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  必読日替わりメモ

特設メモ  呉市海事歴史科学館への公開質問状  CDへ収録済み 日替わりメモ545番参照
 新たにRS-6調査研究コーナー特集記事 『呉市海事歴史科学館 大和ミュージアムに関する疑義』としてまとめました。

ヒコーキ雲に対するご意見、必読日替わりメモのご感想や質問回答をメール( sa@axisz.jp 冒頭にkをつける)でお寄せください。

勝手なお願い : インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の更新作業は早朝半眠状態の時に行うことが多くミス多発です。気付いての修正がありますので数時間後にもう一度見ていただくようお願いします。 佐伯邦昭
 
日替わりメモ090525

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N638 ニュースフラッシュ 2009/05/24 航空自衛隊 平成21年度美保基地航空祭
A8303 航空史探検博物館 長崎県 長崎市琴海町 民有地のダブの現在  
A8606  航空史探検博物館 宮崎県 えびの市 国道沿いにあったベル47G-2展示のドライブイン跡の姿

○ 「コルセアKD431 文化財としての航空機修復」に関する意見

中村泰三さんから :

 ヒコーキ雲、編集・公開にて精力的に頑張っておられる姿をみて頭が下がります、ありがとうございます。

 さて 、イギリス海軍航空博物館所蔵のコルセアの話を呉零との引き合いに出していますが、色々な機体を見てきた私にとって は、比較はあまりにも酷だと思います。

 勿論学術的に精査した上でオリジナル重視の修復等が必要な事は切実に解っているつもりですし、呉零では「もう少し何とかならないものか?」と残念な点を多々思っていますが・・・  
 それを踏まえても日本ではコルセアレベルの話をするには土台がなっていないと思うばかりか、現状と有識者との考えに乖離が見られると感じてしまいます。

 有識者は絶対にオリジナルに手を加えてはいけないと言いますが、それ以前にどれだけの重要な航空遺産が捨てられてきたか、二式大艇に見られる処遇とか(唯一の機体であるアメリカも認める傑作機が重要航空遺産にも指定されず屋内にも入れられない!腐食進行のまま!)、部品等の航空遺産ではお金出しての収集努力もせずに、現状マニアが保存を助けている事実を理解するどころか良く思わないとか、まず初めに基本的なそれらの事を追及し 確立してからコルセアレベルの事を日本に当てはめてはと私は考えてしまいます。

 日本と海外では程度が対極な点が現実ですし・・・ 

 デイブ・モリス氏(コルセアKD431 文化財としての航空機修復の原著者)が東京文化財研究所で講演された「近代の文化遺産の保存修復に関する研究会」の質疑応答でも、「日本の現状とコルセアとの比較は無理が在るのでは?」と質問が飛びかっていた事を思い出します。

 結局、佐伯 さんの考えと私の考えも行きつく所は同じだと思いますし、上記の意見はコルセア修復書籍を出版された方を始め日本各所で頑張っていらっしゃる方々を批判するものではなく、私が見てきた事を踏まえて「日本はどうにかならないものか?」と憂慮することであります。

佐伯から : ありがとうございました。こういう反応が来るのを心待ちにしていました。

 私の論調がかなり感情的であるのは認めます。それは、呉市役所の課長や大和ミュージアムの職員のあまりにも無責任な行動に対する怒りの発露です。彼らに、行政マンとしてあるいは科学技術や文化財を扱う者としての良心があって、率直に素直に私に話しかけてくれれば、こうまでエスカレートすることはなかったのです。零戦に責任はありませんよね。

  それは、ともかくとして中村さんの日本の現状についての話は同感です。ただ、各務原のUF-XSのように、あるいは所沢の九一戦のように、あるいは東京航空高専のように相当なレベルで処理されているものもあり、一概に米英との差があるとは言えないような気がします。

 ただ、零戦で言えば、鹿屋、三菱小牧、浜松、上野の物件は既にどうしようもないので、呉市海事歴史科学館の機体が公的機関が当時の技術状況を検証する最後のチャンスでした。(大刀洗、河口湖、靖国の零戦は民間人の扱いなので、コメントは控えます)
 だから、
090516に「呉市海事歴史科学館の罪は重いですが、それを知りながら、或いは知らずに見逃してしまった政府機関その他の関係者の罪も重いです。」と書きました。

 モリス氏の講演を企画した東文研は、これを読んで気分を悪くしたかもしれません。しかし、文化財のために予算を獲得してくれる政治家や理解のある財務官僚は少なく、東文研自体も切歯扼腕という現状があります。各務原の倉庫に眠るT-1A1号機は、修復約束の期限はとうに過ぎているのにまだ手が付いていません。

  だからといって、コルセア修復の本の刊行が無意味だとは決して思っていません。はばかりながら私を含めて声を上げることが大切だと考えている次第です。

中村さんから :

 全くその通りです。出版していただいた関係者の方々にはとても感謝しています。所沢の91戦も佐伯様の言う通りですし同感しています。ただ思う所が言えなくてもどかしいのですが、様々な所を見てきて上で日本の現状を残念で悔しくも思う訳です。

小山澄人さんから :

 著者のデイビッド・モリス氏ですが、昨年来日された際、各地を回られ各務原にも来られました。私は仕事の関係でお会いできなかったので、東京の講演会に休暇を取って行きました。

 その講演会の最後にモリス氏が聴衆に向かってこんなことを言われました。(発言の内容、ちょっと記憶があいまいなのですが) 「日本に来て、何箇所か展示施設を見せてもらったが、ある施設では、歴史的航空機が玩具のような塗装をされて展示されていた。 貴方たち日本人は、これをどう思っているの?」

 『玩具のような塗装』という言い方ではなかったかもしれませんが、「ある施設」というのはどこのことでしょうねえ?

佐伯から : 

 小山さん、メール無断拝借をお詫びします。「ある施設」はおよそ想像がつきます。大和ミュージアムで栄エンジンの減速ギアケースが新品同様にベッタリと青塗装されているのを見たら、知識のある人なら Is it a toy? なんて発するでしょうよ。表紙絵25参照)
 高らかに技術立国を掲げてきた日本が、くだらぬことで外国人に物笑いにされるとは情けない限りですね。

 なお、「コルセアKD431 文化財としての航空機修復」については、小山さんのホームページ徒然ノートにうまくまとめて紹介してありますので、近々それを拝借しながら、一連の日替わりメモの記述も含めて図書室に紹介記事を書いておきたいと存じます。

 航空遺産継承基金や東文研からのひとことがあると生きるのですが‥。

 

日替わりメモ09054

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N637 ニュースフラッシュ 2009/05/17 陸上自衛隊 霞ヶ浦駐屯地開設56周年記念行事兼関東補給処創立11周年記念行事
A3003 航空史探検博物館 茨城県 陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地 保存機、教材機、いしぶみ 武器補給処 追憶の碑
A3003 航空史探検博物館 思い出 飛行船ツエッペリン伯号飛来跡記念碑の移転

○ 陸上自衛隊 霞ヶ浦駐屯地開設56周年記念行事兼関東補給処創立11周年記念行事

  長ったらしい名称ですが、ここの祭りには飛行船が来たり、はじめてアパッチが飛んだりで、なにかと話題の多い駐屯地です。ことしは、雨が降ったために各地でおなじみの小武器展示を格納庫内で行い、見に行ったヒコーキマニアはカービン銃などよりも、その背後にある保存機に目を見張りました。VIP輸送のアエロスパシアルAS332Lピューマがずらっと3機、つまり退役した1号機から3号機までが保管されている、更には川崎ヒューズOH-6もずらっと、ということで、さすがに日本一の補給処というだけあって物持ちのいいこと。

 せっかくなら、ピューマは総理官邸などゆかりの地や博物館に展示したら如何なものでしょうか。

 またツエッペリン伯飛行船の記念碑が、広報センターの前に移されています。7年前にShadowさんに案内してもらった時には、裏側の金網を通して苦労しながらでないと写せませんでしたが、今度は広々とした芝生の上で碑も喜んでいることでしょう。 

 

日替わりメモ090523

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A2317 航空史探検博物館 宮城県 思い出 古川市(現大崎市中心部)に飛来した米軍H-13ヘリコプター

○ 古川市(現大崎市)に飛来した米軍H-13ヘリコプター

  今や、ビルが林立する大崎市の中心部ですが、昭和30年、まだ自然を残す町のグランドに突然やってきたヘリコプターに好奇の目をむける大人や子どもたちの素朴な姿は、古き良き時代を懐かしく思い出させます。

 そんな中で、フイルム1本では足りず家へ戻って小遣をねだって買い足したという戸田少年、写真の裏にはH-13Eと形式をメモしているそうです。これほど飛行機に目覚めていた少年は、古川では恐らく彼くらいのものだったでしょうね。 まさに“栴檀は双葉より芳し”です。
 


○ 立ち読み雑感

 昨日、所用のついでに本屋で立ち読みしてきました。大日本絵画の鐘軌戦闘機隊 陸軍飛行第 70 戦隊写真史という分厚い本の後半に秋水の訓練グライダー秋草の特別部隊集があり、たくさんの写真が発表されています。驚いたことに、柏基地の地上や上空の秋草の写真の殆どが木村秀政撮影ということです。彼は、写真家の木村伊兵衛氏に師事していたのだそうで、軍事機密基地での行動も許される立場での芸術性を加味したカメラワークには、思わず羨ましさを感じました。

 もうひとつ、何度も触れてきた日本航空協会航空遺産継承基金発行の「コルセアKD431 文化財としての航空機修復」 も書棚に5冊も重ねて売っておりました。文化財としての航空機修復を内容とするこの種の本が、一般書店で売れるのかと驚きましたが、よく考えてみれば、本書の内容はあらゆる文化財の復元修理に共通する理論と実際であり、そういうことに関心をもつ人々の教科書たり得るものなのです。

 飛行機(自動車でも家具調度品でも何でもいい)を博物館展示目的で作ることはありません。人間が使うためです。しからば、文化財として博物館に展示するのは、人々の手垢がついた最後の使用状態でみせるからこそ、科学技術史上の価値が付加されるのです。

 くどいですが、大和ミュージアムの零戦と栄エンジンは、琵琶湖へ突っ込む寸前のありのままの姿に復元してこそ価値があります。外観をそれらしく加工して色を塗りたくって展示するくらいなら、原寸大のプラモデルを作っておけば十分です。民営施設ならいざ知らず、公共の科学博物館の使命を考え直すためにも、大和ミュージアムの職員は「コルセアKD431 文化財としての航空機修復」 を熟読吟味するよう要望しておきます。 090516番参照

 

日替わりメモ090522

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N636
A4501
ニュースフラッシュ 2009/05/17 航空自衛隊静浜基地航空祭   芙蓉部隊資料展示館など追加
航空史探検博物館 静岡県 航空自衛隊静浜基地の保管・展示機  芙蓉部隊資料展示館など追加

○ 日本航空協会の重要航空遺産に戦後航空再開時の国産航空機群を指定

 神風エンジンと東洋航空のTT-10練習機やフレッチャー攻撃機、萩原技師のラムジェットヘリコプターなど5機が重要航空遺産として認定されました。詳しくはHPをご覧ください。
 http://www.aero.or.jp/isan/heritage/aviation-heritage-kosen-collectiojn.htm 

 認定理由を読み進みますと、あの時代によくぞ取り組んだものとそのパイオニア精神に頭がさがりますし、人々から見放されてスクラップ行きの運命にあったものを東京航空高専に受け入れるために尽力した人々、及び、展示館において当初の姿に修復しまるで稼働状態のように整備した同校教授陣にも頭がさがります。

一例
 1993年に機体を分解し腐食している主翼木部を修理すると共に主翼および胴体の羽布部分の破損箇所を補修、胴体内部に防錆塗装を行うと共に外部銀塗装を上塗りしたが、全般的に使用当時の状態を保っている。また、修理の記録も残っている。

 「使用当時の状態」「修理の記録」  この2点が最も重要であることは論をまたないでしょう。佐伯が耳タコのように強調してきている、修復時の町工場的作業や情緒的な考えの再塗装で、「使用当時の状態」を台無しにしてしまい、「修理の記録」もないという博物館保存機がいかに多いことか。

 例の零式艦上戦闘機の所沢の修理では、作業員の目分量で工作した部分もあるとか、プラスねじをマイナスねじに見せるように溝埋めしたり、羽布がわりにビニールクロスを使ったりしているそうですから「使用当時の状態」とは無縁でしょうし、「修理の記録」があるのかないのか検証や作業の責任者や工場名すら秘匿されたままですから。  
 となると、後世のために反重要航空遺産に指定したら如何なものか思っている次第。 

 

日替わりメモ090521

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RS-0 調査研究コーナー 或る戦闘機(川崎キ61三式戦U改飛燕)の戦後史  1965年熊谷基地に展示の写真を追加
或る戦闘機(川崎キ61三式戦U改飛燕)の戦後史 は鹿児島県知覧市から調査研究コーナーへ移しました

○ 或る戦闘機(川崎キ61三式戦U改飛燕)の戦後史

 日本で唯一の生き残り飛燕が修復なって1964年11月航空自衛隊10周年記念として入間基地で公開された後、各地に貸し出されることになりますが、1965年3月の熊谷基地での展示はそのトップバッターではなかったでしょうか。PAPPYさんの写真は、飛燕にとっても熊谷基地にとっても貴重な記録となりました。

 ところで、飛燕所有者の日本航空協会と防衛省が当時どのように協定をしたのか、資料があれば教えていただきたいと思います。

 1965年だけで熊谷基地、新宿京王百貨店、梅田阪神百貨店と3か所での公開が明らかになり、以後、20年にわたって東北から九州まで各地で展示されています。
 知覧で特攻機スタイルで屋内展示される前には、約2年ほど河口湖自動車博物館(自動車館の天井吊り下げ)にあり、その返還交渉が難渋したとの噂もあります。そういうことが少飛会の介入となり知覧特攻平和祈念館への貸与に至ったのかもしれません。或いは少飛会、日本航空協会、知覧市役所の当時の関係者に恒久貸与という暗黙の認識があったのかもしれません。

 誰が悪いということではありませんが、唯一の生き残り飛燕が、展示に最もふさわしい土井武夫技師ゆかりの各務原へ里帰りする可能性は限りなくゼロに近いと思われるのが、とても残念です。

 知覧へ行くまでの戦後の生涯をインターネット航空雑誌ヒコーキ雲に、かなりのボリュームで記録できていることをせめての救いとしましょう。皆さんのご協力に飛燕ファンに代わってお礼を申し上げます。


○ 続 全身ブルーのマルヨン 訂正

 早朝、乱視のためシリアルを読み違えていました。 76-8698ではなく76-8696でした。よって、浜松広報館のUF-104Jではなく、静浜基地に展示されている機体です。MAVERICさん大変失礼しました。


○ 呉市海事歴史科学館大和ミュージアムに関する疑義が完了しました。お暇な時にじっくり読んでいただいて感想をお聞かせください。

第1章 零式艦上戦闘機に関する疑義
第2章 呉市側から仕掛けてきた戦艦大和の歴史捏造問題に関する疑義
第3章 戦艦大和以外のもろもろ
第4章 呉市役所の体質など

 

日替わりメモ090520

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A3905
[表紙絵24]  全身ブルーのマルヨン 25年前に甲府市舞鶴城公園にて
航空史探検博物館 山梨県甲府市 舞鶴城公園にあった全身ブルー塗装のF-104J
A5609 航空史探検博物館 兵庫県伊丹市 陸上自衛隊千僧駐屯地 のOH-6がJ型からD型に変更 
Z15 佐伯邦昭のヒコーキマニア人生録15 間違いだらけの説明板を正す対症療法
             新 陸上自衛隊 千僧駐屯地の説明板から

○ 全身ブルーのマルヨン

 甲府市の舞鶴城公園にあった展示機は既発表のT-6のほかにF-86D 84-8101もあったという情報で出現を待っていたのですが、なんと思いがけずF-104Jが出てきました。それも翼端タンクまで真っ青に塗り、シリアルと「まいづる」という文字だけ黒で記入という姿です。貸与した航空自衛隊や地連の人は驚いたでしょうね。

 返還後は、その塗装は落とされていますが、F-104Jを無人標的機に改造する際の塗装試験台に使われたのでしょうか尾翼が赤い塗装になっています。今は、浜松広報館の中庭にそのUF-104Jスタイルで鎮座展示されています。UF-104Jで撃墜された機体は8千番台のシリアルを3千番台に変えていますが、76-8698だけは変っていません。(5/21取り消し 090521参照)


○ もう情けないとしか言いようがない 

  市民をなめているというか、馬鹿にしているというか、こういう人たちに国を守る自覚があるのかと言いたくなるような千僧駐屯地のOH-6です。窓などが破れていたJ型を新しいD型に変えて展示したところまでは評価しますが、説明板を読んでマイナス評価に逆戻りです。隣の建物の前に爆弾が展示してあるのでgundamzakuさんが、ヘリの傍に居た制服の隊員に質問したところ「私は広報ではないので、わかりません」と答えたそうで、更にマイナスが加わりました。もう情けないとしか言いようがありません。

 

日替わりメモ090519

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N636 ニュースフラッシュ 2009/05/17 航空自衛隊静浜基地航空祭
A4501 航空史探検博物館 静岡県 航空自衛隊静浜基地の保管・展示機 05/17現在 T-3初号機など
A8820 航空史探検博物館 日本の風景 沖縄県 宮古郡多良間村  多良間(たらま)空港 島全体の空撮を追加  

○ 静浜基地航空祭

 雨で多くの飛行展示が中止されたなかで、主のT-7だけはその存在を誇示するかのように堂々たる編隊飛行を行いました。島田の商工会に長く展示してあったT-1が、静浜基地の常設展示として初お披露目されましたが、T-6、T-34、T-3、T-1、T-7と航空自衛隊の練習機がずらっと並ぶのも教育航空団のいいところですね。T-2が加わればオールスターになるのですが。

○ 続 多良間(たらま)空港

 多良間空港の地上の写真を見て、ELINT人さんが与那国(よなぐに)からの帰りに空撮した写真があるのを思い出してくれたので、追加しました。

 気がついてみると沖縄県の離島の飛行場に関する日本の風景は、石垣空港を残すのみとなりました。紆余曲折の末の新空港建設途上ではありますが、どなたか、現空港と新空港工事中の写真を写していませんかね。

 沖縄離島空港が揃えば、次は鹿児島県の離島、そして長崎県の離島と望みが膨らんでまいります。

 

日替わりメモ090518

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A8820 航空史探検博物館 日本の風景 沖縄県 宮古郡多良間村  多良間(たらま)空港  

○ 多良間(たらま)空港

 ツアーに参加するまで名前も知らなかった‥ と小規模板工房さんが述懐していますが、村の人には失礼ながら旅行会社のこまめなプランニングが無かったら訪れる客人など滅多にいないだろう沖縄県多良間島。
 先月末現在で男731人女613人という人口です。多良間村ふるさと活性化定住促進事業というのがあってUターンや新規定住者には結婚、出産、入学、就職、新築等の補助金が用意されています。若者よ、このサンゴ礁に囲まれた美しい小島に一肌ぬぎませんか!

 

○ 日本航空協会にお願い  「コルセアKD431 文化財としての航空機修復」に関連して

  「コルセアKD431 文化財としての航空機修復」の帯に『これほどまでに真正性を尊重したCorsair KD431が果たしたさまざまは、今後の近代のこの種遺産の保存活用への大きな指標となることは間違いなかろう』とあります。中味を読めばそれが決して誇張でないことがわかります。

 さて、財団法人日本航空協会航空遺産継承基金は、今日18日付けで都立産業技術高専が保管している読売Y-1ヘリコプターなど国産6機を重要航空遺産として認定するそうです。

 結構なことでありますが、併せてお願いを申しあげておきます。

 次なる重要航空遺産の候補に大和ミュージアムの零式戦闘機を検討の中に入れているならば、本書を発行された趣旨に著しく反します。

 なぜなら、同機が琵琶湖から引き揚げられて、京都の民間施設で一般展示目的のために簡単な修復が行われた後において、いやしくも公立の科学博物館たる呉市海事歴史科学館がやったことは、所沢の小さな町工場で、内容を一切公開しない完全秘匿裡に作業を行 い、適当にごまかしの部分も存在するずさんな修復 ―― 言ってみればイギリス海軍航空隊博物館が4年間にわたってコルセアKD431に施した作業との対極にあるのが、ただいま大和ミュージアムにある名機零戦だからです。

 館の開館日に合わせて大和の模型と並ぶ目玉展示にするだけの目的でなされた妥協行為は、施設経営の面に限れば理解しますが、時間をかけて慎重かつ綿密な検討がなされずに工作された物体としては、重要航空遺産の趣旨に著しく反する結果になっていると言わざるを得ません。

 ただし、航空遺産継承基金において実態を調査され、同機の経歴や考証と修理の過程が確かなものであったと認められて、その一切がコルセアKD431のように公開されるなら、発言は撤回します。

 なお、零式戦闘機問題については、「呉市海事歴史科学館への公開質問状」 新たに調査研究コーナー特集記事 『呉市海事歴史科学館大和ミュージアムに関する疑義 第1章』RS-6として改訂しました。ご一読ください。

 

日替わりメモ090517

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A8819 航空史探検博物館 日本の風景 飛行場空撮  沖縄県島尻郡座間見村 慶良間(けらま)空港
A8816 航空史探検博物館 日本の風景 沖縄県島尻郡久米島町 久米島空港 風景

○ 久米島と慶良間

  沖縄の久米島空港は2000m級滑走路にして、ボーディングブリッジが備えてありますが、ボーイング737のドアに横付けするのは1日2便だけ、あとの5便はDHC-8ということで、地上に降りたお客さんは専用タラップを登ってボーディングブリッジに入り、2階の到着ロビーへという段取りだそうです。ちょっと愉快ですね。

 慶良間空港は、例のエアドルフインが撤退してからは、どこの時刻表にも載っていません。もともと公共施設地図航空と豊田商事が造った飛行場で、途中離島振興の観点から沖縄県管理に移行しましたが、座間見村の中心の島から離れているためか利用が少なく、今は緊急離着陸のみということになっています。

 立派なターミナルビルもあるようで勿体ないことです。今日は、座間見村の村長選挙の投票日、飛行場が争点になっているのかどうかは知りませんが、何とかしてやりたいと、これは本土の人間の気楽な観測です。

 慶良間(けらま)と聞くと、鹿児島県で見つけた慶良間ツツジを思い出します。3mの樹高、まっ赤な大きな花をつける国内最大のつつじです。広島市役所本庁舎前に毎年咲き誇っています。一度、本家の慶良間島で野生のものを観察してみたいです。

 

○ 「コルセアKD431 文化財としての航空機修復」に関連して

 昨日の日替わりメモの末尾で呉市海事歴史科学館の零戦が、ずさんな修復管理のために台無しになってしまったことを書きましたが、その経緯等を航空史探検博物館から消してCD化してしまったので何のことやらわからないという苦情を頂きました。よって元へもどす作業をしています。ただ、構成等見直す必要もあるので、ただいま進行中です。完成次第「呉市海事歴史科学館への公開質問状」 として復活いたします。

 

日替わりメモ090516

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HOME [表紙絵23]  四度目の一般公開を待つ海軍零式艦上戦闘機 福岡県筑前町にて 日替わりメモ090516参照
N635 ニュースフラッシュ 旧・新大刀洗平和記念館の現状と展示を待つ零戦
            参考再掲 4年前の名古屋での零戦解体風景

○ 旧・新大刀洗平和記念館の現状と展示を待つ零戦

 表紙絵説明の四度目とは、090511に書いたように、サイパンから福岡市に復員してきてから太宰府天満宮、名古屋空港ビルの航空宇宙館、甘木市の音楽館に続いてという意味です。多分、ここが終の棲家(ついのすみか)になることでしょう。
   展示準備中の新しい大刀洗平和記念館の外から撮影させてもらった零式戦闘機は、既に組み立てを終わり埃よけのビニールに包まれて静かに公開を待っているかのごとくです。

なお、4年前に福岡へ運ばれる前の解体風景を再掲しておきました。尾輪付近の構造などめったに見ることができないので貴重なショットです。

昨日書いた写真の効用と関連しますが、このようにひとつの対象をこまめに記録しておく価値はいわずもがなです。もし、サイパン島での修理、福岡での応急修理、中日本航空での本格展示向け修理、福岡への分解搬送の状況などが細かに記録してあるとすれば、将来、この零戦32型Y2-128によって零式艦上戦闘機のオリジナルを再現することが可能になります。

 

○ なぜ、こういうことをしゃべるのかというと、日本航空協会から送られてきた「コルセアKD431 文化財としての航空機修復」なる3200円もする大書を読んでいるからです。いずれ図書室で取り上げますが、内容は、イギリス海軍航空隊博物館が4年間にわたってイギリス海軍のコルセア(米空軍名F4U)戦闘機を、ほぼ、完全にオリジナルに復元した状況を豊富な写真と懇切な解説でまとめたものです。

戦後、或る大学の博物館で見栄え良く修復されていた機体ですが、アメリカの工場出荷から英海軍退役までの来歴を調べて、その状態を復元するために大変な努力を重ねるのですが、ざっと読んでみて次の2点にいたく感銘しました。

 第一に、見栄えのために塗られていた塗料を消すのに、剥離剤を用いたり、上塗りをしたりするのでなく、医療用のメスや微粒のコンパウンドなどで丁寧にはがし、オリジナルの塗装を露出させるというような綿密な作業を行っていること。それで、従来の町工場並みの復元状態が見直されて限りなくオリジナルに近くなっていること。

 第二に、不明な箇所を、勝手な解釈で触ったりせずに残していく、そうすると4年間のうちにたくさんの情報(当時の軍人や報告書や指令書など)が自然に集まってきたり、他の部分から関連して明らかになったりしていったこと。それによって、英国向けコルセア戦闘機の全貌が明らかになり、航空史解明に大きく貢献することになったこと。

 これぞ、航空機という文化財を扱う人の基本中の基本であり、良識中の良識です。呉市海事歴史科学館が、あのオリジナル零戦を、8千万円のうち4千万円を誰かに横取りされて、所沢の小さな町工場で飛行機好きのおやじさんに修復を任せ、ろくな考証も検査もせずにその零戦を台無しにしてしまった、戦後史に特筆されるべき公的機関の大失態が思い出されます。

 呉市海事歴史科学館の罪は重いですが、それを知りながら、或いは知らずに見逃してしまった政府機関その他の関係者の罪も重いです。彼らは「コルセアKD431 文化財としての航空機修復」をどんな気持ちで読むでしょうか。一度腹の内を聞いてみたいものです。 

 

日替わりメモ090515

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N634 ニュースフラッシュ 2009/05/10、13 プーチン首相来日の特別機と随伴機

○ 写真の効用

 佐伯は、今では中国東北部と呼ばれる満洲から引き揚げてきて63年になります。そこでの記憶をある程度鮮明にたどれる最後の世代ともいえるので、みずから進んで、陸軍第918部隊=南満造兵廠のあった奉天市北部の文官屯という地名にちなんで「懐かしの文官屯」なる不定期機関誌を5年間にわたって編集発行してきました。

 その最終号を4月末に配布し終え、これで冥途へ行っても当時の大人や学校先輩といろいろな会話を楽しむことができるだろうなと、肩の荷を卸した心境です。

 「写真の効用」というのは、機関誌に載せた写真が思わぬ効果を発揮したことです。引揚時の大混乱で写真を持ち帰られた人は数少ないのですが、それでも探せばあるもんです。陽の目を見ることもなくセピア色で眠っていた写真が、相当数編集者の手元に集まりました。

 誌上に掲載したそれらを見て、皆さんが、おっ 懐かしい!と声を上げるのは月並みですが、特に自分の姿、父母兄弟の顔などを誌上に発見するとその驚きと嬉しさは倍加します。六十数年間、写真はないものとあきらめていたが、誰かが持ち帰った物の中に発見した時の心境はおよそ想像できますなあ。

 もとより人物写真の効用はほんの一例です。風景写真の中に手記の中に当時の印刷物の中に、それこそ「こんなこと あんななこと あったかな」という歌のとおり強烈な思い出を復活させてくれました。今の自分の血肉の一部でもあるわけです。皆さんの人生に或る彩りを復活させてあげられたことは編集者冥利に尽きます。

 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の編集も、底を流れる私の思想は「懐かしの文官屯」編集と異なるところはありません。そんなふうに見ていただければ満足です。

  なお、「懐かしの文官屯」バックナンバーは国立国会図書館で閲覧することができます。また最後の2巻は防衛研究所図書室にも送ってあります。

 

日替わりメモ090514

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A5506 航空史探検博物館 大阪府和泉市 陸上自衛隊信太山駐屯地の展示機の変化

○  朝日新聞が次のように報じています。

 冷戦下で旧ソ連がベルリンを封鎖した際に西側諸国による物資の大空輸作戦の拠点となったベルリンの旧テンペルホーフ空港で12日、作戦終結60周年を祝う式典があった。5月12日はベルリン封鎖が解除された日にあたる。

 式典でベルリンのウォーウェライト市長は「今もベルリン市民には感謝の気持ちがある」と、大戦中に敵国だった国々からの支援に改めて謝意を示した。空輸作戦で空から干しぶどう(ロジーネン)やチョコレートを落としたことから「ロジーネン・ボンバー」と呼ばれた飛行機から約1千個のお菓子が当時さながらに落とされた。

 そのお菓子を落とした航空機はもちろんダグラスC-47です。
  その当時、Operation Vittlersに駆り出された、極端に言えば無数のC-47輸送機の写真を見て、一切の航空活動を禁止されていた日本の航空人はため息をついたことでしょう。それにしてもすごい作戦です。
 有名なテンペルホーフ空港の写真の密な体系から想像される息つく暇もないオぺレーション、やればできるんですねえ! それはDC-3だからこそなんです。

 

日替わりメモ090513

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Z15 佐伯邦昭のヒコーキマニア人生録15 間違いだらけの説明板を正す対症療法
             2009/05/10 陸上自衛隊信太山駐屯地 で見た説明板から

○  大恥と言い訳

 昨日の信太山駐屯地創立52周年記念行事N632中のUH-1Jの2枚の説明板に関して、次のように書きましたが、それはおかしいよという指摘を受けて直ちに取り消し線を引きました。大恥を覚悟でさらけ出しておきます。
  諸元表の「ベル205」は、マニアとしては我慢ならないな(佐伯)

 調べてみると、富士ベルの単発ジェットヘリは、204Bと206Bジェットレンジャーが頭にあり、その中間に205Bというのが1機だけ存在するというのを失念していたのでした。
富士重工業子会社のエフエーエス所有のJA6181が宇都宮北基地の祭りや横浜の国際航空宇宙ショーに姿を見せていましたね。その205を陸自用に改良したのがUH-1Jだそうで、説明板の「ベル205改良」は正しいという通告を受けたのです。

 言い訳をするならば、一般には大ベストセラーの富士ベル204BからUH-1BUH-1HUH-1Jと改良を重ねたきた名シリーズという印象が強いので、専門家相手ならともかく一般向けオープンハウスの説明板に唯1機だけの形式を書くのは如何なものかと‥。

 同じ意味で、OH-6Dの説明板には、「形式 ヒューズ500」とあります。川重が売り出したヒューズ369というのはありますが、500になるとマクダネルダグラス社でMD500(日本では海自のOH-6DAのみ)となっています。突き詰めて正確にといわれると自信はありませんが、わざわざ民間型の形式を書く親切が却って問題を生んでしまっては如何なものかと‥。

 実を言うと八尾の第3飛行隊が信太山に持ち込んだ説明板は、第2飛行隊が岩国フレンドシップデーに持ってきており私も写していました。そこで、例によって人生録Z15に3種類の説明板と陸上自衛隊公式ホームページのデータの比較を載せてみました。できうれば、八尾と信太山の担当官において問題点を検討していただければと思います。ヒコーキマニアの皆さんも、専門家と一般の中間に位置する立場でモデルを考えてみてくれませんか。

○ 厚木についても忌憚のない意見を頂戴しました。軍事基地内のことなので推測の域を出ませんが、現場のご苦労は大変なものだったようです。そのためでしょうか、入場時のトラブルや海自展示機確保に不満が残りました。ただし米海軍機を堪能した一部マニアを除きます。

 広報活動としてのちびヤンは曲がり角にきているのではないかとの意見もありました。ヒコーキマニアにとっては楽しみを奪われることですが、ちびっ子ヤングとその親に限って入場させて遊ばせながらじっくりと海自航空を理解させていくというのが、本来の広報活動ではないのかと‥。

 

日替わりメモ090512

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N633 ニュースフラッシュ 2009/05/10 海上自衛隊厚木航空基地ちびっ子やんぐ大会
N632 ニュースフラッシュ 2009/05/10 陸上自衛隊信太山(しのだやま)駐屯地創立52周年記念行事 

○  岩国に続いて基地開放のシーズン到来ですね。
 ニュースフラッシュも忙しくなりますが、ただ来たものを紹介するだけでは編集者の旨味というものがないので、画像を並べたりする中で気がついたことを、ポイントとして付記したりします。あるいは、画像の大きさや濃淡を変えたり、カットしてクローズアップしたりします。
 それが必ずしも撮影者や提供者の意図にかなっていない場合もあるでしょう。速報性を重視すれば意見交換をしたりする時間がありませんので、一方通行の編集にせざるを得ませんし、それ故に問題点の指摘があれば、ただちに修正したりお詫びをしたりするように心がけているつもりです。

 今朝も、厚木と信太山で、独自の疑問と感想を入れました。信太山については、航空主体の行事ではないので、毒舌は気の毒にも思いますが、自衛隊というのはやることがすべて縦割りで横の連絡などまるでないのかというように思える説明板なので、致し方ありませんね。

 厚木の場合は、他サイトによると荷物検査に手間取って暑い中を入場まで随分待たされたということなのですが、ちびっ子やんぐ大会という広報活動の趣旨がいまひとつ伝わってこない気がします。海自本来の新鋭機がなくて、人々は新しい塗装の米軍戦闘機に喜んだなんて本末転倒のような気がします。多額の予算を使っての広報のあり方に再検討の要ありと思います。

 さて、こういう佐伯の見方考え方について、どうぞ忌憚のないご意見をお聞かせください。 

 

日替わりメモ090511

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A8109 航空史探検博物館 福岡県朝倉市 音楽館 零戦は大刀洗へ移転済み その他更新
A8113 航空史探検博物館 福岡県中間市 明願寺幼稚園T-34Aの別角度の写真
A8112 航空史探検博物館 福岡県田川郡添田町 添田公園T-33Aの説明板を追加
A8111 航空史探検博物館 福岡県嘉穂郡稲築町 稲築中央幼稚園 のT-33Aは台座だけが残っている

○  福岡県の展示機たち

 KUPANBAさんが2日間にわたって福岡県中部を調 べてきてくれました。今年10月3日土曜日に開館する筑前町立大刀洗平和記念館に展示される零戦は、朝倉の音楽館を出て新記念館へ運び込まれています。(大刀洗駅の現記念館は 昨年12月に閉館し、オーフュースエンジンは既に防衛省へ返還されているそうです。)

 南方のサイパンから復員して福岡―大宰府―小牧―朝倉と移動してきた最後の零戦三十二型が、ここに永住の地を得ました。これまで関係された福岡県民の熱意に敬意を表します。

 その他、各地の展示機等の消息はそれぞれのページをご覧ください。


○  9日夜NHKBS ハドソン川 を見て   かつおさんからメール

 番組表では単に「ハドソン川」とだけでしたが、本題は「ハドソン川奇跡の着水 不時着ジェット機からの救出劇」となっており、異常発生から管制塔との交信、周辺飛行機から傍受に対する交信など、刻々と状況が伝わり、あわせてその時々の乗客の機内状況とか恐怖感が体験談として生々しく伝わります。

 見終わっての感想は、本当に不幸中にラッキーが重なっていたことです。バードストライクは大概150m以下の超低空で起きるようですが、この場合のそれは980mと高度があって、
 “66tのグライダー”にも極限の中にもある程度の進路選択が可能だったこと
 近くに川幅の広い大きな川があったこと
 唯一の障害だった高さ150mの○○橋を僅か数10m差で超えられたこと
 それに元空軍Pだった老練機長の冷静な判断・卓越した技量が一人の犠牲者も出さなかった
ことは、当人の言のとおり、まさに「奇跡」の不時着水でした。過去のエチオピア航空機がハイジャックで着水シーンが出ましたが、パイロットが狼狽して冷静さを失っていたのか、映像によると着水時、左に傾いていたため左翼が先に水面に触れ、安定を失い大破する凄まじいシーンがありました。

 乗客の体験談と爾後の救出活動が殆どを占めており、「ヒコーキ雲」向きの技術的な点が無かったことはちょっと淋しかったです。なお制作はイギリスです。

 

日替わりメモ090510

本日のページ更新は日替わりメモだけ

   

○  無題

 調査研究コーナーの各地関係分を異動させる作業に没頭しているうちに夜が明けてしまいました。とりあえず今朝は無題でお茶を濁しておきます。


2009/05/03 広島西飛行場


2009/05/05 MCAS IWAKUNI

 

日替わりメモ090509

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HOME [表紙絵22]  たまにはA380でも 5月2日 成田にて 撮影元村博之 F/6.3 1/640秒
N631 ニュースフラッシュ 2009/05/006 岩国フレンドシップデー翌日の帰投機 ブルーインパルス 浜松でスモークサービス
A3502 航空史探検博物館 千葉県 航空科学博物館 東京消防庁ゆりかもめ再塗装後の写真

○  続々々 MCAS岩国フレンドシップデー

  翌日の外来機帰投風景の写真を見る限りでは、随分ひねったりしてグッバイの挨拶を送っているようです。ゆうべの美女のサービスが良かったのかと、これはゲスの勘繰りです。

 三沢アクロバットチームのF-16が燃料タンクとトラベルポッド(と思う)を取り付けています。それは当たり前ですが、翼端にミサイルを装着しているのに意外な感じを受けました。先端が黄色に塗ってあるのは実弾を意味するのか? 曲技専科といいながら実戦機であることに違いはなく、フェリー中は武装して外敵に備えるということなのでしょうか。

 武装といえば、展示中の郡山基地のF-16や岩国基地のF/A-18がいろいろな武器を吊り下げていましたが、私には知識がなく詳細観察ははじめから放棄しています。

 また調査研究コーナー75で、SGRさんから非常に興味深いレポートを頂いているボルトの種類についての観察も、とにかく大量の地上・空中展示機の撮影に忙しくて手が回りませんでした。

 ただ、F/A-18Dのレドーム最先端はプラスねじ、タンク懸架装置はマイナスねじで、サラボルトやヘクスロープは用いてありませんで、やや奇異な(懐かしいような)感じを受けたです。

 ブロークンイングリッシュで質問しようにも、兵隊さんたちはグッヅ販売と笑顔の記念撮影相伴で問いかけなどできる状態ではないのですね。まさにフレンドシップデーですなあ!!

 

 

日替わりメモ090508

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N630 ニュースフラッシュ 2009/05/05 岩国 フレンドシップデー 飛行展示写真と地上展示等のリストを発表

○  続々 MCAS岩国フレンドシップデー

  やっと航空ショーらしいページになりました。ベトナム戦争や石油ショック時の殆ど飛行展示のなかった頃を知る者には隔世の感がある空中ページエントです。その感動をMUKUさんとHAWKさんの画像で堪能してください。

 ただ、五月晴れの素晴らしいお天気が、岩国飛行場では特に午前中に逆光の悪条件になってしまうのが残念で、皆さん苦労しているようです 。もっともブルーインパルスを楽しみに来ていたファンには最高の条件になりましたが。

 滑走路を挟んで海上自衛隊側に、去年まではなかった高い建物が!   ありゃ何じゃ、と思ったら沖展に伴う工事中の新管制塔でした。

 停止しているハリアーの位置から水平距離で約250mも向こうになります。でかいです。 完成すれば国内の基地では有数の大きな管制塔になるのではないでしょうか。上空通過の旅客機からも確認できると思います。
200mm望遠レンズで撮影


お願い : 熊谷基地の飛燕の展示写真を送ってきてくれたTさん、誤ってメールを削除してしま いました。恐縮ですがメール文ともども再送してくださるようお願いします。

 

日替わりメモ090507

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N631 ニュースフラッシュ 2009/05/06 岩国帰りのブルーインパルスが浜松でスモークサービス
N628 ニュースフラッシュ 2009/05/06 岡山空港に復興航空のA321

○  続 MCAS岩国フレンドシップデー

  誰からも飛行展示の写真が来ないので、今朝はひとまず転倒事故詳報といきましょう。

 岩国基地定番のVMFA(AW)-242 DT部隊は、メインの展示場に隊長機DT-00(165409 )、飛行展示エリアにDT-03とDT-08、写真の所にDT-07(164853)とDT-12(164702)を置くという大サービスでした。

 写真は9時17分の状態で、これでも人間は少ない方で、私の転倒事故のころには芝生が見えないくらいに皆さんが休んでいました。したがって歩くにはロープ際しかないのです。カラーコーンの下部を見てください。ビニールのテープが丸めてあります。それが風にあおられていたらしく、足首を引っ掛けて図のごとく胴体着陸と相なったわけであります。

 左手にコンパクトデジカメを持っていましたが、小指側が接地してくれたお陰でカメラは無事、また、メタボリック症候群のお腹のお陰で顔も眼鏡も腰もバッグ等も無事でありました。

 幸いに、すぐ近くが救護所でした。ただし、軍服の医者(と思う)はちらっと見ただけで、氷が封入された袋を指示、それを包帯でぐるぐる巻きにされただけで、基地を出たときにはぬるま湯でした。広島駅の地下スーパーで食品用氷を拝借、2階の酒場で更に氷を入れ替えて左手を冷やしながら、痛み止めに熱燗で一杯やった次第。

 大変申し遅れましたが、お見舞いのメールを頂いた皆さんに御礼を申し上げます。ご助言により昨日の朝すぐに外科へ行ってレントゲンを撮りましたところ、骨折はありませんでした。痛みと腫れが引くまでには時間がかかりそうですが、大事には至っておりません。ありがとうございました。なお、休日当番医の制度にも感謝です。

 

日替わりメモ090506

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N630 ニュースフラッシュ 2009/05/03 MCAS岩国フレンドシップデー

○  MCAS岩国フレンドシップデー

 好天に恵まれ、一般客にとっても航空ファンにとっても充実した内容であったと思います。今朝は、とても編集に間に合いませんので、あまり考える必要のないものをとりあえずということで‥。

 今年はたくさんの戦闘機を見せてやろうというサービス精神旺盛で、その分、観衆がたむろすエリアが狭くなって、おまけにシートやテントの氾濫でごった返す感じになり、小松や入間の状態に近づいてきたように思います。

 私は、人ごみの中に展示してある2機のF/A-18Dのところで、ペラペラの紐が垂れ下がっているのに気付かず、転倒し手を傷めてしまいました。

 痛いのと恥ずかしいのとで、氷の応急手当てをしてもらって、ブルーインパルス前に退場しました。電車で広島へ帰ってみると雨になり、聞くと岩国では猛烈な夕立だったそうです。傘もないので捻挫(骨折かもしれない)を体内消毒で治癒とばかり駅ビルで旨い広島の酒をきこしめし、小降りの雨中を歩いて帰宅した次第です。今げんざい、左手小指の付け根が腫れあがっております。さあ、どうするか?

 

日替わりメモ090504

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N629 ニュースフラッシュ 2009/05/03 小田億最後のアクロバットエアショー Jurgis Kairys on JUKA
A1133 航空史探検博物館  北海道釧路 陸上自衛隊釧路駐屯地 地従訓練用にUH-1の現状

○  小田億最後のアクロバットエアショー

  いろいろな意味で、今を象徴するアクロバットエアショーでした。まずは、広島湾に面して海上店舗のようなつくりで家具の大ショッピングセンターを設けた小田億ですが、このご時世、商品ばかり目立って人影が見えないという気の毒な状態で閉店となりました。

 エアショーは、室屋、ユルギスという超一流パイロットを招いて、海と島と本州の山との空間に華麗な曲技を繰り広げてきましたが、もちろん、それも今回で終わりです。

 小田億の広告にはDEEP BLUSEの文字もみえますが、今年はユルギスの単機のみ。室屋さんは外国へ行っているということですが、ギャラがまとまらなかったのかなと勘繰りたくなります。また、最初のころは、小田億所有のラリや西飛行場定置の仲間のパイパーも前座をつとめたり、伴走したりしていました、ラリは高度の飛行ができるパイロットが退職し、社長の小田氏も操縦桿を握らなくなったとかで、仲間の応援もなしでした。

 その分、ユルギスが気合の入った演技で詰めかけた数千の観衆を沸かせましたので、小田億ファインズギガモールとしては有終の美を飾りました。一企業が行う航空ショーとして日本の航空史に大きなページを残してくれた小田億に感謝の言葉を贈りましょう。 


○  表紙絵21が素晴らしいです 赤塚さんからメール

  今回のヒコーキ雲の表紙絵のMAVERICさんの写真、とても気に入りました。
 
左に斜めに走る花のライン。右には木立。一仕事終えたドルニエが、夕日をバックに翼を休めている。機体がフェンス内側に写っているのが更に雰囲気を盛り上げています。
 
金網を嫌って撮る人も多いと思われますが、様々な角度から撮っておくべきでしょう。この写真は、正にワインや古酒のように、時間が経つにつれ真価を発揮する写真だと思います。

 

日替わりメモ090503

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A5551 航空史探検博物館  大阪府堺市北区 大阪府立大学工学部 DC-8 JA8001の窓枠など
N628 ニュースフラッシュ 2009/05/02 岡山にフィリピン航空のA320   

○  日本航空 ダグラスDC-8 JA8001 FUJI

  抹消登録時に航空愛好者の熱心な運動によりスクラップを免れたJA8001 FUJI号ですが、結局、脚や胴体の輪切りが成田の航空科学博物館に展示というみじめな現状になっています。(ノーズは梱包されて某所のコンテナに格納)

 それで他の部分はこの世にないのかと思っていましたら、ラジコン男君が大阪府立大学工学部航空宇宙工学課の建物の中に、あの懐かしい赤白の塗装を残した窓枠や外板パネルを見つけてくれました。バラバラになっているとはいえ、各地にJA8001の部品が送られている可能性がでてきました。鶴マークの垂直尾翼あたりが出てきたらうれしいですけどね。

 航空ファンの今月号に羽田航空宇宙科学館推進会議の人のインタビューが載っており、あれ? 酣燈社から文林堂へ鞍替えかなとびっくりしたのですが、それはともかくとして、このJA8001 FUJI号の部品が各地に散在している事実を把握しているのでしょうかね。何やら、空の日に東京国際空港で小さな催しをするとか、横浜の国際航空宇宙博に古いヘリを出して喜ばれたとか言っておられますが、推進会議の運動の原点であるJA8001 FUJI号をどうするのかお考えを聞きたいです。

 でもね、それは無理なのです。かなり前にはなりますが、歴史として日航のDC-8に匹敵する全日空のDC-3の最後の1機が北海道でスクラップにされようとした時に、羽田航空宇宙科学館推進会議で何とかしてほしいと働きかけましたが、役員の皆さんは誰一人前向きの声をあげませんでした。随分の資産家もおられると聞きましたが、私財を投げ打って先頭に立とうともされませんでした。

 まあ、そんな人たちの集まりですから。そこが航空機歴史保存のアメリカと日本の違いでしょう。

 

日替わりメモ090502

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A1016 航空史探検博物館 北海道 思い出  北海道王子製の木製戦闘機立川キ-106について
王子航空機株式会社江別製作所 現況報告書 復刻版を追加
A8818 航空史探検博物館 沖縄県島尻郡粟国村 日本の風景 粟国空港  

○  北海道王子製の木製戦闘機立川キ-106について

 キ-84 疾風の木製化、キー106を製造した王子航空機株式会社江別製作所が昭和20年4月に作成した現況報告書の復刻版を発表しました。終戦後軍部の焼却命令を無視して文書図面を鉄の容器に入れて秘匿していたものが、河川改修現場から発見され、水浸しの資料の中からOKUBOさんが不明瞭かつ旧漢字仮名遣いの文書を判読して新たにタイプしたものです。

 わずかな期間に製紙工場から航空機工場へ転換させられ、作業の主体は中・女学生で、接着剤等を新規に開発しながら、しかも資材枯渇に苦しみながら戦闘機を作った史上稀有な歴史の実態が詳細な報告書によって明らかになりました。完成したのはわずか3機ですが、その割には大規模かつ周到な組織や工場や宿舎が確立されており、機器と原材料の隅々まできちっと把握されていることに驚きます。製紙工場自体の土台があったからとは思いますが、とんだ無茶な要請であろうが何であろうが、受けて立たざるを得なかった当時の多くの国民と企業の洗脳状態をも見ることができます。

 OKUBOさんが復刻の作業過程で感じられたことを数点紹介しておきます。

・ 生産計画が、当初月産50機とされていたが、その後縮小されている。工作機械や資材などすべてが不足し、その窮状を訴えているが、補充が思うようにいかないことが原因であろう。

・ 生産割り当てに到達できないのは会社の不徳によるものとしているのは、陸軍との力関係で不本意な書き方をせざるを得なかったのであろう。

・ 本州の航空機工場で数か月の実習を受けたとはいえ、素人の旧制中等学校2〜3年生や婦女子が前例のない木製戦闘機を作り上げたことは、むしろ賞讃に価する思う。同年配で学徒動員に明け暮れしたOKUBOさんには、その苦労がよくわかる。

・ 20年4月26日現在で12機までの部品完了と記載があるので、終戦時までは相当数が組み上がっていたのではないかと推測される。

 なお、報告書中の「五、生産状況」に注目して頂きたいと思います。第四号機までの完成と予定が書いてあります。このうち、終戦時に完成した第三号機を黒江保彦少佐が福生までフェリーした日付について議論があり、調査研究コーナーに載せていましたが、今回、まとめて北海道のページに移しましたので、引き続き検証をお願いします。第四号機は飛行まで至らなかったようです。

 

日替わりメモ090501

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HOME [表紙絵21] 調布飛行場の落日 2009/04/19 18:02 
N621 ニュースフラッシュ621 宇宙航空研究開発機構 調布航空宇宙センター一般公開
    第2会場の災害監視小型無人機など追加
A3632  航空史探検博物館 東京都三鷹市 調布飛行場の過去、現在 に2009年4月の状況を追加

○ 調布飛行場の落日

  落日を辞書で引くと、沈みかかった太陽、夕日、落陽などとあります。そして城山三郎さんの名著「落日燃ゆ」を想起します。極東国際軍事裁判で弁護士の強い勧めにも拘らず一切の証言を拒否して絞首台に登った廣田弘毅の姿が、物言わぬ調布飛行場の西に燃えながら落ちて逝く落日に重なるのです。

 北京でうれしそうな我が国の総理の顔、ゴールデンウイークで楽しそうな人々、これらにも、そしてかくいう私にも確実に落日が訪れます。その時に一切の弁明を行わずして死につけるか。凡人には及びも付きません。新型インフルエンザが反省の冷や水を浴びせてきているような‥

 

日替わりメモ090430

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A3301 航空史探検博物館 思い出 ジョンソン〜入間基地 空技廠特殊攻撃機櫻花の変遷
     追加 1959年12月の
櫻花
     追加 1965年6月
 ジョンソン大佐の弟夫妻が訪問 その歓迎ボード になった櫻花

○ 入間の櫻花

  ジョンソン基地の日本返還前の櫻花の写真と、基地の名前になった飛行士の弟夫妻が訪れた時の新聞記事を追加しました。

 前者では、1959年の時点で機首に大きくWELCOMEの文字が入り、来訪者の歓迎ボードになっていたことが解ります。後者は、既に日本返還後になりますが、横田基地司令も駆けつけて歓迎していますので、横田の日本人従業員向け新聞アフターバーナーに詳しく掲載されました。
 SAYONARA WELCOME MR. & MRS. JHONSONと大書されており、日本人の感覚では機体にこのように書くのは抵抗がありますが、当時の入間基地司令の判断でジョンソン基地の習慣にならったものでしょうか。

 その他、胴体の日の丸が消されたり画かれたり、白枠があったりなかったり等々、写真を見ていると飽きがきません。いずれも基地の歴史を物語る貴重な証人ですから。

 

日替わりメモ090428

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A7209 航空史探検博物館 香川県東かがわ市 いしぶみ 落雷により墜落死した陸上自衛隊員の慰霊碑 
A7304  航空史探検博物館 愛媛県愛南町 城川総合運動公園  ロッキードF-104DJの現状

○ 四国2題

 雷をもろに受けて墜落するということはあまり無いそうですが、34年前の8月5日には中四国に雷雲がたむろして、航空機にとってはかなり危険な状態でした。そのことを現役ドクターヘリのパイロットがブログに書いています。http://blogs.yahoo.co.jp/bell214b1989 2007/11/29のページ
 この人は、危険を感じて送電線チェックの飛行を中断して帰り、ホテルでテレビを見ていたら四国で陸自機が被雷して死亡事故が起きたことを知ったということです。そのOH-6には、中部方面航空隊輸送課長の1等空佐ほかが乗っており、用務の関係でどうしても善通寺から伊丹の本隊へ帰らなければならないので無理をしたのかもしれません。最近は、一般天気予報でも雷注意報がでますから、こういう痛ましい事故は起きないでしょうね。墜落地点のお地蔵様では毎年地連と隊友会が慰霊祭を行っているということです。

 愛媛県西予市の山あいの運動場にある数少ないロッキードF-104DJの1機がまだ健在でした。数年前とそれほど変化がないということで一安心ですが、なんとなく孤独で気の毒な感じを受けます。もっと多くの人が見られるような場所にきちんと囲いでもして展示できないものかと思ったりします。

 なお、HAWKさんは、愛南町の紫電改記念館へも行きましたが、ここの展示は勿論立派なもので変化なしなので写真紹介は省きます。なお、模型やTシャツの店が新設されているそうです。

 

日替わりメモ090427

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N627 ニュースフラッシュ627 エンブラエル170の近況 2009/04/24 松山空港にて
N626 ニュースフラッシュ626 2009/02/21 東京国際空港スケッチ

Y1-16

調査研究コーナー特集記事 国産旅客機 YS-11特集
    [1] JAC機とCAB機退役前後のスナップ 新 O 2009年4月の羽田の状況

○  羽田の整備場地区には、残り1 機となった元航空局のYS-11とともに、2機の海保機がどうやら用廃の姿で置かれて置かれていますが、その隣には、日航のボーイング767-300が2機、文字もマークも落とされた状態で駐機しています。聞けばJA8236は-300型の第1号機(製造番号23215)だそうで、25年にわたる日本での生涯を終え、ご苦労さまでした。747についで767も終わりが近ずいてきて歴史の流れを感じます。

 767にかわるエンブラエル170は、今のところ初期トラブルもなく元気に飛んでいるようです。その近況を松山からお伝えします。

 

日替わりメモ090426

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HOME [表紙絵20]  二重反転ローターの実際 09/04/20 東京ヘリポートにて
N625
N474 
ニュースフラッシュ625 2009/04/20 東京ヘリポートのカモフKa-32ヘリコプターほか
関連して一時復活 アカギヘリのカモフ Ka-32がテスト再開
A8423  航空史探検博物館 大分市 大分縣護國神社奉納品の九六式陸攻のプロペラと海軍航空廠鉄扉の弾痕

○  1年振りにカモフの登場です。ローターの折り畳みが物干し竿みたいた棒で人力によるなど、相変わらずの愉快なヘリですが、二重反転の巨大なローターを回してホバリングしている写真からは思わず轟音が聞こ えたような錯覚にとらわれ、直ちに表紙絵に採用しました。

○ 大分市の護国神社に奉納された海軍航空廠の鉄扉について辿りましたら、発動機の検査と調整をする工場で、騒音防止のために厚いコンクリート製の建物で断熱効果があるために、戦後、焼酎の醸造所になったそうです。各地の鉄道のために掘られてそのままになっていたトンネルが酒の保管熟成場所に使われたという話しはよく聞きますが、街中のエンジン生産工場が焼酎工場に変身とは、建物もさぞ驚いたことでしょうし、あるいは、にんまりとアルコールに酔いしれていたかもしれません。これまた愉快な話しです。

 

日替わりメモ090425

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N624 ニュースフラッシュ624 2009/04/19 陸上自衛隊霞目駐屯地創立52周年記念行事

○  陸自駐屯地の記念行事では兵科部隊や地上機動部隊がドンパチをやって空からヘリコプターが.支援するという演出が定番ですが、立川や霞目には普通科連隊の出番はなし、ヘリコプター作戦が主体になります。19日の霞目では、自衛隊の他基地からの支援と消防防災機関の機体も参加しての災害救助訓練展示となりました。隊員の意識は戦闘状態と同じなのでしょうが、仮想敵国は、某某国にあらず震源地なりということになると、武器弾薬は全く必用なし、AH-1Sが機体の前にずらりと弾薬を展示していたのが侘しく見えます。でも、これって非常に結構なことでもあるのですね。もっとも「その平和ボケの間にも近隣諸国が日本を狙っていることを知らないのか!」と発破をかける声にも耳を傾けなければなりませんけど‥

 

日替わりメモ090424

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航空史の思い出 (2) 軍事航空史
昭和9年ごろの奉天飛行場の日本陸軍機
  奉天西(鐵西)飛行場に確定
N623 ニュースフラッシュ623 2009/04/23 最後のフォッカーが離日
N622 ニュースフラッシュ622 静浜基地航空祭の特別塗装機

○ 奉天西(鐵西)飛行場

 奉天の鐵西地区は、戦前日本の大企業が進出し、Google Earthで見ますと現在も工業地域を形成しているようです。その南にあった奉天西飛行場は、既に住宅団地と化して飛行場の面影は全くありません。

 古い写真が出てきて、それが西飛行場なのか東飛行場なのか決め手を欠いていたのですが、戦後、滑翔場としてグライダー訓練に使っていた時の写真がみつかり、 私立馮庸大学が設けていた建物調査研究コーナー61奉天の飛行場参照)と一致しましたので、奉天西(鐵西)飛行場と確定しました。建物はとてもすぐれたデザインで、残してあれば世界遺産にでもなったでしょうに惜しいことです。 

○ ニュースフラッシュについても書きたいことがありますが、ちょっと手が取れませんので今朝はこれで失礼します。霞目駐屯地祭等の写真を送ってくれている皆さん、明日には出せると思うのでお待ちください。

 

日替わりメモ090423

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A4309  航空史探検博物館 長野県南牧村 いしぶみ 豫科練之碑
A8613 航空史探検博物館 宮崎県日向市 いしぶみ 海自DDH181ひゅが就役にちなんで日本海軍発祥之地碑
2-2 調査研究コーナー特集記事 航空自衛隊F-86Fの研究
2-2  岐阜基地からの回答に基づき所要の修正を行いました。関連して航空史探検博物館
岐阜基地F-86も修正

○ いしぶみ 2題

 豫科練之碑の碑文を読んで驚きました。秋水搭乗員養成のために1千人もの予科練生を八ヶ岳に集めてグライダー訓練を行ったというのです。秋水は特攻機にあらず、一撃離脱後に橇を使って着陸するのでグライダー訓練が適していると思われますが、秋水型のグライダー秋草は、たしか百里ヶ原で飛ばしていたと思うので、練習生達は何に乗って訓練していたのでしょうか。 それにしても、この人数からするとB-29を迎撃するために数百機単位でロケット秋水を製造するつもりだったのか? 工場もない資材もない技術者もいない昭和20年におおそれた計画を立てたものです。
 ただし、猛訓練とはいえ、風光明媚な高原で過ごし、秋水に乗る前に終戦となった子どもたちは、或る意味幸せだったと思いますね。

 次に、日向の日本海軍発祥之地碑については、090415の御隠居の???に答を出してあげようと大石さんがわざわざ撮ってきてくれたものです。神武天皇水軍の船出が日本帝国海軍発祥であるというのは、こじつけ臭いですが、DDH181の名前をその日向の地に合わせたとするのも少し考えすぎかな。将来DDH
181以上の機能をもつ艦が生まれたら、どうします? やまとですか。


○ 昨日の岐阜基地渉外室広報係長寺島一等空尉からのお答えに基ずいて各ページの所要の修正を行いました。

 

日替わりメモ090422

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○ 090417関連  ダッシュ40がダッシュ30のナンバーをつけている不思議の件

 岐阜基地司令への質問に対して、岐阜基地渉外室広報係長寺島一等空尉から丁重な電話を頂きました。

以下、調査研究コーナー特集記事 航空自衛隊F-86Fの研究へ転記しました

 

日替わりメモ090421

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N621 ニュースフラッシュ621 2009/04/19 宇宙航空研究開発機構 調布航空宇宙センター一般公開
A3632 航空史探検博物館 東京都三鷹市 宇宙航空研究開発機構 調布航空宇宙センター 飛鳥搭載のFJR710/600Sターボファンエンジン

○  調布航空宇宙センター

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)に対して「なぜ宇宙が先に来るのか!」と噛みついた航空人がいます。本当の話しです。航空宇宙と続けるべきだという主張でしたが、JAXAの答えは聞き洩らしました。

 JAXAの本来の骨格であった調布飛行場の旧航空宇宙技術研究所は、さすがに調布航空宇宙センターと航空を先に持ってきており、所有機のマークもNAL(National Aerospace Laboratory of Japan)を継承しています。しかし、JAXAは今や宇宙飛行士を擁する組織として北海道大樹から沖縄まで宇宙研究一色みたいな印象で、航空の影は薄いですね。

 19日の調布航空宇宙センター一般公開の模様をみると、航空の先端技術研究に邁進している様子であり、宇宙部門に負けるなと声援を送りたくなってきました。詳しくは同機構のホームページを見ろということなので、素人による批評は避けますが、ひとつだけ言わせて貰うと、先端技術開発がどう生きてくるのかが不安であるということです。

 軍事航空への応用に関しては国も十分に面倒を見るのでしょうが、超音速旅客機など民間ベースについては、今の三菱MRJと新明和US-2民間飛行艇開発に対する国の貧困施策からして、殆ど実現不可能、優秀な技術は外国に取られてしまうのがオチだと思います。

 カナダが、ブラジルが、EUが、アメリカが、そして近い将来中国が、航空機の売り込みにどのくらい力を入れているかを知れば知るほど、三菱MRJと新明和US-2の成功(海外に売込むためのコスト、販売力、現地技術サービスの充実という面で)はゼロに近いとみるのが妥当でしょう。いわんや、超音速旅客機など理論的模型的開発ができても、我が国で作って売るなんておとぎ話しの世界です。

 ばらまき予算で景気回復などと喜んでいる政治家がこの国を支配しているかぎり、今、政治が日本において何をなすべきかよりも、我が身と党の選挙対策が優先するという考えが変わることはありません。調布航空宇宙センターの技術者たちの真面目な努力と、霞が関や永田町との大きな大きな乖離を心から憂います。

 

日替わりメモ090420

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N620 ニュースフラッシュ620 2009/04/19 ベトナム共産党書記長はベトナム航空機で来日
N614 ニュースフラッシュ614 航空自衛隊浜松広報館開館10周年記念行事   2009/04/19 最終日の展示などを追加
A4508 航空史探検博物館 静岡県浜松市 浜松広報館 T-4ブルーインパルス模型

○  羽田整備場で雨ざらしにされていたYS-11 続々報

 早速、ワーキングビークルズNo.40を買い求めました。2ページにわたって羽田から厚木までの運搬状況が写真7枚で紹介されています。ただし、3軸マルチトレーラーというタイヤがステアし架台部分が伸縮するという特殊なトレーラーが全長25mのYSを如何に慎重に運んで行ったかということが主体なので、当然ながらヒコーキマニアが知りたい情報はわずかしかありません。

 その中から分かったことは、JA8720は羽田で分解され、胴体が厚木へ搬送、主翼など他の部分は東京都内の政府系機関(調布のJAXAか?)へ約10台の大型トラックで運ばれたということで、時期は「去る1月」で「あいにくの悪天候の日」だったそうです。

 ワーキングビークルズは「はたらくくるまの情報誌」なので、この程度になるのかもしれませんが、政府系機関などという表現を使う意味が、何か隠すように言われているのかと勘ぐってしまいますね。

 話題を変えましょう。1978年式日産グロリアが長野県松本市の平成交通で現役だという記事がありました。懐かしいですねえ!
 私が免許を取った頃の教習所の乗用車は、トヨペットクラウン、日産セドリック、日産グロリアの3車種でした。うちH型のフロアシフトレバーの操作がクラウンとセドリックは同じですが、グロリアは異なっていました。よく入れ間違いでエンストを起こし教官に叱られていたので、試験場実技では、グロ君に当たらないように祈ったものです。幸いに自分の時にはセドリックが回ってきたのでひと安心、実技一発合格でした。

 教習所のグロリアは、松本で働いている年式よりもはるかに古いタイプでしたが、その後グロ君に一度も乗ったことがないので、運転してみたいなと思ったりします。(ひょっとしたら、レバーの操作の違いは日産2車とトヨタの違いだったかもしれません このあたり記憶があいまいでご免なさい)

 

日替わりメモ090419

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N619 ニュースフラッシュ619 2009/04/18 2009年度初のブルーインパルス公開飛行 世界砂像フェスティバル オープニングセレモニー

○  羽田整備場で雨ざらしにされていたYS-11 続報

 昨日のニュースのとおりJA8709は海保の格納庫に入りましたが、一緒に置いてあったJA8720については、その胴体が厚木へ運びこまれていたことが分かりました。

 ワーキングビークルズNo.40 45日発行(ぽると出版)に運送の記事がのっているというお知らせを頂きました。ぽると出版のホームページに、次のように書いています。

● 深夜の大物輸送 YS-11   http://www.portepub.co.jp/
 本誌No.39の「はたらくくるま最前線」でご紹介した小川建機が担当した大物輸送が行われた。輸送されたのは、現役を引退したYS-11型飛行機で、小川建機はYS-11胴体部分を羽田飛行場から厚木まで輸送した。 早朝から深夜に及ぶ大型輸送の様子をレポートする。

 たしかに厚木の日飛工場内でYS-11の胴体が3月から確認されているそうです。JA8720は独立行政法人 宇宙航空研究開発機構JAXA向けと言われていましたので、払下げ先がかわったのか、日飛へ何のために運ばれたのか、翼はまだ羽田にあるのか、いろいろと想像をめぐらしています。

  日飛が共同開発に参加している飛行機のために強度試験をしているのではないか、という観測をしてくれた人もいます。航空局で大切に使われてきたYS-11がやっと最後の貢献ということで胸が熱くなりますね。

 お知らせいただいた皆さんありがとうございました。引き続きウオッチングをお願いします。

 

   

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