2009-05-25
不幸を検索する
適切な問いを持つと適切な答えが得られます。
一方いい加減な問いにはいい加減な問いしかえられません。
ところで私達が障害や問題に直面したとき、どのようなことを考えてるでしょうか?
このときの問いの質が、その後の人生の質を決めているといっても過言では無いのです。
「なぜいつも自分ばかりこのような問題が降りかかるのだろう」
「なぜ自分には才能が無いだろう」
このような問いを持てば、
「お前が馬鹿だから・・・」
「お前に才能なんて無いのだよ・・・」
こんな答えが直ぐに出てきそうです。
どのような問いを持つのかは、無意識に記憶に従った結果です。
その事を十分自覚することなく行っている結果なのです。
だからいつも変わり映えのない問いしか持つことが出来ず、当然同じような答えしかえられません。
そして変化を望みながらも何ひとつ変わる事のない人生を送るのです。
パソコンや携帯で検索をすることはあると思います。
適当なキーワードに対しては適当な検索結果しかえられません。
しかしキーワードを絞り込み、適切なキーワードを打ち込むと、その答えとなる検索結果が表示される事はご存知だと思います。
私達が持つ問いもこれと同じで、適切なキーワードで検索する、つまり適切な問いを持つことが重要になります。
相対性理論を打ち立てたアインシュタインが、残り一時間しか時間が与えられないような絶体絶命の状況の場合、
「そのうち55分ぐらいは適切な問いを見つけるために費やすであろう・・」
と話したそうです。
それほど問いの質を高める事は重要になるのです。
しかし適切な問いを得られたからといって、その答えに過剰な期待は禁物です。
必ずしも望むような期待通りの答えが得られるとは限りません。
優しい声で神が語りかけくれるわけではありません。
光と共に答えが天から降り注ぐわけではありません。
それは予告なしに突然来ます。
いつ何処でどのような形で答えが得られるのかは解りません。
それは突然聞こえる笑い声かもしれません。
突然聞こえる子供の泣き声かもしれません。
ふと目に付く看板かもしれません。
手に取った何かが答えかもしれません。
答えを期待して待つ事は、このような微小な答えのシグナルを見落とすこともあるのです。
そしてこの答えを期待して待つという行為も、記憶に従った結果でしかありません。
記憶の再生は適切な問いを阻みます。
そして記憶の再生は、適切な答えから目を逸らせます。
セルフアイデンティティー「ホ・オポノポノ」による記憶の浄化を行うことにより、問いの質を高める事は可能になります。
また問いの質を高める事は、適切な記憶の浄化に役立ちます。
どちらが先という事はありませんが、
「なぜいつも自分は・・・」
少なくともこのような不幸の理由を探す検索を止める事をしなければ、いつまでたっても同じ検索結果しかえられません。
天を仰いで待っていても、光が導くことなど無いのですから・・・