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昭和がまた遠く…石本美由起さん死去

 「憧れのハワイ航路」「悲しい酒」などで知られる作詞家の石本美由起(いしもと・みゆき、本名石本美幸)さんが27日午前0時50分、心不全のため、横浜市内の病院で死去した。85歳。60歳を過ぎたころから耳鳴りに悩まされ、糖尿病の影響で視力も低下、近年は入退院を繰り返していた。葬儀・告別式は近親者らで6月1日午前11時から横浜市港北区菊名2の1の5、妙蓮寺で。喪主は長男望美(のぞみ)氏。

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 また1人、“昭和歌謡の顔”が去った。20年来、体調不良で苦しんでいた石本さん。関係者によれば、特に目の症状は重く、3年前から自宅でも光が入らないよう、部屋のカーテンを閉め切っていたという。

 幼少時に体が弱かったことが作詞の出発点。第2次大戦中、歌手の東海林太郎に感銘を受け作詞家を目指した。復員後、歌謡同人誌に投稿を続けた結果「長崎のザボン売り」が作曲家の目に留まり1948年にプロデビュー。「憧れのハワイ航路」は故郷、広島県大竹市の実家から見える瀬戸内海を見て「この船で行けたらなあ」と遠くハワイを思い浮かべて作った詞だった。終戦から3年。国内旅行もままならない時代に、復興を目指す人々の心に希望を与え、大ヒットとなった。

 その後、「悲しい酒」など美空ひばりさんの多くの曲を手がけ、83年「矢切の渡し」、84年「長良川艶歌」で2年連続で日本レコード大賞を受賞した。

 「人との出会いで受ける刺激からイメージを育てる」が作詞のモットー。作品は3500曲を超えた。昨年9月に発売した「女の旅路」(中村美律子)が10万枚を突破し、レコード会社から表彰された石本さんは、病床で記念のブロンズ像を、涙を流しながら何度もなでていたという。

 晩年も創作意欲は衰えなかった。弟分である作詞家の故・松井由利夫さん(今年2月死去、享年83)が「箱根八里の半次郎」をヒットさせ、2000年に病室を訪れた際には、「オレも負けないからね」と気持ちを奮い立たせていたという。

 誰に対しても腰が低く、愛された石本さん。数々の名作を残した心優しき巨匠は、すべての日本人の心にほほ笑みを残し、旅立っていった。






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