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【コラム】盧前大統領の悲劇と「渦巻政治」(上)

 米ワシントンでの仕事を終える際に聞いた最後のニュースは、不幸にも盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の逝去であり、北朝鮮による衝撃的な核実験だった。驚天動地の二つの大ニュースが、二日間連続で飛び出すのは、今の大韓民国が直面している状況であると同時に、韓国国民が持って生まれた運命だといえよう。外国の人々の視線を切実に意識せざるを得ない状況だった。

 盧前大統領が自殺したという知らせを聞いた瞬間、2005年8月に大統領府で盧前大統領に会ったときのことを思い出した。当時、盧前大統領はハンナラ党との連立政権を提案し、政局に大騒動の「渦」を巻き起こしていた。状況が思うように進まなくなると、盧前大統領は大統領府に各報道機関の政治部長らを呼び出し、連立政権に関する説明会を行った。

 盧前大統領の隣に座ったわたしは、2時間半もの間、熱弁を振るうその横顔から、疲れ切った気配を感じ取った。「危機だ」「つらい」という言葉を繰り返し、「死にそうだよ、本当に」と腹を立てる様子も見せた。前大統領の疲れは、過去数年間、自身が巻き起こしてきた「渦」の中心でどうすることもできないまま積み重なってきたものだった。

 振り返ってみると、盧前大統領の登場自体が「渦」だった。05年当時、与党内の親盧派直系グループが作ったことで知られる報告書も、盧前大統領が「渦巻政治」で成功したという分析を以前出している。ノートパソコンでその報告書の要約を探して、読み返してみた。その報告書は、「盧大統領は“渦巻政治”に成功したが、任期後期は逆にほかの渦巻が盧大統領を飲み込むのでは」と懸念していた。そしてこの予想は、悲しくも盧前大統領の任期後期に的中してしまった。

 「渦巻政治」とは、(日本の植民地支配からの)解放直後、混乱する韓国の政治を報告した米外交官が名付けたといわれている。盧前大統領の逝去を見て、解放から約60年がたった今でも、韓国社会は渦巻の中から抜け出せないでいるという思いはぬぐい切れない。民主化は実現したが、「法治なき民主主義」「自分勝手な民主主義」「勝者独占の民主主義」というレベルからは脱することができない。今の韓国社会は地域間・政党間・階層間・世代間・利害集団間の衝突が生み出した大きな渦巻そのものだと言っても過言ではない。新たな渦巻が、その前にできた渦巻を、より大きな渦巻が小さな渦巻を飲み込むという悪循環が、果てしなく繰り返されている。

 この渦巻の中心には、指導者たちの狭い度量と、「お前は死んで、おれは生き残る」式の対決主義が居座っている。今の指導者のうち、何人かでもこの渦巻の中から脱することができるなら、社会の気風があっという間に変わるかもしれないが、それが可能な人物は見当たらない。李明博(イ・ミョンバク)大統領、朴槿恵(パク・クンヘ)ハンナラ党元代表、丁世均(チョン・セギュン)民主党代表、李会昌(イ・フェチャン)自由先進党総裁…どの人物も渦中でかみつき合ってばかりいる。こうした状態で、国民の前に一歩一歩迫りつつある巨大な南北の渦巻をいかにやり過ごすか、先は一向に見えない。

楊相勲(ヤン・サンフン)ワシントン支局長

【ニュース特集】盧武鉉前大統領死去

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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