韓国の盧武鉉前大統領が自殺しました。「前」とはいえ、一国の元首の自殺というのは、やはり大きな驚きを誘いますが、大統領就任後に見栄えを気にして目を二重に整形した人だから、現在の屈辱は耐え難かったのだろうなあと、どこか納得している自分もいます。日本にとっては(たぶん韓国国民にとっても)いろいろと迷惑な人でもありましたが、ともあれ、ご冥福を祈りたいと思います。
盧氏については、その奇矯な言動と世界の反応について2008年4月11日のエントリ「盧武鉉前韓国大統領の『功績』とエピソード」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/539919/)でもちょっと書いているので、関心のある方は読んでみてください。
それとは別に、私の記憶があいまいでいつのことだったか分からなくなっていることが一つあります。私は小泉元首相に同行して04年7月に済州島に、05年11月に釜山にそれぞれ行き、日韓首脳会談を取材しました。確か済州島のときだったと思うのですが、小泉氏と盧氏の共同記者会見の最中に、盧氏が「これから夕食会だが、メニューは簡単なものにした」と言い放ったのです。
おそらく国内メディア向けに日本を厚遇しない、靖国問題などで言うことを聞かない小泉氏はなおさらだ、という姿勢を示したかったのでしょうが、横に立って共同記者会見している相手を平然と侮辱したのでした。何と幼い、感情的な大統領だろうかと呆れたのですが、あとで飯島勲秘書官に聞いたところでは、この盧氏の態度には小泉氏も激怒していたそうです。
ところが今回、この話はいつのことだったろうかとちょっとネットで検索してみると別の日韓首脳会談でも盧氏が「食事は軽めにしておいた」と発言したという記事がヒットしました。そのときは私は小泉氏に同行していませんので、そうすると盧氏は複数回にわたって同じ侮辱を行っていたことになります。死者にあれこれ言うべきではないのかもしれませんが、やはり一国の大統領の器ではなかったのだろうと思う次第です。
今回、韓国の警察は盧氏の遺書を公開しました。それを読んでも、自身の苦痛や現状を嘆く部分が目につき、反省もない上、前国家元首としての国民へのメッセージもありません。つまるところ、そういう人だったのかなと冷たい感想を持ちました。
韓国では、歴代大統領が暗殺されたり、退任後に逮捕されたりでろくな目に遭っていませんが、盧氏の遺書を読みながら、ふと全斗煥元大統領のエピソードを思い出しました。
私は以前、瀬島龍三・元伊藤忠商事会長(故人)の回想録「幾山河」の編集に携わったのですが、その際、瀬島氏から話を聞きもし、本にも収録されている全氏とのやりとりについてです。瀬島氏は退任時期が近づいた全氏から「退任後の自分のあり方」について尋ねられ、こう答えています。
「(前略)四番目は、退任後のあり方だが、これを一歩誤ると、以上の第一、第二、第三が立派でも全体としては有終の美でなくなってしまう。退任後は次の最高責任者を陰に陽に助けていくことが大切でしょう。そして。それが最高責任者だった者の国家に対する責務だと思います」
ご多分にもれず、全氏も退任後、財閥企業などからの巨額資金提供などの疑惑が発覚し、ソウルの自宅を去って夫婦で寺へこもることになりました。その際の、全氏が国民に対して出した声明は以下の通りです。
「大統領在任中の国政のすべての過誤は、それが誰の考えであれ、どの機関の行ったことであれ、すべて最終決定権者であり、監督権者であった私に責任があると考える。したがって、すべての過誤に対する国民の皆さんの審判は私が受けるべきものだ。在任中、私は自分なりに最善を尽くしたが、この七年半が国民から権威主義と不正の時代として追及されており、その全責任は私がとらなければならない」
げに、為政者というものは大変だと率直に思います。国会議員はみな、あわよくば自分も、と思っているといいますし、ライバルの中川秀直氏を窓際に追いやって派閥会長の座についた町村信孝前官房長官などは、その意欲がギラギラしてきた印象がありますが、なんでそんなに重荷を背負いたいのかと不思議でなりません。いや、土日も祭日もなく、地元と国会を往復したり、陳情を受けたりし続けなければいけない政治家になんて、好んでなろうという心境がそもそもよく分かりません。まあ、動機、志は人それぞれなんでしょうが…。
by コミックカウボーイ
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