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2008年01月20日
伊丹市中村区の住居名が消えていく(2):鄭容順
中村地区についての報告は自治会長で中村地区移転対策委員会の丹山判同会長と同自治会副会長で同対策委員会の朱昭一副委員長が経過と現況を説明した。
報告のあらましはまず丹山会長が報告した。
1945年当時は200世帯1000人が中村区に住んでいた。養豚業と密造酒製造などしてきたが日本高度成長期にのって砂利運搬業や土木工事などで生計を立ててきた。13年前に伊丹市広報室から移転の話があった。土地は国有地でも建物は私有財産である。伊丹市だけでは判断できないということである。
この後、話し合いに応じるが国土交通省との交渉に記録文書が一切提出されない。あいまいな話し合いは解決されないままになった。そして再び6年半前に「改良住宅環境整備」として自治会との話し合いになった。
まず住民たちにアンケート調査を実施した。自治会アンケート調査の結果8割が賛成した。住民の8割が在日韓国人で2割が日本人である。
このことに対して朱昭一さんは「最初はこんなに賛成者の多いことに驚きました」と話したが丹山会長は「やはり不法占拠の認識はあったのでしょう。補償金を補償しての立退きに自治会はこれなら賛同できると思ったようです」と話した。
150世帯の補償金、この中で事業経営者54社の土地の補償で伊丹市も知恵と工夫で市営住宅建設と事業所の土地補償にまでこぎつけた。自治会が団結して国土交通省と伊丹市、空港の機構整備との話し合い、大阪国際空港が第2種の大阪空港になると伊丹市の管轄になり補償金などでさらに解決策が困難になると見て今回の解決策に急いだ、そして伊丹市があらゆる知恵と工夫を絞って不法占拠特例法案を作った。
その特例法とは「国有地を機構整備に払い下げて機構が住民に払い下げていくという方法」という法令を作った。地区住民の事業主との土地問題、リサイクル業者や土木建築業者との話し合いは他の所に移転しても生活基盤が成立たないという理由で何度も話し合ったところ住民たちはこの地で事業ができる補償ということで問題が解決した。立ち退き問題で住民の3分1は補償金を受け取って他の所に移転した。残ったものが市営住宅に入居していく。補償金は住民が住んでいたところは更地になり更地になった1ヶ月後に移転補償金が振り込まれることになる。
丹山会長は「伊丹市は中村区に対して不作為はしていない。作為はなかった。国有地と米軍占領で手を差しのべることができなかった。国土交通省はこれを踏まえて伊丹市と一緒に交渉を一生懸命にしてくれました。職員の中にはこの問題一筋に取り組んでくれた人がいました。定年退職をされて残った人はわずかになりました。管理職課長級で定年退職をしていかれる人もいます。この問題に真摯に取り組んでくれた行政職員がおられたから問題が解決することができました。これは自治会が団結して交渉してきたからです。自治会の団結が早期解決になりました。各世帯にあわせた入居になります。建物は1DKもあれば4DKもあります。これも実態調査をしての入居となります。団結力のあった自治体に行政も動きやすく信用してもらったことです。行政とは200回以上も協議、住民たちは補償金で団結力をつけたのです」と話した。
【写真説明】①完成した桑津市営住宅の5階から中村地区を一望、②この付近まで大阪伊丹空港の滑走路がくい込んでいるところを見学、③国土交通省と大阪空港機構に入った更地の土地、住民がここに住み立ち退いた後です
2008年01月20日 11:18