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有名人のお骨も多く安置されている、京畿道の納骨堂「自由チョンア公園」の内
部。今年2月に亡くなった美人女優イ・ウンジュさんもここに眠っている。 |
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京畿道にある「龍仁公園墓地」。いわば亡くなった方たちの集合団地。ソウル郊
外の公園墓地はほとんど空きがない。 |
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地方の山にある、ご一般的な山所(お墓)。写真提供:パク・ウンヨン |
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お墓参りに来た家族たちが草むしり。 |
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祭祀(法事)に供えられる御膳。かつて祭祀は過去4代まで遡って行われていた
が、最近は祖父母まで。 |
「あの山のところに見える、土饅頭(まんじゅう)みたいなのはなに?」
バスや鉄道で日本人の友達と地方に旅行すると、このような質問をよく受けます。韓国では地方に行くと、山々の中腹に小さな土饅頭が連なっている風景がよく見られますが、これは、韓国の伝統的な墓の姿です。日本では火葬が一般的ですが、韓国では遺体をそのまま埋葬する、いわゆる「土葬」が一般的です。一人ずつ土を盛って封墳をつくって埋葬し、その前に碑石を建てます。韓国語ではお墓のことを「墓所(ミョソ)」または、山に墓があることから「山所(サンソ)」と呼びます。
「土葬」は、儒教思想と風水地理思想が支配的だった李氏朝鮮時代から主流となり、今日まで韓国人の生活に深く影響を与えている慣習です。宗教によって葬礼の手続きが少しずつ異なりますが、ここでは広く普及している儒教的な慣習による葬礼手続きについて説明しましょう。
現在では、儒教の「朱子家礼(※高麗末期に中国の宋から伝わった礼書)」による複雑な手続きは簡素化されています。まず、葬礼は人が亡くなって3日目に土葬する「3日葬(サミルチャン)」が一般的です。以前は自宅で葬礼を行うことがほとんどでしたが、現在では、病院の葬式場や、葬儀専門の式場で行うことが多くなっています。特に都市部でその傾向が強く、たとえ自宅で亡くなっても病院などの葬式場で行うことが多い一方、地方ではいまだに自宅で行うところも少なくありません。最近、都市部では葬式場や墓など、葬礼全般をサポートいる葬儀業が登場し、新しいビジネスとして関心を集めています。
死亡後、24時間以内に入棺をしますが、実際は死亡後2日目に入棺することが多いようです。入棺時に故人の体を洗い、自然繊維の麻布でつくった「寿衣(スイ)」を着せます。韓国では、60歳を過ぎたらこの寿衣を用意するという習慣があります。生が終わった人に着せる最終の衣服である「寿衣」をあらかじめ準備しておくのは、死を「生の終わり」ではなく、「新しい生の始まり」ととらえる韓国人の来世観からきています。また、寿衣を用意しておいたら無病長寿したという話もあり、子どもが親に寿衣を用意してあげるのが孝行の一つともされているのです。寿衣を用意するのに適している時期もあり、その時期になると寿衣がよく売れます。寿衣はその質により、値段もかなり違うようです。
入棺が終わったら、家族は喪服(通常、男性は黒い洋服に喪章をつけ、女性は白のチムチョゴリに、髪に小さい白いリボンをつける)を着ます。それから弔問客を受けるのが一般的なので、多くの場合は故人が他界した日から2日後に弔問することが多いのです。
韓国の葬式に行くと、「アイゴ〜、アイゴ〜」と嘆き悲しんでいる声が聞こえるかもしれません。「哭(ゴッ)」あるいはなくなった人に対する悲しみを表すことから、「哀哭(エゴッ)」ともいいます。以前は、喪家では昼夜問わず「哭」の泣き声が止むことはありませんでした。「哭」が上手な人をわざわざ呼んで、「哭」をさせたりもしたといわれています。昔ほどではありませんが、今でも「哭」の泣き声は韓国の葬式ではよく耳にします。けっして泣き叫ぶことはせず、堪え忍ぶように悲しみを表す日本の葬礼とはまったく違う姿だと言えますね。
弔問に訪れたら、自分の宗教の式に則って拝礼をします。もっとも一般的な儒教に則った拝礼方法は、故人に向けて香をあげて二礼し、次に喪主に向かって一礼して弔問のあいさつを述べます。弔意金は弔問のあいさつが終わったら、受付または弔意金を入れる箱に入れます。弔意金の封筒には「謹弔」「追慕」「弔意」などの言葉とともに、自分の名前と故人との関係がわかる職場名などを書きます。また、弔意金とともに自分の名前と所属などを書いた弔花を送ったりもします。弔花は白い菊の生花がほとんどです。その後、用意された料理をいただきながら、故人について語り合います。ユッケジャンのような辛いスープとご飯、おかずが2〜3種、おつまみやモチなどの料理のほか、お酒などの飲み物が供されます。
弔問客の中には、喪家がさびしくならないようにその場にとどまって夜を明かす人もいます。喪家で夜通し花闘(花札)をする姿は韓国の葬儀ではよく見られる光景です。少額のお金を賭けることもあり、ごくまれにケンカに発展することもありますが、たいていは静かに夜明けを迎えます。
3日目の朝、埋葬地に向かいます。埋葬地はたいてい、住宅地からは離れている場所にあります。家門の先山(祖先の墓があるところ)がある場合には先山に、あるいは墓地公園に行きます。土を掘って棺を納め、その上から土を盛って封墳をつくり、祭祀(さいし)をあげます。これで「三日葬」が終了します。
埋葬という葬礼文化は、風水地理思想と、死体を毀損することができないという儒教的な思考と、「孝」の思想とが結合して定着したものです。韓国では、明堂(風水的に“吉”となる場所)を探して墓をつくって「孝」を行うことにより、子孫代代が栄えるのだと言われてきました。仕事がうまくいかなかったり、家によくないことが起こったりすると、「先祖の墓の場がよくないせいではないのか」と、韓国人がよく言うのは、このことに由来しています。このような価値観は、長い間、韓国人の生活に根付いてきました。火葬をすることは親不孝だとみなし、避けて来たことは事実です。
けれども最近では、このような認識にも変化が見え始め、土葬が主流であった葬礼文化が変わりつつあります。そのきっかけとなったことのひとつに、このままの状態で墓地が増え続けると、いずれ韓国全土が死者のために埋め尽くされてしまいかねないという問題が浮上してきたことがあげられます。
このことにより、これまでの葬礼文化を変える必要があるという意識を急速に高めることになりました。火葬を奨励する市民運動なども数年前から起こり、最近では火葬をする人が徐々に増加しています。また、それに伴って納骨堂や土饅頭を模した納骨堂、家族納骨堂などの新しい葬礼施設も定着しています。
年輩の方の中には依然として土葬を望む人が多いようですが、これまでと比べると、火葬に対する拒否感は薄くなりつつあり、今後は火葬が少しずつ確実に増加すると予想されています。日本でもかつては土葬が主流だったと聞きましたが、どのように火葬に変化してきたのでしょうか? 今でも土葬にこだわっている人はいないのでしょうか? お葬式アドバイザーとして、講演や執筆活動をなさっている尾出安久さんに聞いてみました。
「日本の火葬率は現在99.7%と世界一です。100%にならないのは、離島での死亡者が必ずしも火葬ではないためです。火葬の歴史は、仏教が輸入された奈良時代までさかのぼりますが、庶民の火葬が一般的に行われるのは江戸時代になってから。徳川幕府による寺請制度が日本人全員を仏教徒にしてしまったため、人口も多く、寺院も多かった都市部で火葬が進みました。寺院内に荼毘(だび)所を持つところもあり、江戸郊外にも荼毘所がありました。さらに、明治政府が公衆衛生の見地から火葬を勧めたこともあり、戦前にはほぼ現在の火葬の形態ができあがっていたようです。戦後は、高度成長にともなう墓所不足も手伝って火葬率も上がり、もう土葬は特殊な事情がない限り許可がおりません。個人的ですが、昭和50年に千葉県の親戚の葬儀を土葬で経験しました。故人の娘が役場を泣き落とした結果ですが、今考えると貴重な経験をしました」(尾出安久)
なるほど、日本は火葬先進国だったのですね。もし韓国の葬儀文化に興味のある方は、韓国人の伝統的な葬儀を題材にした映画『祝祭』(イム・グォンテク監督、日本版DVD有り』と、『学生府君神位』(パク・チョルス監督)をおすすめします。
協力:尾出安久(おいで・やすひさ)
1956年生まれ。國學院大學文学部史学科卒業。1級葬祭ディレクター(厚生労働省認定)。葬儀を文化として考え、人間らしい葬儀を提案するアドバイザーとして講演・執筆活動を行っている。著書に『葬儀屋さんの打ち明け話』(成美堂出版)、『葬儀屋さんの胸の内』(朝日ソノラマ)など。http://www.k-word.co.jp/