・知らない街を歩くのに、
そこを知らない街として歩くことは、誰でもします。
知らない街を、ぼくらが歩くとき、
その街を、別の人たちが歩いています。
その街を歩く別の人たちのなかには、
そこを、知らない街として歩いてる人もいます。
そこを、知ってる街として歩いている人もいます。
いや、ただ思ってみただけなんですけどね。
・そんなこと思ったきっかけは、
『遠くへ行きたい』という歌を思い出したからです。
永六輔さんの作詞、中村八大さんの作曲で、
ジェリー藤尾さんが、歌いました、
NHKの『夢であいましょう』という番組のなかで、
「今月の歌」のひとつとしてつくられたものでした。
永さんのつくる歌詞は、ある種、観念的というか、
具体的などこかやなにかを指し示すようなことばが、
ほんとうに少ないんですよね。
その作詞の方法は、ぼくにも、
かなり大きな影響を与えているように思います。
「具体的になんか書くもんか」というくらいに、
抽象的であいまいなことばを使って、
とても基本的な家を建てるようなやり方。
そのせいで、いついかなるときでも、いつまででも、
こころのなかのどこかに残っていて、
ひょいっと出てくる、気味の悪い歌になるんです。
坂本九『上を向いて歩こう』も、
梓みちよの『こんにちは赤ちゃん』も、
デュークエイセスの『おさななじみ』も、
北島三郎の『帰ろかな』も、益田喜頓の『娘よ』も、
みんな永六輔さんと中村八大さんの、
『夢であいましょう』の「今月の歌」でした。
あ、『夢であいましょう』という主題歌もあって、
それがまた、ほんとにいい歌なんですよー。
みんなに聴かせたいものだなぁ。
さて、今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとう。
今日も、いつかの思い出になります。
そこを知らない街として歩くことは、誰でもします。
知らない街を、ぼくらが歩くとき、
その街を、別の人たちが歩いています。
その街を歩く別の人たちのなかには、
そこを、知らない街として歩いてる人もいます。
そこを、知ってる街として歩いている人もいます。
いや、ただ思ってみただけなんですけどね。
・そんなこと思ったきっかけは、
『遠くへ行きたい』という歌を思い出したからです。
永六輔さんの作詞、中村八大さんの作曲で、
ジェリー藤尾さんが、歌いました、
NHKの『夢であいましょう』という番組のなかで、
「今月の歌」のひとつとしてつくられたものでした。
永さんのつくる歌詞は、ある種、観念的というか、
具体的などこかやなにかを指し示すようなことばが、
ほんとうに少ないんですよね。
その作詞の方法は、ぼくにも、
かなり大きな影響を与えているように思います。
「具体的になんか書くもんか」というくらいに、
抽象的であいまいなことばを使って、
とても基本的な家を建てるようなやり方。
そのせいで、いついかなるときでも、いつまででも、
こころのなかのどこかに残っていて、
ひょいっと出てくる、気味の悪い歌になるんです。
坂本九『上を向いて歩こう』も、
梓みちよの『こんにちは赤ちゃん』も、
デュークエイセスの『おさななじみ』も、
北島三郎の『帰ろかな』も、益田喜頓の『娘よ』も、
みんな永六輔さんと中村八大さんの、
『夢であいましょう』の「今月の歌」でした。
あ、『夢であいましょう』という主題歌もあって、
それがまた、ほんとにいい歌なんですよー。
みんなに聴かせたいものだなぁ。
さて、今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとう。
今日も、いつかの思い出になります。