なぜ問題を問われるような報道が止まらないのか
「映像最優先」と「善悪二元論」が視聴者をミスリードする本質的構造だ=草野厚
(SAPIO 2009年5月13日号掲載) 2009年5月18日(月)配信
映像最優先と並ぶテレビの大きな特性は、放送時間の制約があるということだ。
私は90年代に入ってからレギュラーコメンテーターとしてテレビに出演するようになったが、そのときのプロデューサーのアドバイスを今でもよく覚えている。「コメントのコツは短く、テンポよく、わかりやすくの3つ」「ニュース解説のキーワードは1つか2つで」というものだ。
確かに、時間のない視聴者は詳しい解説に付き合っている暇はない。だが、時間の制約があるからといって、内外の複雑な問題を短く解説しようとすれば、わかりやすさを通り越し、単純な善悪二元論に陥りやすい。単純化は活字ジャーナリズムでも起こるが、テレビジャーナリズムにおいてはしばしばそれが行き過ぎる。また、テレビでは芸能人や畑違いの文化人が時事問題について単純で情緒的なコメントをするが、これも活字ではまずあり得ない。
じつは制作者自身はテレビのこうした特性、限界を十分認識しているのだが、問題は視聴者の側のメディアリテラシーが十分でない場合だ。取り上げられている問題の本質を理解しないまま、単純な善悪二元論をそのまま受け入れてしまうのである。
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