2009年5月30日 (土曜日)

再会・・・

今日(5月29日)は、

京都の大学時代の後輩のベッピンさん(!)が「出張」で北海道までやってきたので、午後から札幌まで逢いに行ってきましたhappy01

今週初めに、「北海道の出張があるので、会えますか?」というメールが来ていて、今日思いがけず再会することができたのでした。

彼女は僕が20歳の時にサークルに入部した1つ年下で、出逢ってからジャスト20年の月日が過ぎました。

お互い・・・色々あったのぅ・・・・・・

午後からずっとオシャベリしながら過ごし、あっという間の時間でした。

彼女を案内して僕もかな~~り久しぶりに、【時計台】や【テレビ塔】に行きました

(自分大好きのKONOの写メ↓自分で自分にカメラを向けて撮影・・・・)

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もう、京都時代の友人達は、ほとんど疎遠になってしまって、なかなか実際には会えないままだったので、今回の再会はものすごく嬉しかった。

ジンギスカン屋や居酒屋をハシゴして、お互いの「現況」を語り合いながら、【問題点?】を指摘していたら、あっという間に僕の帰る時間になってました。

最後に、握手をして、「この次あえるのは、いつになるのかな??」と思ったら、急にせつなくなってきて「1曲」浮かびそうになったけど(笑)、

今日は、彼女の「関西弁」を聞きながら、色んな想いが込み上げて、静かに感動してました。

学生時代の友人は財産やなぁ・・・と。

さ、

また明日から頑張るぞ!

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2009年5月27日 (水曜日)

弾き語りの音源に泣く・・・

今、Youtubeで泣きました。

ある方のチャンネルに、師匠の歌がたくさんUPされてて・・・!!!

その昔、みのや師匠のラジオ番組内で「ギターの弾き語り」をしてた時間。それを毎週毎週、録音して、ある程度たまったら、

『簑谷雅彦ギター弾き語り集 ハイヤン編』

とかって、ラベルに書いて、そのカセットテープを何度も何度も聴いてたものです。

今も、たくさんのテープを大事に保管してありますが、カセットテープを再生するという行為をしなくなったので、自然と、昔の音源を改めて聞き直す事をしてませんでした。

ラジオ番組のその「短い時間」が、ある意味「永遠」になり、レコードやCD以上に、カセットテープを何度も何度も聴き直して、そして、自分の血に肉にしていった。。

僕が、ギターを弾けるようになったのも、「ギター教則本」ではなくて、これらの「簑谷雅彦ギター弾き語り集」のカセットテープを聴きながら、マネをしてマネをして弾けるようになっていった・・・

それが、僕の10代後半でした。

ホント、当時の師匠のラジオは、それくらい大きな「深夜放送」だったのです。僕にとって!

その中でも、

何の理屈抜きに、

「25時の声」

は、

あの「最終回(昭和62年3月)」の音源だからいいのです。

http://www.youtube.com/watch?v=RNmh8t8xfcU

目を閉じて聴いてみたら、

ラストの

♪そう、みな、笑うことさえ、忘れた寂しがり屋たち・・・・・

を歌う師匠の声が、番組最終回の中で、少しだけ潤んで震えているのも、そのまま、まっすぐに思い出しました。

今の時代みたいにネットでの配信とか携帯ダウンロードでもなく、

レコード(CD)にもならないラジオから録音したカセットテープの「1曲」「1曲」を繰り返し繰り返し聴きながら、パワーをもらっていた自分を思いだしました。

これが、

今・現在の僕の「泣け歌」だなぁ・・・。

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2009年5月25日 (月曜日)

四十路を行く…

久しぶりにケイタイから投稿します。

突然ですが、

よくラブソングなどの歌詞に

「君を守る…」

なんてフレーズが出てきます。
以前、僕もこの「守る」という歌詞をオリジナル曲に使ったことがありますが……。

でも
今、檀家参り中の運転でカーラジオから
「君を守る」
というフレーズを連呼するハヤリ曲を聴いていて、
なんだか「守る」という言葉が軽〜〜〜いんですよ。歌詞の中に挿入すると、聞こえのいいラブソングにはなるんですが(笑)

じゃ、
「守る」
って具体的にどういうことなのか?

考えてみると→→→

→・外敵から君がケガしないように物理的に守る?

→・君が辛い日々の中でヘコタレてしまわないよう見守る(愚痴を聞いたり、相談にのったり、励まし応援する)。

→・君を『金銭的!!』に援助して 君の生活面での苦労を少しでも減らせるように守る?

→・なんにせよ、君の喜びを自分の喜びとし、君の哀しみを少しでも共有できるようただ見守る。

→・見返りを求めずに一心不乱に君に尽くしまくる?

→・何があっても、君と生きていく覚悟。

いやぁ〜、「言葉」にすれば、やっぱり軽〜〜〜い。単なる「自己満足」?

※ちなみに
仏教的な「守る(護る)」は、
仏が私たちの都合のよい「願い事」叶えてくれる「ご利益」なのではなく、
仏からの何があっても見捨てない世界、無条件に受け入れていただく世界、慈悲の世界にある自分に気づかされた時かな?

では、

さて、
僕は
【大切な人(僕に連なる人たち)】を守れてるんだろうか?
無条件に、見返りを求めず…と言ったって、やっぱり「限界」もあるし「無条件」にはなれない自分。嫉妬もすれば不安にもなる。

でもやっぱり、
僕は【君】を守れてるんだろか?

「守る」
とは
「支える」ことかな。

じゃ、
「支える」
って具体的にどういうことなのか?

 

………そんな堂々巡りな自問をしながら、

四十路を行く…

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2009年5月23日 (土曜日)

宣言・・・

 私、KONOは本日、40歳になりました。

 

【わたくし順調に年を重ねて、このたび40才になることが決まりました。各方面から40才にならないかとお誘いを受け、ずいぶん悩んだのですが、ありがたくお引き受けさせていただくことになりました。】

以上は、みのや師匠のブログ(2001年6月23日『宣言』)からの引用です。http://blog.livedoor.jp/minoblog/archives/50000052.html

いやぁ、あのときの【師匠の年齢】に追いついてしまった・・・。

 

いつも、誕生日を迎える、年齢を重ねるその日の「深夜零時」には、色んな意味での「区切り」と自分の「現在位置」を確認するための「独りカウントダウン」をするのが恒例なのだけれど・・・。

昨夜は、

ある「飲み会」があり、遅くまで呑んでいたので、

39歳サヨナラぁ~~!40歳コンニチハぁぁ~~!ひゃっほう!♪

の「独りカウントダウン」をするのをスッカリ忘れて、ヘベレケ・・・・。

ウチに着いて、気がつけば、深夜1時。

あら。いつのまにか私、40歳になっておりましたわ(*^_^*)

相変わらず独身だし、髪はうっすら茶色に染めてるし、PPFMの服もクローゼットに溢れるくらい所有してるし、これといって自分自身たいした変化はないと思っているんですけど、

友達からのお祝いメールに返信する際に、「40歳」という数字を入力しなければならないので、

改めて、この

「40」

という数字をよくよく味わってみると・・・、

急に実感が込み上げましたわ。やっぱ、俺が40歳なんて、すごいわ。オッサンだわ。すごいわ。オヤジだわ。時間早いわ。容赦ないわ。♪時は止まることなく、まして戻るわけなく・・だわ。 ♪忘れられない忘れたくないやさしい時代・・だわ。 ♪戻れない日~~遙かな~~・・だわ。(なぜか師匠の歌の歌詞ばかり)

 

 

・・・・仏教を学ぶようになってから、「若さ」にうぬぼれず、「平均寿命」にだまされないように生きなきゃならない。「死」に至るキッカケ(縁)が成立したら、いつ終わるのか分からないのが命だから・・・・

なんて受け止めてきたつもりなのに、

でも、

仮に、「平均寿命」を考えてみたとしても、

 「40歳」

という年齢は、「折り返し」を過ぎている?

どっちにしても、もう「下り坂」であることは間違いなく・・・。

 「カレンダー」でも半分を過ぎると、後半はあっという間!!

 「旅行」に出掛けたとしても、予定日数の半分を過ぎると、後半はあっという間!!

  

う~~む・・・

色んな意味で今日の天気のように、ドンヨリとした「心の空模様」なる自分なんですけど、

各方面の皆さんにご心配ばかりの自分ですけど、

正直に言うと、

あまり今後の自分自身に期待していない【マイナス思考】であるが故に、あきらめている部分が多いが故に、

逆に、

ものすごく感動したり、喜べたり、頑張ったりできる【プラス思考】な自分でもあります。

 

今一度人生をひきしめ直して、

一度きり・繰り返すこともやり直すこともできない・誰にも代わってもらえない自分自身の命を確認し、

移ろいゆく時間のなかで、

【仏法】に問い、聞き、学び、

感じた事、気がついた事を

歌ったりしゃべったり「表現」していきますことをここに改めて宣言します(・・・って、これも師匠のパクリ苦笑)

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 2009年5月23日

 BOSANソングライター KONO

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2009年5月21日 (木曜日)

散る桜

 前述した19日の「お花見」の法要の為に、

前住職(父)が本堂のご本尊の前に、庭に咲いている「八重桜」を生けたのだが、

今朝、「朝のおつとめ」をしながら眺めてみると、すでに2日過ぎて、桜の花びらの色はくすんで汚くなり、半分くらいが散り始めていた。床に花びらが散らばっていて掃除も必要であり、

「もう、片付けるしかないな・・・・」

と思いながらも、

「ああ、これも命の姿だな・・」

と自然にアタマが下がった。

「もうしばらく、このまま置いておこう・・・」

と思った。(片付けをサボっているように見えるけど(苦笑))

  

ところで、

お花は何の為に供えるのか?

「亡くなった人(仏さま)にお花を・・・・」

という気持ちを表す為にお花を飾るという考えがあるが、

じゃ、

なぜ、

お花の花びらを「こちら側(お参りしている人)」に向けるのか?

「仏花」は、仏様に供えているスタイルをとっているから、もちろん、仏様の教えに出逢った喜びをあらわし、仏の徳を讃える為の荘厳(おかざり)である。

でも、さらに言うと、

実は、

「花のいのち」を通じて、私が「いのち」を学ぶ為にある。

枯れるから、

散るから、

いのちの躍動感がある。

  

・今、いのちが「お花」を生きている。

・今、いのちが「わたし」を生きている。

今、いのちがあなたを生きている(真宗大谷派・親鸞聖人750回御遠忌テーマ)

 

造花もフラワーアレンジメントも見事な芸術的な作品で奥深いけれど、

「仏花」は、やはり、生花(生きている花)でなくてならない理由はここにある。

『散る桜

残る桜も

散る桜』

である。

  

医療が発達して、「部品」さえ取り替えれば、いのちが長くなるような「錯覚」があるのが現代かもしれない。そして、その文明を享受している私・・・。

でも、

「死は敗北」

という価値観を見直さない限り、

私たちは、100%敗北に向かう。

  

「散る」ことも含めて、私のいのちだ・・・と

今朝、お花が僕に教えてくれた。

そう思った。

まだ散りたくはないけれど・・・・(笑)

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