2006年10月16日

ディズニー方式「独り立ち教育」

安部総理の著書「美しい国へ」では教育に関してこのように書かれています。
「教育の目的は志ある国民を育て、品格ある国家をつくることだ。」

ディズニーキングダム(王国)に当てはめればこういうことになるでしょう。
「教育の目的は実際に活躍できる国民を育て、国民に夢としあわせを提供できる国家をつくることだ」

さて、政府が教育改革推進のため設置した「教育再生会議」が明日から始動するそうですが、私はこの会議には全く期待していません。なぜならば、前述した安倍総理の教育改革の目的があまりにも曖昧であるからです。

教育の目的は志ある国民を育てるという「出発点」から入ってしまうと「出口」つまり、育った国民は志のある国民ということになってしまいます。「志」と言うことばは「美しい」同様に抽象的で観念的なことばです。情緒的なことばと言っても良いでしょう。

総理はどうやら日本の教育問題の本質がお分かりでないようです。現在の荒廃した教育の背景にあるもの、それを知るにはこちらの書評が役立ちます。私も全く同じ認識です。長くありませんのでぜひ読んでみてください。
「心でっかちな日本人」
http://www.nikkei-bookdirect.com/bookdirect/tatiyomi2/page0.html

さて、私が考える「日本の教育がうまくいかなくなっている原因」について書いてみたいと思います。
その原因とは、日本で行われているほとんどの教育が、「ところてん方式」になっていることです。ところてんと方式とは「入れて」「押し出す」教育方法です。

つまり「出ること」「出すこと」が目的になった教育方式です。一定期間の教育を受け、免許や資格が取れれば、卒業さえすればそれでいいとする教育が「ところてん方式」の教育ということです。

ディズニー方式の教育は、この「ところてん方式」とは180度異なります。
何が違うのでしょうか。それは結果です。前述したように「実際に活躍できる国民を育て、国民に夢としあわせを提供できる」教育を行っています。
卒業しても、免許や資格を取っても、できなければ何もなりません。単なる時間とお金の浪費です。

ディズニーでは、教育が終わることは「デビュー」できることと考えています。つまり独り立ちができるということです。

「デビュー」にもいろいろありますが、ここでいう「デビュー」とは公園デビューのデビューです。お母さんは、最初は気がひけても、愛するわが子のため勇気をふりしぼって公園デビューします。それはコミュニティーに参加できるようになったということを意味します。

今、ニートが社会的問題になっています。私はその状態は、若者が社会に「デビュー」できていない状態であると認識しています。職場にデビューできない、コミュニティーにデビューできない、いわゆる引きこもりの状態です。

それではなぜ彼らは「デビュー」できないのでしょうか。その答えは至って簡単なことです。
自信がないのです。学校は出たものの、専門学校で学んだものの、実社会では何も通用しないことを知った彼らは、実社会で「やっつけられる」ことを怖がっているのです。

それではなぜ彼らは自信がないのでしょうか。その答えも至って簡単です。
前述した「ところ天方式」では社会を生き抜く自信を持つことができないからです。私はそう確信します。

ホームヘルパー2級の資格を取る教育もまさにこの「ところてん方式」でした。所定の研修を受けてもヘルパーとしての仕事に「デビュー」できる自信は全く得られませんでした。

反対に、ディズニー方式の教育目的は「できるようにすること」「自信を持たせること」(難解な英語を使うような)「悪い癖を直すこと」であり、「できるまで」「自信を持つまで」「直すまで」決して教育を終了させません。これが「ところてん方式」とは180度違うところです。

ご理解いただけたでしょうか。総理大臣が「志ある国民を育て」なんて言っているようではダメです。「ニートを含む、すべての国民に自信を持ってもらえる教育方式に制度を改革します」これくらいのことは言ってほしいものです。

さて、国民にとって「志」が大切なのでしょうか、それとも「自信」の方が大切なのでしょうか。
「志」よりも「自信」が大切だと考えるのであれば、迷わずにディズニー方式による教育制度を取り入れるべきでしょう。
会社も学校も、まずこのディズニー方式を学ぶこと、これこそが混迷の日本の教育を救う第一歩である、私はそう信じて疑いません。