北朝鮮核実験:06年以来2度目 吉州付近の地下で
【北京・西岡省二、ソウル大澤文護】北朝鮮の朝鮮中央通信は25日、同国が06年10月に続く2度目の核実験を実施したと伝えた。報道文は狙いを「共和国(北朝鮮)の自衛的核抑止力を強化するため」と位置付け、「成功した」とした。4月の長距離弾道ミサイル発射に続き、北朝鮮が再び核実験に踏み切ったことで、日本や米欧だけでなく、北朝鮮の最大の支援国・中国を含む国際社会の強い反発は必至だ。北朝鮮の実用可能な核兵器開発は、朝鮮半島の一層の緊迫化を招く。
一方、韓国青瓦台(大統領府)の李東官(イドングァン)報道官は25日、「本日午前9時54分、咸鏡北道吉州郡豊渓里(ハムギョンプクドキルジュグンプンゲリ)付近でマグニチュード(M)4.5内外の人工地震が感知された。核実験の可能性がある」と述べた。李明博大統領は25日午後1時、関係閣僚による緊急の国家安全保障会議を招集した。(後略)
http://mainichi.jp/select/today/news/20090525k0000e030049000c.html
以前にも紹介したことですが、重要な問題なので再び掲載します。この核実験は、政治犯収容所囚人の犠牲の上で行われている可能性が脱北者によって指摘されています。以下は保守ミニコミに私が書いた文章の一部です。
北朝鮮核実験
政治犯収容所の囚人が犠牲となる
北朝鮮政治犯収容所の体験者であり、現在韓国に亡命し独裁政権の人権改善や民主化のために戦い続けている姜哲煥(「平壌の水槽」ポプラ社著者)は、かって日本での講演会で、北朝鮮の核実験と収容所の関係について語っている。以前も紹介したことのあるないようだが、あえてここに再録する。
姜氏は、北朝鮮で行われた核実験の場所を、日米韓の専門家の分析によれば、実験場所は吉州郡の萬塔山(マンタプサン)だと確定しているが、その後の同地から脱北してきた難民に聞き取り調査を行った結果、核実験に関連しての住民の避難、退避はまったくなかったという。かつ、吉州郡の住民も核実験場がどこなのかを知らない。
そして、同時に取材の中で明らかになったのが、この萬塔山と気雄峰という山を境として、同地に化城(ファソン)政治犯収容所が一九八五年から存在し、この収容所は最も重罪の、一度入れられたら二度と釈放される可能性のない「完全統制区域」と認定されている。この化城収容所の北側には鏡城(キョンソン)収容所が隣接していたが、この収容所は一九八九年に解体された。
この鏡城・会寧収容所で警備兵として勤務していた安明哲氏の証言によれば、「鏡城、化城、会寧の三つの収容所で約10年前から多数の政治犯が『大建設』の名の下に萬塔山にトンネルを掘りに行った」という。
このいわゆる「大建設」に動員された政治犯は誰一人生きて帰っては来なかったが、安明哲自身、当時その大工事が何を目的としたものなのか知らなかった、今になって地下核実験場の建設だったと考えれば合点が行くと語った。
また、会寧収容所に位置した国家安全保衛部第三局傘下の「予審局」とは、生体実験を総括している秘密部署だったが、90年代半ば、化城収容所に移動してきた。姜氏は、この予審局は会寧に位置していたときには生物化学兵器の人体実験を行い、化城に移った理由は放射能被害に対する人体実験を行っていたのではないかと推測する。
地下核実験のための大規模なトンネル工事を、数万人の民間人や軍人を動員すれば、核実験の準備やその場所は噂で漏れ伝わり、脱北者などを通じて国外にも伝わる。しかし、現実には地元の人も含めて北朝鮮住民の誰も核実験場所について知らず、脱北者の中でもこの工事に従事した人はいない。姜氏は、おそらく秘密保持のために、政治犯が核実験場建設の為に動員されたのだと述べた。
政治犯を動員すればひとまずこのトンネル工事の秘密は保持できる。さらに、トンネルの入り口を政治犯収容所の方に開けておけば、もし事故が起きてもその放射能被害は政治犯収容所にまず送られるので、民間への影響は抑えられる。北朝鮮の核実験場所についてこの秘密保持が徹底できた根拠は、この化城政治犯収容所と密接な関係があると姜氏は分析し、北朝鮮現体制の残酷さを告発した。
人びとは戦争の危機や、戦争がもたらす悲劇についてはしばしば語り、平和を守らなければならないと主張する。それはそれで正しい。また、核戦争だけは人類が滅亡する為に避けなければならないと言うのは誰しも共有する真理であろう。しかし、現在早稲田大学研究院である洪ヒョン氏は、20世紀という時代が証明したことは、戦争による死者よりも、遥かに暴虐な独裁政権が自国民を虐殺した数の方が圧倒的に多いという事実を指摘している。
洪氏は、平和は何よりも高い価値である、とする平和主義者を痛烈に批判し、彼らは口では平和や人権擁護、独裁政権批判を語るが、実際には、平和と安定のうちに、独裁者が自国民を虐殺する現実には何ら解決手段を示し得ない、また、彼らも時に独裁者や人権抑圧を批判するが、それは常に批判しても安全な相手に限られ、真に闘うべき巨悪の独裁者、毛沢東、スターリン、そして金日成・正日に対して有効な批判と民衆救援を成し遂げたことはない。そして、独裁政権に対しては、「自由」の価値を武器に戦うことが最も有効であり、金正日政権の打倒と自由の確立を明確に運動目的にしていき、その原則に従って市民も政治家も行動を起こさなければならないと問題を提起した(後略)。
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会:本会は1959年から1984年までの帰国事業で北朝鮮に帰った在日朝鮮人(日本人配偶者等を含む)の生命と人権を守り、自由往来を実現し、被拘束者を解放し、犠牲者の名誉を回復することを目的とする。またその他の北朝鮮の人権問題にも重大な関心を向ける。