なぜ問題を問われるような報道が止まらないのか
「映像最優先」と「善悪二元論」が視聴者をミスリードする本質的構造だ=草野厚
(SAPIO 2009年5月13日号掲載) 2009年5月18日(月)配信
日本の支援で建設された仮設住宅の場面では、場違いな感じの襖を取り付ける様子、規格違いのパイプ、ドアの下に穴が開き、台所が水浸しになり、戸境に隙間がある様子、そして被災者が不満を述べる様子などの映像が流された。バックは雪だ。一方、ドイツとイスラエルが支援した仮設住宅についての場面では、モデル仮設住宅のカラフルなパンフレット、被災者が感謝し、くつろぎ、子供が楽しそうに遊ぶ様子などの映像が使われた。バックは青空である。ここまで対照的な映像を見せられれば、誰でも「不用になったものを送った日本の援助は失敗、被災者の気持ちに配慮したドイツ、イスラエルの援助は成功」という印象を持つ。番組の影響は大きく、各新聞の投書欄、メディア欄、コラムでも取り上げられた。
ところが、私が調べたところ、日本側に全面的に非があったわけではなく、トルコ側施工業者の選定の遅れ、選定された業者の技術力の低さといったトルコ側の事情が事態を悪化させていたことがわかった。しかも、そのことを制作スタッフは知っていたにもかかわらず、番組で触れなかった。さらに私自身が現地に飛んで取材をしたところ、番組から受ける印象とは全く逆の事実が明らかになった。ドイツ村∞イスラエル村≠ナも雨漏りや下水の排水に問題があり、トルコ政府の役人もそれを認めていた。一方、私の取材時点では多くの仮設住宅が完成していた日本村≠ナは、私が話を聞いた11家族中9家族が「生活は快適だ」と笑顔で語ったのである。
始めに仮説、結論があり、それに向けて必要な情報を集め、不必要な情報は捨象する。活字ジャーナリズムでも用いられる手法だが、映像を最優先するテレビジャーナリズムがそれを行なうと、受け手に誤った印象を与えてしまう危険性はより高い。
問題のNHKの番組が、公平性や正義を装いながら、インパクトのある映像を使って視聴者を巧みに自らの仮説、結論に誘導していたことは明らかだった。自虐的なODA報道によって視聴者を誤った理解に導いた責任は大きい。
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