2008年01月19日
伊丹市中村区の住居名は消えていく(1):鄭容順
1月13日、コリアンマイノリテイ研究会・在日朝鮮人運動史研究会関西部会合同の主催で第1期工事が完成したことから桑津市営住宅になった新施設の集会所に市民活動家ら60余人が集まって報告集会が行われた。集会所は満室になり立ち見席になった。
中村地区についての報告は自治会長で中村地区移転対策委員会の丹山判同会長と同自治会副会長で同対策委員会の朱昭一副委員長が経過と現況を説明した。
報告のあらましについて丹山会長が報告した。
伊丹市中村区は猪名川堤防下から伊丹国際空港に向かって集落ができた。大阪国際空港の北端付近の国有地、3万4千坪という甲子園球場と匹敵する土地である。戦前の1941年、陸軍指導のもとに当時の大阪第2飛行場が(現在の大阪国際空港)の拡張工事開始、これに伴って工事に労働者として多くは韓国人が従事した。国有地に4から5棟の飯場が作られた。そして日本の敗戦で米軍占領下に入り1950年米軍が国有地の不法占拠で立退きを命じたが応じなかった。その後国有地の不法占拠状態問題に関係行政機関による協議が再々にわたって行われたが抜本的な解決策もなく今日まできた。
1970年大阪万博のために大阪国際空港の滑走路1本追加工事で1部は立退いたがすべて解決されないままに見切り発車で整備された。中村地区を食い込むように工事がされ滑走路は本来150㍍必要だが中村区まで食い込んだ滑走路は現在120㍍しかない。この問題を何とか解決したいということから2001年、伊丹市空港施設長から中村区自治会に「環境整備の話をしたい」という申し入れがあった。国有地は伊丹市だけでは問題解決しない。補償金を出しての話あいということで2001年、国土交通省と自治会は集団移転を合意し2002年9月、国土交通省・兵庫県・独立行政法人空港周辺整備機構・伊丹市による中村地区整備協議会が発足、自治会は交渉のすえ第1期市営桑津住宅に50世帯が入居、残る45世帯は今年1月完成の第2期市営桑津住宅に入居することになった。(先日1月16日に住民たちは移転をした)移転を終えると「中村地区」という地区名が消えることになる。こうした事柄などを踏まえて市民活動家らが在日韓国人の歴史を消滅してはならないと立ち上がった。
筆者は仕事で現場取材に入った。新聞記事は紙面の都合でほとんど割愛されたのでここでもう1度紹介をしたい。連載3・4回の予定である。
【写真説明】完成した中村区の住民が入居する桑津市営住宅、報告集会で経緯など話す丹山自治会長。
2008年01月19日 09:17