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MARK-HEART†神鏡 智のBL日記
神鏡 智です♪
徒然なるままにBL漫画製作日記や近況をしたためてゆきます。
よろしくお付き合いくださいませ!


昨日の記事の続きです。
痛い話が苦手な方はスルーしてください。 よろしくお願いします。




Aが突然の凶行に遭い、近所からの通報で警察に助けられ、生命に関わる程の重症を負い救急車で搬送される間に“すぐに連絡できる訳知りの身内”としてAが指名したのは遠方に住む肉親ではなく、Aのマンションのすぐ近くに部屋を借りて暮らすでんこでした。

犯人の男とも直接面識のあるでんこは、その男の執拗で一方的な求愛やストーキングに危機感を覚えていたAが、住所や連絡先も一切教えず身を隠して逃げていた事情も知っていたので「一体どうして今のマンションの場所が分かったの?」と、本当に戸惑ったそうです。

皮肉なことに事件当日も、その数時間前まででんこはAの部屋でアシスタントをしていたそうで、自分のマンションに帰って来てしばらくしてから突然の救急車からの緊急連絡に耳を疑ったそうです。

惨劇の場となった血の海のAの部屋で警察の現場検証に立ち会った後のでんこから「これから某病院に向うところ」だと連絡をもらって、私も某有名大学付属病院に大慌てで向いました。

病院でほぼ同時にでんこと合流できて、すぐに私達は待合室のようなスペースに案内され、立場が強いっぽい感じの医師に、深夜ながら「家族や(Aが)会っておきたい(と思われる)人達に緊急の連絡を入れて、すぐに来てもらうように!」と伝えられました。
雰囲気的にも「今夜がヤマになりますので」というニュアンスだったもので、でんこが「助かりますよね!!?」と何度も何度もその医師にすがるように聞いたのですが、医師はそれには全く答えてくれませんでした。

その問いに全く答えることなく医師が立ち去った時に、その時に初めてでんこも私も、Aの「死」という現実もあり得る最悪の状況… というか、確率的にほぼ“覚悟が必要”だという現実に直面し、戦慄してしまいました。

その後で通されたのは少し広めの設備の整った綺麗な緊急治療室で、真ん中のベッド(ストレッチャー?)にAは寝かされてました。 一応の処置が済んで私達に気付いたAの第一声は「やられたー…」とか、呑気におどけたものでした。(後で、その時に麻酔も一切無しで全身縫われていたと聞いて、こちらが卒倒しそうになりましたが…。)

Aの意識ははっきりしていたし、笑って「大丈夫ー! 心配かけてゴメンねー!」って逆にこちらに気を使って言ってましたが、とにかく全身(一応は拭かれているとはいえ、特に傷が集中している頭部と顔面が)血まみれで、髪の毛も完全に血で濡れて、それが乾きかけて固まっているような状態でした。

その処置室はこじゃれた室内で、MRIとかの設備とかもその場にあって(Aも一応MRIに掛かったそうです。)私はてっきりその場がICUだとばかり思っていたのですが…。


後でAに聞いて驚いたのは、医師や看護婦以外に若い男性の研修医が緊急処置を受ける間に10数人もAを取り囲んでいたそうで…。
「若くて優秀な男に囲まれるシチュエーションとはいえ(笑)あれはマジで酷だったー…!」とか、自分で茶化して笑っていましたが、正直言って私はものすごく腹が立ちました。 

実際に“研修”は今後の優秀な医師の育成の為には大切なことと頭では分かっていても、まるで見せ物のように瀕死でも意識はハッキリしている女性患者(一応布を掛けてもらっていたとは言え、その時点ではカテーテルも付けられて全身マッパだったそうだし。)を大人数で囲んで、眺めているだけ(に見えたそうで)の研修医の男達に、私はどうしようもない嫌悪を感じてしまいました。


処置室から私達が出る時に、初めて医師から“Aの状態”の説明を受けました。
(A のとっさの反射神経で“男から不意打ちの第一撃”だった心臓への直撃は回避したものの)Aは肺に穴をあける致命傷ともなりうる深い刺し傷を負っており「今は奇跡的に元気に見えても容態の急変が懸念される」「出血の量だけでも、普通の女性なら出血性ショック死を起こしてしまう程」「全く予断の許されない状態」だと、医師から受けた説明は極めて深刻なものでした。

その後も引き続き親族に報告の連絡を入れたりしながら、私とでんこはその病院の仮眠室(?)で朝まで過ごすことになったのですが、何時間かして看護婦さんに呼ばれました。

そこは広い空間を白いカーテンで仕切られた場所で、そこにAは移されていました。

私は最初に見た場所がICUだと思い込んでいたのですが、でんこは「その後にAが移されていた(カーテンで仕切られた)場所がICUだった!」と主張してます。

確かに、最初には私達は外からやって来てそのまま手術室に通されてAに面会させてもらったのに、カーテンで仕切られたそこに入る為には、医者が手術で来ているような薄水色の上着とキャップも特別な物を着けさせられ、スリッパも(透き通った冷蔵庫みたいな所に入っっていて、○○線消毒済み?とか書いてありました)履き替えさせられて完全装備させられました。

「え…急に今さら? …じゃ少し前の処置室の“無防備”さって何だったの?」「むしろさっきの方がヤバい状態だったのに?」という疑問が私達の脳裏をよぎりましたが、結論として「助かる可能性が極めて低い(からそのままでも面会させてもらえた?)」と判断してのことだった?と青ざめてしまいました。 

“第三種”という、一番“死”に近い、重篤な患者扱いだったと後で医師から聞かされましたし。

複雑ながら、若い研修医の数も何となく理解できたというか…。


そのカーテンで仕切られたICUには現場検証を終えた刑事さん方が2人来ていて、今?こんな所で…?と思いましたが、深夜だろうが何だろうがその時にこそ聞いておきたいことがあったんでしょうか。 
複雑ながら、Aに万が一のことがあった後では“聞けなく”なってしまう訳で…。

そしてその時に(何故か)刑事さんから、ビニールの小袋に入った“血まみれの指輪”を渡されました。
Aが救急病院に搬入されるまでずっと身につけていた貴重品として、全く血まみれのままで渡されました。 現場に落ちていた訳では無く、Aがずっと身につけていた物を一度は刑事さんに渡されていた意味は分かりませんが、何か事件の際にはとりあえず“証拠品”のように扱われるものなのでしょうか。

Aの一件の場合は“犯人”も確保されているし「返してもいいだろう」との判断だったのかもしれません。
血はすでに黒く乾き始めていたと思います。
フラワーモチーフのダイヤの指輪が、必死に主のAを守ってくれた気がして何だか泣けてしまいました。


そこでもう一度Aと少し話しが出来ましたが、あまり長くは居られず、Aは相変わらず私達に謝ってばかりでした。

朝日が昇りきらない内にでんこは必要な物を取りに行ったり簡単に片付けをしに、一旦Aのマンションに戻ってくれました。


でんこが折り返し病院に戻って来てから、また改めて完全防備スタイルで入れてもらったICUで、初めてちゃんとAと話ができました。
ICUの中にある個室みたいなだだっ広い部屋(30〜40畳くらいの広さの白い部屋にベッド一つで逆に落ち着かないったら…!)にAは移っていました。 
やっぱり相変わらずAはとても元気で(苦笑)「今朝は軽く臨死体験したよー!」とかキラキラと言いました。

Aが話してくれた“臨死体験”はこんな感じだったと思います…

Aがふと気付くと、辺り一面綺麗な花の咲く野原に立っていて、目の前には人の形に白く輝く大きな光が立っていたそうです。
その姿にしばらく見とれている内に急に足元がふらついて、次に気が付くとベッドに横になっていて(まだ辺りは暗い時間帯で)それでも目の前に(つまり天井に)その大きい“人型”の光があったそうです。 Aはその時かなり意識ははっきりしていて、光源を探してみても見付からず、そのまま不思議に思いながらしばらく眺めているうちにうっかり寝てしまったそうですが、その時の不思議な感じは目が覚めてもはっきり覚えていたそうです。


でんこと私がAからそんな不思議な話を聞いていると、若い医師と看護婦さんが2〜3人でバタバタとやって来て「すみませんが今からもう一度、患部(肺)の状態を撮らせてもらいます」と移動式のレントゲン(?)をワゴンで引いて来ました。

私達が部屋に入る少し前に一度、患部のレントゲンを撮ったらしいのですが、何か不具合でもあったのか、引き返して来ての撮り直しだそうで…。

その場で(Aはそのまま寝たままの姿勢で、患部に上から大きなポラロイドみたいな機械を当てて撮ってました。(一度目も同じ機械で同じように撮ってもらったそうです。)出て来るカラー画像写真もまるでポラロイド写真のような物だった気が…。

正直「レントゲンって何度も撮って大丈夫なの?」って思いましたけど。(私達もその場にいて大丈夫なの?とか。)“レントゲン”ってニュアンスで医師が言ってたと私は記憶してるんですが、正確にはいわゆる“レントゲン”とは別のものだったんでしょうね…。

そして2度目の患部撮影後、あらためて私達はその医師からAの身に起こっていた“ある奇跡”を知らされました。

なんと…! 昨夜刺されてポッカリと穴が開いてガスが抜けていた(肺気胸)致命傷ともなるはずの肺の刺し傷が翌朝には何故か完全に塞がっていたそうです…。
一枚目の画像で、傷がキレイに塞がっていることがあり得なくて「もう一度、確認のため撮らせてもらった」ということでした。

医師達は本当に不思議そうに首を傾げていましたが、A自身も信じられないという顔をしていました。 私もでんこも、Aから不思議な人型の光の話を聞いたばかりだったので…!!!
マジで「守護天使 来たーーー!!!!!」って心で叫びましたよ。
人は「生かされている」ということを意識してしまいました。

…こんな不思議な話をここに書いていいものかどうか少し悩みましたが、何より実際にあった本当の話だし、誤解をおそれず書かせてもらいました。
Aの周りには本当にこんな不思議なことは日常茶飯事だったりします。


その不思議な“奇跡の回復”で、完全にICUの中は“もう大丈夫!”という雰囲気になりました。 その後は親族達も到着し、Aがひとまず峠を越えたことを喜び合いました。

研修医の件で一時は不愉快な気持ちもありましたが、その病院にも本当に感謝しています。

その後、Aは何と一般病棟に移ることもなく(!!!)ICUで二日半過ごしてそのまま退院することが出来ました。 「最悪に重篤な“第三種”で搬送されてきて、この短期間に無事退院できるなんて…!」「本当に驚異の回復力でした!!」と医師達から口々に言われていました。

その後の抜糸とかはAの近所の病院のお世話になっていました。
色々とAの体には不都合なことが残りましたが、ひとまずは命が助かったから、今は笑い話みたいに話すことができますが…。

でも万が一のことを考えると、今でもやっぱり体が震えてしまいます。

以前ここでも書いた“N氏”に言われていた“話”がリアルに頭をグルグルしましたし。 それまでは全く話半分でしか考えていなかったことを、あらためて真剣に思い返して、以後は私自身に関わることも含め気に留めるようになりました。



病院によって、色々とシステムの違いはあると思いますが、Aがお世話になった救急病院のICUでは、私達は間違い無く何度も面会が許されました。
結構な時間をそこでAと一緒に過ごせたと思います。
疑問を持たれていた方々には納得していただけたでしょうか。

長くなってしまいましたが、これが私の“初ICUお見舞い実体験”です。
嘘はありませんので、ご理解とご納得をいただけましたら幸いです。

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