オジサンのつぶやき
   【沖縄のエネルギー】

7月29日に自民党が惨敗した参議院選挙は、任期が6年にも関わらず3年おきに実施される。
それは全議員が同時に選挙されるのではなく、半数の議員が3年ずれて選出されるからである。
従って議員から見れば、自分が当選した年から3年後には半数が入替るように見える。
4年毎に行われるのは、スポーツの世界では、オリンピックやサッカーW杯などが有名である。
政治の世界では、統一地方選挙というのが4年に一回行われる。
そのため4と3の最小公倍数である12年に1度、「春の統一地方選挙と夏の参議院選挙」が行われ、
その年の干支は亥年にあたる。
一説には「亥年現象」なる言葉が政治の世界ではあるようだが、社会一般でも大きな事件が起きている。
と言ってもそれほど過去に遡って調べたわけでは無いのだが、オジサンの印象に強く残っているのは、
「1995年」の亥年である。
天変地異では「阪神淡路大震災」や「地下鉄サリン事件」。
その年末には、「Windows95」が発売され、翌年からパソコンが家電並みになった。

同時に忘れてはならないのが、沖縄で起きた米兵による女子小学生暴行事件であった。
加害者が、沖縄に駐留している米軍兵士で被害者が未成年の日本人である。
沖縄県民の感情に怒りの火が付いて、その年の10月には宜野湾海浜公園に85000人の県民が集まった。
それから12年後の亥年9月。
今年は1700団体が参加して、約11万人の参加者で「県民大会」が同じ海浜公園で開かれた。
残念ながら「本土」のマスメディアは一部を除いて大きく取り上げることは無かった。
「そんなことすら知らなかった」という人のために、オジサンが細かく説明するまでもなく、 琉球新報の実物と、
「沖縄タイムス」の各面の記事を以下に掲載する。

<11万人結集 抗議/検定撤回 9・29県民大会>

 私たちは真実を学びたい。次世代の子どもたちに真実を伝えたい―。
 高校歴史教科書の検定で、文部科学省が沖縄戦「集団自決(強制集団死)」から日本軍強制の記述を削除したことに抗議する
 「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(主催・同実行委員会)が29日午後、宜野湾市の宜野湾海浜公園で開かれた。
 大会参加者は当初予想を上回る11万人(主催者発表)。
 宮古、八重山を含めると11万6000人に達し、復帰後最大の“島ぐるみ”大会になった。
 大会では日本軍の命令、強制、誘導などの記述を削除した文科省に対し、検定意見撤回と記述回復を求める決議を採択した。
 戦争を体験した高齢者から子どもまで幅広い年代が参加、会場は静かな怒りに包まれた。
 県外でも東京、神奈川、愛媛などで集会が開かれ、検定意見撤回と記述回復を求める県民の切実な願いは全国に広がった。
 大会実行委員長の仲里利信県議会議長は、
 「軍命による『集団自決』だったのか、あるいは文科省が言う『自ら進んで死を選択した』とする殉国美談を
  認めるかが問われている。全県民が立ち上がり、教科書から軍隊による強制集団死の削除に断固として
  『ノー』と叫ぼう」と訴えた。
 仲井真弘多県知事は、
 「日本軍の関与は、当時の教育を含む時代状況の総合的な背景。
  手榴弾が配られるなどの証言から覆い隠すことのできない事実」
 とし、検定意見撤回と記述復活を強く求めた。
 「集団自決」体験者、高校生、女性、子ども会、青年代表なども登壇。
 検定撤回に応じず、戦争体験を否定する文科省への怒りや平和への思いを訴えた。
 渡嘉敷村の体験者、吉川嘉勝さん(68)は「沖縄はまたも国の踏み台、捨て石になっている。
 県民をはじめ多くの国民が国の将来に危機を感じたからこそ、ここに集まった。
 為政者はこの思いをきちっと受け止めるべきだ」とぶつけた。
 体験文を寄せた座間味村の宮平春子さん(82)=宮里芳和さん代読=は、
 助役兼兵事主任をしていた兄が「玉砕する。軍から命令があった」と話していたことを証言した。
 読谷高校三年の津嘉山拡大君は「うそを真実と言わないで」、
 照屋奈津実さんは「あの醜い戦争を美化しないで」とそれぞれ訴えた。
 会場の11万人は体験者の思いを共有し、沖縄戦の史実が改ざんされようとする現状に危機感を募らせた。
 宮古、八重山の郡民大会に参加した5市町村長を含み、大会には全41市町村長が参加した。
 実行委は10月15、16日に200人規模の代表団で上京し、首相官邸や文科省、国会などに
 検定意見の撤回と記述回復を要請する。
 仲里実行委員長は「県民の約10人に1人が参加したことになる。県民の総意を国も看過できないだろう」と、
 記述回復を期待した。

 <検定見直し国会決議も/超党派視野民主が検討>

 民主党の菅直人代表代行は29日、政府や文部科学省に「集団自決(強制集団死)」で軍強制を削除した検定のやり直しを求め、
 応じない場合は超党派で国会決議案提出を検討する意向を示した。
 また、国会の委員会審議の参考人として「集団自決」体験者を招き、証言を直接聴取する考えも明らかにした。
 教科書検定撤回を求める県民大会に出席した後、記者団の取材に応じた菅代表代行は、
 「臨時国会の代表質問や予算委員会審議で取り上げ、
  文科省の調査官のコントロールでねじ曲げられた検定のやり直しを求める」と強調。
 「検定の見直しや規則を変えることに応じなければ、国会の意思を問う」とした。
 野党共闘を軸に、与党にも働き掛け、超党派で提出する考えを示した。
 大会に出席した共産党の市田忠義書記局長は「県民大会の決議の趣旨であれば賛同する」、
 社民党の照屋寛徳副党首も「検定撤回を求め、国会の意思を示すべきだ」と賛同。
 国民新党の亀井久興幹事長も「決議に賛成したい」とし、野党各党とも国会決議案提出に賛成する意向だ。
 一方、与党側は、参加した公明党の遠山清彦宣伝局長が、
 「撤回を求めるのは同じだが、国会決議で個別の検定を見直すことは今後の政治介入を許す危険性もあり、慎重に対応したい」
 との考え。
 自民党の県選出・出身でつくる「五ノ日の会」の仲村正治衆院議員は、
 「今回の大会決議で要請することが先だ。今後の対応は党の協議次第だ」と述べるにとどまった。

 <沖縄戦事実 否定に怒り/解説>

 11万6000人。人口137万人の沖縄県でこれだけの県民が集まった。東京都で考えれば、108万人の集会に相当する。
 その意思表示を文部科学省はどう考えるのか。今後の対応を注視する。
 そもそも、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の開催は、沖縄からの民意や反論に文科省が真剣に対応してこなかったことが背景にある。

 「『集団自決』で日本軍の強制があったことを否定されれば、ガマからの追い出し、食料の強奪、
 スパイ容疑での虐殺など、そのほかの沖縄戦の住民被害を否定されたのと同じになる」。
 平良長政・大会実行委員会幹事が大会後に述べたように、県民は今回の教科書検定で、体験、記憶、学習を通じて共有してきた
 「沖縄戦の事実」が否定されたと感じたのだろう。
 県議会と全41市町村議会で検定意見撤回を求める意見書が採択されたのは、その民意の表れだ。
 「集団自決」に対する日本軍の強制があったことを証明するこれまでの研究に、体験者による新たな証言がいくつも加えられ、
 検定結果への反証として示されてきた。
 県議会、市町村議会、副知事、教育長、市民団体。沖縄は、こうした民意と反証を基に、何度も文科相に説明と対応を求めてきた。
 そのたびに文科省は、「審議会による学術的な審議に基づく決定で覆せない」と、事実と異なる「官僚答弁」に終始してきた。
 対応に当たるのは、検定の内実を詳しく知る課長でもなければ、決裁権を持ち、責任が問われる立場の局長や文科相でもない、
 中間管理職の審議官だった。
 6月、伊吹文明文科相(当時)は
 「検定結果について沖縄の皆さんの気持ちに沿わないようなことがあるんだろうと思う」と発言した。
 ここにボタンの掛け違いがある。
 県民はあいまいな感情で怒っているのではない。「事実を否定された」から怒り、その論拠も示している。
 渡海紀三朗・現文科相は県民大会について、
 「どういう大会になるのか、どういう意見が出るのかを見極めて、対応したい」と発言した。
 期待したい。行政が過ちを認めないとき、それをただすのは政治の役割だ。
 文科省は県民大会であらためて示された事実と、事実歪曲への怒りを素直に受け止めるべきだ。(社会部・吉田啓)
     ◇     ◇     ◇     
 <検定抜本改善へ歴史的一歩/高嶋伸欣氏・琉大教授>

 県民大会準備に参画していた一員として、何より勇気づけられるのは、参加者が11万人を超えたことだった。
 主権在民のこの社会では、行政や政策に関連して主権者が何らかの形で意思表示をしなければ、民主主義の健全さは保てない。
 大会準備中、実行委員会は五万人という控えめな目標数を設定した。それには弱気すぎないかという声も少なくなかった。
 しかし、だからと言って自信をもって大丈夫と主張できる根拠を見出すのは困難だった。
 それが連休明けの9月25日から様相が一変し、県内だけでなく県外どころか国外からもメディアや市民運動からの照会、
 連携行動の情報が洪水のように押し寄せた。
 東京中心のメディアの場合、腰をあげるのが遅すぎた面もある。それだけに、いよいよ沖縄での盛り上がりぶりを知って、
 動かざるをえなくなったのだとも考えられた。
 メディアの世界でも一地方にすぎない沖縄が中央に揺さぶりをかけたのだと見て取れる。
 この解釈は、県民大会会場に駆けつけていた全国からのメディアの姿によって、裏付けられていた。
 中央のメディアを揺さぶり、この件について今後は真剣に取り組まざるを得ないと認識させる状況づくりに、
 われわれも多少は参画できたのだと、誇りに思いたい。
 このことは、伊吹文明前文部科学大臣の詭弁同然の弁明を、これまでのところ結果的には容認してしまっていた中央のメディアを、
 著しく緊張させたことになる。
 来月中旬に予定されている実行委員会の東京行動では、今回の大盛会を背景に強気の交渉が予想される。
 文科省交渉では、これまで一切の面会を拒否していた初等中等教育局長や事務次官のレベルでは済まされない。
 文科大臣の面会は当然だ。
 首相官邸の場合、首相はともかくとしても、官房長官が政府総体としての対応を示すためにも出て来ざるを得ないと思える。
 それに、ここまで解決を遅らせた結果、問題の根本原因が検定制度の構造的欠陥、
 特にきわめて非民主的な強権性と密室性にあることまで、多くの人々が気付くに至った。
 国会では野党各党が、「集団自決」の検定意見撤回だけでなく、検定制度の見直しにまで踏み込んだ議論を、
 国会で展開する準備に着手したという。
 この事態は、今回の「集団自決」検定問題が、戦後の教育界で積年の論点となっていた教科書制度の抜本的再検討を
 いよいよ不可避にしたことを意味している。
 それは、当然ながら全国の教育関係者を巻き込む議論になる。
 1965年度から全面実施された小・中学校の教科書無償制は、日本の民主的な教育を支えるものとして国内外で高く評価されている。
 その無償制が高知県の母親たちを中心とした市民運動が発端だったと、教育関係者の間では語り継がれている。
 同様に、やがて教科書制度が大幅に民主化された時、それは沖縄の県民大集会で示されたエネルギーが発端だったと語り継がれることになる。
 われわれは今、新たな誇れる歴史をまた刻むことができた。それがこの9・29県民大集会だった。(社会科教育専攻)

<2007.9.30>



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