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特集:憲法を考える(その1) 第96条 改正/第25条 生存権

 ◇選挙控え議論封印 与野党、政争を優先

 麻生太郎首相が「100年に1度の危機」と叫ぶ不況の中で迎えた憲法記念日。雇用情勢の急速な悪化が憲法25条の保障する「生存権」を脅かす。北朝鮮が弾道ミサイルを再び発射し、安全保障の在り方も問われている。しかし、国会は衆参の多数党が異なる「ねじれ」状態のもと、衆院で3分の2以上の議席を握る与党による「再可決」が常態化。次期衆院選をにらみ、両院の合意形成より政争を優先する与野党対立が続く。憲法改正手続きを定めた国民投票法の完全施行が1年後の10年5月に迫っているが、建設的な憲法論議が行われる雰囲気はない。

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 ■第96条 改正

第96条 1 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

     2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

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 ◇国民投票法、施行1年前 審査会設置できず

 「民主党が政権を取っても、まずは国民の財布を豊かにすることに2年はかかる」

 民主党の鳩山由紀夫幹事長は4月24日の記者会見で、改憲論議は少なくとも2年以上先送りする考えを示した。祖父・鳩山一郎元首相譲りの改憲論者のはずの鳩山氏だが、「国民の生活が第一」を掲げて政権交代を目指す民主党にとって改憲は優先課題でないことを強調する意味があった。

 国民投票法が07年5月に成立して2年。「ねじれ国会」では同法に定められた憲法審査会すら設置できない状況が続く。1年後の10年5月には同法が完全施行され、法的には憲法改正の発議が可能となるが、憲法論議を進める雰囲気は全くないのが現状。07年参院選で自民党が大敗し政権交代が現実味を帯びる中、与野党対立が激しくなるのは当然だろう。しかし、自民党憲法審議会の船田元会長代理は「ボタンの掛け違いがずっと尾を引いている」と後悔する。

 「掛け違い」の始まりは07年1月。「戦後レジームからの脱却」を掲げた安倍晋三首相(当時)が年頭会見で「憲法改正を参院選の争点にする」と明言したことだった。

 衆院の憲法調査特別委員会が設置された05年9月以降、自民、民主両党の理事は国民投票法の制定へ合意形成の努力を続けてきた。改憲の発議には衆参各院で3分の2以上の賛成が必要であり、両党の合意なしに改憲は不可能との共通認識があったからだ。

 安倍首相の発言で状況は一変する。それまでに同特別委の与野党理事は国民投票法に「投票権年齢18歳以上」など民主党の主張の一部を取り入れる修正協議を進めていたが、民主党の菅直人代表代行らが「国民投票法を成立させれば安倍首相を利するだけ」と反発。最後は小沢一郎代表が「民主党案の丸のみ」を求めて修正協議は決裂し与党側が採決を強行した。このときから憲法をめぐる与野党の断交状態が続いている。

 与党は今年4月になって衆院議院運営委員会で憲法審査会の設置規程制定に動き始めた。今国会で審査会設置に民主党が応じる見通しは薄く、与党の動きは衆院選へ向け民主党との違いをアピールするのが狙い。しかし、それでは2年前の「ボタンの掛け違い」を固定化するだけだ。

 衆院憲法特委の委員長だった中山太郎・自民党憲法審議会長は議運委で意見を求められ「憲法論議は自己の理想の憲法像の主張にとどまるのではなく、3分の2以上の多数派形成に向けた『偉大なる妥協』を目指すべきだ」と安倍元首相を暗に批判してみせた。中山氏ら与野党協調派の声はねじれ国会の中でかき消され、本格的な憲法論議のないまま、政権交代をかけた衆院選を迎えようとしている。【田中成之】

 ◇国家の形、再構築のとき--評論家・松本健一氏

 --今の政治状況をどうみますか。

 ◆ちょうど昭和初年の状況ですね。2大政党が政権を取るのに必死で、選挙に勝つことだけに関心がいっている。国民はその政党の泥仕合を見て、どっちもどっちじゃないかとしらけムードが強まっている。政党はだらしがないから清く正しく政治をやってくれそうな軍部に任せよう、軍部が推す近衛文麿(元首相)さんに期待しようとなった結果、大政翼賛会が生まれ、戦争をどんどん拡大していく方向になった。今は軍部がないことがある意味で幸せなんですが、社会保険庁の元長官を狙ったテロに近い殺人事件も起きている。

 --麻生太郎首相は、「100年に1度の危機」と言っています。

 ◆だからと言って定額給付金でいいのか。雇用がなくなり、若者に希望がなくなっている状況で1万2000円をばらまくような小手先の形を取ってもダメ。根本の変革が必要なんだろうと思います。「第3の開国」の今、ナショナルアイデンティティーを再構築する、自分の国の歴史、文化、特徴を問い直すときであると。憲法は国の形の根本なんです。

 私は現憲法を押し付け憲法だとは思っていない。憲法は必ず時代精神を表している。明治の「第1の開国」のときは天皇を中心とした統一国家にして近代の文明国になっていこうと天皇に全権を与えたが、実際は国会や枢密院がその全権を分担していた。しかし、軍部が統帥権を使って独走し、あの戦争の失敗につながった。

 「第2の開国」によって日本は平和憲法を作った。憲法9条は日本の犯した過ちに対する国際社会からの懲罰であり、日本人はそれを納得して受け入れた。第二次大戦後の冷戦構造のもとで米国側に所属し、日米同盟で守ってもらうという時代の国の形だった。

 --第3の開国に合わせた憲法が必要と?

 ◆ベルリンの壁が崩れて冷戦構造が終わり、世界が一つになるグローバル化の時代。基本は「自分の国は自分で守る」。軍隊というものが原理的な国の形、憲法の中に位置づけられていないとおかしい。その矛盾が出てきていると思います。

 私は憲法に自衛隊の規定がない状態で防衛庁を省に昇格させるのは非常に危険だと考えていた。国民からの縛りがないまま、かなり大胆なことができる。ソマリア沖の海賊対策でも、自衛隊という軍隊を派遣するのがいいのか、警察としての海上保安庁を派遣するのがいいのかという根本の議論をしないまま、自衛隊がソマリア沖まで行ってしまう。

 北朝鮮のテポドンでも、国家心理としては非常に危険な状態だった。北朝鮮が非道なことをしたからミサイルを撃墜するのは当然だという政府の主張で、憲法規定もない自衛隊が軍事行動を起こす事態があり得たかもしれない。憲法は国民が国家に対して与える縛りなんです。今の経済状況は「何でも市場に任せろ」と言ってきた小さな政府論の結果ですから、国民の雇用、人権を守るのは国民国家だと再認識し、国家を縛らないと。

 --危機的な政治状況をどう打開すればいいのでしょうか。

 ◆一番の根源は選挙をやっていないことですよ。どっちだって同じじゃないかと言っていても、国民はどっちかの選択をしなければならない。景気対策ではなく、国家の形や政治目標を出し合って、少なくとも選挙で勝って国民の支持を受けたという形を取らないと。3代にわたり選挙の洗礼を受けていない首相が支持率を20%に戻したから人気回復と言っている状況は、国民のしらけムードに乗じた無責任でしょう。【聞き手・平田崇浩】

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 国民投票法成立時の首相、安倍晋三氏と、衆院憲法調査特別委員会で民主党筆頭理事を務めた枝野幸男氏に見解を聞いた。【田中成之】

 ◇「あるべき姿」を示せ--自民党・安倍晋三元首相

 憲法改正は大きな議論と対決を呼び、政権にとって政治的な資産を消費することになる。「それならまずほかの課題に取り組もう」となり、改憲が50年できなかった。つまり、党のリーダーが「やる」と強い意志を示さなければ1ミリたりとも前に進まない。

 3分の2の多数を形成できるかどうかは、改憲の中身を議論しなければ分からないのに、「国民投票法の制定時にも必要だ」というのは、将来の改憲の議論まで自分たちの感情で支配しよう、という僭越(せんえつ)で傲慢(ごうまん)な態度ではないか。民主党の小沢一郎代表は、参院選前にこちらに成果をあげさせたくないから、どんな譲歩をしても反対しただろう。

 正面から堂々と議論すべきなのに、最初から「3分の2が必要だ」という国会対策的な話を前面に出すべきではない。最終的に3分の2の形成は簡単なことではない。だからといって、「あるべき憲法の姿」を示さないでいいのか。まずは自民党は自民党らしい案を出すべきだ。

 ◇合意形成努力足りぬ--民主党・枝野幸男議員

 憲法改正には与野党の広範な合意が必要だが、安倍政権ではむしろ与野党の違いを際立たせるツールとして利用された。3分の2の合意ができるはずもなく、憲法を変える気がないと思った。「安倍的護憲論」だ。

 2年前の国民投票法審議の現場では、合意形成の努力が続いていた。与党が民主党案を「ほぼ丸のみ」したまま数週間待てば状況は変わっていたはずなのに、すぐに強行採決され、10年近い与野党協調のプロセスが断ち切られた。合意形成より参院選を前にした実績作りを優先したのは間違いない。安倍氏は「自分はこうしたい」と言っているだけで、どうやって実現するかの努力や模索がまったく感じられない。

 「憲法こそが与野党の対立軸」という、憲法が絶対変わらない55年体制的な構造を変えるには、数十年かけるぐらいの丁寧な対応が必要だ。自民党も野党になって初めて、権力を縛る憲法の意味が分かる。その認識が共有化されるのを待つしかないのではないか。

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 ■第25条 生存権

第25条 1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する

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 昨年秋に日本を襲った大不況の中で、多くの人々が職と住まいを失い、「生存権」が揺らいでいる。命のよりどころとなる生活保護も「改革」の名の下に数年前から削減が進められてきた。憲法25条の理念は守られているのか。失業者の暮らしぶりを見つめながら考えたい。

 ◇「暮らし」削られ--神奈川県在住、48歳男性

 1日1合の米を炊き、朝食と夕食に分けて食べる。昼食はなし。夕方に近くのスーパーに出かけ、値引きされた総菜を買う。神奈川県内のJRの駅から歩いて約15分。山林を切り開いた住宅地にある2階建てアパートの1階に、豊田修二さん(48)=仮名=は1人で暮らす。命をつなぐのは月13万円の生活保護費だ。

 職に就けないまま、貯金を取り崩してきたが、昨年12月、マンションの家賃を払えなくなり、住まいを失った。年末年始に東京・日比谷公園に開設された「年越し派遣村」に駆け込むと、生活保護を受ける権利があると教えられ、地元の役所に保護を申請した。

 2月から受給が始まったが、5万円は家賃に消える。残りの8万円も、ほとんどは食費と電気やガス、水道代などに費やされる。防虫剤、靴下、消しゴムといった細々とした生活用品まで、買うたびに必ず金額をメモする。厳しい雇用情勢が続く中、「なんとか自立したい」ともがく。

 豊田さんは高校卒業後、大手鉄鋼メーカーに就職した。しかし、職場の人間関係が悪くなり、6年で退職。8社を転々とした後、つてを頼ってコンピューターソフト関連の単発の仕事を請け負い、食いつないできた。母、姉に先立たれ、父が認知症を発症すると、介護や看病で仕事に行けないこともあった。4年前、父が亡くなり実家を処分したが、売却代金は実家を建てるために借りた銀行からの融資返済にほとんど消えた。

 年齢のためか、採用してくれる会社は見つからない。日雇いの仕事も探したが、それすら不況で思うようにならなかった。所持金が2000円を切った時、自ら命を絶とうかとも考えたが、「せっかく介護をしたのに、親が報われない」と踏みとどまった。

 ようやく落ち着いたのは、生活保護を受給できるようになってからだ。今は毎月のように再就職の面接に出掛ける。電車代節約のため、1日十数キロ歩くこともある。先月は100円余りしか手元に残らなかったが、「一日生きて、また明日を迎えられる。それが何よりの救い」と感じる。

 かつて、生活保護は「落後者」が受けるものだと思っていた。今は「自力で未来へのステップを踏み出すための命綱」と感じている。「保護を受けないまま『不健康で文化的ではない生活』を送っている人はたくさんいる」。その怖さを実感している。

 国や自治体の懐事情から、さまざまな加算が削られ、一部には生活保護費の基本である「生活扶助」の減額を主張する声もある。豊田さんをはじめ、多くの受給者にとって、これ以上の減額は死活問題だ。「半年以内に仕事を見つけ経済的に自立したい」。豊田さんは仏壇に欠かさず花を供え、毎日、手を合わせる。【工藤哲】

 ◇老齢加算・母子加算・次々全廃…生活扶助にも

 ◇生活保護 増える対象、減る支給

 憲法25条1項は国民の生存権を保障している。この権利を具体化するために作られたのが、「最後のセーフティーネット」と呼ばれる生活保護制度だ。原則として国が4分の3、市区町村が4分の1を負担し、受給者の生活を支えている。

 現行の生活保護法は1950年に施行された。当初は受給者が200万人を超えていたが、経済の回復に伴い、減っていった。

 だが、バブル経済崩壊を経て低成長時代を迎え、同時に社会の高齢化が進むと変化が表れた。95年度の約88万人を底に受給者は増加に転じ、昨年12月には160万人を突破、東京五輪が開かれた64年の水準に戻った。保護費総額も01年度に初めて2兆円を超え、その後も増え続けている。

 こうした中、小泉政権の構造改革路線により、政府は03年、制度の大幅な見直しに乗り出した。70歳以上の受給者に最高で月約1万8000円が支給されていた老齢加算の削減が04年度から始まり、06年度に全廃された。子供1人の場合に最高で月約2万3000円だった1人親世帯のための母子加算も段階的な削減が続き、今年度から全廃された。

 全受給者の生活にかかわる「生活扶助」の基準はかろうじて維持されてきたが、07年11月に厚生労働省の検討会が引き下げ容認の報告書をまとめている。

 一連の動きは「保護世帯の受給額が、保護を受けていない低所得世帯の消費支出より高い」という理由で進められてきた。専門家からは「保護費を削減せず、低所得者の生活レベルの向上を図るべきだ」との声が上がっている。【木戸哲、森禎行】

 ◇自治体負担の軽減を--首都圏生活保護支援法律家ネットワーク事務局長、森川清・弁護士

 生活保護は早期に支給を決めれば機能する。だが、自治体が窓口で申請を受け付けなければ、生活困窮者自身の働く意欲が失われ機能しなくなる。

 生活保護法は「自治体は原則14日以内に保護を開始するかどうかを決めなければならない」と規定している。だが、昨年冬、福井県で48歳の男性が「支給には30日かかる」と追い返されたケースがあった。虚偽と疑われる説明をしてまで保護を申請させないという、自治体の誤った姿勢が浮かぶ事例だ。

 福祉の現場では「働ける年齢層には生活保護を認めるべきではない」との考えも根強い。背景に、財政難のため保護費増加を抑えようとする行政の思惑がある。

 三位一体の改革では、政府も生活保護費の国庫負担を減らそうとした。結局実現はしなかったが、こうした動きを認めてはならない。保護の要否を決める地方の負担を軽減するため、逆に国庫負担割合を大幅に増やす必要がある。

 ◇給付付きの税控除を--国立社会保障・人口問題研究所国際関係部第2室、阿部彩・室長

 政府は、生活水準が非常に低い貧困者が多いという前提に立った政策を打ち出さなかった。包括的貧困対策を考える必要がある。

 子供のいる貧しい勤労世帯は社会保険料や税負担が大きい一方、児童手当など行政による援助額が少ない。援助を受けても、保険料や税を支払うと所得が減り、生活レベルが下がってしまう。こうした世帯は少なくない。貧困世帯の負担を増やさないという視点が欠落した結果だ。

 そこで、欧米で導入されている「給付付き税額控除」という制度を提唱したい。低所得者の税額の一部を控除するだけでなく、本来の納税額が控除額より少ない場合は、その差額を「手当」として支給する制度だ。納税額が0円の場合、控除額全額が支給されることになる。

 現状の生活保護は貧困世帯すべてを支援できていないうえ、制度が複雑で大幅な改善が難しい。新たな制度を設けて、生活水準の向上を図るべきだ。

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 ■ことば

 ◇国民投票法

 憲法改正の手続きを定めた法律。07年5月に成立した。憲法は改正について、衆参各院の3分の2以上の多数で発議し、国民投票で過半数の賛成を得ることを要件としているが、憲法施行後60年間、その手続きが法制化されていなかった。完全施行は成立から3年後の10年5月。衆参両院に憲法審査会が設置されることになっているが、施行までは改憲案の審査、提出はできない。国民投票については(1)投票年齢を18歳以上とする(2)有効票の過半数で可決(3)公務員、教育者の地位利用の禁止--などを定めている。

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 ■人物略歴

 ◇まつもと・けんいち

 麗澤大学経済学部教授・比較文明文化研究センター長。著書に「畏るべき昭和天皇」「評伝 北一輝」「海岸線の歴史」など。冷戦終結後を「第3の開国」と位置付け、憲法改正を唱える。63歳。

毎日新聞 2009年5月3日 東京朝刊

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