覗いて下さい。」チャモは例の赤いビンを夕実の前に置いた。訳のわからないまま、恐る恐る煙突に眼を近づける。
 瞬間、白い煙のようなものが眼に舞いこんできて、私は目を瞑った。そして次に目を開けた時・・・私はキッチンに立っていた。と言ってもそれは、6畳の部屋にくっついている小さな流し台とコンロの前ではなかった。向日葵色のテーブルと藍色のビロードが張られた椅子、天井から吊るされた鯨のモビール、暖炉、壁に掛けられた大きな月の写真、柔らかい湯気とシチューの香り、窓の外に広がる海・・・私の中に飛び込んできたもの全てが先ほどまで認識していたものとは異なっていた。だが、不思議とそれらを「懐かしい」と感じた。
「どうですか」後ろから声をかけられ振り返ると、暖炉からチャモがよっこらしょ、と出てきた。「久々の我が家は?」と言ってニコリと微笑む。
「どういうこと・・・ここどこ!?」段々と頭が回転し出した。
「ですから、あなたのご実家ですよ。」
「何言ってんの、違う、こんな・・・私の家は広島の片田舎にある古臭い家で・・・・???」
待って。本当にそうだった?
とっさに記憶を探してみる。畳の匂いや、夏の夜に嫌というほど聴いたはずの蛙の歌、冬の庭で母と作った雪ウサギ。だけど、思い出そうとすればするほど、それらは私から剥れていき、まるでどこかの本から切り取った写真をコラージュしたような、なんだか人工的な匂いの絵となった。
「言ったでしょう、記憶を操作されていたんですよ。"彼"には容易いことです。」
チャモがその瞳に哀れむような静かな光を浮かべた。私は言葉を返すことが出来ない。
今まで真実だと信じてきた過去の記憶が、まるで他人のモノのように空中に漂っている。
「今、私達はあの赤いビンの中にいます。あの煙突は、あなたの本当の記憶・・・あなたの"ホーム"に繋がっているんです。赤いビンは過去の記憶、そして青いビンは・・・」
ふいに、近くで女の人の声が聞こえた。
「ユーミ? ユーミったら、どこにいるの? あら、そこにいるの?」
この部屋の扉の外から聞こえてくる。柔らかい、暖かい声。
星の形に窓が抜かれた、白い扉がゆっくりと開く。そこに立っていたのは・・・母だった。
「お母さん」
無意識に言葉が漏れた。その顔は、あの絵に描かれた母と同じ造形ではあったが、まるで人工的な匂いはしない。私の母はこの人だと、肌で、心で感じた。
ゆっくりと足が前に出る。だが、彼女はくるりと背を向けた。
「おかしいわね、ここにいるような気がしたんだけど・・・?」
足が止まる。チャモが麦わらを取って胸にあてた。
「夕・・・ユーミさん。これは過去の出来事。今、現実に起こっていることではないんです。当然、あなたや私の姿は彼女には見えていない。彼女だけでなく・・・この世界において私達は傍観者に過ぎないのです。」
「どういう事」
あまりの展開に、脳が悲鳴をあげている。心と体では受け入れられても、考えようとすると、糸がもつれて上手く整理できない。チャモが一つ息をついて続けた。
「この世界は"リアル"ではないのですよ。あなたの過去の情報をもとに、プログラムによって精密に復元された世界・・・あの赤いビンはこの世界、つまり過去の記憶を身近に現実味をもって体感するための・・・いわゆる端末のようなものとでも申しましょうか。そして私は、いわば案内役のようなものです。このプログラムによってあなたはもう一度過去に潜りこむことが出来る。ですが、あなたは現在のあなたであって、当然、過去のあなたではない。ですから、あなたはあなたとして認識されることはない。過去には過去のあなたが存在するわけですからね。」
「話がややこしいよ、卵のくせに」まわりくどい言い方に苛立ち、失礼ながらも私はチャモに鋭く言い放った。チャモの白い顔(どこまでが顔かは謎だが)が紅くなった。
「な! 卵のくせにとは何ですか。大体、私が卵に見えるのは、あなたに問題があるのですよ!私はユーザの知的想像力レベルによって外的印象要素、容姿が変わるようにプログラムされているのですからっ」一気にまくしたてる怒れるゆで卵。まともな精神では太刀打ち出来ない。だが今の私は違う。CPUのショートしたポンコツロボットだ。
「私にもわかるように、短く、簡単に話してほしいだけ。どうして私は偽物の記憶を持っていたのか・・・」偽物、という言葉が小さく心に刺さった。自分で選んだ言葉なんだけど。
「"わかる"ではなく"思い出す"ですよ。それには、まずあなたの本物の記憶を確かめないと。ホラ」チャモが私の肩越しに、扉の方を指した。
見ると、僅かに開いた隙間から、小さな顔が覗いている。
くるりとした瞳をキョロキョロと動かし、誰もいないのを確かめると、そぅっと部屋に忍び込んでくる。胸にチョコレートの包みを大事そうに抱えた、5歳ほどの短い髪の少女。
「あなたです」
少女は、靴のままビロードの椅子によじのぼり、テーブルの上の鍋を覗き込んだ。そして・・・
「あぁっ!」私は思わず声をあげた。少女が鍋の中のシチューにチョコレートを入れようとしたのである。その時、間一髪でお母さんが部屋に入ってきた。
「あ! ユーミったら、また!」急いで少女の体を抱きかかえ、椅子から降ろす。鍋を覗き、
「良かった、無事ね」と踊るように皿へと注いでいく。「すぐごはんだからね。」
計画を阻止された少女は、ぶーたれてこちらへやってくる。
どんっ!
少女がおでこを押さえ、私の顔は固まり、卵が今度は蒼くなった。
少女は不思議そうに掌をひらひらさせて空気の中にあるものを探していたが、その前に私は暖炉の所までチャモに引きずられていったので?まえられることはなかった。
「私はここに居ないことになるんじゃなかったの? なんかぶつかったんだけど」
「すみません、ちょっと気を抜いてました。危ない危ない」
チャモの白い肌に汗が浮いている(この時に気付いたが、彼はよく見ると剥き卵だった)
「危ないって何が」
「ビンの中で過去と現在の接点が出来てしまうと、何らかの歪みが起きてプログラムが破綻するか、あるいは現在のあなたに影響が出て・・・」
「影響? 影響ってどんな?」
「プログラムの中の一信号と認識されてここから出られなくなるか、もしくはウイルス類と見なされ、抹消プログラムにより消滅・・・」
「消滅!?」
「いや、しかし私が気をつけてナビをしていれば大丈夫ですので」
「でも今ぶつかった!」
「だからそれは、ほんのちょっと気を抜いてしまって・・・」
「抜くな!」
「わかってます、でも私だって完璧ではないのですから、たまにはこういうことも」
「何それ!」
卵とポンコツロボの闘いが再び始まった時、大きな音をたてて扉が開いた。
「ユーミ! いるか!?」
「はい!」
反射的に答える。が、呼ばれたのは小さな私の方だった。
「なぁに? お父さんたら大きな声出して。もうごはんですよ。」
父はその体躯よりも少し大きめの白衣を纏い、水色のレンズがついた金色の小さな望遠鏡のようなものを左目にくっつけていた。
「それどころじゃない、早くユーミに"アレ"を見せないと」
と言うが早いか、『ユーミ』を肩車して部屋を出て行った。母がやれやれと溜め息をつく。
私とチャモは父とユーミの後を追った。玄関を出ると、綺麗に芝の敷かれた広い庭に出る。
恐竜や象の形に刈られた植木の間を通り抜け、光をいっぱいに受けてチラチラと揺れる、色とりどりの花々に縁取られた道を少し行くと、真っ白の小さなドームが見えた。
父とユーミの姿はその半球に吸い込まれていく。私も急いで扉の隙間から中へ入った。
ドームの中は天井窓からの光でかなり明るかったが、一瞬、夜の中に放り投げられたような感覚に陥った。壁中に惑星の写真が何枚も貼られ、そこはまるで小さな宇宙だった。
父は黄色の布張りのソファにユーミを座らせて、大きなモニタの前で何やら操作を始めた。
私はぐるっとドーム内を見回した。ふと、ソファの横に置かれた背の高いガラス棚の中に、例の赤いビンを見つけた。間違いない、家のような形をした、あの小さな赤いビンだ。
「あれ!」指さしてチャモに確かめる。
「ええ、そうです。このプログラムは、お父上が開発されたものなのですよ。」
「そうなの?」
「ええ。お父上はあのビンの事を、世間に公表されることはありませんでしたが」
赤いビンの中の世界に、同じ赤いビンが存在している。何だか不思議な感じだ。あの中にも同じように、こんな世界が存在するのか。
赤いビンの隣に、青いビンが置いてある。先ほどからチャモが言っていたのは、あれのことだろうか。そのビンも小さかったが、赤い方に比べると細長く、ロケットを連想させる造形をしていた。
ユーミは待ちくたびれたらしく、足をブラブラさせながらチョコを一欠片だけ口に入れた。
父が操作を終えて振り向く。
「見てごらんユーミ。お前のパートナーだよ」
モニタに男の人の顔が大きく映し出されていた。
髪は少し長めで、色素の薄い、柔らかそうな髪質。
一重の、横線を引いたような目に銀縁のメガネをかけ、すっとした鼻すじの下には唇の厚い大きな口がついている。
私とユーミの視線が、彼の涼しげな瞳に釘付けになる。何故か、心臓の鼓動が早まった。
「お前が大きくなってから乗る船に、彼も一緒に乗ってもらうんだ。」
船? 一体何のことだろう。ユーミの大きな目は、まだ彼を離そうとしない。父が笑った。
「気に入ったかい? 彼の名はニル。王子様だよ」
「おうじ?」
ユーミが聞き返す。(そう言えば、ユーミが言葉を発するのを初めて耳にした)
「そう。ユーミ姫の王子様」父がユーミを高く抱き上げ、モニタ前の椅子に座らせた。
「そこのボタンを押してごらん。黄色いやつ」
ユーミが言われたとおりにすると、画面が一瞬揺れた。いや、切り替わったのだ。
揺れたように感じたのは、そこに映ったのが先ほどの男と同じ顔だったからである。
だが、何かが違う。一重の目にメガネ、唇の厚い大きな口、猫っ毛。カタチは同じなのに、明らかにさっきとは違う人間がそこにいる。ユーミも不思議そうに見ている。
「うん、ユーミは賢いな。彼はシファ。ニルが王子なら、彼は将軍といったところかな。」
その後も"彼"は、『道化師』の『カッシェ』、『先生』の『綿さん』として画面に現れた。それを見ている間、私の胸の中には小さな嵐が渦巻いていた。
「さて、誰がお好みかな? 何年も旅を共にするパートナーだからね、慎重に選ばんといかんのだが・・・初対面の印象としてはどうかな? 直感で」
なんだかお見合いパーティーみたいなノリだ。ユーミはしばらく首をかしげていたが、
「みんなすき」と答えた。
父は一瞬ポカンとしたが、すぐに笑い出した。
「そうか、ユーミは欲張りさんだなぁ」
そしてユーミを椅子から降ろすと、再びコンソールに向かった。
「それなら、4人全員と旅が出来るようにしよう。しかし、あまり領域は食いすぎないようにしないと、処理能力に影響が出る恐れがあるからな・・・さて・・・」
父が異世界に入り込んでいくのを確認したのか、ユーミは一人でドームを出た。私とチャモもついていく。一気に様々なことを理解したような、結局何も思い出せなかったような、曖昧な気分だった。ただ、画面の中の彼の瞳だけが、はっきりとした意思を持って私の中に根差していくのを感じていた。
ユーミはどこからともなく現れた白猫を抱え、家の中へ入っていった。
「さて、行きますか」チャモが虫取り網をかざした。
「ふぇ」不意を突かれて、思わず間の抜けた声が出た。
「あまり時間がないので、次の重要時空ポイントまでワープするんです」
そう言うとチャモは、柄の部分についたダイヤルのようなものを操作した。
緑の網がついた輪っかから、虹色の、まぶしい程に光る蝶々が、ふわりと踊り出た。
と思うと、その目指す先の空に大きな穴が開き、蝶々はその穴に入っていった。
チャモがこちらに手を伸ばす。私は少しためらいながらも、その小さな手を取った。
そして、一つ深呼吸をしてから、虹のトンネルへとジャンプした。


                           つづく


第六話の担当:初恋双葉のコメント

長っ! 長いね。私なりに、これまでの話がちゃんと終わりに向かっていけるようにと頑張って考えて、夜通しで書いたらえらいことなってもた。しかも時間的にはあんまり進んでないし。どうなのよコレ。(皆が好き勝手しすぎるからですよ!←責任転嫁)
なんか私って、まとまりのないクラスの学級委員みたいじゃない?(でもまとめる能力はないのだが)ラストまでの三人は、あまりにけったいな事はしないようにね・・・勿論、いい意味での意外性は歓迎しますが。(特に、ラスト直前のチャムに私は並大抵ではない恐れを抱いている)
さて内容ですが、もともとSFファンタジーが好きなのと、こういう世界観が好きなのとでこうなりました。まだまだ書きたいことは色々とあったのですが、一人で書いても仕方ない、ここらで筆を置きます(おいおいこれ以上長くするつもりだったのか)これからどうなるのか楽しみだな・・・  長い話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
では、わたくしとは最終回でまたお逢いしましょう。さらば!


第七話の担当:お昼寝ぷぅか

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