市民が行政・議会・一部のネット族を監視するための辛口情報紙・東村山市民新聞
ついに自白!「ど素人解釈」を平気で公表する哀れ
だからいわんこっちゃない!
大恥を晒した自称「ライター」橋本玉泉 なる人物
せっかく、判決書をアップロードしてあげているんです、しっかり読んでから、本紙にあれこれ言うんです。専門外に口出しした結果、いい年してぶざまな醜態晒した以上、気の毒ですが、もう筆を折るんですね。ブログも閉鎖して。いまさら何を書くんですかねぇ! |
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さて、この橋本玉泉なる人物、あまりにもレベルの低いその「ど素人解釈」について、本紙が提供したせっかくの「助言と忠告」に対して、自分のブログで、自分の理解のレベルを、恥も外聞もなく、このようにひけらかした。
「上記に対する反論は至極簡単である。すなわち、『あひるさん、ありがとう』と『大きな白い温かい手』は、明らかな「類似性」が認められる。したがって、『最後のパレード』に収録の同エピソードは、いわゆる「盗用」の可能性が極めて高いと判断せざるを得ない。」
つまり、この人物によれば、あきれたことに、「類似性」があれば、ただちに、「『盗用』の可能性が極めて高い」ことになるのだそうだ。
しかし、これは全くの誤りだ。仮に「類似性」が窺えていても、「依拠性」つまり原作に依拠してその作品を作成したことが証明されない限り、「盗用」などということはできないのだ。下記判決をみよ。
「銀河鉄道999」の松本零士は、この「依拠性」を証明できる証拠がないまま、局の編集不能なTVの生番組で、槇原敬之が「盗作した」と受け取れる発言をしたから、敗訴したのである。だから警告をしているのだ。
あれだけ酷似しているといわれたにもかかわらず、「槇原敬之vs松本零士裁判」判決は、仮に原告表現(槇原歌詞)と被告表現(松本零士「銀河鉄道999」台詞)とが酷似していても、「原告表現(槇原歌詞)と被告表現(松本零士「銀河鉄道999」台詞)との類似性を根拠に、原告表現が被告表現に依拠したものと断定することはできない」と明確に判示認定している。(判決書217頁6行以下。どうせ読んでないだろうから、ぺージも明記しておく。必死に読んでみることだ)
しかも、本紙は「最後のパレード」の著者と『あひるさん、ありがとう』とは「接点がない」ことを繰り返し指摘してきたが、この橋本玉泉なる人物はまるで意味を理解できなかったのである。
判決は、この肝心な「依拠性」について、
「被告表現(松本零士「銀河鉄道999」台詞)は、各種媒体で公表されてはいるが、それだけでは,原告(槇原)が、被告表現に接したものと推認することはできない。なお、仮に、新聞における記載のように、被告表現と同一ではないが、それに類似しているとも考え得る表現を被告表現に含めてみても、本件証拠に現れたそれらの表現の露出の程度からすると、原告が被告表現へ接したものと推認することができないという上記の認定が,左右されるものではない。」(214頁2行以下)として「依拠性」を否定し、松本零士がTV生番組で「槇原が『盗作』した」趣旨の発言をしたので、名誉毀損を認め220万円の支払いを命じたのだ。非常に丁寧な判決である。
本紙は「最後のパレード」と『あひるさん、ありがとう』の「類似性」が問題とならないのは、すでに指摘した。(真相究明7)
指摘した通り、最近では、すでにネット上の投稿にも、「2ちゃんねるの書き込みをコピペしただけでは、盗用とはいえないそうだ」との声が多数みられるに至った現実の意味を、もっとかみしめるべきだろう。
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