記者の目

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記者の目:奈良・供述調書漏えい事件、医師有罪=高瀬浩平(奈良支局)

 ◇多様な取材源、報道に必要 少年事件は情報還元を

 奈良県田原本町の母子3人放火殺人事件を題材にした単行本を巡る供述調書漏えい事件で、刑法の秘密漏示罪に問われた精神科医、崎浜盛三被告(51)に、奈良地裁は今月15日、懲役4月、執行猶予3年の有罪判決を下した。取材協力者の違法性を判断する基準も初めて示した。しかし、これで表現の自由を巡る問題が解決したわけではない。有罪判決が報道機関への情報提供を萎縮(いしゅく)させるのではないかという懸念が出ている。多様な取材源こそが、バランスが取れた事件報道に不可欠だと思う。

 崎浜被告は、事件発生当時高校1年だった長男(19)=殺人などの非行内容で中等少年院送致=の精神鑑定を担当。06年10月、「僕はパパを殺すことに決めた」(講談社)の著者でフリージャーナリストの草薙厚子さん(44)に供述調書や鑑定書などを見せたとして逮捕、起訴された。

 奈良地裁は判決で、取材に協力する行為が秘密漏示罪に当たるかどうか判断する基準を初めて示した。取材の目的、手段の正当性▽取材協力者の立場、目的、行為の性質▽秘密の内容や秘密の本人が受ける不利益--を具体的に考慮し、正当な理由があるかどうかを判断すべきだとした。

 私は06年6月20日早朝、火災の一報から取材を続けてきた。母子3人の遺体が発見された後、「長男が見つからない」との情報が入った。長男の関与の可能性が出てきたため、長男を実名にするか匿名にするかの判断を迫られた。一報を伝える当日の夕刊は匿名にした。少年法に配慮したものの、「長男は殺人者だ」というイメージを最初の段階で広めてしまったかもしれない。捜査機関は長男の逮捕直後から、「確定的な殺意」があったとみて捜査を進めていた。奈良地検は06年7月、長男を殺人などの非行内容で刑事処分相当の意見書を付けて奈良家裁に送致した。

 このころ、捜査関係者への取材で「嫌な思い出しかない家をこの世から消し去りたかった」という動機が明らかになった。しかし、この情報だけでは心の奥までは分からない。医師を目指す優秀でおとなしい高校1年生が、なぜ事件を起こしたのか。同じ年ごろの子を持つ親ならば、動機を知りたいと思っただろう。私も捜査関係者への取材を続けたが分からなかった。

 事件を起こすまでの長男の内面や動機を解明したのは、精神鑑定をした崎浜被告だった。長男を広汎性発達障害と診断し、「殺意がなかった」と結論付けた。取材から、鑑定書の内容などが紙面で明らかになっていくにつれ、長男に対する社会の見方は少しずつ変わっていった。

 崎浜被告に初めて会ったのは判決前だった。「長男は火をつけることに集中して、2階に母子3人がいることが意識から抜け落ちた。発達障害の理解がないと分からない事件」と明快に説明してくれた。そして「長男に殺意がないことを世間に知らせ、広汎性発達障害を正しく理解してほしかった。信念に基づいて(草薙さんらに)調書などを見せた」と言う。崎浜被告に「もし……」と聞いてみた。「私が資料を見せてほしいと頼んだらどうだったか」。崎浜被告は「発達障害について重要な点を理解しているあなたには、見せたかもしれない」と答えた。

 長男の内面について十分な情報があり、深く理解をしていれば、もっとバランスが取れ、なぜ事件が起きたのか説明できる報道ができたのではないかと思う。それは事件の再発防止や、子どもを持つ親の不安を解消すると同時に、長男は「殺人者ではない」とする鑑定人・崎浜被告の見方を伝えることにもなる。

 崎浜被告は「警察や検察からは出てこない真実がある。私が有罪になれば、一言も漏らしてはいけないということになりかねない」と懸念していた。奈良地裁が示した基準でも、正当な取材協力行為について判断できるかどうか疑問だ。同じ事件や状況は一つもなく、ケース・バイ・ケースになるだろう。

 草薙さんや講談社には、厳しい指摘もあった。同社が設置した第三者調査委員会の報告書は「取材源秘匿のための努力や対策は何らなかった」と批判した。情報源の秘匿や長男のプライバシーへの最大限の配慮は、大前提だ。

 私は約3年間の取材を通じて、少年審判が非公開のため、伝えるべき情報が得られないもどかしさを感じ続けた。少年審判のために捜査関係者や家裁調査官、少年鑑別所の職員が集め作成した資料は、事件の再発防止などに役立つ、有益で貴重なものだ。崎浜被告の有罪判決は重く受け止めつつ、少年事件にかかわる人たちは、社会に情報を還元しようとする意識を失わないでほしい。私も、情報源を守りながらどのように書くべきかを考え、取材を続けたい。

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 ご意見は〒100-8051 毎日新聞「記者の目」係 kishanome@mbx.mainichi.co.jp

毎日新聞 2009年4月30日 東京朝刊

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