ある晩、スナックやキャバレーが入る小さな雑居ビルでぼや騒ぎがあった。三日ほどすると、同じビルで、また。さらに数日後、もう一度起きた
▼店は別々だが、いつも扉の前でチラシなどが燃やされていた。火は、いずれもすぐ消え、被害はほとんどなし。だから騒ぎにもならなかったが、しばらくして、確か十歳ぐらいの女の子の仕業と分かった
▼その子の二人暮らしの母が働いていた飲食店が、そのビルにあった。「毎晩一人で寂しかった」と警察に話した、と聞いた。「子どもの火遊びは普通、親にみつからないようにする。だが、彼女の場合は逆だったのかもしれない…」。そんなコラムを書いた。駆け出しのころだ。もうずいぶんになる
▼北朝鮮が突如、二度目の地下核実験を行った。無論、紙切れを燃すのと比するには、あまりに危険で愚かな独裁者の“火遊び”だ。あの子のSOSへの同情の万分の一だって寄せる気はない。が、案外、込められたメッセージは似ているのかとも思う
▼即(すなわ)ち、こっちを見て−。「北朝鮮問題」が落ち着いたり、忘れられるのを一番恐れているのだろう。だから世界、ことに米国や中国の関心をひこうと繰り返し“火をつける”のである
▼窮地なのは分かる。だが、脅しまがいの振る舞いに世界が心を動かされるわけはない。一層の孤立という結果は常に火を見るよりも明らかだ。