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夕方のNHKの番組に夜回り先生がゲストで出演していた。夜回り先生は、先生だったお母さんが家庭の事情で自分で子育てができなくなり、山形の祖父母のもとで3歳〜11歳まで預けられて育った方だということを初めて知った。寂しい子どもだった水谷さんは横浜に戻ってからも山形弁をからかわれていじめられたり、一人ブランコに乗っているような子どもだったそうです。先生になったのもたくさんの子ども達と一緒にいたかったから。そして社会を変えるために社会科の先生になったそうです。 水谷さんが学生運動をしたり世の中から問題だとされることをしても、お母さんは一度も水谷さんをしからなかったそうです。悲しい顔をしても、いつも先生の味方でいてくれた。そして水谷先生も、生徒をしかったことは一度もないということでした。それは子ども達が社会の被害者であり、その背後に加害者の悪い大人達がいることがわかっているから。私は水谷先生の気持ちが良くわかる。私はいつも言いたいことを言っているようだけれど、自分より弱い立場の人を攻撃したりいじめたことはないと思う。結果として年老いた自分の両親に対してひどいことをしてしまっているかもしれないけれど、言いたいことは言っても自分ができるかぎりで両親を支えているつもりだし、感謝の言葉も言っている。44歳の今でも、あくまでも未だ私は両親から金銭的・社会的に自立することを許されていないのであり、変わるべきは両親で、そうでなければ私は一生自立できないと思っているから、そのための抗議だと自分では思っている。 水谷先生はどうしてそこまでできるかというと、それは救えなかった多くの子供達へのつぐないの気持ちだということです。それは1歳半で曾祖父を亡くした私の中にもある原罪意識だと思う。私はずっと自分が悪いと思って生きてきたし、傷つけてしまった人達に対して、孤独から救えずに亡くなってしまった身近な人達に対してどうにかしたいと思っていてもほとんど何もできず解決できなかったことに対して、済まないという気持ちを持ち続けてきた。ただ私は曾祖父を除けば目の前で苦しんでいる人を救えなかったということはなく、付き合ってきた人達も年配の方がほとんどだから、自分ではできるかぎりのことはしたと思えるのが救いかもしれない。でも、私はいつも生きるか死ぬかのギリギリのところで生きているから、自分が生きていられるのは亡くなった方達からいのちをもらったという意識はいつもあり、そのいのちを一人でも多くの人達に伝えたいという使命感を持っている。 私はいつも夢や希望を語って生きているから、それが正しいことを証明しながら生きていかなければ「嘘つき」のレッテルを張られ、そこでもう私の命も終わる。だから水谷先生が生徒達に「水谷は解決できなくても努力するから嘘つきじゃなんだよな」と言われて、その言葉を支えに生きているという気持ちが良くわかる。でも、水谷先生、もうそんなに一人で苦しまないで、と言いたい。変わるべきは世のズルイ大人達、問題意識さえない恵まれた人達なのだから。 http://www.koubunken.co.jp/mizutani/main.html ←水谷修の春不遠 水谷先生も、文学部哲学科卒業だったんですね・・・。 |
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自立できない人によくある「親のせい」。44歳なんですか?なんと情け無い、お気の毒です。 |
水谷ファン 2009/05/27 19:42 |
私は20歳からずっと誰のせいにもせず自分を変えてきました。その結果、変わるべきなのは自分だけではなく、私達弱者を抑圧している強者の側だと思い知ったのです。すべての人が少しでも自分を向上させ、改めるべき点が改める必要があり、それが社会を良くするのです。 |
magnoria 2009/05/27 20:53 |
なんだか、ちぐはぐなコメントを頂きましたが。 |
水谷ファン 2009/05/27 22:52 |
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