蒋介石はなぜ終戦後に対日賠償金請求を放棄したのか? それは
日中戦争は中国側から戦争を仕掛けたことが明らかだったからだ。
2009年5月6日 水曜日
「日中戦争はドイツが仕組んだ」 阿羅健一:著
ファルケンハウゼン中将 ドイツ軍事顧問団長
◆『秘史発掘「日中戦争はドイツが仕組んだ」副題:上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ 阿羅健一 著 小学館』を読む 2月20日 Ddogのプログレッシブな日々
独逸軍事顧問団は日独伊三国同盟を推進したリッペンドロップが外相に就任し、昭和13年7月5日副総裁へスの再三の命令で漸く顧問団29名が引き上げる最後の日まで、戦争を指導し続けたのであった。それでも元ナチ突撃隊員シュテネン大尉など残った者までいた。
ドイツは同盟国でも、中立国でもなく、日本と実質的に戦闘を行った中国軍の独逸軍事顧問団側の証言である。しかも、中国国民党軍を大得意客とする武器商人のシーメンス社の社員であり、南京ではナチス党員であることを公言していたことを考慮すると、ラーべの証言は客観性にかける偽証である可能性が高い。
日本を引き込み、長期戦に持ち込む ドイツ顧問団は日本軍との戦いも指導することになる。 昭和七(1932)年1月、第一次上海事変が勃発した。戦いの後半、中国軍はヴェッツェル中将ら軍事顧問団が訓練していた第87師と第88師を投入してきた。直接ではないけれど、これが日本軍との戦いにドイツ顧問団がかかわった初めである。 昭和八年三月、日本の熱河作戦は万里の長城を挟んだ戦いとなった。このときヴェッツェル中将は中国軍の指揮を執った。
ヴェッツェル中将がかかわったのは戦術だけであったが、続くゼークト大将とファルケンハウゼン中将は戦争指導にまでかかわるようになっていた。しかも、対日敵視政策、対日強硬策を自ら進言しだしたのだ。
「日本に対して中国が強くなるためには武器も必要であろうし、飛行機も必要であろう。けれども自分がドイツにおける国防軍を編制し、国防軍を動かした経験からするならば、今最も中国がやらねばならぬことは、中国の軍隊に対して日本に対する敵愾心を養うことだ」中国軍の強化策を蒋介石から問われたゼークトはこのように答えた。
この考えは、蒋介石だけでなく中国の軍人の思想を貫き、それが核となり、やがて中国人全体の反日感情となっていった。秘密警察組織である藍衣社が特別な力を持つようになったのも、ゼークトの献言による日本敵視政策を取り入れるようになってからである。
地網を構築する、といった具体的準備も献策した。 このころファルケンハウゼンは、北支での戦いを主な対日戦と考えており、中国軍が近代戦に適応できないことを認めると共に、長期戦に持ちこむためには中国政府の抗日姿勢が大切だ、と説いている。
1935年10月1日には、漢口と上海にある租界の日本軍を奇襲して主導権を握るように進言していた。漢口と上海の租界では日本の海軍特別陸戦隊が邦人の保護のため駐屯しており、この日本軍を奇襲しようというのである。日独防共協定締結の約一年前にドイツ人が中国にこの様に献策していたのだ。
ファルケンハウゼンは中国の敵を、日本が第一、共産党を第二と考え、日本軍を叩く過程において中国軍が勝利を収めていけば共産党を消滅させえると予測していた。しかし蒋介石は安内攘外であり、主要な敵は誰であるかという基本が違っていた。ファルケンハウゼンの進言を受けて蒋介石は何応欽軍政部長と相談するが、何応欽も、直ちに日本と戦うというファルケンハウゼンの考えに反対だった。
「ファルケンハウゼン中将の熱心さはわかるが、外人顧問は外人顧問であり、無責任な存在にとどまる。国運をゆだねるべき相手ではない」何応欽はこう指摘した。 しかし、ファルケンハウゼンの対日戦の進言は執拗に続けられた。
昭和11年(1936)4月1日になると、今こそ対日戦に踏み切るべきだ、と蒋介石に進言する。「ヨーロッパに第二次世界大戦の火の手が上がって英米の手がふさがらないうちに、対日戦争に踏み切るべきだ」(後略)
◆【特別掲載】「バカ右翼」と官僚が反日プロパガンダを助けている/兵頭 二十八
●蘆溝橋開戦説そのものがシナの宣伝
蘆溝橋で最初の一発をどちらが撃ったのか、という「敵」の設けた論点に、日本の現代史家は夢中になっている。
1937年7月の蘆溝橋事件が支那事変の始まりである、と言い始めたのは蒋介石の宣伝チームであった。1941年に日本が米国に対して動員先制開戦し、その後、米国が同盟者となった蒋介石の宣伝に同意したことで、これが定説になる。
蘆溝橋の衝突とは、よくある国境警備隊同士の銃撃戦にすぎない。日支両軍に「動員先制開戦」の痕跡はない。参謀本部による開戦プログラムが走っていないのだ。このような小競り合いは、今日も世界中の国境で起きている群小イベントである。パリ不戦条約は、国境警備軍同士の衝突を「戦争」だとは想定していないのだ。
たとえば1979年2月のシナ軍によるベトナム侵攻の前から、シナとベトナムの国境では、散発的な銃撃や砲撃は日常化していた。ただし参本の開戦プログラムを走らせ、動員先制開戦をしたのはシナであり、ベトナムではなかった。だから1979年の侵略者はシナ以外にないのだ。
同様に1937年の侵略者も、8月13日にドイツ軍事顧問団が書いた開戦プログラムに基づいて数十万の将兵を動員・展開して上海の日本租界を殲滅するための一斉攻撃を仕掛けた蒋介石のシナ正規軍に他ならない。支那事変はこの8月13 日から始まる。やはり上海に租界を維持し、シナ空軍の盲爆によって13日に死者を出している米国も、この事態を正確に知っていた。ただし彼らは、極東でのトラブルに巻き込まれる面倒を厭い、わざわざ日本人の肩を持つようなマネもしなかった。だからその国際宣伝は、一義的にまず日本政府自身がせねばならない仕事であった。ところが日本政府はそこでほとんど「宣伝責任」を果たさなかったのである。
日本政府は、無法な侵略に反応して内地から邦人救出のための部隊を急派し、杭州湾に上陸し、血に飢えた侵略軍を撃退し、南京まで追いかけて蒋介石を膺懲せんとした。
このとき派遣軍の参謀たちが、捕虜にしたシナ兵を裁判によらずに銃殺することを部隊に敢えて禁じなかった。そして戦後に、1万人以上の便衣のシナ兵捕虜を銃殺した責任を、すべて末端の兵隊に転嫁した。南京郊外において日本軍内の予備役兵の素質が悪いためにハーグ条約が広範に破られたのだというストーリーは、B級戦犯の訴追および刑死から免れたい当時の参謀たちには都合がよいが、その卑劣な責任逃れの言説が、「南京市内で民間人30万人が殺された」とするシナ発の捏造宣伝のうらづけ材料として利用されることになった。そして米国人も、広島と長崎への原爆投下が明瞭なハーグ条約違反たることを内心認めるがゆえに、広島と長崎の合計死者(当初は数万人、後には二十数万人と呼号された)を確実に上回るハーグ条約違反の民間人殺人を日本が南京でしでかしていたとするシナの宣伝を、大いに歓迎するわけである。
事変勃発直後における、外相(元首相)の広田弘毅の国際宣伝上の大きなしくじりは、日本軍が上海戦線からの追撃戦を成功裡に遂行しているさなかに、蒋介石に講和を呼びかけたことだ。勝っている側、それも侵略を撃退しつつある正義の陣営が、凶悪な犯罪者(上海の日本人の大虐殺を企図していたことは疑いもない)に向かって講和を呼びかけるなど、近代外交の常識ではあり得べからざることだろう。広田は受験エリートでキャリア外交官だったが、近代精神は有していなかった。そしてシナ式の、正邪を捨象する信じられないスタンドプレーに走ったのである。しかしこれを聞いた世界では、とうぜんのことであるが、今次事変に関し、日本が何か重大な後ろ暗い負い目があるのに相違ないと信ずることになった。
また、侵略軍隊の壊滅後、とうとう蒋介石の方から停戦講和を願ってきたときに、時の首相の近衛文麿は、「居留民の保護」ならびに「侵略者膺懲」という大目的を達成していたにもかかわらず、理由もなくこれを拒絶した。爾来、支那事変は泥沼化し、あたかも日本がシナ全土の征服を執拗に進めているかのような「外形」を生じた。
1948年にA級戦犯として死刑になった7人のうち、文民の広田、そして軍人の土肥原、松井、板垣の計4名は、1937年に蒋介石に恥をかかせ、また8月13日の「蒋介石の侵略」をよく知っていた者として、蒋介石からの特別な死刑要求によって東京裁判で訴追リストに加えられた冤罪者である。蒋介石は、この4名を吊るし首にすることで、自分が侵略者であった過去を戦後世界の「正史」の上で永久に否定できると思ったのだ。
ドイツ軍事顧問団によって訓練されドイツの最新鋭の兵器で武装していた中国軍
(私のコメント)
日中戦争が何時どのようにして始まったのかは、日本の歴史教科書でも盧溝橋事件からというのが定説になっていますが、これは正しいのだろうか? しかし盧溝橋事件は単なる偶発事件であり9日には停戦協議が成立している。だから盧溝橋事件が日中戦争の始まりというのは無理がある。これ以降も25日の郎坊事件、26日の広安門事件を経て29日の通州事件など立て続けに起きているが、日本は不拡大方針で中国の挑発の乗らなかった。
日中戦争が始まったといえるのは8月13日の包囲していた中国軍と国際租界の日本海軍陸戦隊の交戦が始まりであり、わずか5000人足らずの海軍陸戦隊では守りきれるものではなかった。この作戦計画を立てたのはファルケンハウゼン中将らのドイツ軍事顧問団であり、上海疎開の周囲にはトーチカ陣地が築かれていた。これらのゼークトラインを築かせたのもドイツ軍事顧問団だ。
これらの状況は「日中戦争はドイツが仕組んだ」という本に書いてあるそうですが、この本は読んでいない。しかし実態からすると日本とナチスドイツとの戦争であり実質的に戦争を指揮していたのはドイツ軍事顧問団だった。中国軍兵士はドイツ製の最新兵器で武装された蒋介石の最精鋭部隊だった。
蒋介石から見れば攻撃を仕掛けて日本海軍陸戦隊が引き揚げてくれれば大勝利だし、日本から増援部隊を送り込んでくれば、トーチカとクリークによって防備が固められた中国軍によって大損害を出して日本に大打撃を与える事ができると読んだのだろう。実際に日本軍は4万人以上の戦死傷者を出して大損害を受けた。しかし中国軍も85万の兵士が参加して33万人もの戦死傷者を出して中国の大敗北に終わった。
しかし日本を中国との全面戦争に引きずり込む事には成功して、それが日米戦争にまで発展して行く。まさに第二次上海事変が歴史の曲がり角であり、盧溝橋ではない。もしあの時点で兵を引いていれば米国との戦争も避ける事が出来ただろう。その点で近衛首相の責任は重い。もし石原莞爾中将の言うように上海から日本人が全部引き揚げていたら困ったのは上海租界にいる欧米人たちだろう。
日中戦争が第二次上海事変から始まったとすれば、蒋介石が賠償を放棄したのは当たり前であり、蒋介石が徳を持って放棄したと言うのはプロパガンダだ。賠償金を強引に要求すれば戦争を仕掛けたのは蒋介石の方だと言うことになりやぶ蛇になるおそれがあった。85万もの兵士を動員するには直ぐに出来るものではなく先に動員をかけていたのは中国の方だ。
しかし戦後の日本の歴史教科書では中国共産党のプロパガンダをそのまま教えている。NHKなどのマスコミも「アジアの一等国」の特番に見られるように中国共産とのプロパガンダをそのまま放送している。日本の歴史学者たちはそれに迎合するか沈黙して、日中戦争は日本が仕掛けた事になってしまっている。日本はコミンテルンやナチスドイツやルーズベルトの謀略に巻き込まれて嵌められたのだ。
日本の歴史教科書ではいずれも盧溝橋事件に関連付けて全面的な侵略戦争を始めたということを書いているが、全面戦争を始めたのは蒋介石の中国軍だ。日本の歴史家はこの事をどうして主張しないのだろうか? 最近では中国人の林思雲氏が大規模戦争は中国が始めたと指摘しているが、日本の歴史家や戦史家は思考が停止してしまったのだ。
学校の歴史教育で日中戦争は盧溝橋で始まったと教えているから、日本人は教科書に書かれている事が本当だと思い込んでしまう。自分で考える訓練がされていないから相手の言うペースに嵌められてしまう。アメリカの教科書では広島長崎の原爆は戦争を早く終わらせる為だと教えているが、ならばなぜ朝鮮戦争やベトナム戦争で使用しなかったのか? 原爆はもともと非人道的兵器でありジュネーブ条約でも禁止されている残虐な兵器であった。
日本がアメリカとの戦争を避けられないとするならば、1898年にアメリカ軍によって侵略されたハワイ王国解放戦争としてパールハーバーを攻撃したといったようなプロパガンダをなぜ打てないのだろうか? だまし討ちというのならハルノートをもって宣戦布告とみなしたとすればだまし討ちにはならない。日本の外務省にはそのようなプロパガンダを打てる機関がない。蒋介石は戦争では負け続けたがプロパガンダで勝利した。プロパガンダにはプロパガンダで対抗するしか手はない。
不安もあったが、行ってみると、現地でマスクをしているのは日本人ばかりでした」と旅を振り
豚インフルエンザ騒動はWHOの圧力の女子差別撤廃法案に続き5月連休開けに計画さ
れた臓器移植法案改正を隠蔽する事を目的としてテレビを使った報道偽装。ブラジルでは
この捏造情報で豚肉を輸入禁止にした国を告訴した。日本国民は反日売国報道機関の
NHK及び報道偽装に熱心なTBS等の隠蔽・捏造の情報操作に速く気付き覚醒してください。
次期総選挙の前にテレビ放送の騙しの手口を見抜きましょう。
【旅の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/tabi/tabi_ind.cgi
http://photo.jijisama.org/china.html
しかし、戦後60年、国内外ともすっかり定説が出来上がってしまった今になっては手遅れもいいところです。
友人達と話していて、日中戦争は日本の防衛戦だったとか、韓国併合は侵略ではなく、韓国の経済成長を大いに助けたなどと言うと、右翼呼ばわりされて相手にしてもらえません。
ましてや外国人相手ならなおさらです。
第二の敗戦に等しい。
湯田屋の羅針盤であろう。
ユダヤは、祖国をもたない。
もてない。
ユダヤ民族はいない。
ユダヤ人も、幻視の神話。
かは、ウイルスのごとき者である。
そは、メキシコより、やまとまでの飛翔力を誇示したのか。
ヒルは取り憑く。
ユダは、夜に取り憑いて、
生き血を啜る。
日本人は、日の本の、人。
家族は、慈しみ、あい和す。
ユダヤは、騙すのが、生きる道。
珠玉の至福は、戦争での、生き血。
そもそも、サイキンは、コロして、なんぼヤデ〜。
日本人は、信じて、遂には死す。
散財して、朽ち、名を為す。
独逸は、病んでいるノカ。
病名を、告知すると、断罪されるといふ。
ゆだやに、とこしえの、さちあれ。
大和に、いっときの、災いあれ。
(ユダヤ ナチス 陰の同盟)
http://satehate.exblog.jp/9100902
米国が独逸を使って中国での日本の勢力拡大を妨害していたというのが真相ではないのだろうか。しかしヒットラーは日本びいきであり日本との同盟締結により極東から手を引いてしまった。
遠く極東のいざこざに関して国際金融資本の狗となることを嫌ったヒットラーはあくまで日本の良き理解者であったのである。問題は日英同盟を無効にしてしまった日本自身の行動であろう。
そもそも日英同盟は極東における英国の利権を米国、ロシア、中国などから守る為のものであった。ところが日本自身が英国の利権を脅かす存在に成長してきたのである。
決定的だったのは当初ソビエトの支援を受けた蒋介石が英国支配地域において度々紛争を起こしていたのに対して、同盟国である日本が大アジア主義の幻想にかられてこれを黙認ないし蒋介石寄りの立場をとったことであろう。
この大アジア主義こそ日本滅亡の主因であると思う。それでは明治の初期の知識人の間では脱亜論が主流であったのに何故変遷したのだろうか。
この根本の変化は朝鮮併合であると考えられる。日本から富を朝鮮へ移転する大義名分として大アジア主義が用いられ、また朝鮮人も日本国民となった為に朝鮮への富の移転を支持する勢力が多数派になってしまったのである。
現在、歴史は繰り返すのか当時と酷似した状況がみられている。アジア主義などというものは金をドブに捨てるようなガラクタ思想であることに早く気付くべきである。
日本が三国同盟に踏み切った背景にはナチスの中国援助を辞めさす目的があったとの説もあるそうですな。
三国同盟締結後、ナチスによるサポートを受けられなくなった中国は太平洋戦争開戦まで、かなり弱って降伏寸前まで
追い詰められていたそうです。
『戦国策』の話
「三人虎を成し、十夫椎をたわめ、衆口の移すところ翼毋くして飛ぶ」
(三人の口にかかれば虎が出来し、十人の口にかかれば鉄椎がたわめられ、多数の口に乗れば、翼も無いのに空を飛ぶ)
前4世紀、魏の国。魏の国の太子は趙の国へ人質となることになった。太子と一緒に行く家臣が魏を出発する時、王に言った。
「“市場に虎が出た!”と誰かが言ったら、王様は信じますか?」
「いいや」
「ではその人以外にもう一人、“市場に虎が出た!”と言ったら王様は信じますか?」
「半信半疑になろう」
「更に3人目が“市場に虎が出た!”と言ったら王様は信じますか?」
「うむ。信じるだろう」
「そもそも市場に虎が現れないのはわかりきったことでございます。ところが3人の者が申しますと
市場に虎が現れたことを事実だと認識してしまいます。今私は魏を離れ遠く趙へと参ります。そうなりますと私をあげつらい
悪口を言うものは3人どころではないでしょう。なにとぞ王様はご賢察くださいまして、その讒言をお信じになりませんように」
しかし、人質を解かれて太子と共に再び魏の土を踏んだ時には王は讒言を信じ家臣に会おうとはしませんでした。
調べればおかしいとわかるのに多くの人が言えば聞き手が信用するというお話。
ましてや権威を持った新聞やらTVやらどこぞこの有名大学の教授やらがチンドンチンドン鐘を鳴らして囃し立てれば
信じきってしまうのも致し方の無い話です。
いや、それどころか便所の落書きと言われる2ちゃんなんかでも同じ話を繰り返し聞かされれば信じちゃいますよね。
統一教会の洗脳方法っつーのが1週間とか2週間とか缶詰にして繰り返し同じ教義を聞かせるんだそうです。
これ中国共産党由来の洗脳方法だそうで。
同じ言を繰り返し言われているとそれに対する批判とかができなくなっちゃうんですね。
これに対するディフェンスは原点に立ち返っておかしなところが無いか確認する。
それ以外の説が無いか調べる。
他に可能性が考えられないか類似のケースを当てはめてみる。
なんてところでしょうか。
ちきしょう!信じてたのに!
って他所同士を戦わせて漁夫の利を得るって国際上の常識ですわな。
日本はそれができませんが。
現在でも、IT製品のソフトウェアのソースコードを要求するような中国からは、さっさと撤退してしまえば良い。
目先の利益に釣られて、企業価値をなくすような企業は、中国で自滅してくれ。
あのー、確認なんだけど「株式日記」の見解として、
日中戦争は「ドイツの陰謀」
太平洋戦争は「ソ連の陰謀」
ってことでOK?
俺は田母神氏の話に証拠が確認できたことで
後者は「間違いない」と信じてるんだけど。
日本って昔からそんなに防諜できてなかったのか?
そこまでお人よしばかりが政治をやってたのか??
>日本は恥ずかしい
恥ずかしいなら出ていけ
韓国の参政権を得るまでのハードルの高さはスルーですか
鳩山家の財産は鳩山家だけのものではありません。
じゃね?
まぁこいつらに任せたら日本は日本の物じゃなくなるって
元から分かりきってたことだろ
こういうことを堂々と言うだもんな
潔いというかなんというか・・・
日本人の口からこんな言葉は聞きたくなかったな
(他国民の)生活が第一
同じ内容の発言、アメリカ合衆国でしたら
マシンガンで蜂の巣だろうな。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1251765.html
まぁ真実は庶民が知るとまずいんで
上手く辻褄合わせ作文ってことかなー
日本は赤子みたいに素直だから
いつも騙され易い
過去も これからも
父親は言った<A戦犯は史那人が殺したかっただけだ>と
マシンガンで蜂の巣だろうな。
韓国人の参政権付与問題云々に関してはよく理解できるが、アメリカ合衆国だったら許されない→日本も当然同じ思想でいるべきだ。という主張はどうかと思う。選挙権は国民固有の権利→日本国籍者のみに与えられた権利でありアメリカに倣って論ずるものではないからだ。何でもアメリカに倣う方が売国政策に繋がり易いと思うが如何だろうか?
南京裁判で有罪となり、雨花台の露と消えた、谷寿夫中将、田中軍吉大尉、向井敏明少尉、野田毅少尉の4名のB級戦犯も、支那人が殺したかっただけですね。
蒋介石は、昭和5年に済南で第六師団を騙まし討ちしたところを逆襲され、軍服を脱ぎ捨て下着姿で逃亡するという屈辱を味わい、更に抗州湾上陸→南京戦でも散々に打ち負かされたので、何としても第六師団に復讐したかったのでしょう。
決定的だったのは当初ソビエトの支援を受けた蒋介石が英国支配地域において度々紛争を起こしていたのに対して、同盟国である日本が大アジア主義の幻想にかられてこれを黙認ないし蒋介石寄りの立場をとったことであろう。
日本は当人の顔を見るという事ができない。大半の人は鏡を見ることだと思うが、それは、あくまで鏡に写った自分の顔であって、当人の顔ではない。
大アジア主義之こそ日本のガンである。
之を我国は克服しないと再び国土は灰燼に帰し、日本列島には日本人ではなく、別の人々が住む。つまり日本は滅びる。
アジア通貨基金とかアジア開発銀行とか、ミナ同じである。
外国人との共生も同じ考えである。
岸信介氏が総理大臣になッた時が我国の運命の転回点であった。
講和条約が発効してたった5年だったか。
此処に自民党の出自があり、これが最終的に、現在の我国の苦境をもたらした。
大東亜戦争の意味が理解できなかったようである。
我国の現状は簡単ではない。深い傷と膿がある。
自主外交の背後に大アジア主義が潜んでいる。憲法改正は別の意味で大きな危険性がある。
それでも必要である。
政治家としては如何かなというのが素人の私の評価である。
といっても始まらぬこと。
TORAさんの指摘の通り
致命的な問題は日本の諜報能力、アピール、宣伝能力の杜撰さに帰結します。
敵はは内にあり。
最も稼動しなければならないはずの外務省が
大鳳会のようなカルト教団に食い込まれてるありさま。
外務省の人材は公家や旧華族などのロイヤルファミリーから輩出されてると聞きますが、連中はこの国がたとえば中国に占領されたとしたら
真っ先に(もしくはある程度利用されてから)排除される身分だということを念頭において行動したほうがよろしいのでは?
蒋介石が国家元首で南京を首都とした中華民国という「国」が存在していた
…とか思ってませんか?(^^;
これ、もちろんデタラメです。
単に欧米列強のいくつかが外交手続き上必要だから「中国の代表政府」として南京政府を承認してただけで
実際には蒋介石は南京を含む中原のごく一部しか実効支配できてない状態なわけです。旧満州なんて無政府状態でしたし。
日本でも幕末の内乱期には幕軍にフランス、官軍に英国が付いてそれぞれ軍事援助をしてたように、
もっとひどい分裂状態の中国では各軍閥にそれぞれ列強が付いて援助して代理戦争してただけですよ。
私も今まで詳しく知らなかったので、南京政府にはドイツも付いてたんですね〜なるほど、とは思いましたけど、
それが対日謀略とかいうのはちょっと違うと思いますよ。
当時は単に、欧米列強がそれぞれの思惑で中国大陸の利権漁りをしてただけですからね。
ドイツも(日本を含む)他国と利害が対立したら、当然相手国と紛争やプロパガンダ合戦になったというだけでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8F%E7%B5%B6%E6%BB%85
そして、人類が誕生して以来も、人類の大量絶滅が起きているそうです↓
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080425_extinction_70000_years/
7万年前に人類が2千人程に減ったという、この研究が正しいかどうかは兎も角、私が探査している祭祀遺跡が本物であると断定されれば、9万5千年前に人類文明は発達の極にあったが、それから6万5千年前の3万年間に頻発した水害により、日本列島以外の総ての人類が滅亡し、日本列島にのみ1万人に満たない人類が生き残ったことの物的証拠となります。
そして、それは同時に現代の世に人類の大絶滅が迫っていることも示すのです。
只、今は未だ決定的な証拠を掴んではいませんが、大東亜戦争により神の国・日本が滅んだ今、拝金教が蔓延するこの世界に大絶滅が迫っていると、私は感じています。
白人対黄色人種の戦いですもの。
東京裁判がやはり敵ながらあっぱれです。
白人対黄色人種、
だれが見ても一目瞭然、
しかも原爆。
人道に対する罪、
うまいこと考えましたね。
とはいえ自分で自分の足枷を作ってしまいました。
結果はというと、植民地の放棄。
インドから始まって、ベトナム、カンボジア、フィリピン、ビルマ、最後は香港。
白人からの植民地解放は、日米戦争では達成できませんでした。
しかし東京裁判によって、思想のパラダイムが作られた。
ビートルズ、ジョン・レノン、すべて東京裁判の理想主義から生まれました。
欲を言えば、原爆の罪によってトルーマンを裁くことができたら、
核廃絶は達成できたでしょう。
戦勝国の思い上がりが理想主義へと向かい、
自分で自分の足枷を作り、白人至上主義を無意味なものにしてしまった。
真珠湾攻撃がなければ、いまだに植民地は解放されていなかったでしょうね。
最近、反中言論はマスメディアに出てますから、何か政治的に都合がよいのでしょう。陰謀論は出ていませんから一番、都合が悪いんでしょう。
政治が決めた歴史を聞かされ学ばされるのは、中国、アメリカ、日本、どこでも同じです。
>太平洋戦争は「ソ連の陰謀」
歴史にifは無い。こんなことを言っているから、日本は戦争に勝てないんです。「負け惜しみ」は恥ずかしいことという矜恃を失っている証拠でしょう。TORA氏はタボのようなヘンタイ小男の言うことをまだマトモと思っておいでかな。
「お人よし」に政治はできない。
国を守りたいなら『愛国ヤクザ』でも探してこい。
そんな適切な人材が発見できないというなら、
いっそ鎖国した方が身のためじゃないかな。
お人よしの日本人には国際政治のような化かし合いは向いてないと思う。
しかし、戦後60年、国内外ともすっかり定説が出来上がってしまった今になっては手遅れもいいところです。
友人達と話していて、日中戦争は日本の防衛戦だったとか、韓国併合は侵略ではなく、韓国の経済成長を大いに助けたなどと言うと、右翼呼ばわりされて相手にしてもらえません。
ましてや外国人相手ならなおさらです。
第二の敗戦に等しい。
別に手遅れではない。日本人はすぐあきらめる。東南アジア中東インドアフリカへ行けば、別にである。かの地において、朝鮮人、史那人がどのように扱われているかをみよ。
問題は国内で、国内は我々日本人が覚悟を決めて、一人ひとりが行動することである。
飲み屋で朝鮮の話をすればよい。飲み屋の話は逆によく伝わる。
金と時間と手間ががかかるが、職人の世界と同じで手間を惜しまず、すれば、意外と外国人は納得させることは可能だ。
特に白人は日本人に深層心理において、朝鮮人、史那人とは別の意味で、複雑な感情を持っているが やりやすい。
キッシンジャーのような人々は事実を十分知って、容認しない人々にはできない。
また外国でそれを認める態度や卑屈な態度をとらないことである。
我々日本人が人の誤りをごく普通に正す態度でただせばよい。
これは意外といいよ。
沖縄や、硫黄島や、ぺリリュウや、マキンや、タワラや、樺太の真岡の電話交換女史たちが泣くぜ。
毎度ifで動いていない事実をあげているのを、陰謀でないと喚いているのはみんなの満点大笑いの評価を常に獲得してるよ(笑)
ちなみに、おおまかな陰謀の解説は次を見るとよい
「ロックフェラー 対 ロスチャイルド」説の研究
http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_he/a6fhe600.html
もっと詳しいことは掲載しきれないほどだが、noriらが必死こいて無知な日本人や騙されている世界の人々の真相を解明する気付きと目覚めを邪魔・阻止したいのが見え見えである
しかしnoriらの愚行は逆に真実を顕正させることになるのである
もはや現代から未来においてはインターネットワークですべての真相証拠が瞬時に提供されテレパシーのごとくに伝播されるからである
例えばハリマン覚書〜日支闘争計画〜 メモというのは知ってるかい?
ハリマン覚書〜日支闘争計画〜 メモ
http://satehate.exblog.jp/9459945
1919年(大正7)にモスクワでイルミナティ(ユダヤとボリシェビキ[ユダヤとユダヤですが]の合同)会議がひらかれ、「日支闘争計画案」が採択された:
・日本と支那の内部破壊
・支那に反日運動を起こさせる
・日支武力闘争から、ソ連・アメリカが干渉する戦争へ発展させて日本を倒す
・ヨーロッパに社会革命を起こさせる第二次の世界大戦を計画する
この実行機関となったのが太平洋問題調査会;IPR(1925−)。
砕氷船テーゼと「偽装右翼」の実態
http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_he/a6fhe430.html
スターリンは、日本軍を正面の蒋介石軍と戦わせ、これを叩きつぶさせた後、日本の荒らしまわった跡はそっくり背後の中国共産党軍がいただくという計画を練っていた。これはスターリンの「砕氷船テーゼ」と呼ばれるもので、日本を「砕氷船」に見立てての謀略であった。(引用注:もちろん、その後はアメリカに叩かせる。)
日本には蒋介石とは決して和解しないように対日工作し、同時に中華民国に対して対日徹底抗戦をするように仕向けた。このため日本の中に数多くのマルキストを忍び込ませ、政界や軍の内部に影響を与えてこれをコントロールしたのであった。
(日支闘争計画はいまもあるし、偽装右翼[あるいは愚昧右翼]も今もいる。ただし、時期到ればアジア統一通貨に向けて進んでいくわけだ。もうこの方向へと進められているだろう。だが一体誰が通貨発行権を支配するのだろうね?東京じゃなくて香港かな?なんにしてもロスチャイルドの銀行だろうね)
オレンジ計画 wiki
オレンジ計画(オレンジプラン、War Plan Orange)は戦間期(1920年代から1930年代)において立案された、起こり得る日本との戦争へ対処するための米国海軍の戦争計画である。(引用注:もちろんこちら側としては、日本にあらしまわさせた「成果」は、あとで頂く)
1929年10月24日〜 世界恐慌 予定されていた第二次世界大戦に向け、それまでのバブル政策の後、故意に引き起こされた。
長くなるので以下は省略するが、詳しく知りたいなら元のサイトで調べてみてよ
http://d.hatena.ne.jp/jimrogers/20070610
ユダヤが策した日支闘争計画
1919年(大正7)にモスクワでイルミナティ(ユダヤとボリシェビキの合同)会議がひらかれ、「日支闘争計画案」が採択された:
・日本と支那の内部破壊
・支那に反日運動を起こさせる
・日支武力闘争から、ソ連・アメリカが干渉する戦争へ発展させて日本を倒す
・ヨーロッパに社会革命を起こさせる第二次の世界大戦を計画する
この実行機関となったのがIPR(既出)である。
1931年(昭和6)の満州事変以来、ユダヤが日本と中国の共産党にとらせた行動とは:
・中国大陸への日本の進出を軍事的に失敗させ、日本の革命を進める
・中国人民の抗日感情をあおり、国民党と日本の妥協を不可能にする
・戦線を華北から華南にまで発展させ、ソ連包囲体制にひびを入れ、国府軍と日本軍との衝突の間隙に乗じて中共の発展をねらう
日本がとらされた南進策
1936年(昭和11)にヨセミテでIPR総会が開催され、日本側委員として尾崎秀実が出席した。関東軍に南進策をとらせてソ連の苦境を救い、日本とアメリカを戦わせる。ソ連を討つのは日本が敗れた時である、というのが会合の目標であった。
尾崎はこれに従って資料をでっちあげ、東条に南進を決断させた。なお、1937年(昭和12)にほソ連は日本を攻撃する決定をしている。
ユダヤの操り人形・ルーズベルト
ルーズベルトは就任早々ユダヤの要請に基づいて、日本に戦争を仕掛ける計画をたてはじめた。計画に参加したのはIPRのヘンリー・スチムソンである。一方ユダヤは同委員会を利用してゾルゲをはじめ共産主義者らに日本のスパイ網を組織させた。資金はチェースマンハッタンから出た。西安事件は、抗日擁ソのための統一戦線構築のためで、日本の戦力拡散をねらったものである。
宇垣内閣では、ゾルゲグループの一員であった米共産党系の宮城与徳の近親者・矢部秀が秘書をしていた。林内閣ではコンミンテルンの浅原謙三と十河信二が密着していた。近衛内閣では、後藤隆之助による昭和研究会の取り巻かれながら、左翼の風見章を中心に、ゾルゲ関係の尾崎秀実、西園寺公一らによって牛耳られていた。
これと前後して、蒋介石を盟主とし日本を米国の1州として、アジアをソ連が支配するという原理にたつ東亜連盟が、石原完爾を表にたてて偽装右翼活動をとりはじめた。石原を林銑十郎に進言して仙台から参謀本部に転出させたのは浅原謙三である。
すべては夷をもって夷を攻めさせるという日支闘争計画を知らないでは理解できない。近衛も米内も、日支の衝突を画策する者のあることを感じてはいたが、その正体を知らなかった。
南進を決定づけた謀略レポート
1941年(昭和16)に独ソ戦が始まると、ソ連は「日本がシベリアに侵攻しないようあらゆる工作をすべし」との指示を日本共産党員にだした。満鉄調査部にいた左翼の佐藤大四郎は、シベリアの農産物と畜産事情のレポートを求められて、「日本軍100万の食料はシベリアでは調達不能」という報告書を提出した。同調査部には尾崎秀実もいて、この内意を佐藤は受けていた。
ユダヤに踊らされた日本人
米内光政の身内や縁故者たちから、国家機密が敵国に流されていたのは事実である。縁故者の中には東条の鎌倉での生活費を賄っていた者もいる。ミッドウエーの敗戦は、ユダヤ問題の犬塚惟重と国際連盟に身を置いた稲垣守克が情報を流したことによって起こった。
大川周明は、裏表が多く、見え透いた嘘が多い扇動家である。北一輝も扇動家であり、北と大川の訣別は安田保善問題が原因といわれるが、金の分け前を巡る争いである。この金銭授受にはユダヤの代理人巖本善治が関係している。巖本は米英ユダヤの手先となり、私設外交官として暗躍していた男で、大川周明との関係は愛国陣営にまでもユダヤの手が伸びていたことを示す。巖本と大川の資金元は上海ユダヤのハードン財閥である。大川は反英を装いながら親米であり、ユダヤの資金ほしさに巖本に近づいた。
大川のいわゆる日米経済提携というのは、ユダヤの対日謀略の一環として計画されたもので、ユダヤ資本の援助を受けていた西川末吉からでたものである。
大川は戦後、自分は中国と事を構えるのに反対していたと書いているが、これは明らかな嘘である。
佐々弘雄が戦後に大川周明、楢橋渡、児玉誉士夫の三人がハードン財閥と直結していたことを発表している。
〜ユダヤ人の経営するあのニューヨーク・タイムズでさえ、「戦争に次ぐ強行措置」と書いたほどの出来事であった。次いで石油と屑鉄の対日禁輸となっていくのである。
ルーズヴェルド大統領は自分の名が歴史のなかで汚れていくのを自覚するようになった。そこで、日本と妥協しようと試みるのである。日本の真珠湾攻撃の半月前の一九四一年十一月下旬、日本側の最終提案を一部修正のうえで受け入れようとした。陸軍参謀総長のマーシャルも海軍作戦部長のストークも、戦争の準備ができていないとしてルーズヴェルトの政策に賛成した。
スティムソンはこのことを知ると、マーシャルとストークを威嚇した。
「ノーだ!なんといってもノーだ」
ユダヤ王ロスチャイルドの血族にしてロシアのスパイでもあったホワイト[ハリー・デクスター〜、1892-1948]が"最後通牒"を作成し、ハル国務長官に一方的に押しつけた。
「ジャップスに真珠湾をやらせろ!」(中略:本を買って読んでね)
スティムソンの十一月二十五日の「日記」を見ることにしよう(スティムソンの「日記」は『資料マンハッタン計画」から引用する)。
その日、大統領から「われわれは、おそらく次の月曜日に攻撃を受けるであろう」という警告があった。 ・・・問題は、こちらの危険をできるだけ少なくして相手から先に攻撃の矢を射かけさせるように、どうやって仕向けるかだ。 (引用注:有名どころですよね)
十一月二十八日、スティムソンはルーズヴェルトと会った。ルーズヴェルトは蓄膿症の悪化のためにベッドの中にいた。スティムソンはルーズヴェルトに言った。
「われわれには三つの選択があると思う。第一は何もしないこと。第二はどうなればこちらが戦うかという線を明記した最後通告のようなものをもう一度出すこと。第三は、直ちに開戦する」
スティムソンは「私は第三の方法を取りたい」と言った。ルーズヴェルトは黙っていた。スティムソンに逆らう力の全くない大統領であった。この会談の以降、真珠湾が攻撃されるまでルーズヴェルトは沈黙を守った。もし口を開けば、ジョン・F・ケネディと同じ運命が待っていたであろう。
その日の正午、スティムソン、ノックス、ハル、スターク、マーシャルの五首脳が会談を開いた。スティムソンは即時開戦論をぶった。残りの四人は「ある地点ないしは特定の線を越えたら(真珠湾のある地点まできたら)開戦をするという警告を日本政府に伝えよう」と言った。ステイムソンは「黙れ!」と怒嚇した。日本の艦隊はすでに真珠湾めざして発進していた。
かくして日本は艦隊を真珠湾に進め、ハワイを急襲するのであった。
「スティムソン・ドクトリン」の最終目標が明確にされたときでもある。その主眼とすることは一つの言葉に収敏される。
「ジャップスをたたきのめせ!」
真珠湾攻撃と原爆投下は一つの悲しきセットとなっている。
スティムソン陸軍長官のもとにブッシュらの科学行政官が集められたのは真珠湾攻撃の前日であった。 「原爆を全力で開発せよ」との命令を科学者を前にしてスティムソンが語った。それは原爆を全力で開発するという目標を、アメリカ国家が正式に掲げた日となった。第一部門、すなわち科学者に政府が資金を提供した初会合の日であった。
アメリカは日本の無線を全て傍受し、ハワイ攻撃の時間と分まで計算しつくしていた。
スティムソンがマーシャルに「ハワイの司令部に日本の攻撃を知らせるな」と念を押した日でもあった。〜
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html では;
(前略)
●この日系人強制収容政策の最高責任者は、前出のヘンリー・スチムソン陸軍長官である。彼は太平洋戦争と原爆を語る上で、非常に重要な人物だ。
(写真略)ヘンリー・スチムソン陸軍長官:「マンハッタン計画」の最高責任者。広島と長崎への原爆使用を決定した彼は、日系アメリカ人を強制収容所に送った最高責任者でもある。戦後は、原爆投下に対する批判を抑えるための「原爆神話」を生み出した。
●彼は、セオドア・ルーズベルト大統領の時代に政権に入り、以後、1950年に死ぬまで、7人のアメリカ大統領に仕えたことで知られている。第二次世界大戦中は、「マンハッタン計画」の最高責任者を務め、広島と長崎への原爆使用を決定した。
それ以前に、彼は、ロンドン海軍軍縮会議においてアメリカ代表団議長として、また、フーバー政権の国務長官として、日本海軍力の制限のために中心的に働いた。さらに、フランクリン・ルーズベルト政権においては、経済封鎖によって日本を窮地に追い込み、真珠湾攻撃へと駆り立て、ついに、アメリカを太平洋戦争に参加させた張本人である。
ルーズベルト大統領が急死すると、彼はトルーマン大統領の背後で、実質的にアメリカの戦争を指揮した。(トルーマンはスチムソンを全面的に信頼した)。
戦争が終わると、スチムソンは、原爆投下に対する批判を抑えるために、「原爆投下によって、戦争を早く終わらせ、100万人のアメリカ兵の生命が救われた」と発言(1947年2月)。これが原爆使用正当化の定説となった。(「原爆神話」の誕生)。〜
▼すでに、都内の銀行ATMで発見
▼メディアは、なぜ、報道しなかったのだろうか。また、すでに、日本国内に入って来ているとすれば、事の次第は深刻である。
http://specialnotes.blog77.fc2.com/
ハリマン=リーマン・ブラザースの日本への「戦争資金の提供」は、米国の戦争実行責任者のNo.3が、日本に中国侵略資金を貸し付けた事と、同一の意味を持つ。
つまり米国・米軍自身が、日本の中国侵略にOKを出していた事を意味する。
1940年代に入ると、米国内では突然、「日本の中国侵略は、ケシカラン」と、日本との戦争開始を強く主張する動きが出てくる。
米国上院・下院議会で、この対日開戦論を強く主張し、演説を行ったのが、このラベットであった。
「自分で資金融資を行い、日本に中国侵略を行わせた張本人が、議会で、日本は、ケシカラン」と演説し、日米戦争開始を訴えたのである。日本が膨大な資金と労力で維持・建設した満州帝国の領土と、満州鉄道を、米国が「欲しくなった」と言うのが本音であった。
ハリマン銀行は、全米の鉄道網の過半を支配する銀行であり、満州帝国と満州鉄道を日本に建設させ、完成した後に、日本から奪い取る目的で、最初からラベットは日本に中国侵略資金融資を行っていた。
日本への戦争資金融資は、鉄道王ハリマン銀行の「満州鉄道投資ビジネス」であった。
第二次世界大戦の結果、日本、東南アジア諸国は事実上、米国の支配下に入った。〜
http://watch-fr-br.iza.ne.jp/blog/entry/939852/
「元ソヴィエト首相ニキタ・フルシチョフの「フルシチョフ回想録」が世に出ると、真偽についての論争が起こった。声紋調査が行われ、彼の回想録に違いないと判明した。日本版「フルシチョフ回想録」が出版されたのは一九七二年。「フルシチョフ最後の遺言」が一九七五年。「フルシチョフ封印された証言」は一九九一年だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ハリマンは一九八七年に死んだ。その時、「封印された証言」はまだ封印されたままだが、死から五年たって、ようやくフルシチョフ回想録の全貌が見えてきたのである。では「封印された証言」を見ることにしよう。どうしてハリマンが封印し続けたのか、解くべき時がやって来たのである。
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スターリンが『真の主人』と言っているのは、世界権力(ザ・オーダー)を示す。すなわち、スターリンを育てソヴィエトの最高権力者に仕上げたザ・インナー・コアを指すのである。スターリンはロシアの秘密警察の一員として若き日にロンドンへ行った。そこで二重スパイに仕立てられ、ロシアのバクー油田で働き頭角を現した。その背後にはいつもロスチャイルドがいた。スターリンは『真の主人』から逃げられない自分を知っていた。
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革命前、ハリマン家がジョージア(グルジア)にマンガン鉱を持っていたというのは周知のことである。私はそれをわが国の新聞で読んだ覚えさえある。この噂は戦争が終わってからもスターリンの口から聞かされて、やっぱりそうかと思った。ハリマンは又、あるカナダの会社の権利を持っていて、この会社が又、北極ベッアモ付近にニッケル鉱山を持っていると聞いている。この地方は十月革命の後にフィンランドに奪われたのを我々は後に奪い返したのだ。
上のパラグラフ(フルシチョフの言葉)には、ハリマンが持っていたことがある「山」のことが書かれています。そしてこのあと、ハリマンは失った(象徴的な)「山」のオトシマエをスターリンに要求したようで、最後には、朝鮮戦争を通じてその見返りを「彼ら」と自分のために手に入れたということらしい。
」
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テレビドラマさながらだな、全く。「陰謀」と言わず、プロパガンダも広義の情報戦と思わなくちゃ。
http://homepage3.nifty.com/~mariko/plh.htm
「彼ら」と天皇がマッカーサーを排除した?
http://watch-fr-br.iza.ne.jp/blog/entry/981060
一九四七年九月、天皇の御用掛であった寺崎英成はマッカーサー司令部の外交局長シーボルトを訪れ「天皇のメッセージ」を差し出した。
天皇はこのメッセージの中で「沖縄をアメリカの戦略的基地として貸与してもいい。対共産主義の防護壁とすべきである」と書いていた。シーボルト外交局長はこのメッセージをマーシャル国務長官に送った。当時国務省内では対共産主義陣営を目標とした新しい戦略企画が検討されていた。
ケナン政策企画室長はマーシャルから「天皇のメッセージ」を渡された。マーシャルはケナンに言った。「ケナン、まだ君よりも天皇の方が先を読んでいるようだな」。ケナンはこの「天皇のメッセージ」を読んでマーシャル国務長官に報告書を提出した。
一九四七年九月十八日の夜、羽田空軍基地でマッカーサーはジーン夫人同伴で新陸軍長官ウイリアム・H・ドレイバーを出迎えた。到着の翌日、第一騎兵師団はドレイバーのために皇居前広場で本式の観閲式を挙行した。彼は帰国後の十月十日、ボストンの銀行家たちの集会で演説した。日本を軍国化せんとするドレイバーは逆手の方法を語ったのである。
日本の「逆コース」はドレイバーの日本政策から始まるのである。・・・・・・・・マッカーサーはこのドレイバーのマジックにかかり財閥の解体を骨抜きにされ日本の再軍備化を進めるようになるのである。・・・・・・・一九四八年一月にまたドレイバーが日本にやってきた。直接の目的は日本経済を急ピッチで再建し、来るべき限定戦争の基地とするためであった。ハリマンとアチソンが進める「次なる戦争」のためであった。
ドレイパーは敗戦国日本が払うことになっていた賠償を撤廃することに成功する。ディロン・リード社には日本向けの債権があった。ドレイパーはこの債権をアメリカに片付けてもらった。
ディロン・リード社は国際ユダヤ資本が作った会社の一つである。そして財閥解体を免れた日本の大企業と秘かに大口契約を結んだ。来るべき朝鮮戦争で日本企業に仕事が入ることをドレイパーは知っていた。
(途中略)
一九四八年二月末、天皇御用掛の寺崎英成が再びシーボルト外交局長を訪ねた。シーボルトは「覚え書」をマーシャル国務長官に送った。・・・・・・・シーボルトは「日本占領外交の思想」の中で「寺崎は天皇の助言者として米国の政策に関する私の意見や説明を宮廷方面、殊に天皇ご自身に伝えることができた」と書いている。
この逆もあり、シーボルトを通じて天皇の意見を国務省に知らせることが寺崎にはできたのである。寺崎はアメリカで外交官だった時も二重スパイとしてアメリカの秘密機関と通じていた。シーボルトが戦前の彼の経歴を知っていたことは間違いないだろう。(以下略)
◎日本軍の中枢が米国派(ユダヤ・フリーメーソン)だった太平洋戦争◎
http://www.asyura2.com/2002/dispute3/msg/413.html
米国の為に重大な役割を果たした山本五十六
●骨の髄迄親米派のフリーメーソン
いろいろ調べていくと負ける戦争を仕組まれて、負けるべくして負けた
ところでオルタナティブ通信で天皇がドレイバーに命ごいを取引きしたということを言う者もいるかもしれないが、いろんな資料を詳細に調べてみると、寺崎や山本らをはじめとする側近兼スパイが裏で連絡、画策していたのを知るにつけ天皇が命ごいをしたかのような事実を捏造・利用したのだと憤怒の極みだ
http://www.geocities.jp/torikai007/bio/syowa.html
〜1.1941年12月7日の日本の宣戦布告は,大元帥昭和天皇が発せられた開戦の大詔による。米連邦議会は,日本海軍による真珠湾「騙まし討ち」に怒って,対日宣戦布告を決意した。
しかし,それ以前,第二次大戦に中立を標榜した米国大統領ルーズベルトと対ドイツ戦を戦っていた英国首相チャーチルは,1941年8月14日,太平洋憲章によって,領土不拡大,機会均等,恐怖・欠乏からの自由,平和確立を宣言していた。
日米開戦直後,1942年1月1日、ワシントンで、米・英など26カ国が署名した連合国共同宣言が出され,国際連合に連なる反枢軸連合が形成された。日本との和平交渉は,日本の降伏まで行われなかった。〜
〜日本の大使が米国務長官ハルに英訳に手間取った最後通牒(と日本が認識している文書)を手渡したのは、12月7日午後2時20分(ワシントンの東部時間)で、真珠湾攻撃の終わった後である。これが,「日本の宣戦布告の遅れ」といわれるが,大日本帝国憲法では,宣戦布告の権限は,統帥権をもつ日本軍の大元帥(昭和天皇)がもっている。
天皇による宣戦布告の「大詔」は、1941年12月8日午前11時40分(東京時間)と,真珠湾攻撃の半日後に発せらた。〜
〜真珠湾攻撃の4年以上前,1937年7月の日中全面戦争以降,米国は日本の中国侵略を非難し,1939年7月,日米通商条約を廃棄した。そして,1941年3月,米国は武器貸与法を成立させた。
ここでは,「米国の防衛に不可欠と米国大統領が考える国に、船舶、航空機、武器その他の物資を売却、譲渡、交換、貸与、支給・処分する権限を大統領に与えるもの」とした。武器貸与法によって,英国,中国への大規模な信用供与,それに基づく武器輸出が認められた。
1941年7月末-8月初頭,米国は日本資産を凍結し,日本の在米不動産・親友資産を海外に移転できなくさせ,対日石油輸出を禁止した。9月末,対日鉄屑輸出も禁止した。〜
〜ポツダム会談は,実は,従来の連合国首脳会談とは,首脳陣が大きく入れ替わっている。米大統領ルーズベルトFranklin D. Rooseveltは,1945年4月12日脳溢血で急死(63歳)し、1945年1月に就任した副大統領ハリー・トルーマンHarry S. Truman(61歳)が、4月12日に第33代大統領に就任。英首相チャーチルも、総選挙の開票で一時帰国している最中,選挙で敗北し、7月27日に英国新首相アトリー(1951年10月26日まで在籍)へ政権交代し,ポツダムには戻らなかった。
また,ポツダム会談に加わったスターリンは,ポツダム宣言には参加しておらず,中国の蒋介石が欠席しているにもかかわらず,ポツダム宣言の提唱者のひとりとなった。
連合国の枢軸国への強硬政策が基本方針とされていたために,ポツダム会談では各国首脳陣の入れ替わりや複雑な事情によても,ポツダム宣言における無条件降伏の勧告は,全く変更されなかった。
米海軍参謀長レーヒ提督や陸軍長官スチムソンのように,天皇制の維持,すなわち国体護持を条件とすれば,本土の都市空襲と無制限潜水艦作戦による物資供給の途絶によって戦争遂行能力の低下した日本と講和できると考えた軍の戦略家もいた。
しかし,1941年12月の真珠湾攻撃とドイツの宣戦布告以来,太平洋と欧州で大戦争を戦い,連合国首脳会談を20回も繰り返してきた主戦国アメリカ合衆国としては,日本への無条件降伏の要求を取り下げることはできない。
日本が特攻作戦を大規模に展開して,日本本土上陸作戦で多数の米軍死傷者が見込まれるとしても,無条件降伏の要求は変更するつもりは無かった。
後日,原爆投下の惨状が明らかになると,米軍の死傷者を少なく抑えるために,日本へ原爆を投下したと,トルーマン大統領,スチムソン陸軍長官は弁明したが,1945年前半の米国の戦略において,敵味方の死傷者の多さは,問題とはなっていない。
枢軸国の無条件降伏に固執した連合国は,都市爆撃や潜水艦による民間商船撃沈を,敵の交戦意思を粉砕し,戦争遂行能力を麻痺させる効果的な方法として,採用していた。
アジア太平洋戦争末期の玉砕戦や特攻作戦によって,日本人は,「天皇のためには死をも厭わず戦う狂信的な民族である」と侮蔑的な認識が,米国人(軍民)に広まっていた。日本の国体護持を条件に,日本の早期降伏を促すという案は,一部の知日派の戦略家を除いて,検討しなかったようだ。 〜
〜開戦の問題は,大元帥昭和天皇に軍事の大権,統帥権があるとはいっても,人間であり,神でない以上,大元帥昭和天皇といえども,軍部の意向を無視することはできないということである。
制度の上では,天皇の軍事独裁が可能であるが,大元帥昭和天皇の自制,深謀遠慮によって,軍部と正面から対立することは避けていたのである。
これは,立憲君主制であるからではない。憲法が天皇の地位を決めたのではなく,憲法は天皇が臣民に与えたものである。立憲君主のように昭和天皇が振舞ったが,それは立憲君主を臣民が要求下からではなく,大御心のなせる業であろう。〜
その他詳しい経緯を調べてみるとよいだろう
http://ameblo.jp/nyaonnyaon/entry-10016940522.html
≫その辺の時のことが書いてある。
↓
軍事秘書のボナ・フェラーズ准将
http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=86
(略)
次に、その寄稿の一部を紹介したい。重光によれば、マッカーサーは、「私は陛下にお出会いして以来、戦後の日本の幸福に最も貢献した人は天皇陛下なりと断言するに憚らないのである」と述べた後、陛下との初の会見に言及。
「どんな態度で、陛下が私に会われるかと好奇心をもってお出会いしました。しかるに実に驚きました。陛下は、まず戦争責任の問題を自ら持ち出され、つぎのようにおっしゃいました。
これには実にびっくりさせられました」として、次のような天皇のご発言を紹介したというのである。
「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。また私は日本の名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題ではない。構わずに総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負います」
そしてマッカーサーは、このご発言に関する感想をこう述べたという。
「私は、これを聞いて、興奮の余り、陛下にキスしようとした位です。もし国の罪をあがのうことが出来れば進んで絞首台に上がることを申し出るという、この日本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後ますます高まるばかりでした」
(略)
しかし、幸いにもというべきか、あの会見の直後、マッカーサーはその内容を断片的に複数の側近などに漏らしている。
そこには創作が入り込む余地は考えにくい。
しかもそれらは大筋で、その後のマッカーサーの発言を裏付けているといってよい。
例えば会見の時に大使公邸にいたマッカーサーの幕僚の証言だ。軍事秘書のボナ・フェラーズ准将は、会見が行われた九月二十七日に自分の家族に宛てた私信で、天皇が帰られた直後にマッカーサーから聞いた話として、こう伝えているという。
「マッカーサーは感激しつつこういった。『……天皇は、困惑した様子だったが、言葉を選んでしっかりと話をした』。『天皇は処刑を恐れているのですよ』と私がいうと、マッカーサーは答えた。
『そうだな。彼は覚悟ができている。首が飛んでも仕方がないと考えているようだ』」(升味準之助『昭和天皇とその時代』)
また、会見から一カ月後の十月二十七日、ジョージ・アチソン政治顧問代理は国務省宛てに、マッカーサーから聞いた天皇のご発言について次のように打電した。
「天皇は握手が終ると、開戦通告の前に真珠湾を攻撃したのは、まったく自分の意図ではなく、東条のトリックにかけられたからである。
しかし、それがゆえに責任を回避しようとするつもりはない。天皇は、日本国民の指導者として、臣民のとったあらゆる行動に責任を持つつもりだと述べた」
この文書を最初にアメリカ国立公文書館で発見した秦郁彦氏は、「決め手と言ってよい文書」「天皇が全戦争責任を負うつもりであったのは明らかである」と指摘する。また氏は、次のような根拠も挙げている。
「このことは、八月二十九日天皇が木戸内大臣に、『戦争責任者を連合国に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引受けて、退位でもして納める訳には行かないだろうか』(木戸日記)と語ったところや、九月十二日東久邇宮首相が、連合国の追及に先立って、戦争犯罪人を日本側で自主的に処罰する方針を奏上すると、即座に反対して撤回させた事実と首尾一貫してくる」(『裕仁天皇五つの決断』)
なお、「東条のトリック云々」のご発言にひっかかる向きがあるかもしれないが、秦氏はこう解釈する。
「天皇がこだわったのもむりはない。東郷外相ですら無通告攻撃に傾いていたのを『事前通告は必ずやるように』と厳命したにもかかわらず、奥村在米大使館書記官のタイプミスで結果的に通告がおくれてしまったのだから、痛恨の思いは誰よりも深かったであろう。
しかも、この時点では天皇は真相を知らされていなかったので、東条に欺かれたと信じこんでいたのが、言い訳めいた言動になったと思われる」(『文藝春秋』平成16年1月号)
(略)
マッカーサーはアメリカ議会から、日本の天皇と戦争の責任者を見つけ出して全員処刑しろと命令を受けていた。
その中で、天皇を助けたのはなかなか勇気のいることだったのだと思う。
マッカーサーは、後で朝鮮半島に送られ、ソ連の送り込んできた朝鮮人と戦った。そこで原爆を使い
たいと申し出て断られ、更迭された。骨太の軍人なのだ。≪
天皇が命ごいを条件にしたなどという出鱈目、オルタナティブ通信の嘘を見抜くことができる
それと同様にnoriや恩義の言うような陰謀はないくくりのトリック工作は悉く注意し排除されるのだ
これが日常生活に支障をきたすレベルに達したものが、妄想性人格障害(paranoid personality disorder)とされる。
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自分と違う意見を一切認めないのは精神病の一種。ネットで書き込みに興ずる連中の半分ぐらいはそうなんじゃないかと思っている。だから、「ネトウヨ」とも呼ばれてマスコミとの乖離現象が起こるわけだ。
なにしろ、「強い妄想を抱いている、という点以外では人格的に常人と大して変わらない点が特徴
」であるから、何食わぬ顔で日常生活を送っているんだろうね。困ったもんだ。
天皇は明治以降に始まったのではないし、神武天皇の降臨から現天皇に至るまでの歴史をしっかり調べてみたらよい
また歴代天皇の国の守護を真に思う御製
(御製(ぎょせい)とは、天皇や皇帝、また皇族が手ずから書いたり作ったりした文章(政令の類は除く)・詩歌・絵画などをいう。日本では、御製というと一般に天皇が詠んだ和歌のことをいうことが多い。)を尊読されればおのずと判るよ
明治天皇御百首
http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/77/7720/772003.htm
やまとうたのこころ 名歌鑑賞 第十七回
四宮正貴
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-shinomiya/ron/2006/meika017.htm
御製で偲ぶ昭和天皇
http://www.worldtimes.co.jp/special2/midori/040429.html
宣戦の詔書
『終戦の詔勅』
上記を尊読するにつけ、なぜか涙がこみ上げてくる
www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/sennsennnosyousyo.htm
終戦
www.geocities.co.jp/WallStreet/4669/daitoua0815.html
コロンブスのアメリカ大陸発見→侵略ですね。
歴史は常に勝者が自分の都合の良いように作る。
<精神病患者の特徴
自分は正常で他人が狂ってるあるいは精神病(偏執病(パラノイア;:paranoia))、主張することが間違ってると激しく主張
それが昂じるとヒステリックに看護スタッフの身体に危害を加えるようになる
nori、大丈夫か?
「はやく良い診療内科にかかって適切な心理カウンセリングを受けたほうが良いぞ!」
普通の人(正常な人)はことさら他人を狂ってると主張しないし、増してや自分のことをことさら正常だとも強調しないのね
小生も、留学生活中、特に夏休みに調理場の雑用という肉体的にも精神的にも疲労する単純労働に従事していた頃はそういう母国日本への郷愁なるものが沸き起こりました。 ですが、それは大和魂なんてものでもなく、日本人としての自然の衝動なのではないのです!
この「母国日本への愛に気づく」なんているキャッチフレーズは、タダ単にあこがれていた異国の地で理想への幻滅や逆境にあって一時的に辛い思いをしたことによる反動にしか過ぎないのです! つまり、ただ、今あっている現状から逃れたいと思うことから逃げているだけなのです。
本当は、みんな日本が嫌いなんです! ただ、日本に帰ってきちゃったという理由、向こうの生活が大変だからそれならまだ日本の方が楽できるという錯覚を、『母国愛への目覚め』とか『大和魂』とかいう奇麗事で覆って、自分の恥ずかしいコンプレックスを覆い隠しているだけなんです! そして、この嫌な日本から抜けられる甲斐性が無いからこそ、自分は日本が好きなんだと言い聞かせて日本に居座る口実を作っているだけに過ぎないんです!
つまり、日本への母国愛も、大和魂も、みんな嘘、現実逃避の戯言、にしかすぎないのです…。 本来、母国愛、大和魂、日本愛好なんて現実逃避のヘタレの言い逃れである、下賎な戯言なんです!
もう6年弱もスコットランドでの留学生活をしていて、もう数回は日本に一時帰国した小生であれば、それは欧州の嫌なところもそれなりに理解しています。 もうこの時点までくると嫌なところをより客観的に理解して自分に生かすレベルまで淘汰しましたから、欧州を、単なるミーハーな憧れではなく、より客観的にも好きになることができました! 住むんだったら外国が良いに決まっています!
みんな日本が嫌いなんです! どんな素晴らしい日本人でも、どんな粘り強い人でも、どんな要領の良い人でも日本なんて嫌いなんです! 日本なんて東アジアの偏狭部族国家。 日本人の中で多数派である土人は、日本の良し悪しなんか議論する余地も無いほどハクチです。 まともな思考回路をもった日本人は本当は日本が嫌いで嫌いでたまらないのです。
写真や映像、実際の資料サイトまで多岐にわたり掲げていることの客観性は如何に?
そもそも恩義やnoriの主張してきたことの何処に客観的な根拠が見出せるんかな?
そのうえ更にそれらは陰謀論は論外、精神病のネットウヨと嘯く顛末
ま、いいよ。
掲示板は最低限のマナーを守って多事総論でいいと思うから。
サイト管理者が削除すべきと思うなら削除されればいいし。
真実はたとえどんなに削除されようとも反って表面に現れるもんだしね。
また個人間で誹謗・中傷しあうような低次元のお相手はまっぴらごめんなすってだ。
たかが無名の1コメンター、されど無私広大無辺の1コメンターさ。
大きな流れは、日露戦争から始まっていると見てよい。そして20世紀はわが国を中心として、世界が動いたと見るべきだろう。
昭和前期において、何が問題であったかは、それをわが国が自覚しなかったことである。
昭和前期は調べるとその時代の人々は、何がなんだか分からず、足をじたばたさせたかさせられたか似すぎない。個個の事例はそれなりの合理性が説明はできるだろう。
たとえば史那大陸において、統一政府は何処にも存在しなかったが、それは史那の政治形態ではふつうのことだろう。それは史那の歴史を見れば十分ではないか。ヤクザの大親分が皇帝で、そのしたに、若頭がそれぞれの地方や、王朝の内部にいて、さらのその下に代貸しがいて、それぞれが拮抗していた。それが辛亥革命で、ばらばらになり、お互い合い争っている状態である。
そこへ行くわけだから。何を目的として。これがさっぱり分からない。こと金に関してなら、半分専門家氏か記されていたように、すべてやめれば、日本本土の収入は各段に増え、国民生活は飛躍的の向上すると言う資料は確か出ていた。史那大陸は儲からないと言うことである。朝鮮にいたってはごみ以下だろ
う。
それなら、何がと言うと、さっぱり分からない。
大東亜戦後の経済がそれを示し、東アジアにかかわったがために、このざまであることを見れは十分だろう。その上政府は年金資金其の他で、日中韓三国でスワップ基金を作るという。それを作った時の損と作らない時の損を比較すれば、小学生でも分かる資料が出てくるだろう。
したがって金目当てではない。つまり植民地目的ではない。
それならば世間の常識、争っている時は成るべく中立の位置にいて、洞ヶ峠をするという原則かというと異なる。妙に首を突っ込もうとする。
史那内部で蒋介石と、其の他軍閥があらそっていおるなら、首を突っ込まず、外国のことだからとして、捨てておくか、史那に権益を持っていた欧米をその利益を分け合うような政策を採るかというと、いやアジアの独立だと奇妙なことを言う。それもいうだけで、その裏ずけはまったくない。諸外国は首を傾げざるを得ず、金もないくせに史那での戦争を拡大した馬鹿ではないぐらいにしか思っていない。
広島長崎の馬鹿市長供が核兵器反対、廃棄を主張するから諸外国は当然廃棄に金がかかるから、広島、長崎の市民から税金を取って、その負担をするわけだ、ありがたいことだ。ただでさえ金がかかるから廃棄したいが金がいる。その金を奇特なことに負担すると言う主張をしてくれるから、賛成して、やれやれと思っていると、金はびた一文も出さないと言う。
はああーとあんぐり口をあけて、面を眺めざるを得ない。そして考える。
これではさらに核兵器を増強しなければならないと判断をする。
それが世界の常識とは考えていない。それに似たことを戦前史那でわが国はしたと漫談的に渡井は思っている。
靖国神社に参拝すると、中共の胡耀邦総書記(?)の立場が悪くなると考えて(?)、参拝をやめた、中曽根氏は、中共政府内の抗争に首を突っ込んで、その後のわが国の立場を悪くして、とうとう近衛声明とは逆の立場になり、解決がつかなくなって現在にいたている。
何を考えて、靖国神社の参拝をやめたんだろうと、当の中共ですら腕を組んで考えている。
それらとよく似たことを大東亜戦争前に史那大陸でわが国はした。
これは深く考えると日本はもっと大きな外交的目論見があるかもしれない。さらに気をつけようとなるに決まっているにも拘らず、当の日本はアジアのためだ、日中友好のためだ、核軍縮のためだと本気で思って、あはああーとすごしているから、諸外国は気味が悪いと感じている。
当時は大恐慌が来て、その活路を史那朝鮮満州に見出したように見えるが、その計算はすでに出ている。損がたっている。
とにかく何がなんだかわからないが、調べた私の結論である。おそらく当時の人々も何がなんだか分からず、やれ満州だ、上海事変だ、南京だ、朝鮮だ、2.26事件だ、真珠湾だと動き真綿だけのような気がする。
確か大東亜戦争の財政をまかなった、賀屋蔵相は、戦争も何も、ミナが勝手に動いて、収拾がつかなかったと回顧している。
日独三国同盟は史那からドイツを引き上げさせるのが目的と言う視点で結んだなら、その目的を達成をしたなら、その次を考えればよいが、それをまったく考えていない。
とにかく秋葉原において車を運転して、人を刺し殺した加藤某と同じような行動に過ぎず、
それと似たものが昭和前期のわが国の行動で、戦争において亡くなられた人々は、加藤某に殺された人々と、基本的には同じではないかと言うのが私の結論の一つである。
とにかく納得のできる大東亜戦争の元が分からない。
以上は国内から見たものだが、昭和前期は外国から見たものを知る必要があるが、これは外国語という大きな壁があるから、私には手におえない。
この本はその面をカバーしているようだから、ドイツだけでなく、南米、アジアから似た史那事変を私は知りたい
一つだけエピソードを
小野寺機関が大東亜戦前から終わりまでヨーロッパで活躍した。敵方に絶賛された情報機関だが、
その回顧録に、真珠湾攻撃が成功してそれをポーランド人の仲間に知らせると、即座にこの戦争はお前たちの負けだと言った。
我々と山本五十六氏たちとよく似た人々はそのエピソードをかみ締めることだろう。
トヨタはかみ締めているだろう。技術者は泣いているだろう。トヨタから神風特別攻撃隊が出撃していくだろう。
同様に恩義はその父母、祖先を慈しみ愛すのよ
日本が嫌い、日本人が嫌いと強調することは
そんな自分自身を自傷することの裏がえしと同じなのよ
ルサンチマン、ゲバルト、人民開放、天皇制廃止、土人国家、愚民、自由主義・・・
いろいろ言うがそういう思想が正しいと思えない
人民開放、革命を吹聴してきてる独裁国家のやってきた歴史的事実を正確に知るにつけ・・・
いまの日本は異常だ。
何が異常かって、労働と家庭の関係が異常なんだ。
労働は食べていくために必要だし、なんなら趣味のために労働したって良い。しかし、普通人の労働は食べていくためのものだよ。
いまの労働は家族を犠牲にし、伴侶を娶る時間までも奪い取り、子供を作り育てる時間も環境も奪い取り、ただ働き同然で10時間以上の労働を強いる。
何が大切って、自分の人生と家族と伴侶が大切に決まっている。そのためにひとは働く。
家族を作り家族と共に生きることが大切なんだよ。労働が大切なのではない。
いまの日本は異常だ。その異常にどの政党だって気がつかないのも異常だ。自民党も民主党もそれに共産党だって言わない。
家族があって地域があり、地方があり、国がある。その家族が崩壊して国が成り立つわけがない。
労働基準監督署って何をする役所なのだろうか。ひとの基本的人権って労働で虐げることではないよな。
あいつらなんで8時間労働を守らせないんだ。一日の労働は残業があっても10時間までだよ。それ以上働いていたら、他の大切な人間の営みが障害されてしまう。
結婚する暇もなく働いて、子供を作り育てる暇もなく働いて、それが人生だなんて寂し過ぎはしないだろうか。
かくて国は立ち枯れていくんだ。
真剣に考えてくれ!
家族を大切にする社会のことを。
政党人に言いたいよ、こんな価値の逆立ちに早く気がついて是正してくれる政党があるのなら、共産党でも良い、俺の清き一票を投票すると。
もうこの時点までくると嫌なところをより客観的に理解して自分に生かすレベルまで淘汰しましたから、欧州を、単なるミーハーな憧れではなく、より客観的にも好きになることができました! 住むんだったら外国が良いに決まっています!
>みんな日本が嫌いなんです! どんな素晴らしい日本人でも、どんな粘り強い人でも、どんな要領の良い人でも日本なんて嫌いなんです! 日本なんて東アジアの偏狭部族国家。
日本人の中で多数派である土人は、日本の良し悪しなんか議論する余地も無いほどハクチです。
まともな思考回路をもった日本人は本当は日本が嫌いで嫌いでたまらないのです。
<noriさんの言うパラノイアって↑のことか?
それともnoriさんも含め恩義さんの主張スタイルとの共通性を痛感するのは考えすぎかな?
恩義とかいう人の投稿の一部分だが、この人は自国の歴史について、多分何も知らない。
外国へ行き、まともな家庭に行くと、必ず歴史や文化について、きかれる。特に戦争について聞かれえる。
カンネーの戦いがどうのこうのである。ヨーロッパなら。
>まともな思考回路をもった日本人は本当は日本が嫌いで嫌いでたまらないのです。
まともな思考回路かどうかは知らないが、神代の昔から、わが国には日本が嫌いと言う人はいた。特に江戸時代にはいたが、まあ庶民からは尊敬されているようで、いないような状態であった。彼らはいろいろよく知っていた。
恩義氏も空海のように私渡僧として史那の唐にわたって、密教ならぬ、経済学を、学んで真言宗ならぬ、恩義経済学を打ち立てられることを望むが、日本が嫌いではそれが無理だから。いつまでもヨーロッパにいざるを得ない。
空海はインドから来た仏教を史那で学んだが、恩義氏はイギリスで始まり亜米利加で発達した経済学を、イギリスで学ぶわけだから、空海よりさらに複雑だと思う。
さてUnknown (MOND) 氏の提言もよく理解できる
だがよ〜く熟考してみたい
革命思想で家族を守ると言うことが成り立つのかい?
中国共産党、北朝鮮の思想統制、国家統制の残虐性の多くの実例を良く調査してみたらよい
かといって今の自民党とか公明党との連立与党を支持するのではない
もう日本社会の大変革の時期が(革命によらない)くるということは間違いないだろう
とりあえず麻生政権以後は大企業優遇主義→高度技術生産の中小、零細企業の全国的、全世界ネットワークの動きに連動して本来の日本的発展が蘇り再生・復興がある
麻生さん以後が注目に思う
その先に海外との共存・共栄ができていくと道程
それに特に民主党と与党は分裂・再編・連立のシナリオは高い確率で想定内ですから
次の政権は今までの政治権力構図と違うものとなるでしょう
自分の意見だと、日中闘争は日本、中国、早稲田を中心としたIPR機関の
共同謀略戦争と確認してます。
当時の日本軍の多くが、幕末で関わったキリスト教左派が幹部にいました。
そして蒋介石らもキリスト教徒でしたね。五十六や洋右なども切支丹ですし、
幕末維新に関わった連中や背後の貴族も同類です。
中国共産党も当時は福音派が多かった。
ここを観察せねば、永久に日中闘争や軍部の裏の活動を知ることはありません。
掲載されることは永久にありません。
ttp://sun.ap.teacup.com/souun/2195.html
ttp://www.mkmogura.com/blog/tag/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99
ttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa3210810.html
ttp://www.lib.u-ryukyu.ac.jp/digia/tenji/yanai/h7320.html
神戸大学の公式資料
ttp://www.kobe-u.ac.jp/info/event/e2004_07_03_01.htm
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1225628527
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E7%BE%8E%E9%BD%A2
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=1201&f=column_1201_002.shtml
http://www.eonet.ne.jp/~chushingura/p_nihonsi/episodo/201_250/248_01.htm
■教会を通じて、左派スパイと右派軍部がバリバリに繋がっていたのです。
これをつなぎ合わせていたのが、IPRというイスラエル人の機関員の組織でした。
現実とネットの乖離現象は田母神評価にも現れ、現実の月刊誌等では「愛国者か目立ちたがりのピエロか」と評価は半々であるが、ネットでは7:3で田母神支持が多いようだ。小泉・竹中なども明日にでも逮捕状が出るかのような錯覚を与えるのもネットだ。
ネットは誰でも発言者になれるので、低次元の民族差別やむき出しの憎悪が一人歩きするということだろう。マスコミを「マスゴミ」と言い、自分と意見が異なれば、「工作員」のレッテルを貼る。誹謗中傷の掲示板荒らしなどは捕らえてみれば、意外に30代の女性が多い。高校生も少なくない。
要するに、自己抑制も利かないヒステリー症状の男と女がやるせない現実の鬱憤を晴らしているだけなのかも知れない。しかし、ここまで匿名ということで下品になれるのは、日本に「神」が居ないからだろうか。道徳とは「神様が見ています」というささやきで成り立つと言った哲学者が居たが、2chネラーの存在は、やはり日本の恥とすべきではないかね。
そんな事はないです (nori)
2009-04-30 08:03:33
>アメリカに中国4000年の歴史に対する畏敬の念など全くない。あるのは力に対する畏怖の観念だけだろう。
欧米では東洋の焼き物を「チャイニーズ・デッシュ」という。将棋は「チャイニーズ・チェス」だ。残念ながら、中国4000年の歴史には日本文化など、影に隠れてしまっている。欧米への中国文化への畏敬の念を理解するべきだろう。
Unknown (Unknown)
2009-04-30 08:40:15
>nori
え?「東洋の焼き物」?
英語では、磁器はchinaと呼ぶが
漆器はjapanと呼ぶことも知らんのか…。
(※出土品は日本が九千年ほど古く、漆は日本固有種の植物)
日本発祥のものは普通にジャパニーズ某と呼ばれるが、
「将棋」は元々中国発祥だからチャイニーズ某で当然だろう。
アメリカが真の意味で中国をどう見てるかは誰にも証明できないにしても、
少なくともあんたの引用した“たとえ話”は無茶苦茶すぎるだろ。
つまり、金の亡者同士が闘争すれば、亡者の本家が勝つに決まっています。
もし、当時の日本人が本気でアジアを解放し、アジア人の安寧を望んでいたのなら、歴史は違う方へ動いたでしょう。
日本の敗戦原因は、大アジア主義云々ではありません。
河野太郎がよく言うセリフだね。w
しかし貿易内容を見てみると、その内の6割が日本企業が中国に機械と部品を持ち込んで生産した物が戻ってきているだけだ。単に為替と賃金の安さ目当て貿易国などに将来性などない。
左翼?の説得力ある反論を期待したいものだ。
之は正しい。敗戦の原因は大アジア主義ではなく、別のところにあるが。開戦のもとを作ったのが大アジア主義であると主張する。
アジアという言葉は西洋の言葉で、それ自体西洋の概念である。
妙な事に我国は唐天竺といっていって、朝鮮をその視界似れていない。
その昔結婚式の挨拶に三国一の花嫁と紹介された人がいるが、その三国は日本朝鮮支那ではなく、日本朝鮮天竺だろう。ミナは大時代の表現だとして聞いたが、その人は裸一貫から事業を起こして成功した人であった。
支那大陸(地理的概念)に在る物をなんとなずけるか。
幕末に来た西洋人に対して、毛唐といった。毛ムクじゃらの西洋人を見て、史那人を唐人といっていたので、それに毛をつけて毛唐といっていた。私の幼い頃そのように言っていた。
それが我々の認識だろう。
今も基本的には変わらない。何故か我国から朝鮮が抜ける。
我々は支那大陸について、朝鮮半島について、どのような認識をしていたかを知る事だが、一ついえることは大アジア主義は西洋思想と反応してできたもので、現実にある支那大陸にあった清、朝鮮半島にあった朝鮮とは全く別の物を想定して、それは日本人の頭の中にできた物であるとは考えなかった。之は今も同じで、いくら説明してもわからに事当時と同じである。
>ネットは誰でも発言者になれるので、低次元の民族差別やむき出しの憎悪が一人歩きするということだろう。
之は正しいが、わが国においてはまた独特のものがある。
一例を挙げよう。私の身の回りにおいて朝鮮人について尋ねると、ほとんどの人が嫌っている。
それを表に出せないため、内向している。
その為、電通を使って、大仕掛けな、親韓感情を作ろうとして、色々手を打ったわけで、カナリ成功しているように見えるが、韓国人にその実体が無いために如何にしても、それは表面だけで,逆に酷くなっている。ある種の錯覚を日本人が抱いているためだが、その錯覚が大アジア主義である。
韓国はそれについてよく研究したと見えるが、そこが浅いために近く、馬脚が現れるだろう。
私が具体的な事実を指摘して、その事例を見せたら、すぐに意識のそこにあるものが出てきて、あっさり変わった。
nori氏は日本人のそればかりを言われるが、朝鮮人居留民も同じようにみなけらばならないがそのようにはされていない。
恐らく自ら考えた結果を記されているわけではないからだろう。
一度両者を同じ平面において見られることを勧める。
私は単純に朝鮮人の犯罪率が日本人の3.5倍、支那人にいたっては30倍では、話にならない。そのウエ影でコソコソ悪事押している。馬鹿な日本人弁護士や成りすますし弁護士とつるんで、いや国会議員とつるんで。
よろしく朝鮮人(帰化人を含む)の犯罪率をせめて日本人の50分の一にする必要がある。現在の犯罪数の170分の一にする必要がある。
よろしく朝鮮人居留民はその努力をすべし。
しなければ我々日本人はたたき出す。
史那人も同じで現在の犯罪数の1500分の一にする必要がある。
それが無い限り日中友好も、日韓友好も未来永劫無い。
それを史那人居留民は実現すべし。
さもなければ我々日本人は同じくたたき出す。
その運動を開始している人々がおり、意ある人はそれに参加されるべし。
nori氏もそれに参加して、日韓友好に努力するべし。
ではなく
>その三国は日本朝鮮支那ではなく、日本支那天竺だろう。
おわかりと、思うが
http://www.bunshun.co.jp/book_db/6/60/55/9784166605583.shtml
この本では、中国の軍事専門家が、日本は対米戦争開始前に軍隊を
総動員して中国に送り込めば容易に中国全体を占領できたであろうと
述べている。戦間期の混乱し分裂した中国と統一国家日本の軍事力の
優劣は歴然としていた。そして、明の滅亡がごく少数の満州族の軍事力
で成し遂げられた事を考えると、人口で数分の一に過ぎない日本が
中国全土を占領していたことは間違いないだろう。
その場合、日本は中国人を皇帝の権威で支配することの統治コストの
少なさを利用する為に、元や清と同様に天皇を中国に移住させることに
なる。そして、中国を占領するために多くの日本人が中国に移住する
ことだろう。漢字という共通の文字を用い、同じ農耕民族である日本人は
文化的には満州族やモンゴル人よりずっと漢民族に近い存在である。
満州族が漢民族に同化してしまったのと同様に、日本も中国に同化
してしまい、日本と中国が一体化することは避けられないだろう。
中国の民族性は中国人の遺伝子ではなく、地理条件に由来するもの
である。従って、中国と一体化した日本は日本らしさを失い、人口の
大部分を占める中国の民族性が日本全土を支配することになる。
それは事実上、中国による日本支配、あるいは日本の滅亡を意味する。
著者は「日本がもし中国に勝っていたら、日本のような発展と中国の
大きさを兼ね備えた国が出現したはずだ」と予想しているが、これは
単なる希望的観測であり、それが実現しないであろう事を中国の長い
歴史は示している。
これは私の想像なのだが、国際金融資本は戦間期に日中の対立を
煽ることで日本を対中戦争に追い込み、日本が中国全土を支配する
状態に移行させることを狙っていたのではないか。
少数派の日本人が多数派の漢民族を支配する体制は太平天国の乱
の様な反日扇動による内乱を容易に誘発可能であり、それ故に中国を
支配した大日本帝国はかつてのソビエトの様な恐怖政治と対外交渉を
停止した一種の鎖国状態に入らざるを得ないだろう。その状態で、国際
金融資本はソ連・中国・日本を包囲した封じ込め政策を実行し、日本は
冷戦時代の北朝鮮の様な貧しい暮らしに追い込まれたことだろう。
この「国際金融資本によるソ連・中国などのランドパワー封じ込め」は、
鉄道の発達によりシーパワーの優位が揺らぎ始めた20世紀初期の世界で、
シーパワーが世界支配を継続する為にはほとんど唯一の方法だったの
かもしれない。だとすれば、日本を含め世界主要国の首脳は20世紀後半が
「世界覇権を持つシーパワーによるランドパワー包囲」の二極対立の時代
になることを予想していたと考えられる。
そして、冷戦時代の東西対決を考えると、もし日本が対米戦争を実行せず
に対中戦争に専念していれば、第二次世界大戦直後に朝鮮戦争と同様の
戦争が日中連合vs米国の間で戦われ、シーパワーの米国が日本全土+
台湾を占領するという事態が起きたかもしれない。日本の国土は戦場となり、
国民の何割かが命を落とし、日本の中枢階層は全員が中国本土に避難
してその後中国に同化されていくことになるだろう。
日本の民族性が日本の国土に由来している事を考えると、日本が国土を
失うというのは日本の滅亡に他ならないのだ。それは、白人の世界覇権を
脅かす有色人種民族、あるいは国際金融資本の世界支配を覆す力を持つ
有力民族の一つを消滅させる非常に巧妙な作戦であるとも考えられる。
日本は中国全土を占領することは選ばず、その代わりに満州国を建国
して満州族をその形式的支配者の地位に置いた。これは、何らかの理由で
日本民族が日本列島を捨てて避難する必要が出た場合に備えて満州という
避難先を確保する目的だったのではないかと想像する。
直接支配を回避したのは統治コストの引き下げ、統治の正当性の獲得など
が目的だったのだろう。もし日本が第一次大戦後の機会を生かして中国全土
を支配していたならば、満州族が清滅亡後の中国で経験したのと同様の
迫害を日本も滅亡後に経験していたはずである。
日本が中国占領の絶好の機会を見逃して、わざと戦力の逐次投入による
泥沼の戦争を長引かせたこと、自滅的な対米戦争を実行した後に米国に
対して敗北したことは、結果的にこの「日本の滅亡」を回避することに繋が
ったと想像される。日本政府中枢は第一次大戦直後からこのような戦略を
立てて実行してきたのかもしれない。
そして、ドイツも日本と同様に自滅的な東西二正面作戦に敗北することで
国土の主要部を親英米陣営側に置くことに成功したことを考えると、二十
世紀後半のシーパワーによるランドパワー包囲網形成を予想した上で、
ソ連と共にランドパワーとしてドイツが封じ込められて発展を阻害される
ことを何より恐れ、それを回避するために自滅的戦争を実行して敗北した
のかもしれない。
現在の米国が何故か対イラク戦争で愚かな戦力の逐次投入を実行している
ことも、戦間期の日本の対中政策を手本にして繰り返している様に思われる。
それは警察に任せておけばいいことではないですか? 一体、あなたは仕事は何? 中国人、朝鮮人への恨み辛みをこれでもかと書きつづっているわけで、どう見ても「おかしい」としか見えません。
それらの恨み辛みはいつ頃から発生し、どういうきっかけで相成ったのか、ぜひお聞きしたいところです。
nori氏もそれに参加して、日韓友好に努力するべし。
とありますが、情報機関系の資料によりますと、まだ無理な状況です。
ゲノム関連の悪さをしてまして、壮絶なことを連中は日本でやってます。
某政治家と公安に資料を渡しておいたので、もうじき検挙されるでしょう。
油断してると大きなミスをしてしまいます。アジア人だと油断しててもだめなんです。
今はまだ早いです。時期が来てません。
> 之は正しい。敗戦の原因は大アジア主義ではなく、別のところにあるが。開戦のもとを作ったのが大アジア主義であると主張する。
そうでしょうか?朝鮮併合に伴い喧伝されたアジア主義イデオロギーは日本の国家戦略思想の根本に混乱と分裂をもたらした元凶です。海洋国家である日本は海軍の強化に専念し太平洋で守勢において米国海軍を撃破できれば、とりあえずは安泰だったのです。日本は陸軍海軍とも守勢作戦で十分だったのです。
ですから朝鮮を併合したと言っても、主要な海軍基地などを接収する以外はあくまで軍事緩衝地帯としてそのままの放っておいても良かった筈です。日本から富を持ち出す大規模な投資などはまったく不要でした。そしてこの投資した資産を守るために陸軍を強化する必要が生じました。
本来、海軍強化に使わなければならない資産や資材を陸軍強化にも使わなければならなくなり陸軍、海軍とも仮想敵国を打ち負かすに十分な装備を整備できない状況が発生したのです。
このような背景があって実際に戦闘をしなければならない現場サイドである関東軍の攻勢作戦(暴走)、連合艦隊の攻勢作戦(軍令部との対立)がでてきたのだと思います。ソ連と中国の陸軍と米国の海軍と対峙し守勢では持たないと言うのが本音でしょう。
このように判断を誤らせたものはなんでしょうか。アジア主義イデオロギーが国民を幻惑させ正論を蔽い隠してしまったのではないでしょうか。最近の韓流も性質の悪いデジャブウのような気がしてなりません。
あのなー。俺は知人の誘いで長野オリンピックリレー事件へいって、いろいろ考えたといってるだろう。
最近もその手の運動へ首をつ込んだが、それほど事態は切迫している。そのときも警察は日本人を保護をしないようだった。形は保護する幹事であったが、俺は異なると見た。長野はまったくしなかったとは言わないが、史那人を逮捕しなかった。。
それなら俺はどうする。自分でするしかないではないか。
ちなみに俺は仕事を持っている。ある方面はレベルは低いが、職人の世界にいる。
朝鮮人居留民の背後に奇妙なものがいる。之は史那人の背後にいるものとは別だと思うが之を今調べている。
勿論ネットである。
北朝鮮が拉致した横田めぐみさんの両親は警察に任したか?
日本政府に任したか・
目の前に事実があるにも拘らず、お前何を見ている。
南朝鮮も人の拉致はしている。両者は同じだ。
>それらの恨み辛みはいつ頃から発生し、どういうきっかけで相成ったのか、ぜひお聞きしたいところです。
お袋は朝鮮人と仲がいい。それは個人の問題である。恨みつらみでしているのではない。この区別が貴公はつかないか。
あくまで外交問題で、社会問題である。
貴公もわからずやだな。
一度浮浪者生活をしてみるといい。
おぬし、学生か?
>そうでしょうか?朝鮮併合に伴い喧伝されたアジア主義イデオロギーは日本の国家戦略思想の根本に混乱と分裂をもたらした元凶です。
之は間違い。幕末にはもうあった。そこが問題で、明治維新は初めからその要素があった。多分それは時代の制約というものだろう。
>このような背景があって実際に戦闘をしなければならない現場サイドである関東軍の攻勢作戦(暴走)、連合艦隊の攻勢作戦(軍令部との対立)がでてきたのだと思います。ソ連と中国の陸軍と米国の海軍と対峙し守勢では持たないと言うのが本音でしょう。
之は間違い。海軍はアメリカといくら屋っても勝てない。
同じく陸軍もかてない。
その認識をして国家経営を考える事がベストであった。
海軍は戦争を10年つずけるとしたら。勝てるか?
勝てない>
陸軍はソ連軍と戦って勝てるか。日露戦争ですら、戦闘があと一年延びたら、お陀仏であったから。まして更にお金がいる近代戦ではなおさらである。
石原莞爾はそこまで読んで満洲事変をした事は優れており、陸奥宗光と同じだろう。
しかし勝海舟の見方のほうが確かであった。
アメリカ海軍は太平洋で我国海軍を言訳ができないほど叩き潰した。之に対して、陸軍はアレだけ有利にも拘らず、うまく行かなかった。
朝鮮戦争は陸軍の戦いである。それがアノザマである。
我国の陸軍が南京まで進んだ事に比べれば雲泥の差である。
この両者を勘案して、対米戦闘を構築すれば戦争には勝てただろうが。
それは真珠湾作戦とはまた、別の博打を打つ必要があった。
そのことを見破ったのが、北ベトナムである。多分彼等は大東亜戦争と朝鮮戦争を徹底的に検討して、望んだだろう。
アメリカは南ベトナムを見捨てた。
このことの意味を我々日本人は考える事で、それは中共も北朝鮮も考えている。
中共の奴が考えていることは分かるが、北朝鮮がわからない。
ドイツはイギリスの植民地の対立する勢力に武器を売りまくっていた。中国もその一つであって陰謀論と関係があるかどうかは断言できない。第一次大戦で植民地を取り上げられ、戦勝国に賠償金を払うためドイツが中国に武器を売る必要に迫られたというのが理由の一つだろう。さらに、1930年にはブロック経済でインドへの輸出も止められた。イギリスやフランスは日本を止められる力は残っていなかった。日本と中国が戦争して疲弊してくれたら彼らも貿易で儲けられると考えたのだろう。
幕末に幕府と新政府軍に武器を売っていたイギリス以外の商人たちは、イギリスが支配する海をどうやって安全に輸送したのだろうか?インドではフランスとイギリスの東インド会社同士が戦争をした。フランスが破れて軍隊は引き上げたがフランスとインドの貿易は続いた。
戦争が起きるかどうかは2国間の問題だけではなくて、それ以外の国が戦争を望んでいるかどうかも考えなければならない。
第二次大戦前にイギリスからアメリカにトランクで重要技術が持ち込まれた。13分野21個の技術の中には飛行機の燃料タンクの防護ゴムや原爆の設計やレーダーなどの一級の軍事技術が含まれていた。
商人(金)と宗教(価値観・思想)と愛国者(歴史・伝統)は極端な価値観を持っているから、一方から見るともう一方は裏切り者に見える。
昔の商人は売上税や相続税や関税を略奪と思っていた。彼らは宝石や美術品など持ち運び易い物を日頃から買っておいて万一の時はすぐに逃げ出せるようにしておいた。こういった人たちを愛国者は嫌う。しかし、土地もない近くに親戚もいない商人(移民)たちは、生きるために必死に頑張った。しかし、富は限られているため誰かが裕福になれば、誰かが貧しくなる。中国の道教を西洋人が知っていればこれほど沢山の対立は起きなかっただろう。
>之は間違い。幕末にはもうあった。そこが問題で、明治維新は初めからその要素があった。多分それは時代の制約というものだろう。
私の前のコメントを読んで貰えたでしょうか。アジア主義が突然発生したとは書いていません。アジア主義の素地はもともと日本にありましたし江戸時代にもありました。しかしこの思想が国政レベルや同盟関係をないがしろにするような外交レベルにまで影響を及ぼしてくるのは、やはり朝鮮併合以降になってからで特異な事でした。
>>このような背景があって実際に戦闘をしなければならない現場サイドである関東軍の攻勢作戦(暴走)、連合艦隊の攻勢作戦(軍令部との対立)がでてきたのだと思います。ソ連と中国の陸軍と米国の海軍と対峙し守勢では持たないと言うのが本音でしょう。
>之は間違い。海軍はアメリカといくら屋っても勝てない。
同じく陸軍もかてない。
その認識をして国家経営を考える事がベストであった。
本当にそうでしょうか?当時の日本の国家予算の配分を考えてみると、だいたい軍事費が3割〜4割、朝鮮への投資が1、5割から2割を占めています。しかも陸軍と海軍の予算分配比率は5、5で折半です。
この内、朝鮮への投資分と朝鮮防衛の必要がなくなった陸軍の予算の半分でも海軍整備にまわせば海軍予算はすぐ倍になります。当時でも太平洋での海軍力は日米で拮抗していた訳ですから日本はだいたい米国より倍の海軍力を持てる訳です。
つまり空母機動部隊を後2つから3つは持てたと思います。しかもランチェスターの法則から言ってそんなに持つ必要はありません。日英で同盟も活きていれば米国との戦いで勝てないということはないでしょう。
もともと日本防衛思想はこの海軍整備に重点が置かれてきていました。この単純な防衛思想を混乱し分裂させたものは何なのでしょうか。やはり朝鮮併合に伴い主流となったアジア主義なのではないでしょうか。
アメリカが我国との戦争を10年計画でしたなら、当時は軍事的にはそれは勝てない。
明治は征韓論がキーワードで、これが我国を誤らせた。
実を言うと征韓論はよく判らない。
欧米はアジアに何を求めてきたか?
植民地にするために来たわけではない。それはあくまで手段である。
このことは朝鮮独立運動家の金玉均に <俺は何もロシアに頼れといった覚えは無い。大国を背にしては、それなりの独立というものがあるさ。それで怒って、出て行ったが殺されてしまった。朝鮮なんて何処も取ろうとしない。あんな無いも無いところ>と言うような事を話した海舟が欧米の目的を正確に知っていた。
クロフネはそのためにある。
従がって彼は日清戦争に反対した。
日清戦争のスローガンは滅満興漢である。
明治維新は幕府という満州族を倒して天皇という、漢民族の王朝を起こした。そのひそみに倣って支那を見ると、そこには漢民族の王朝で無い清がいた。それで日清戦争というおせっかいを朝鮮を巡ってした。
海舟は全く別な見方をしており、推測すると、そんな馬鹿馬鹿しいことはしんあさんなという事である。
之は多分今も同じだろう。
アジア主義は我国のガンである。我国は地理的にはアジアに位置するが、その精神(文化)は全く別である。
それを日本人は本能的に知って、我国は神国といった。
この神国を認めず、外国人との共生を主張する、朝鮮人居留民と史那人は我国には済ませる必要はさらさら無い。
この点nori氏は日本人ではない。日本人には誰でもなれるものではない。
一例を上げよう。尊皇思想が如何なるものかをしめそう。
皇太子妃殿下雅子妃の父親は未だ外務省にいる。之は平安時代の藤原氏の位置にいることになる。尊皇思想はそれを認めない。元々日本人の常識では、小和田氏は外務省にいてはならない。ほとんどの日本人はそのように思うはずである。
それは憲法の天皇の規定と歴史を考慮すえれば分かるはずである。まして、外務省の事務次官をした人である。それしきの事を知らないはずは無いが、知らないようである。
一体之をなんと考えるか?
それなら彼は日本人か?日本人ではない。すると何か、朝鮮人で帰化した人か、史那人で帰化した人か、何かだと考えざるを得ない。
仮に拉致被害者が小和田氏に助力を求めて、雅子妃に伝えるような事をしたなら、彼は何とこたえるか?何故なら彼は外務省の役人で我々日本人が税金で雇っているからである。
ただ彼にはそのような発想は無いが、その位置はそれである。
拉致被害者のところを別のものを入れれば何が起きるか説明の必要は無いだろう。
彼は日本人の常識を持った人だろうか?
アメリカの当時の軍事戦略は貴公が考えているようなものではない。
>当時でも太平洋での海軍力は日米で拮抗していた訳ですから日本はだいたい米国より倍の海軍力を持てる訳です。
何故アメリカがワシントン軍職体制を構成して、その延長を望んだかを貴公は知るべきである。
彼等は彼等の目的を実現するために平時も軍事も同じように行動している。あくまで目的のための平時であり軍事である。
従がって軍事の背後に平時があり、平時の背後に軍事がある。
平時においてお互いの軍事力を削減する、そして一旦戦争になれば、その軍事生産力に物を負わせて、軍艦を相手より多く作り、そして押し返す。
そのようにして大東亜戦争は進んだ。確か昭和18年第三次ソロモン海戦以降太平洋全域で活動できるアメリカの空母は一隻もなかったが、その年の暮れから続々と空母が進水して、太平洋へ出てきて、昭和19年一気に押してきた。その結果は説明の必要はない。
このやり方は核戦力ができたときできにくくなった。
戦争だけでは無いが色々なものは表面だけでは判断しては大間違いを起こす。
依然として我国はアジア主義を日常的に克服していない。
之は高くつく。私はnori氏のような考えはゴメンであるが、極めて不利であることも承知である。
それとアメリカとの戦争は太平洋では決しない。之は戦争だけでなく経済問題も同じである。色々調べルト、トヨタの苦境はトヨタの努力では多分解決がつかないだろう。それは北米進出基本戦略がどのようなアメリカ認識で進めたかである。えらそうに言うわけでは無いが。
何処で決するか。?一度考えてください。
大東亜戦争はアメリカ太平洋艦隊を全滅さえても勝てる戦争ではないことを自覚する事である。之は今の大恐慌でも同じである。
経済が回復していく時、もしくは大恐慌が10年もつずいた時、我国が持つか、アメリカが持つかを検討されるとよい。
nori氏にも少し記したが朝鮮人居留民の背後に別なものがいるがそれを今考えている事である。それが核心だろう。
これがアジアン主義の一つの形かもしれないが、私はゴメンだ。
http://www.geocities.jp/teiiga/