2009年5月29日
邪馬台国 ナゾ解き続く 化学分析、畿内説に"軍配" 箸墓古墳
「昼は人が造り、夜は神が造った」と日本書紀に記された箸墓古墳(奈良県桜井市)。邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との説もあり、大和か九州かで揺れる邪馬台国の所在地論争もからんで、被葬者は古代史最大の謎ともされる。その築造年代を「放射性炭素年代測定」は西暦240~260年とはじき出した。これは、中国の歴史書に記された卑弥呼の没年とほぼ合致。科学分析は邪馬台国畿内説に“軍配”をあげた形になった。しかし、測定法の精度を疑問視する見方もあり“謎解き”はまだ続きそうだ。
「卑弥呼が魏に朝貢(239年)。2代目女王・壱与(いよ)朝貢(266年ごろ)」。中国の歴史書「魏志倭人伝」は、3世紀の日本について年代順に細かく記述している。
年代測定を行った国立歴史民俗博物館の研究チームは、箸墓古墳や他の遺跡出土の土器など数千点の放射性炭素年代を調査。箸墓古墳の周(しゅうごう)から見つかった「布留0(ふるゼロ)式」とよばれる土器は、西暦200~300年代の測定結果が出されたが、これより少し新しいとされる形式の土器「布留1式」では270年ごろと割り出したことなどから、「布留0式」を240~260年に絞り込むことができたという。
研究チームの小林謙一・中央大学准教授は「かなり精度の高いデータが得られた」と強調する。
一方で、考古学者を中心に慎重な見方が多いのも事実だ。かつて箸墓古墳を発掘した奈良県立橿原考古学研究所の寺沢薫・総務企画部長は「研究途上の炭素年代測定によって、10年単位まで絞り込むことができるのか疑問がある。これで箸墓古墳の築造時期が決まったとはとても思えない」と指摘する。
箸墓古墳を270年ごろの築造とみる兵庫県立考古博物館の石野博信・館長も「科学的な炭素年代を頼りにしたいが、まだまだデータが不足している」と慎重な立場だ。被葬者像については「箸墓のような巨大古墳は、戦乱をおさめ、卑弥呼の後に女王になったとされる臺与(とよ)(=壱与)こそふさわしい」と話した。
【写真説明】放射性炭素年代測定が行われた箸墓古墳出土の土器=奈良県橿原市の奈良県立橿原考古学研究所
(2009年5月29日 14:25)
Category:社会
この記事と同じカテゴリの最新記事
2009.05.30
2009.05.30
2009.05.30
2009.05.30
2009.05.30