ヒロさん日記 のTopへ ブログ主:Hiro-san  執筆日:2005/2/3
新聞記者、広告編集、翻訳・通訳、ITビジネス、イギリス留学をへて、高校英語の先生。




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■ピースボートで世界1周:「日本人には悪い奴がおった」
  2005/2/3(木) 05:26
1998年の8月末のこと、ひょんなことからピースボートに「ボランティア通訳」で関わることが決まってしまった。「世界1周」ってコトバ、魔力だと思いません? 無報酬だが、この際世界中を見るのも悪くない。ケニア、南アフリカ、スエズ運河、クロアチア、キューバ、タヒチ、イースター島、マゼラン海峡、ブラジル、南アフリカ...なんて国や島は、自分で海外旅行を組んだとしても、なかなか行けるところではない。

ピースボートのポスターは各地で貼られていたらしいが、それすら見たことがなかったヒロさんである。そこで少しは団体に関する予備知識も必要と思い、ホームページにアクセスしてみた。当時とは文面がかわっているが、ピースボートの「原点」(始まったいきさつ)が書かれてある。

実はこのクルーズが生まれるきっかけとなったのは、その当時国際問題化した「教科書問題」。教科書検定のさい、日本のアジアへの軍事侵略が「進出」と書き換えられたことにたいして、アジアの人々が激しく抗議したというものでした。このとき今まで自分たちが学んできた歴史は本当のことなのだろうか?という疑問と、実際はどうだったのだろうかという興味をもった若者たちが、「じゃあ現地に行って自分たちの目で確かめてみよう」と考えたのが出発点でした。

「書き換えられた」と断定しているところが気になる。しかしもう行くことが決まってしまったので、仕事の閉業の段取りやら、マンション引き払いやら、旅行の準備やらでドタバタである。出航は10月19日だ。出航前の1ヵ月でいろいろな説明会や勉強会があったらしいが、私は「通訳ミーティング」に1度だけ参加することができた。

このとき顔合わせにきていた通訳は約10名で、日本人と外国人が半々くらい。ごった返した大部屋でのミーティングである。各寄港地で企画されるツアーの説明に入ったときだった。と、そのとき、スタッフの1人と思われる男性がなんの自己紹介もないまま、
「日本人には悪いやつがおったんですよ〜」
と大声で、笑いながら通り過ぎていった。

この人だ〜れ? いったい、なにもの?

もう少し前後の文脈を説明させてもらうと、このときは、南太平洋のフィジーのツアーが説明されていたとき、と記憶している。日本軍によるバナバ島虐殺の爪痕....。「なんですか、それ?」「バナナですか」と誰も知らなかったところに、「悪いやつがおったんですよ〜」のツッコミが入ったと思われる。(思われる、って、なにしろ7年前のことですよ。安倍議員や中川議員よりも大変)

万が一の確率で、バナバ人からも戦後補償裁判が起こされるときに備えて、ちょっと一緒に勉強しよう。バナバ島とは南太平洋のキリバス共和国の小島で、戦時中、この島の住民が周辺のナウルなどに強制移住させられている。私が乗船したクルーズとは別のクルーズだが、「バナバ島からきた人たちと交流」レポートがある。

1942年、第二次世界大戦の最中、英軍の後がまとしてバナバ島に上陸した日本軍は、イギリスと同じくリン鉱石に目をつけ、採掘の邪魔となるバナバ人たちをコスラエ、ナウルといった周辺の島々へと強制移住させた。移住先では重労働が課され、罪も無い人に対する虐殺行為も行われていたという。

このツアーはたまたま私の担当となった。フィジーにいるバナバ人のコミュニティを訪問して、一緒に食事をしたり、踊ったりがほとんどだったが、「過去を語ってください」というセッションがもたれた。通訳は、バナバ語→英語→日本語というリレー通訳で行われた。同行したピースボートスタッフは「当時見たこと、思い出してください」と、日本軍の悪事に関するコメントを誘導しているように思えた。

バナバ人のおばあちゃんたち数人が、突然、文部省唱歌を一緒に歌いだした。懐かしそうに歌っていた。「いったいどういう経緯でその歌を覚えたんですか」という質問を繰り返したが、「日本兵が歌っているのをまねた」という返事だった。「日本軍に母語を奪われ、日本語を強制させられた」みたいなコメントは(残念ながら...笑)得られなかった。虐殺についても質問したが「見ました」という人はいなかった。(その後のクルーズのツアーで、証人が現れたのかどうかは、知りませんがね。)

ヒロさん日記はえらく脱線する。話を教科書問題にもどそう。クルーズ中、私は「通訳スタッフ」というピースボート側の立場だったので、ひたすら雇われ人として徹してきたが、クルーズの最終局面でついに、ものを言うときがやってきたのである。

「○○さん、ピースボートの趣旨文はまずくないですか。教科書書き換えは誤報だったんですよ」

すると彼は「あれは、誤報だったんです」と。(ありゃ、えらく簡単に認めるじゃないの。)ところが彼は続けた。「しかし........(エー!、ほんとうなのか!!)」 (つづく)

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コメント更新: 2006/11/26(日) 20:09 : コメント数:7
  
仕事とはいえ、勇気ある… 2005/2/4(金) 22:11 ぶんだば
はじめまして!
それにしても、仕事とはいえ、「ピースボートに参加」とは、ゆ、勇気ある…というか貴重な体験、というのか…

かの辻元氏が主催だっけなんだっけとにかく深く関わっていて、そしてウラには辻元内縁夫の赤軍の人がいるという、アレですよね。

そこでこの爆弾(たぶん彼らにとっては)発言!!
勇気ありすぎです!

もっといろんな体験、あったらお聞かせくださいね!
辻元が主催してるって、ウソなんです 2005/2/5(土) 00:21 Hiro-san
辻元清美氏の怪しいウワサはいろいろありますね。でも、辻元氏が主催してるってウソなんです。真相はいかに!(日曜の夜8時、お見逃しなく....なんちゃって)
こんにちわ コメントありがとうございます。 2005/2/15(火) 12:07 自由人よっしー
ヒロさんこんにちわ 僕のブログへコメントありがとうございます。98年にピースボートに乗られていたとは僕よりかなり先輩ですね^^ 僕は2001年に3回乗船しました。32回南周りはパッセンジャーで33回北回りはスタッフで34回南北朝鮮半島はまたまたパッセンジャーです。スタッフの時は衛星をつかった掲示板サービス担当でした。 ヒロさんは現在イギリス在住ということですが、僕はまだイギリスいったことないのでうらやましいでっす!イギリスの様子も聞かせてください。そしてよかったら今後ともブログみてください!僕もヒロさんのブログ今後とも訪問させてもらいます。では失礼いたします。
ブログ訪問ありがとうございます 2005/3/31(木) 00:46 Jun
私のブログへご訪問ありがとうございマス☆
PB関連の記事を一通り拝見させて頂きました。
私も疑問に思っていたことが、単刀直入に書かれていて、読んでいて面白かったデス(゜∀゜*)b⌒★
かなりいろいろな情報を吸収されていますよね〜。
ま〜私は右にだけはなりたくないから、左のPBで、NGOとはなんぞやっていう勉強をさせてもらいつつ、旅行も楽しんだという感じです。
もちろん、仰せの通り、左には左の固定観念への疑問などは多々ありますよ。それを承知で乗りましタ☆
どうでもいいけど、PBの今の船トパーズ号、もう50年近く経過してて、いい加減寿命だと思うんですけど、いつになったら新しい船にするんでしょうかね。。51回で終わるって一度聞いたんですが、でも今の大きさの船がなかなか見つからないので、結局52回もトパーズでいく事になったと聞きました。。。オ、オソロシヤヽ(◎o◎;||||
誰にPBは推すめか? 2006/9/24(日) 09:59 怖かったさん
Topazは由緒ある船です。かの有名なCCLがカリブ海Cruiseに使ってました。 船の手入れは絶えずしなければなりませんが、インテリアー等内装やレイアウト
等使い方はCharterもとの趣味によります。 だからダサい
基本的はイギリスの船でそれなりに設備は考えてあります。
一言 2006/11/26(日) 19:11 仲
あの〜。バナバ島って、ナウル島の間違いじゃないですか?
フィジーまで日本は進出(侵略?)してませんよ。
バナバ島はフィジーの1000キロ北 2006/11/26(日) 20:09 Hiro-san★ブログ主
>あの〜。バナバ島って、ナウル島の間違いじゃないですか?
>フィジーまで日本は進出(侵略?)してませんよ。

いや、間違いではありません。バナバはフィジーの1000キロ北ですよ。
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