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見えざるものへ―末木文美士「京都 魑魅魍魎の街」


 長年勤めた東京大学をやめて、四月から京都のはずれにある国際日本文化研究センターに移った。それに伴って京都に転居して一箇月以上経った。山梨県の甲府の出身で、大学に入って以後はずっと東京生活だったので、関西に住むのは初めてである。旅行者としてはしばしば京都に来ていたが、生活するのはそれとはまったく違う。言葉も食べ物も風習も異なり、かなりカルチャーショックは大きい。関ヶ原を越えると外国だと、半分冗談に言っているが、半分は実感だ。

 そんなわけで何事も物珍しい。とりわけ宗教研究者としては、京都は宗教に(あふ)れていて、(うれ)しいことは嬉しいが、いささか多すぎるという感じがないでもない。東京にいると、宗教など表に出てこないから、希少価値で研究してみようという気になる。人が知らないことの解明に意欲を燃やすのが研究者魂だ。ところが、至るところ神社仏閣だらけだと、いまさら改めて仏教だの宗教だのと言い出すまでもなさそうだ。先日も、壬生寺(みぶでら)の壬生狂言を楽しんできたが、そんな年中行事をめぐりだしたら、落ち着いて本を読んだり、論文を書いたりする時間がなくなってしまう。

 それにしても、京都というのは不思議な街だ。観光客向けの案内書を見ると、いかにも風光明媚(めいび)で心の癒やしになるようなところにみえるが、実際にはいかがわしい魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈(ばっこ)の痕跡ばかりだ。祇園の八坂神社はもともと仏教にも神道にもない牛頭(ごず)天王という奇妙な神様を(まつ)っているし、北野天満宮はいうまでもなく菅原道真の怨霊(おんりょう)を鎮める目的で建立された。陰陽師ブームで安倍晴明は有名になったが、彼が大活躍しなければならなかったほど、怪しげな存在が無数にうごめいて、人々の生活を脅かしていた。

 そもそも京都の街は、東は鳥辺山(とりべやま)、西は化野(あだしの)という墓地に囲まれている。墓地というよりも、かつては死体捨て場であった。北の蓮台野(れんだいの)も同様であった。京都の街は、いわば死者たちに囲まれた狭い空間に、人々が逼塞(ひっそく)して生きていたのであり、今でもその都市の構造がそのまま残されている。僕が好きなのは、鳥辺山の入り口にある六道珍皇(ちんのう)寺で、ここには小野(たかむら)が冥界に通ったとされる井戸が今でも残っている。小野篁は平安時代の文人貴族として有名だが、もう一方で毎晩ここから地獄に下り、閻魔(えんま)大王の裁判を手伝ったという。ここはこの世界と異界との通路に当たる。

 じつは江戸ももともとはかなり宗教性を強く持った都市だった。北東の鬼門に当たる方角に比叡山を模した東叡山(とうえいざん)寛永寺が広大な地域を占め、南の増上寺との間に挟まれた中に都市が作られた。また、街の境界には東の小塚原(こづかっぱら)と西の鈴ヶ森(すずがもり)の刑場があって、刑死者の遺骸(いがい)が放置され、公開の処刑も行われた。死や死者は日常から離れたものではなかった。

 しかし、東京になってそのような痕跡はすっかり消された。人口の一極集中で、東京はどんどん肥大化した。京都のような盆地でなく、関東平野がどこまでも広がるという地理的条件にもよるのであろう。埼玉・千葉・神奈川などまで含む巨大首都圏と化した。もっともその巨大都市の中核を皇居が占めるだけでなく、要所に靖国神社と明治神宮があるということは、東京がどのような理念で発展したかをよく示している。そう考えれば、今の東京も実は近代的な宗教都市なのだ。

(すえき・ふみひこ 仏教学者)
2009年05月29日  読売新聞)

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