ニックネーム:おつる (洗礼名ジャンヌダルク)
性別:女 
年齢:いい感じの年 
都道府県:兵庫県
サッカー大好き♪好きなサッカーチームもちろん★バンヴェール兵庫★マリリン・モンロー大好き♪自衛隊ファン♪ JAZZが大好きー♪ 猫が大好き♪ そして 何より好きなんは・・ビールやね♪

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2009年05月24日(日)
●大阪5月23日NHK「JAPANデヴュー」に抗議する国民大行動 動画 そのA
●大阪5月23日NHK「JAPANデヴュー」に抗議する国民大行動 動画 1/3 4月5日にNHKによって放送された「japanデビュー アジアの一等国」による自虐史観、捏造、台湾に対して侮辱的な内容を放送したことに対 し、全国的に抗議運動が起こってます。   大阪NHK放送局前でも220名もの人が集まり、強く抗議しました。   冒頭の5分間、ウィグルでの中国による核実験被害調査で著名な札幌医科大・高田純教授 のメッセージ代読が有ります。(主催:Kinaの会,自由の翼) ●大阪5月23日NHK「JAPANデヴュー」に抗議する国民大行動 動画 2/3 4月5日にNHKによって放送された「japanデビュー アジアの一等国」による自虐史観、捏造、台湾に対して侮辱的な内容を放送したことに対 し、全国的に抗議運動が起こってます。   大阪NHK放送局前でも220名もの人が集まり、強く抗議しました。  (主催:Kinaの会,自由の翼) 次は5月30日(土)「うつぼ公園」に14時に集まり、NHK前まで1,000人デモ 行進を行います。(主催:日本と台湾の未来を考える会) ●大阪5月23日NHK「JAPANデヴュー」に抗議する国民大行動 動画 3/3 4月5日にNHKによって放送された「japanデビュー アジアの一等国」による自虐史観、捏造、台湾に対して侮辱的な内容を放送したことに対 し、全国的に抗議運動が起こってます。   大阪NHK放送局前でも220名もの人が集まり、強く抗議しました。 (主催:Kinaの会,自由の翼) 次は5月30日(土)「うつぼ公園」に14時に集まり、NHK前まで1,000人デモ 行進を行います。(主催:日本と台湾の未来を考える会) 【大阪】NHK偏向番組「JAPANデビュー」に対する抗議集会!09年5月23日
2009-05-24 21:12 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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●大阪5月23日NHK「JAPANデヴュー」に抗議する国民大行動 動画 その@
  動画を転載させていただきました。 http://blogs.yahoo.co.jp/aikoku_fujinkai/1460921.html#1460921 ご報告のレポートも明日 書きます。 お待ちくださいね。
2009-05-24 00:35 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
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2009年05月22日(金)
大阪 【告知】NHK「JAPANデビュー」に抗議する国民大行動
大阪 明日 5/23のNHK 抗議の告知です!! 【告知】NHK「JAPANデビュー」に抗議する国民大行動・第2弾[桜 H21/5/21] NHK「JAPANデビューの捏造、歪曲、やらせ取材に抗議すべ く、5月23日に大阪で、5月30日には東京で再びNHK抗議国 民大行動を実施します。全国の草莽の士の参加をよろしくお願いし ます!国民一人一人の行動で、日本のメディアを正していきましょ う!!
2009-05-22 13:17 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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★告知!! ◆大阪NHK前抗議運動   
東京で 5/16に 1100人の大々的な抗議がありました。
 台北、青森、名古屋、福岡でも開催されました。





リレー演説会もありました。
登壇者は小田村四郎、田久保忠衛、渡部昇一、黄文雄、西村幸祐、中村粲、佐藤守、田母神俊雄、松浦芳子、永山英樹、林建良、柚原正敬、井上和彦、三輪和雄などの各氏。公園では小礒明都議、天目石要一郎武蔵村山市議など議員たちも雄弁を振るい、ここも大盛況。





そして・・大阪です↓


kinaさんから 告知です!!

 

おつるも参加してkinaさんのお手伝いをしまーす♪


大阪NHK前抗議運動 5/23(土)

ご存知、4月5日にNHKによって放送された
「japanデビュー アジアの一等国」による自虐史観、捏造、
台湾に対して侮辱的な内容を放送したことにより

全国的に抗議運動が起こっております。

大阪でも実施したいと思います。

5月23日(土)

場所:NHK放送局前(南側 正面)

時間:15時より1時間〜1時間30分程度




*地下鉄 谷町線、中央線(谷町4丁目駅) 9号出口 徒歩30秒
 http://map.yahoo.co.jp/pl?p=%C2%E7%BA%E5%BB%D4%C3%E6%B1%FB%B6%E8%C2%E7%BC%EA%C1%B0%A3%B3%C3%FA%CC%DC&lat=34.681235&lon=135.522445&type=&ei=euc-jp&v=2&sc=3&gov=27128.16.3

*台湾旗、ウイグル旗、チベット旗の持ち込み大歓迎!
*コールを叫びたい方も大歓迎!

主催:きなの会 自由の翼
連絡先:080-3811-8631



告知動画は つぎのページに・・・

**************************************************


この 大阪抗議行動に

日本シルクロード科学倶楽部
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/SilkRoadJpScCb1Jp.html



札幌医科大学教授 高田純 博士からの
http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/

メッセージが kinaさんに託され kinaさんが読み上げます。


当日は、日本会議広島の時局講演会の講師として、中国の核問題で、高田先生は広島にいらっしゃいます。

広島での講演でも、NHK批判をされ その時、台湾偏向番組に対する大阪抗議集会にも言及されるとのことです!!



NHKは 台湾への 侮辱的報道の他にも

中国の核実験の事実を知りながら 長年

シルクロードの偏向報道を続け
27万の日本人観光客を核の砂漠へ誘導したのです。

どれぐらいの日本人被爆者がいることか・・

台湾問題 プラス 日本シルクロード科学倶楽部としても 

ジャンヌおつる 抗議します。









***************************************************


大圓さんの日記にも

5月23日(土)大阪のNHK放送局前で抗議運動を行ない、私も参加します。 

4月5日に放送された「NHKスペシャル シリーズ『JAPANデビュー』第1回『アジアの「一等国」』」。中共政府の意向を反映したかのような反日的視点によって日本と台湾の歴史を描くという、日本の公共放送としてあるまじき姿勢の内容。 

日本の明治以来の歴史への自虐、捏造、また台湾に対して侮辱的な放送をしたことに対して全国で抗議運動が起こっています。 取材を受けて反日的に勝手に内容を変えられたと台湾人でさえ怒っている。 

5月16日にはNHKに抗議する東京での国民大行動【緑の風船デモ行進】に1100人が参加。 「NHKは訂正と謝罪の放送をして解散しろ」と叫ぶ。 解散後も歩行者達が「人間の鎖」でNHKを包囲・台北、青森、名古屋、福岡でも開催。 

大阪では5月23日(土) NHK放送局前(南側正面、地・谷4駅H号出口すぐ) 15時より1時間ほど開催。 
主催:きなの会 自由の翼080-3811-8631(先月初めに私も参加した「チベット支援デモ」を行なったグループ)  

NHK放送局
http://www.nhk.or.jp/osaka/map/
【台湾】JAPANデビュー アジアの一等国【台湾】1
http://www.youtube.com/watch?v=hVH5WaT2byU   
【台湾】JAPANデビュー アジアの一等国【台湾】2
http://www.youtube.com/watch?v=of5BGic-18w&feature=related 
【台湾】JAPANデビュー アジアの一等国【台湾】3退学させられた
http://www.youtube.com/watch?v=oAKVMWzjlr0&feature=related 
【台湾】JAPANデビュー アジアの一等国【台湾】4 人間動物園
http://www.youtube.com/watch?v=UGdU45VIXmA&feature=related   
【台湾】JAPANデビュー アジアの一等国【台湾】5
http://www.youtube.com/watch?v=khTYbFDeABU&feature=related 
【台湾】JAPANデビュー アジアの一等国【台湾】6
http://www.youtube.com/watch?v=zUIY8EGdNio&feature=related 
【台湾】JAPANデビュー アジアの一等国【台湾】7
http://www.youtube.com/watch?v=WfAS8pSwxps&feature=related 
【台湾】JAPANデビュー アジアの一等国【台湾】8
http://www.youtube.com/watch?v=-9R3rJPDsNo&feature=related 


【NHK】5.16 JAPANデビューに抗議する国民大行動 (1/3)
http://www.youtube.com/watch?v=wO1fpl9Mi-Y&feature=related  
【NHK】5.16 JAPANデビューに抗議する国民大行動 (2/3)
http://www.youtube.com/watch?v=7ZZYwwy68uE&hl=ja  
【NHK】5.16 JAPANデビューに抗議する国民大行動 (3/3)
http://www.youtube.com/watch?v=3Wi6HnUoVnM&feature=related  

ブログ「台湾は日本の生命線!」より ↓下では関連写真多数
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-758.html 

21.5.16.NHKの反日偏向報道デモ@名古屋@
http://www.youtube.com/watch?v=PyYlwsUXhws&hl=ja  
H21.5.16.NHKの反日偏向報道デモ@名古屋A
http://www.youtube.com/watch?v=LTCPhwcuS74&feature=related  
H21.5.16.NHKの反日偏向報道デモ@名古屋B
http://www.youtube.com/watch?v=bFUAISaf2Mw&feature=related  
H21 5 16 NHKの反日偏向報道デモ@名古屋C行進&要望書受渡し編
http://www.youtube.com/watch?v=JizhbzHzjdI&feature=related








++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


大阪第2弾 NHK抗議運動



23日に抗議運動を行いますが、続けて1週間後に一般人にもアピールをしようということで、「日本と台湾の未来を考える会」主催でデモ行進を行います。是非是非ご参加ください。絶叫いたしましょう!


「NHKジャパンデビュー抗議デモ行進」

5月30日(土)

集合場所:西区靭公園(うつぼこうえん) 東園
     地下鉄四ツ橋線 本町駅28号出口 徒歩5分
     http://map.yahoo.co.jp/pl?p=%C2%E7%BA%E5%BB%D4%C0%BE%B6%E8%BF%D9%CB%DC%C4%AE%A3%B1&lat=34.68200389&lon=135.49816694&type=&ei=euc-jp&v=2&sc=3&gov=27106.4.1 

集会:14時開始

デモ出発:14時30分  
     
コース:公園出発→本町通りを東へ向かう→谷町筋を南下
→中央大通りを左折→NHK付近で解散

*台湾国旗(緑)、日の丸、3民族旗の持込を歓迎いたします。
*いかつい服装は不可

*雨天中止になる場合があります。当日こちらに報告します。

主催:日台未来会
連絡先:kina 080-3811-8631






2009-05-22 11:56 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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新型(豚)インフルエンザの謎 そのC 発生源はやはり中国だった?? 2/2


深刻な脅威?発生源はやはり中国だった?謎を呼ぶ新型インフル



豚インフルエンザだったのがフェーズ4に格上げされたことで名称も「新型インフルエンザ」に変わった。

インフルエンザは突然変異しやすいが、名称も変化しやすい。
イスラエルやイスラム圏のように豚を不浄な動物としている地域ではこの名称は歓迎されているようだ。今までは口に出すのも汚らわしかったのだろう。
豚は本当は頭が良い清潔好きな動物なのだが、偏見が多いようだ。
しかし、豚肉は体に悪いと主張する人も案外多い。
私も豚肉を食べなくなってからは大病をしていない。

<新型インフル>感染確認増え、8カ国108人に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090429-00000023-mai-soci

≪新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)ウイルス感染が世界的に広がっている問題で、新たにコスタリカで28日、1人の感染が確認され、確認例は中米やアジア・オセアニア、中東など計8カ国、計108人に上った。韓国でも米国やメキシコから帰国した5人に感染の疑いがあるなど、さらに拡大の恐れがある。≫

何だかんだで感染は急速に広まっている。どの国も検疫を強化しているだろうが、阻止はできないようだ。

このウィルスが強毒性だったら、確実にパンデミックになってしまうだろう。

≪メキシコで新型インフルエンザによるとみられる死者は同日、159人に増加。感染が確認されたか、感染が疑われる患者は2498人に上った。≫

6%強の死亡率である。やはり、強毒性なのだろうか?

これまで死者はメキシコに限定され、それも謎だったが、遂にアメリカでも死者が出た。

<新型インフル>1歳11カ月の幼児死亡 米で初の死者
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090429-00000048-mai-int

元々抵抗力の弱い幼児である。これだけで、強毒性と判断はできない。

新型インフルエンザ 違うウイルス?栄養不足で?死者はメキシコだけ、深まる謎
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1240965244/-100

死者はメキシコだけではなくなったが、依然として「何故メキシコでの死者の多くが通常健康な20〜40歳代なのか?」という疑問の答えは出ていない。「開発途上国特有の貧困層の衛生状態・栄養問題が関係しているのではないか」と疑われているのである。

インフルエンザ以外の死因も検討されているのである。

【新型インフル】警戒水準「5」に引き上げも WHOの田代委員
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090429/erp0904291106002-n1.htm

フェーズ5というのは完全な警戒態勢である。やはりそこまで事態は深刻なのかと思ったら …。

<新型インフル>ウイルスは弱毒性 田代WHO委員
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090429-00000069-mai-soci
 
フェーズ5と言った同じ人が数時間後には今度は弱毒性と言っているのである。

≪被害については、現在の毒性が変わらなければ、パンデミックを起こしても、約200万人が死亡した57年の「アジア風邪くらいかもしれない」とした。数千万人規模の死者が想定される強毒性H5N1型と「全く横並びに判断していいものではない」と話した。≫

弱毒性でも約200万人くらいの犠牲はやむをえないようだ。

問題の感染源だが、諸説あるようだ。

メキシコ「第一号」は?…感染源、小さな村の4歳児に注目
新型インフル

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090429-OYT1T00669.htm?from=top

≪メキシコ発の新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)の感染が世界的に拡大する中、同国東部のベラクルス州が、今回の感染源ではないかという見方が出ている。≫

ここでの感染が初期の部類だったのは確かだ。

豚インフル発生源は南部養豚場? メキシコ政府否定
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090428-00000647-san-int

≪養豚場を経営する米国の食品会社スミスフィールド・フーズ(バージニア州)も強く関連を否定する声明を出し、現地担当者も豚インフルエンザ感染が確認されたことと養豚場にとって「非常に不運な偶然の一致だ」と述べた。≫

しかし、この養豚場についてとんでもない情報が飛び込んできた。

豚インフル:スミスフィールド・フーズと中糧集団
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/04/29/4274765

≪2008年6月にスミスフィールド株4.95%を取得したのが、中国国営大手食品企業グループの中糧集団(COFCO)。 ≫

何と!この養豚場は中国とつながっていたのである。

患者の8割は「環境汚染」が原因?全国に百か所、広がる「癌の村」―中国
http://news.livedoor.com/article/detail/4132336/

≪中国にはこうした「癌の村」が100か所近くも存在するという。医学界では中国の癌患者の80%は環境汚染が原因と見ているが、汚染と健康被害の因果関係を立証するのは難しいと法律専門家は話す。≫

中国は環境汚染と貧富の差の拡大で、貧困層の感染率が極めて高い。

【豚インフル】中国 1億9000万人感染の予測も?
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090426/chn0904262102001-n1.htm

これは感染予想だが、パンデミックになったら、これくらいは死にそうだ。日本に不法入国する連中も多いから、決して対岸の火事ではない。

中国福建省:豚大量死、豚インフルが原因か
http://news.qwe.jp/news4plus/1240990783


≪中国福建省福清城頭鎮で三つの村の境界目の河川に捨てられた豚の死骸百頭以上の腐敗臭が付近に充満し、百メートル離れたところでも臭いが鼻につくという。中国「東南快報」が27日に伝えた。当局は、これら死亡した豚は付近の養豚場から出た可能性が高いとみている。≫

こんな調子なので、豚インフルエンザ中国起源説がまことしやかに飛び交うようになった。

新型インフルの発生源は中国?中国当局「国のイメージ傷つけるねらい」と反発
http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2597879/4090613

多少偏見もあるだろうが、疑われてもやむを得ない状況もある。国際社会が一番懸念しているのは、「この国が正直に情報提供するだろうか?」という点である。外聞を気にして隠蔽工作ばかりしているからだ。
共産国家である中国は、事実関係を歪曲させる傾向が改善されていない。北朝鮮並みである。


●憂国広場izaさん
http://warabidani.iza.ne.jp/blog/entry/1016114/
●真相世界(The truth world)さん
http://blog.goo.ne.jp/warabidaniyuukoku/e/3aafe533404f906f15271fabe49c1a5a
●世相両断 さん
http://d.hatena.ne.jp/warabidani/
●憂国世界さん
http://warabidani.blog81.fc2.com/?no=2325

転載させていただきました。有難うございます。
2009-05-22 11:38 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
| 新型インフルエンザの謎 / 中国 / 中国の核実験 |
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新型(豚)インフルエンザの謎 そのB  中国が発祥地?? 1/2
日本は感染の危機に陥っている。まるでこの映画みたい・・・


中国に比べて、とてつもなく衛生的で清潔な日本が
なぜ 世界4位の感染者数なの??

これは、日本の検査が優秀だということ、
そして 日本が正直に発表しているから。



10億人いる中国 世界一の豚消費国で 衛生状態の悪い中国
豚といえば 中国なのよ。というわけで 中国の豚について 調べてみた。



2005年

●WHO 中国の豚由来の謎の病気で初めて公式発表 病原体の一層の特徴づけが重要05.8.4
http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/earth/epidemic/05080401.htm

中国の豚由来レンサ球菌に関連しているとされる謎の病気について、世界保健機関(WHO)が3日、初めて公式発表を行った(Outbreak associated with Streptococcus suis in pigs in China,8.3;http://www.who.int/csr/don/2005_08_03/en/index.html)。 

 発表の内容は次のとおり。

 「中国保健部は、現在までに、豚のレンサ球菌の発生に関連した人間の病気の206のケースを報告した。これらのケースのうちの38人が死亡、18人が重篤状態にある。
すべてのケースは四川省で発生しているように見え、四川省は中国で最大の豚集団の一つを持つ。

中国当局は、調査と発生の封じ込めを優先してきた。




2007年


●謎の疫病でブタ300匹死亡 - 中国
2007年05月08日 14:33 

【北京 8日 AFP】南部広東(Guangdong)省で、家畜のブタが原因不明の疫病に感染し、これまでに300匹以上が死亡、人々の間に不安が広まっている。

 香港の日刊紙、大公網(Ta Kung Pao)が7日に報じたところによると、この疫病は、10日前にSilaoの町で初めて確認されている。まずブタの食欲がなくなり、高熱、出血を起こして死亡する。

 地元衛生当局は、感染が疑われる農場や市場の消毒を行ったほか、同地域でのブタの移送や食肉処理を禁止したという。

 この疫病は極めて感染力が高く、パニックに陥った地元住民らが、感染したブタ肉を食べることを恐れて、ブタ肉を買わなくなっているという。

 しかし、大公網紙は、専門家の意見としてこの病気が人間に感染する危険性はないと伝えている。

 写真は、北京郊外の農場のブタ(4月27日撮影)。(c)AFP/Frederic J.BROWN


●中国のブタ大量死、原因はウイルス感染症と判明 - 中国
2007年05月10日 19:48

【北京 10日 AFP】中国南部広東(Guangdong)省で4月下旬、ブタ300匹以上が大量死した事件について、原因は青耳病(blue-eared pig desease)として知られる生殖器・呼吸器の感染症である可能性が高いと、10日付の英字紙チャイナ・デーリー(China Daily)が報じた。

 同紙の引用した農業省の広東省支部の発表によると、このブタの大量死はウイルスの2次感染で、生殖器・呼吸器症候群(PRRS)と呼ばれる伝染病によるものとみられている。ウイルスは1990年代半ばに中国に上陸したが、最近突然変異の兆候を示したという。専門家は人間への感染はないとしている。

 感染の有無はテストで判別することができ、またワクチンも当局に認可済みで、まもなく販売が開始されるという。

 農業省では、これまでにもブタコレラやブタ肺炎などに対するワクチン接種を奨励しており、動物用製薬の生産工場に増産を要請している。

 地元の農業当局は感染の拡大を防ぐため、死んだブタを水源から離れた地中深くに埋めた。また、消毒やワクチン接種など徹底した対策を取るよう求めている。現地ではパニックした住民が感染したブタ肉を恐れ、ブタ肉を買わなくなっているという。



●中国の“病気豚” 
政府発表「2万頭」業界情報「2000万頭」2007/6月
日経ビジネス
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20070627/128441/
この病気は中国の民間では「豚高熱病」とも呼ばれ、1987年に米国でウイルスが発見されたもので、その流行は世界的なものとなっており、2006年夏から中国南部地域で流行が確認されていた。

 農業部は2007年6月4日づけで、1月から5月までの5カ月間に4万5858頭が発病し、1万8000頭が病死、これに治癒不能で処分されたものを加えた合計は2万4000頭で、その地域は既に全国の22の省・市・自治区に及んでいると発表した。

 ところが、中国の著名獣医によれば、2006年だけで約100万頭の豚が「猪藍耳病」に罹って死んでいる由であり、「猪藍耳病」を含む各種伝染病により既に2000万頭が死んでいるとの業界情報もある。

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そして 2009年 現在


●中国福建省:豚大量死、豚インフルが原因か



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 【大紀元日本4月29日】中国福建省福清城頭鎮で、首渓村、黄墩村、星橋村の三村の境界目の河川に捨てられた豚の死骸百頭以上の腐敗臭が付近に充満し、百メートル離れたところでも臭いが鼻につくという。中国「東南快報」が27日に伝えた。当局は、これら死亡した豚は付近の養豚場から出た可能性が高いとみている。

 報道によると、麻袋に詰め込まれて河岸や横その沿道に放置された豚の死骸の殆どが子豚。住民の陳さんによると、これらの死骸はすでに半月以上放置されているという。陳さんは「昼頃、よくバイクで豚の死骸を運ぶ人を見かける」と述べた。

 現場を視察した城頭鎮の何尚貴・副鎮長と鎮の牧畜獣医所の呉所長は、死骸の腐敗程度から、河岸に長く放置されていたとみている。

 一方、世界保健機関(WHO)が豚インフルエンザに対する警戒水準をフェイズ4まで引き上げた現在、福建省福清河川で発見された大量の豚の死骸の報道は、さらなる懸念を与えた。数多くの大陸ネット利用者は、これら死んだ豚は豚インフルエンザによる死亡ではないかとの問い合わせがネット掲示板を飛び交った。

 別の報道によると、今年2月、山西省洪洞県でも約千頭の豚が発生した病気で死亡した事件があったという。地元政府部門は2月3日に発表した統計によると、洪洞県だけでも少なくとも1300頭以上の豚が死亡したという。同県の牧畜局は病気の原因が通称※紅皮病(こうひびょう)と豚コレラの合併症だと示した。当時、死亡した豚の一部の豚肉は市場に出回っていたという。

 ※紅皮病は、肥育豚の急性横断性貧血が米国で最初に確認された。分布域は広く、近年の豚の輸入で検出率は高い。 媒介者はアブ、サシバエ、ダニ、シラミ、カなどの吸血昆虫の他、注射針からの感染も疑われる。

 
(翻訳編集・余靜)




大紀元 2009/05/02 06:35
http://jp.epochtimes.com/jp/2009/05/html/d12002.html

●中国は豚インフルエンザの発祥地か=中国問題の専門家



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 【大紀元日本5月2日】メキシコを中心に世界各地で猛威を振る豚インフルエンザについて、国外在住の中国問題の専門家は、様々の中国国内での実例を挙げ、今回の豚インフルエンザの発祥地は中国ではないか、との見解を示した。

 同感染症が世界各地で確認される中、中国当局は国内の緊急対応システムを発動したと発表、豚インフルエンザを国外から持ち込ませない姿勢をみせ、中国国内での感染を否認している。

 農業部は声明を発表し、福建省で発生した豚大量死は豚インフルエンザではないと強調した。メキシコの政府関係者とニューヨーク・タイムズ紙が「中国の観光客が豚インフルエンザのウイルスを北米とメキシコに持ち込んだのでは」と疑う声に、衛生部(日本の厚生省に相当)と官製メディアは非難攻勢を一斉に発している。外交部は、「現時点までに、中国では人間が豚インフルエンザを感染する事例を発見していない」と強調した。

 そのような中国当局の動きについて、国外在住の中国問題の専門家・李天笑氏は、中国国内ですでに豚インフルエンザが発生している可能性が高いと指摘、下記のいくつかの事例を挙げて説明した。

 其の一.世界保健機構(WHO)の駐中国代表・韓卓昇(ハン・ジュオション)はこのほど、中国では感染の疑いがある例が発生し、患者はインフルエンザの症状を表していると発言した。陝西省で100人以上の学生が集団でインフルエンザの症状を表していることについて、中国当局は豚インフルエンザではないとしている。それについて、韓卓昇代表は、中国衛生部は感染の学校の具体的な状況を報告していないと語り、現地政府の依頼がなければ、現地調査できないと話した。

 其の二.2005年、四川省の保健機構・衛生庁のある幹部は、省内で少なくとも17人は謎の疾病で亡くなり、死因はSARSでもなければ、鳥インフルエンザでもない、豚の間で流行するウイルスが死因、と公で発言した。それが事実であれば、中国では2005年にすでに豚インフルエンザが発生したと推測できる。

 其の三.湖北省在住の中国工程院の研究員、家畜伝染病の専門家・陳煥春氏はこのほど、豚インフルエンザのワクチンの開発に成功した、と宣言した。中国で豚インフルエンザの感染が発生していないのであれば、なぜ、そのワクチンが開発できるのか。それは大きな矛盾点である。

 李天笑氏は、「現時点において、豚インフルエンザが中国に入り込むかどうかの問題ではなく、中国当局は根底から事実を隠ぺいしている。中国で同感染症が発生したかどうか、ウイルスの発祥地は中国であるかどうか、近い将来、すべてが明らかになるはず」と述べた。

(記者・李天笑、翻訳編集・叶子)(09/05/02 06:35)

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ふーーーーーーーーーーん やっぱりね

やっぱり 中国ね 



新華社電によると、中国衛生省報道官は29日、一部外国メディアが「新型インフルエンザの発生源は中国」と報じたとして「事実と科学的常識を顧みずに捏造(ねつぞう)したデマ」と批判、中国では今回の新型インフルエンザの感染者は出ていないと反論した。(共同)


中国は、
1964年から96年までに東トルキスタンのロプノルで46回の核実験が行われ、少なくとも19万人以上が死亡、129万人以上が被爆
したことも 隠蔽しているのよ。

鳥インフルエンザだって 隠蔽してた。

中国広東省の鳥インフルエンザ隠蔽疑惑
http://www.sasayama.or.jp/wordpress/?p=389

鳥インフルエンザ問題について、その発生の原因を調査した結果、広東省当局が、昨年10月に発生した鳥インフルエンザを隠蔽していた事実が明らかになってきた。



隠ぺいの 中国共産党の反論なんて、まったく狼少年と同じで
誰も信用しないよ。
外国メディアから真実をつきつけられて、あわてて
中国はメキシコに支援するとかいってるけど、とってつけたみたいで いかにも怪しいやん 



で ★マスクは中国製

  ★特効薬のタミフルやリレンザも原産中国

  ★WHOの事務局長は
  中国人のマーガレット・チャン(陳馮富珍)女史


 (WHOのトップにはじめて日本人を蹴落として当選した
  そのいきさつは 詳しくはこちら↓
  http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/70643/)

  ※この中国が絡んでいる? メキシコの発生源の謎という説は
  早くから米流時評さんが特集を組んでおられました(必見)
   http://beiryu2.exblog.jp/9698750/
  


米流時評さんブログの写真より

WHOの事務局長マーガレット・チャンの母国、中国から、
WHO本部の即刻の指示と、感染国の緊急オーダーの挙国一致体制で、
数億ドルの医薬品のパッケージが、こうして世界中に発送されている状況は、
共同謀議? という疑問符を百個つけても足りない。
(トップの写真は、要請のあった各国へ中国政府から送られた医薬品の山。
 この写真は、メキシコシティの政府軍の災害緊急対策本部だが、
 パッケージに貼ってあるシールでは、WHOマークを五星紅旗がカバーしている
 という、あまりにもあからさまなロゴが、ことのすべてを物語るかのようだ。)


つづきは 真偽不明だけど

中国発生説の おもしろい記事 転載しまーす






2009-05-22 09:47 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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2009年05月21日(木)
新型(豚)インフルエンザの謎 そのA なぜ 関西ばっかり?  
おつるの住んでいる地域は 

大阪と神戸の中間地帯 

ちょうど、兵庫 阪神地区〜 大阪 北摂地区のあたりです

学校は休みになるわ
カトリックの北摂大会のミサは中止になるわ
各地のミサも中止・・・

サッカーの練習も 各地の少年サッカーも中止になるし
・・・
浜崎あゆみ・大塚愛・倖田來未の公演中止になるし

自衛隊の行事も部分的に中止だし

神戸まつりも中止・・・

スーパーからなんか食品が消えてるし

映画館もカラオケも高校生は出入り禁止・・・

外食産業売上激減・・・

関西はめちゃくちゃでした。


でも 関西のおばちゃんたちはケチだから
前々から予約してた 北海道旅行や温泉旅行、海外旅行の
キャンセル料はもったいないと ウイルスをまきちらしに
あちこち旅行しているらしい・・・


恐るべし 大阪のおばはん。


しかし

関西ばかり・・・しかも神戸からはじまったことについては

阪神大震災が神戸からはじまったこと

古神道系、スピリチュアル系の方々は
阪神大震災を 「神の戸」が開いた・・・
今度のインフルエンザも 「神の戸」からはじまった
これは何かの神様からのメッセージでは・・という方がいます。

その阪神大震災の神の戸と関わる神域の「猪名川町」は
阪神地区、北摂地区と電車でもつながり隣接する地域に
ほとんど感染者が出ているにみも関わらず

感染者 ゼロ地帯なんですよね・・・

しかも この猪名川町の平均寿命は市町村単位でいえば
なんと世界一という不思議な場所・・

とまあ こっち系のお話はおいといてと・・・

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とにかく謎なのは 神戸の高校生、そしてそれに部活で
接した大阪の高校生からどんどん感染者が出て
関西一円に広がっていること・・・

ここで マイミクさんで 医療関係のお仕事のあるひとの日記より

関東も新型インフルエンザは蔓延しています。
ただ遺伝子検査しないから新型陽性は出ません。
病院は業務停止が怖いし、首都圏としてパニックが懸念されるからです。
バカ正直に検査して感染者数をカウントすると、オリンピック招致にもダメージ大です。


東京都としては、都知事不在での感染報告は厄介だし、今は株価にも影響します。


そのコメントには・・

そもそも関東から全国に広がったんじゃないですかね?
神戸がバカ正直だっただけで。

報道はされてないですけど東京も蔓延しているのはみんな実感しているんだと思います。
東京・関東から感染者が出ないのは、渡航歴のある人しか検査していないからですね



そういえば 神戸には WHO神戸センターがあるのです
http://www.ibri-kobe.org/trc/cont/00_www/background/i-who.html

WHO神戸センター




WHO(世界保険機関)の提唱により発足したWHO健康開発総合研究センター(WHO神戸センター)は、世界で唯一の健康開発を目的とする国際研究組織であり、地球規模の学際的国際機関としての役割を担っています。WHO神戸センターは、パートナーシップを基本とする世界的協力体制の育成や研究活動を通じて、世界的な保健・医療・福祉システムの構築に関連する問題のグローバルかつ学際的な調査研究においてリーダーシップを担うことを目的として設立されました。


(1)経済開発や貧困の減少に果たす健康の役割に関する多面的な研究

(2)国際会議の開催、レポートの発行等、情報分析や調査研究から得られた経験、成果の普及

(3)様々な健康問題に関連するデータの収集・分析、ネットワークの構築


世界で唯一なんだ・・・・

そりゃ 世界で唯一という こんな機関があれば
神戸はデータの収集、分析のために 検査が徹底されてたと
いえるのかもしれないね・・・

なんや それで 神戸か・・・・



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そしてフジニュースネットワークより

●全国的にA型インフルエンザの感染例増加 新型が潜在的に混じっていると指摘する声も

新型インフルエンザの感染者増加を受け、対策の国内シフトが進んでいる。こうした中、全国的にA型インフルエンザの感染例が増加しており、新型が潜在的に混じっていることを指摘する声もある。
舛添厚労相は「当然、国内にもうウイルスがまん延しているというのを想定していいですね」と述べた。
感染拡大への懸念。こうした中、気になる現象が現れている。
それは、季節性インフルエンザの流行。
東京・江戸川区にある「みやのこどもクリニック」の宮野孝一院長は「5月は(インフルエンザ患者が)ほとんどいなかったはずです、去年は。先週が12〜13人ですね、1週間に。新規のインフルエンザ」と話した。
季節性インフルエンザの流行期間は、例年12月から4月ごろまでだが、2009年はなぜか、流行が長引いているという。
宮野院長は「4月の上旬、中旬ごろから、徐々にまた増えてきているというのが現状で、ほとんどがA型というのが特徴です。非常に不気味な感じはします」と語った。
新型インフルエンザと同じA型の流行。
国立感染症研究所が全国5,000カ所の定点医療機関を対象に行っている集計でも、4月下旬の発生件数は、過去5年間の平均値を上回っている。
これは、いったい何を意味するのか。
東京医科大学の松本哲哉主任教授は「検査なしでは新型なのか、いわゆる季節性のものなのか、判別は難しいと。精密検査されてませんから、そういうことは確定はできませんけど、そういう人が中に紛れ込んでたとしても、それはもう全然おかしくない」と指摘した。
当初、海外渡航歴のある患者に対して行われていた遺伝子レベルでの検査。
一方、初めての国内感染は、渡航歴のない高校生を診察した開業医が、検体を兵庫・神戸市に提出したことで判明した。
開業医が季節性インフルエンザと思って検体を提出しなければ、発見が遅れた可能性もある。
松本主任教授は「新型インフルエンザが都内に現時点で持ち込まれている可能性は、かなり高いと思います。気づかないまま、やっぱり同じようなことが東京でも繰り返されるかもしれないし。今の時点でA型がもし出たとしたら、それはやはり積極的に疑って、検査をやられる方がいいと思いますよね」と語った。
水面下でまん延しているかもしれない新型インフルエンザ。
冷静かつ十分な注意が必要となる。


こんな意見が・・・・↓

最初は、東京も隠蔽するつもりはなかったのでしょう。
空港での水際対策は、強毒性の感染症と同等の厳しい検査をしてアメリカ人などからバカにされているくらいですから。
しかし、水際にこだわりすぎて、海外渡航歴のないインフルエンザ患者の詳しいウィルス検査をせずに、季節性のインフルエンザとして処理しているようです。
例年なら、この時期になると季節性インフルエンザの感染者は、減少していくにもかかわらず、今年は増加しているそうです。
その中のどれくらいの割合かはわかりませんが、新型インフルエンザが混ざっていることは、ほぼ間違いないのではないでしょうか。
問題は、空港では強毒性の感染症同様の対応をしたにも関わらず、国内は、ザルというかウィルスの検査すらしていないということです。

関西の場合は、バカ正直に海外渡航歴のないインフルエンザ患者のウィルス検査をして、新型インフルエンザの感染を発見してしまいました。
そのため、経済活動に大きな影響が出ています。

*************************************************************

東京と京都に やっと昨日ぐらいから感染者が発表されたのは
バカ正直な関西での経済や学校関係、観光などの影響を
実験台として 見てから

じょじょにカミングアウトするってことなのね・・・

京都は 修学旅行シーズン、観光シーズンということもあり
また東京は オリンピック招致のこともあり・・・



極めつけは やはり中国

中国は 今までも 
●SARS感染者を隠ぺい
http://www.minghui.jp/2003/04/22/ssan_030422_01.htm
●鳥インフルエンザを隠ぺい 
http://kukkuri.blog58.fc2.com/blog-entry-321.html

中国に感染者が 少ないのはありえない・・・

【中国】《安全》チベットでも感染疑い、新型インフルエンザ
中国衛生部は19日、チベット自治区の日咯則(シガツェ)地区で、新型インフルエンザ(H1N1型)ウイルスへの感染疑い例が見つかったと発表した。 NNA アジア


チベットの感染者はすぐ発表するのにね・・・






今日、国立感染症研究所 だったかのひとが言ってたけれど

今世界で 感染者がどんどん増えていて 日本は第四位だけど
これって、検査がきちんとされてる国に感染者数が発表されて
いるだけで 
実際の 感染者数とは 違うのよね・・・



というわけで

関西人 は バカ正直なんやねってことが わかったのでした。


そういや 橋下府知事も バカ正直だから 愛されるんだろうなー




というわけで つづきは 中国が発祥地か??について










 



2009-05-21 22:59 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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新型(豚)インフルエンザの謎 その@  マスクは中国製
新型(豚)インフルエンザ について

おつるには、なんかおかしい と思うことがいっぱい



おつるが変だなと思うこと
いろいろ調べてみると・・・(一部真偽不明な情報もありますが・・)

少しづつ 書いてみたいと思います。

※ その@マスクについて 

マスクが飛ぶように売れています。

 

マスクに行列40人 市民に広がる自衛策 新型インフル  朝日新聞社5/17

神戸・三宮の繁華街にある薬店「コクミン 三宮センター店」では、16日昼前から来店者が増えた。1箱60枚入りのマスクを買い求める客が、一時は店の外まで40人以上も並んだ。近隣の2店舗と合わせて1時間に約千箱が売れたという。

買い物途中にマスクを買った兵庫県播磨町の女性(48)は「買えて安心しました。私も高校生の息子がいるのでショックです」。ホームヘルパーをしている神戸市の女性(56)は「いくつか薬局を回ったけど、どこも売り切れだった。仕事柄、人に近づかざるを得ないので、十分に気を付けます」と話していた。

※商店街の薬店で、マスクを求める人の長蛇の列ができた=16日午後1時34分、神戸市中央区、高橋正徳撮影 

************************************************************

マスク入荷に行列 1000個1時間で売り切れ 神戸

約千個のマスクを入荷した神戸市中央区の薬店では19日、朝から買い求める客が殺到し、1時間ほどで売り切れた。

 「マスクを売っていたので並んでいます。少し遅れます」と会社に電話するOLの姿もあった。

 店によると、大量に入荷できる予定は立っておらず、品薄の状態が続いているという。

※入荷したマスクに行列ができ、次々に手を伸ばす人たち=19日午前、神戸市中央区、新井義顕撮影

***********************************************************


おつるは変人だから マスクをしません。

おつるの家はもともと 猫9匹も飼っていて不衛生笑

それとおつるは、お薬が嫌いなので、殺菌剤、除菌剤、漂白剤
殺虫剤などを使いません。
バイ菌よりも そういう人工的な お薬のほうが怖い。

おつる一家は 全員、ぜんそくとかアトピーとか
アレルギー体質だから、お薬が怖いのです。

インフルエンザの予防接種なんて絶対しない。
副作用のほうが怖い。

うがい薬もいやです
おつるは、うがいも嫌い。人前でうがいなんて はしたないって思う

よく職場なんかの お茶碗洗う流し台のところで
男のひとが がらがら ぺっつてやるのが いやなの・・・
コップ洗ったり おふきん洗うとこでやめてーって思う。

というわけで 変人おつる一家は、うがいもマスクも手洗いも
神経質にはしないけれど、風邪とかひかないし
医者いらずです。 たぶん強烈な免疫力がある笑 

ここんとこ、阪神間、北摂地域は学校閉鎖、集会 イベント閉鎖で
異常な状況 戒厳令みたい。

相方と箕面教会に忘れ物を取りに 兵庫の阪神地区から
大阪北摂地区を車で通る間、マスクしてる人どれぐらいいるかなー
と、数えてみました。

コンビニ店員もスーパーのレジのおばちゃんも ガソリンスタンドも
みーんなマスクしてる・・おまわりさんまでマスクしてる

それどころか 感染していない道を行く
大人も子供も赤ちゃんも お年寄りもみんなマスクしてる

なんか SF映画みたいだよー。
今なら銀行強盗さんも変質者も マスクして歩いても
不審に思われないよね・・

マスクしてないの わたしだけやん笑

で、実際のところ

欧米、アメリカでは誰も マスクをしていないという。

実際に調べてみても
一般的に出回ってるマスクが細菌やウイルスを防ぐという科学的根拠は無いので過剰な期待はできない。 ウイルスは10分程度もあれば粘膜から体内に入り込めるので、マスク着用による保湿での坑ウイルス効果も現実問題薄いということ。

●新型インフルエンザ対策の各措置に関するEU・アメリカ・WHOの立場(読売新聞5/20)

によると、WHOは 非感染者はマスク不要
     アメリカでも 推奨されない EUも効果不明と。

 うがいについても特にコメントはない。

まして学校閉鎖、職場閉鎖、集会中止などは社会的・経済的負担が
甚大だと症状のある人だけが休むべきで 推奨されないと。

*************************************************************

なんだか 日本、関西での マスクの行列や買いだめに走る人を
見ると、その昔 オイルショックの時にトイレットペーパーを
買うために行列した人たちを思い出し・・・

また 最近の マスコミや雑誌がちょっと紹介した
人気のスイーツや ラーメン店なんかに 行列している人たち
お正月のデパートの福袋や バーゲンで開店前に並ぶ・・とか

そういう 群集心理に 思えてしまう・・・

おつるは 変人であまのじゃくだから 
行列に並んで モノを買うというのは昔からしない主義。

マスコミに踊らされて おバカーとか思っちゃう。
(というか並んでまで買うセレブなゆとりの時間と
 お金がないから負け惜しみかもね笑)


でも マスコミがマスク マスクーっていうから
過剰反応じゃないのかなーって 疑問に思っちゃう。
本当に必要なら アメリカや欧米でもするはずだしね・・・

一番に報道してるのが 「朝日新聞」だし。


で 調べてみると・・・・・


日本で売られているマスクのほとんどは

なんと 中国製ではありませんか・・・・・


 マスクは中国製

 マスクは中国製

 マスクは中国製

 マスクは中国製

   ・・・・・・・・・・・・・

ふーん  やっぱり そういうことか。



フリーチベットや フリーウイグル
台湾問題に関わる方などで、中国製品不買運動してるひと・・
まさか 中国製のマスク してないよね???




インフルエンザや風邪予防に使うマスク。寝る時に喉をうるおすために使うマスク。さまざまな用途がありますが、そのどれもが「中国産」又は「Maid in China」とかかれています
改めてマスクを見てみると、有名メーカーのものでも中国製が大半を占めています。

逆に 中国製のマスクをすることによって
アレルギー症状が出る場合もあるとか・・・・

やっぱりね。

新型インフルエンザで マスクが売れて 売れて・・・

儲かるのは中国ってわけなのね。

風が吹けばおけ屋が儲かるということわざがあったけど
インフルエンザが流行れば 中国が儲かる・・・・・・・



サービス業などで マスクが義務付けられている職場は
しかたないとしても・・・

おつるは 断固 マスクはしないことに決めた。


 そんな中で 産経新聞が
「マスク着用、すべきか否か」という記事を出しているところは
なかなか興味深いです。

マスクをつけたのは多分、小学校で給食当番をして以来である。そんな人間でもマスクをするのだから、マスクが品薄になるのも当然だ。関西在住者にとって、マスクは通勤アイテムのひとつになった。過剰反応じゃないか? 斜め後方から第三者の自分自身が冷めた目で見ている。電車のマスク諸氏も何となく顔つきがぎこちない。マスクは着用すべきか、否か。

 神戸で感染者が確認されたとき、家人に近所のドラッグストアやスーパーを連れ回された。マスクを買い込むためである。ほとんど売り切れていたが、いくつかは確保できた。電車内での着用を厳命され、積極的に反抗する理由もないから従っている。

14地点で真夏日を記録。でもマスクは外せない(写真:産経新聞)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090521-00000573-san-soci

そして こんなニュースも

●台湾がマスク20万個=大阪、兵庫に無償提供


日本の対台湾窓口である交流協会は20日、大阪府と兵庫県での新型インフルエンザ感染拡大を受け、マスク20万個が台湾から無償提供されると発表した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090520-00000053-jij-pol

これは素晴らしいですね。

さすが 親日の台湾です。
さらに 台湾はメキシコにも 3万個のマスクを提供
http://japanese.rti.org.tw/Content/GetSingleNews.aspx?ContentID=79054 


もし、職場でどうしても マスク着用を義務づけられたら

おつるは 日本製か台湾製のマスクにしよう。

っていうか こんなマスクしていったら 怒られるかな。
怒られるよね、やっぱり。↓



2009-05-21 14:59 | 記事へ | コメント(14) | トラックバック(0) |
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2009年05月19日(火)
●自衛隊 第3師団創立48周年及び千僧駐屯地創設58周年記念行事 訓練展示動画
第3師団創立48周年及び千僧駐屯地創設58周年記念行事 の Rickさん撮影の動画 第二弾!! 訓練展示  仮想敵国を倒す自衛隊 日本国 勝利ーーーーーーーーーーー!!!!
2009-05-19 14:52 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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●自衛隊 第3師団 観閲式  2009/5/17 千僧駐屯地
Rickさんが撮影した動画をyou tubeにアップしてくださいました 私の「かっこいーー♪」とか言う声がところどころに入っていますね・・笑 ごめんなさーい  荒木先生のご解説も! 動画であらためて拝見し、やっぱり自衛隊は素晴らしいです       右端でたっいらっしゃるのが 観閲官の長谷部師団長様
2009-05-19 01:42 | 記事へ | コメント(7) | トラックバック(0) |
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2009年05月18日(月)
◎自衛隊 第3師団 観閲式  ジャンヌ おつるの体験記C
観閲式がおわりました。

最後に 観閲官である 長谷部第3師団長が 

「皆様 今日は有難うございました!!!」と ご挨拶下さいました。



そして ついに 訓練展示のはじまりです

この式と訓練展示をRickさんが撮影した動画を
you tubeに アップして下さっています。
できあがれば ブログにも転載します。 楽しみです。

グランドの端のほうの鉄線でくぎったところに 敵の戦車や部隊が。

その敵を実際に 発見し 倒すまでの実戦の訓練です。

ヘリコプターから最初に ロープをおろして
隊員がすべり降りてきました。           すごい!!!

まず最初に偵察部隊 
ヘリコプターが上空から敵の様子を偵察します。

敵 侵入!!  攻撃開始っ




その後に 偵察隊、バイク隊が無線と武器を携えて敵地の偵察です。
このバイク隊は、まるでアクションスターみたい!!

バイクで坂になった台を ジャンプしたり、ウィリーしたり
バイクでハンドルを持たないで 立ったまま運転して
武器を撃ったり・・・ めちゃくちゃ かっこいいです。

バイクのすきな若い男の子は アクション俳優や
暴走族なんかするより この自衛隊バイク隊をめざすべきだね! 

そしてバイクから飛び降りて 発見した敵を攻撃です!!



マシンガンの部隊も援護射撃



そして 神戸まで届く砲弾で 攻撃です
ものすごい音と爆裂音

耳が張り裂けそうな爆音 そして 炎と煙
そのたびに 「きゃあーっ」と叫ぶ おつるは大興奮




砲撃を繰り返して 敵を弱らせてーー
ついに 戦車も突撃ーーーーーーーー すごい煙!!



そして 日本の自衛隊の勝利 

あとあとからよく見ると、敵を想定し戦車などに
 赤い星のマークがついているのを見て
 思わず

 ???
それとも 
 やったー 日本の勝利笑

この訓練を見て、日本は
卑劣な国の攻撃なんかには 絶対 負けない、

私たちの国と安全と平和を こんなに強くてかっこいい
 自衛隊さんが 絶対 守ってくださるんだものと 確信しました。

この自衛隊を持つ、日本の国を 誇りに思いました。

もっともっと 日々過酷な訓練をされて
国の平和のために貢献してくださる 自衛隊のみなさんに
お給料をいっぱいあげてほしいし、もっともっと国民が称え敬うべきだと思います

学校の教育も 自衛隊のすばらしさに触れる機会
自衛隊音楽隊のすばらしい音楽などに触れる機会を子供たちに
与えるべきだと思います。
進路に迷う子供たちに 自衛隊という国を守る仕事への
選択肢を すすめこそすれ
 教師が否定するようなことが絶対あってはならないと思います。

自衛隊さんのきびきびした
美しくも崇高な姿勢・態度・礼儀は 子供たちに見せてあげたい。

学校教育が 自衛隊の見学などを 活発に行ったり
自衛隊隊員さんの派遣授業などが 行われたり
するようになる日が来れば いいなと心から思いました。





ヨーロッパ
ドイツ、 スウェーデン、 デンマーク、 オーストリア、 フィンランド、 ノルウェー、 スイス、などには 徴兵制があるらしく
国によっては、兵役がいやな人は変わりに ボランティアに
つくというような制度もあると聞きます。

日本の若者も たとえ一年間でも 
自衛隊で訓練してもらうか、ボランティアなどに取り組むという
体験があればいいのになと思います。
まあ だらしない子供は訓練の厳しさについていけないだろうけど。

娘たちや 婿ちゃんは、たった数時間のこの
観閲式、訓練を見させていただいただけでも
自衛隊に対する見方が大きく変わって 尊敬の対象となったようです
関西の偏向した学校教育や マスコミの偏向報道などの情報しか
ないのですから  自衛隊のイメージが
つかめなかったのでしょう。

実際に 体験してはじめてわかることがあると思います。
たった数時間ですが 貴重な体験をさせていただきました。

インフルエンザの影響で、祝賀会食や音楽演奏がなかったのは
残念でしたが、観閲式と訓練展示だけでも
十分 一生の思いでになるぐらいの感動でした 





本当に 感動しました。


自衛隊隊員のみなさん、長谷部第3師団長様
広報室長の中村様、 千代森様 本当にありがとうございました。
そして 荒木肇先生 有難うございました。
一緒に参加してくれた tontonさん、Rickさん有難うございました。

また 自衛隊の行事があれば ぜひ参加させていただきたいです

記念写真を撮りました。 荒木先生に初めてお会いできて感激
とてもダンディで 優しい笑顔の方でした。
サイン頂くの忘れてしまいました。次回は頂かなくちゃ。
ね、tontonさん♪






2009-05-18 22:47 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
| 自衛隊 / 戦争 / 中国 |
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◎自衛隊 第3師団 観閲式  ジャンヌ おつるの体験記B
観閲行進

上空をご覧くださいのアナウンスに空をみると
ヘリコプターが

地獄の黙示録の映画みたいで 大迫力です



これは負傷者さんを助けて、手術や手当をする救護隊
女性が運転していました。




これは戦車を運ぶ車  日本の戦車は超ハイテクでかっこいいです。



これは、バズーカ砲みたいなのがてっぺんにあります。

tontonさんは、大阪教区のカトリック正平教を
マシンガントークで倒すひとなので

このころから マシンガンが出てくるたびに tontonさんを見て
「あーtontonさんの武器がきたよ」って笑

おつるはどっちかというと 偵察隊、スピードで荒っぽい
バイク隊みたいなタイプかな笑
最近はRickさんが バズーカ砲ですね

なんて たとえながら実物の武器を見ると 楽しい



これは神戸まで弾が飛んでいく武器。
すごいです。

荒木先生は、中国の軍隊がこの自衛隊の武器と訓練を見たら
血の気がひくだろうなとおっしゃっていました。
やはり 日本のハイテク武器と統率された訓練は最強なのです!!



この自衛隊の戦車は、高さが高くなったり低くなったり
ななめになったり どんながたがた道でも行けちゃう
ハイテクです。

三菱とかが 部品とか作ってるのかな???



今まで、映画やテレビでは見たことがあったり
装甲車などは、市内や中国自動車道を走ってるのはよくみたけれど

戦車や武器をこんなに間近で見るのは はじめて

こんなのを運転したり 扱える自衛隊

あーーーーー20年 若かったら 自衛隊に入りたかったーと
何度も何度もそう思いました・・

 まだまだ つづくよ。
2009-05-18 22:11 | 記事へ | コメント(5) | トラックバック(0) |
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◎自衛隊 第3師団 観閲式  ジャンヌ おつるの体験記A
観閲行進がはじまりました。



あ おつるが大ファンの 音楽隊の指揮者の第3音楽隊長様だわ




雨の中 楽器の演奏はたいへんです。

クラリネットやオーボエなどは ビニール袋につつんでの演奏を
されていました。

荒木先生の解説によれば 音大出身の方が多く
でもいざというときは ちゃんと戦闘態勢に入る訓練もされていて
実は、ものすごい体力がいるのが音楽隊だとのこと。
女性もたくさんおられます

今日は新型インフルエンザの関係で 観閲式と訓練展示以外の
売店やおまつり、祝賀会食などはすべて中止
音楽隊の演奏も中止になり とっても残念です。



装甲車や 数々の武器を積んだ車両
和歌山・奈良・滋賀・福知山・兵庫・大阪・京都の
それぞれの部隊の行進です。




中には、高校を卒業したばかりかなという可愛い可愛い
まだ若い隊員さんたち

私たちの前に来ると 全員顔をこちらに向けて
歩いてくれます。

きびきびとした行進と 掛声がかっこいい。



まだまだ つづきます  

ほんまに 自衛隊って かっこいいいいいいいいいいいい

2009-05-18 00:49 | 記事へ | コメント(13) | トラックバック(0) |
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2009年05月17日(日)
◎自衛隊 第3師団 観閲式  ジャンヌ おつるの体験記@
小雨の中、伊丹千僧駐屯地で行われた

第3師団創立47周年

千僧駐屯地創設57周年記念行事 
 に参加してきました。


「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日本陸軍と自衛隊」の著者であり横浜で教育らに携わりながら
自衛隊研究を続けられ 陸自部隊・司令部・学校などで講話を
されておられる 荒木肇先生にご紹介いただいて
第3師団長様よりご招待をいただきました。

受付に到着、胸の招待者リボンをいただいてtontonさんと待ち合わせ。 そしてレインコートを受付の方に支給していただいて いざ、観閲式会場のグランドへ。

Rickさんご一家はすでに到着されておられて・・・
 (私とtontonさん、Rickさんの カトリックの左翼と戦う大阪三銃士が自衛隊グランドで揃いました笑)

私は 長女とその婿、二女を連れていきました。
はじめて見る自衛隊の観閲式にワクワクドキドキです

席はなんと、国会議員さんや第3師団OBの方々や海上自衛隊や航空自衛隊のトップの方々、今まで自衛隊に感謝状をもらわれた方々と同じ 紅白のひな段の最上段の席 VIP席??!!
こんないい席を確保して下さって 感激です

観閲式がはじまりました。


君が代とともに 全員起立して 国旗掲揚からはじまりました。

一糸乱れぬ陸上自衛隊の隊員のみなさんの動きがなんと美しい


観閲官はもちろん、長谷部第3師団長  その迷彩服の超かっこいいーーーーーーー勇姿に感動です

荒木先生のすぐお隣に白い旗と赤い旗を持って グランドに並ぶたくさんの隊員さんの動きに合図を出す方がいらっしゃいました。


自衛隊の 整列、行進、これは 現代の小中学生、高校生に
見せてやりたいです。 このきびきびした統制のとれた美は
見る人の心に感動を与えます。



隊員さんの中でも 上官である方の右足には拳銃があります。
若い隊員さんたちは後方に整列

戦車隊、○○隊、それぞれの隊によってスカーフの色がちがいます。

塩爺こと 運輸大臣(第53代)、文部大臣(第108代)、内閣官房長官(第50代)、自治大臣(第42代)、国家公安委員会委員長(第52代)、財務大臣(第2代)などを歴任した 塩川 正十郎さんの
御挨拶。 そして 国会議員さんや来賓の方々のご挨拶

衆議院議員こびき司さんの秘書の山口さんも代理で来られてました。



途中でおトイレに行くため席をはずした私

階段を降りて 「おトイレどこですかー」と聞くと
「トイレですかっ ご案内いたしますっ」と自衛隊員さん
いえいえ 恥ずかしいーからいいですー自分でいきまーすー♪

小雨が降ってきて レインコートが足りないですー
とりにいきますーというと

「お席までおもちいたしますっっ」と 

いたれりつくせりの自衛隊員さんに 敬礼っ 

そして 観閲式行進がはじまりました 

つづく・・・








2009-05-17 23:31 | 記事へ | コメント(6) | トラックバック(0) |
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◆おもしろ動画 自民党選挙コンバット 麻生太郎
おもしろいので転載しました。 でも語学力のある方には英語と日本語字幕がまったく違うのに 違和感があるかも・・ですね笑  おつるは単純に最後の場面で 笑っちゃいましたけどー
2009-05-17 21:53 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(1) |
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2009年05月16日(土)
●日本と台湾  西村眞吾先生 竹田恒泰氏 講演会「日台友好記念大会」 久野潤先生
本日、「日台友好記念大会」に参加してきました。


この会は当初、「台湾李登輝の会 関西」という名称でしたが
変更されました。

まず お医者様の台湾人の 曽根さんのお話からはじまりました。

そして特別講演として





●慶応義塾大学講師 竹田恒泰先生のご講演


 竹田恒泰さんは、
祖父 恒徳王は竹田宮恒久王と明治天皇の第六皇女 恒久王妃昌子内親王夫妻より生まれていることから、恒泰氏は明治天皇の玄孫という
こと

家系は伏見宮家より分かれた北白川宮家の分家にあたる
竹田宮家の血筋でもあられます。

竹田先生とご関係の深い 北白川宮能久親王が
日清戦争によって日本に割譲された台湾征討近衛師団長として出征。ところが現地でマラリアに罹り、
原住民との戦いを経て 台湾全土平定直前に台南にて死去されたこと

皇族としては初めての外地における殉職者となったため
台北に台湾神社(台湾神宮)、終焉の地には台南神社が創建された。また後に台湾各地に創建された神社のほとんどで主祭神とされた

しかし戦後、台湾では全土で神社が破壊され今では台湾に
ひとつも神社がなく

現在は、アメリカなどにも神社があるというのに
日本人の多く住む台湾では神社がなく、七五三や地鎮祭、初詣も
できないことから、竹田氏に神社設立の依頼がきていることを
御話されました。

また中国でも台湾でも英雄とされている孫文が実は、
日本名として「中山」を名乗ったのは実は、
明治天皇の生母の実家である中山侯爵家を真似た名前であること

台湾の日本統治が終わり地名などが 台湾名に変更されたのだが
実は「中山北路」や「中山区」と「ちゅぅざん」という名で
ありながら 日本名を名乗っていること・・など

ご自身、そして皇室と台湾とのかかわりのご縁を
台湾の言葉を交えて ご説明されました。

竹田氏のおっしゃるには、台湾は親日、反日の両面性を持つか゛
いるのだが 現在の台湾から日本的なものを
排除したら何もの残らないのだと

親日だとか 反日だとかそういう こだわりを超えて
真の相互理解が必要である
と主張されました。

「旧皇族が語る天皇の日本史」という著書を中国語で
台湾での出版の御苦労を語られ

実は立法委員のリャオさんという台湾の方が尽力されたこと
その方が原住民の出身であること
この方と、台湾統治の児玉源太郎の玄孫であり木戸幸一のひ孫で
ある友人も関わり

実はこのことが ご縁であり 日台友好とそして原住民との
時を経た和解を示唆するような出来事であったような気がすると
感慨深くおっしゃられました。

現在の馬英九政権は 反日と単純に読むのではなく
日本担当会議を台湾政権ではじめて対日政策として成り立たせたこと
や、

李登輝氏が日本の政財界とのパイプがあるにも関わらず
馬英九政権には日本とのパイプがない。
このパイプを作ることも必要ではないか・・

竹田氏の思いは 日台関係は世界平和の基礎といえるということ
竹田氏の視点からは、新しい日本と台湾関係への方向性を
模索することの重要性を感じました。

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つぎに 

●大阪国際大学講師の 久野潤先生のご講演


日本と台湾、その前にアジアという枠組みの概念があるが
わが国は 台湾に対する認識が薄く 中国との日中友好を
向いている

孫文は アジアの連携を目指し 中国の革命をひきい
中国が諸外国と有効な関係を結ぶという観点であり
ソ連共産党のコミンテルンとの関係も選択したのであるが
実は 日本と関係を結ぶという選択肢をとらなかった。

よって アメリカやイギリスなどを敵にまわすという
近現代史の非劇となった。

現在の日本における東アジア 東大の学術 東アジア共同体研究を
みても 日中間の友好を重んじるが これは台湾を切り捨てると
いうこと。

本当のアジア 日台関係の重要性・・

政治などに興味がないような現代の若者などと話をするとき
実は 台湾というのは 保守陣営にとって 格好のテーマになる
「靖国」「憲法改正」などを語ると ひかれてしまうところがあるが
「台湾」を話題にすることで 海外旅行が趣味の若者にも
国際関係に興味のある若者でも 惹きつけることができ

それにより 興味をいだいた若者が勉強するうちに
日本のマスコミや学会の語る 台湾がまやかしであることに
気付くということがある

 台湾は日本のゆくえと深い関わりがあるのだ。

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●台湾 留学生 桃山大学博士課程 徐 幼恩さん

台湾にいるときはさほど台湾建国などについて興味がなかったが
実際に 留学生となった時に
日本で外国人登録をするときに 「中国」となっていることに
非常に驚き、区役所に「私は台湾人だ」とクレーム

その時 台湾人として 初めて悲しみ、憤り 屈辱を感じ
その後 台湾建国の重要性を認識し イベントなどに参加してきた

何もしなければ 何もはじまらないのだ

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●衆議院議員 西村眞悟氏のご講演


馬英九氏が 最近 妙な発言をした。
「4/28 57年前 台湾は中華民国に返還された」と。

日本は敗戦により 日華平和条約
そしてサンフランシスコ講和条約により 台湾統治を放棄はしたが
これは中華民国に帰属させるというようなことではなかったはず。

この馬英九氏の発言は 中国共産党のチベット侵略と同じく
もし台湾に侵攻した時に他国に批判されても
「内政干渉はするな」という口実を与える危険な発言である

国際法により台湾の建国は台湾人民の意志によって決まるのだ。

もう 第二次 日清戦争はまじかである


日本は中国と戦う覚悟をしなければならない。

中国は 台湾は中国のもの
日本は 中国のものではないと

これは 以前の朝鮮はわれわれのものという中国と
そうではないという 日本の状況と 同じである

日米開戦は アメリカが日本の石油をとめたことに始まった。

マッカーサーは自衛のための戦争と語り
パール判事もハルノートをつきつけられた日本の状況に
これはたとえ モナコでも同じことをされれば 戦っただろうと
言われた。

現在 日本は石油を中東に頼っているが
中国が台湾を制圧し、中東から日本の石油のシーレーンを制圧
されれば、石油だけでなく食糧、生産物何もかも 
日本に危機が迫る

日本は中国との戦いに勝たねばならないのだ。

すでに戦いははじまっている


村山談話
NHK偏向報道
アメリカによる従軍慰安婦の法案
アイリスチャン、南京大虐殺の広報・・・

これは 中国が第二次 日清戦争に勝つための情報戦ともいえる
すでにはじまっているこの情報戦・思想戦にわれわれは
勝たねばならない。

国体への自負が必要。

このままでは 日本の文明と国体が消滅する危機なのだ。

中国と日本の違い

中国は嘘をつくものが勝ち
日本は嘘をつかないものが信頼される

中国はわいろをするのものが勝ち
日本はわいろを許さない

中国は暴力を肯定
日本は徳を重んじる

中国は人肉を食う (論語)
日本は論語は尊い教えという

日本人は上司の奥さんをたてるが
中国人は上司の弱点を知るために奥さんに近づく

正直に資産の申告をした日本人が
もっと資産を隠しているはずだと 罪に問われ
資産を隠ぺいした人は これ以上資産はないのだと 罪に問われない
そんな国・・・

李登輝は モーゼになぞらえられる
2300万のアイデンティティのため 民主国家をつくった李登輝

モーゼは ユダヤの民をエジプトから救いだしたが
カナンへの到着まで40年もかかったが 結局モーゼ自身は
カナンにはいることはなかった・・

三年後の選挙の 台湾の民主化のゆくえが問題であり
中共が台湾に武力侵略をしてしまえば・・・

われわれ日本人は 台湾の法的地位を守らねばならない

外務省は曲げつつあるが・・・


台湾を独立国家であるため 東アジアの安定要因には

日本の軍備拡張以外に道はない。 核ミサイルを獲得することだ。

小野田元少尉の講演会に参加してきたが
「覚悟を決めてかかれば のりきることができるのだ」とおっしゃった

現在の我が国の聖地は 対馬 小茂田浜

紀元後70年 エルサレムがローマ軍に攻められたときに
マサダの丘で 1000名のユダヤ人が玉砕した。
現在も イスラエル軍は マッサダの丘で入隊式を行うのだ。

イスラエルはもし 現在 ユダヤ人が一名でも拉致されれば
全ユダヤ人がまた強制収容所に入れられるという危機感で
国防しているのだ。


対馬の小茂田浜 では 
元寇の時に 80キで三万人の蒙古軍と戦って全滅
それを聞いた鎌倉幕府が 「いざかまくら」と
国がひとつになって闘う気がいを持ったのだ。


台湾を語ることは 国家を語ること

台湾人が統治する台湾は 日本の生命線である

日本人は日本人の使命に目覚めるときである



********************************************************:

そして ●京都産業大学博士課程の留学生 葵呉 さん
熱い台湾建国への思いが語られ

最後に もう一度 曽根さんのごあいさつがありました。


おつるは 台湾問題について

台湾が日本の生命線であること ますます認識しました。


講師の方々の貴重なお話の数々にとても勉強になりました

以前から 日本李登輝友の会の永山さんのブログも
読んでいましたが

対中国との戦い、日本の使命と自覚をもち
関心を持ち続けていきたいと心から思いました。

札幌医科大学教授の高田純先生とともに
日本シルクロード科学倶楽部として 中国の核実験のことを
まずは広く知ってもらいたいと それが今の私にできることで
すが がんばっていきたいと思います

今日は、レオさんご夫妻ともお会いできました。

そして以前デモでお会いした方や いろいろな方と
ご挨拶できて有意義な時間をすごせました。

kinaくん、リコリスさん お疲れ様でした。

終わってから 久野先生にお願いして

西村眞吾先生と ごあいさつができました。

高田教授の秘書と久野先生がご紹介してくださり

「カトリック箕面教会のオルガニストです。
 正平教とも闘ってまーす」とごあいさつ

一緒に記念撮影もしました。 感激

会の主催者の方ともごあいさつ

久野先生が

 「このおつるさんは 高田教授の秘書です
「中国にハニートラップ攻撃するんです」
とか言うご冗談の紹介をされるので・・・笑 あはは

ついつい私もノリで

「ハニートラップが得意技でーす」とか言っちゃいましたが・・・


これからも 明るく元気にそして強くたくましく

日本のために

そして チベット・ウイグル・内モンゴル

そして台湾のためにも・・ がんばりますっっ


2009-05-16 22:31 | 記事へ | コメント(7) | トラックバック(0) |
| 中国 / 日本シルクロード科学倶楽部 |
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★ダライ・ラマ13世の警告   「同行二人」レオさんの日記より
レオさんの日記より転載させていただきました。

現在のダライラマ14世は 中国共産党の崩壊は
ご自分の死より 早いだろうとおっしゃったそうですが・・・

「同行二人」 http://blog.zaq.ne.jp/doukouninin/article/849/

ダライ・ラマ13世の警告

チベット王国の歴史が、史実として明確になるのは、西暦629年に即位
した第33代ソンツェン・ガンポ王の頃からと、言われており、この王は
唐の王女を后として迎えているそうです。

我国では第34代の、舒明天皇元年にあたり、政治の実権は蘇我氏が握り、
遣唐使を派遣した時代で、ほぼ我国の歴史と、似通っているところがあります。

チベットは中央アジアにおける、仏教の権威的な存在として認められていた
ようで、モンゴル帝国のフビライ・ハーンも、チベット仏教を受け入れて国教に
しています。

チベットは地続きの隣国ネパール、モンゴル、中国、英領インドより侵入
の憂き目に会っています。

ダライ・ラマ13世の時代、1904年、ロシアの南下を恐れる英軍が、侵攻、
ダライ・ラマ13世はモンゴルに亡命、その後1910年、チベットに絡む
英国とロシアの協定に危機感を持った中国清朝が侵攻、ダライ・ラマ13世は
英領インドに亡命、清朝の崩壊とともに母国に戻ったダライ・ラマ13世が、
独立を宣言して、チベットは独立国家として再スタートしています。

チベットは独立国とは言うものの、巨大な軍事力を持たない、弱い立場であり、
当時の英国、ロシア、中国の大国間で、勝手に国の運命を左右される取決め
をされる屈辱を味わっています。

ダライ・ラマ13世は、国の近代化推進と、仏教の興隆に力を注いだ、
英明にして偉大な指導者で、亡くなる前に次のような遺書を残しています。

〜文春文庫版、「ダライ・ラマ自伝」山際素男訳より抜粋〜


『根本的な改革がなされないならば、チベットは、宗教、政府の両方が
内外から攻撃を受けるであろう。

もし我々自ら自国を守らないなら、ダライとパンチェン・ラマ、父と子、
すべての尊敬すべき宗教的指導者たちは、この国から姿を消し、無名の
ものとなってしまうであろう。

僧も僧院も絶滅されるだろう。

法の支配は弱まり、政府官僚の土地、財産は没収されるだろう。

彼らは己の敵に奉仕させられ、物乞いのように国を彷徨う事に
なろう。

すべてのものが塗炭の苦しみに喘ぎ、恐怖にさらされ、昼も夜も
苦悩の重い足を曳きずってゆくだろう。』


ダライ・ラマ13世が、この警告を発して16年後の、1949年、
中華人民共和国が、チベットに侵攻し、現在に至るまで、チベットは中国に
よる過酷な圧制下で、もがき苦しんでおり、正にダライ・ラマ13世の
予言したとおりに進行しています。

翻って、英国を現在の米国に置き換えて、考えてみた場合、我国も
ダライ・ラマ13世の警告を深く肝に銘じて、智慧を絞って賢明に事に
対処しないと、現在のチベットと、同じ運命を辿ることになるかも
しれません。


2009-05-16 04:19 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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●お知らせ 台灣李登輝友の会について 訂正です
5/3の私の日記に


関西で

「台灣李登輝友の会・日本総本部」発足となっていましたが

訂正いたします。



主催者様からの連絡で

イベント名を「日台友好記念大会」、

主催者名は「日台友好記念大会実行委員会」に 変更に


なりましたと 連絡がありました。


たいへん 申し訳ありませんが よろしくお願いいたします。

   ジャンヌおつる




2009-05-16 04:01 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年05月15日(金)
★ピースボートが 自衛隊に お願い、守って〜笑 
超 笑えました。

笑いすぎて ビール吹いたしっ

きゃはははは笑 
ピースボート かっこわるぅーーーーー

「海上自衛隊派遣反対!! 
でも 怖いから海上自衛隊さーん 私たちのこと守ってね〜」

「憲法9条〜 無防備都市宣言〜ガンジー無抵抗主義〜」

私たちは 自衛隊に反対だよー
でも いざとなったら 命がけで自衛隊さんが守ってくれるから
ほんとは 安心なのよ〜
私たちは、武器を持たなーいとか言って
甘えたこと 言えるのよーん 


とか言ってるのって 恥ずかしくないのかなぁ

そういえば カトリック正義と平和協議会 と仲良しこよしの
武者正治公秀氏は なんどもピースボートに乗ってますね

ピースボートって 北朝鮮にも行くんですよねー

よく あちこちのスーパーとか商店なんかに
「世界一周クルーズ 148万円」とかのポスターがあって
定年退職したご夫婦とか、だまされて行くんだろなー涙

世界一周してる間に 洗脳されるんだろうなぁ 涙

そのお金が北朝鮮や社民党に流れていくのかもしれないのに・・





「反対、でも守って」 ピースボート、海自が護衛 ソマリア沖
5月14日7時57分配信 産経新聞

 海賊対策のためアフリカ・ソマリア沖に展開中の海上自衛隊の護衛艦が、民間国際交流団体「ピースボート」の船旅の旅客船を護衛したことが13日、分かった。ピースボートは海賊対策での海自派遣に反対しており、主張とのギャップは議論を呼びそうだ。

 海自の護衛艦2隻は11日から13日にかけ、ソマリア沖・アデン湾を航行する日本関係船舶7隻を護衛。うち1隻がピースボートの船旅の旅客船だった。ピースボートは社民党の辻元清美衆院議員が早稲田大在学中の昭和58年に設立。船旅は寄港地の非政府組織(NGO)や学生らとの交流などを目的としている。

 ピースボート事務局によると、船旅の企画・実施会社が護衛任務を調整する国土交通省海賊対策連絡調整室と安全対策を協議し、海自が護衛する船団に入ることが決まったという。

 ピースボートは市民団体による海自派遣反対の共同声明にも名を連ねている。事務局の担当者は「海上保安庁ではなく海自が派遣されているのは残念だが、主張とは別に参加者の安全が第一。(企画・実施会社が)護衛を依頼した判断を尊重する」と話している。
 

ちなみに 海上自衛隊派遣反対 共同声明はこちら↓
http://www.annie.ne.jp/~kenpou/seimei/seimei113.html

ピースボートとともに 共同声明だしてるのが・・
●VAWW - NETジャパン 
●平和を実現するキリスト者ネット
 運営団体の中にもちろん 日本カトリック正義と平和協議会
 共同代表 松浦悟郎 (日本カトリック正義と平和協議会会長)
 門間幸枝 (日本カトリック正義と平和協議会)
●9条の会 ●きくちゆみ笑

 などなど・・・

ピースボートといえば バウネット
バウネットといえば カトリック正平教や 朝鮮総連
ピースボートといえば 武者小路公秀 国連 
武者小路公秀といえば カトリック正平教や 金正日賛美
ピースボートといえば グリーンピース 日本赤軍
グリーンピースといえば カトリック正平教

いやーな お友達関係ですね・・・ 

おつるの日記でそのあやしい関係は以前にも
何度も何度もとりあげていますが・・・・


●カトリック正平協 と関係の深い バウネット(女性団体)逆転敗訴 
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/422/

●グリーンピース2人を逮捕 鯨肉窃盗と建造物侵入容疑
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/434/

●きくちゆみは北朝鮮大好き平和主義者 「大圓さんブログより」
http://blogari.zaq.ne.jp/otsuru/article/774/
 


などなど・・・


※大圓さんの日記より

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1166676875&owner_id=783617&comment_count=8
「148万円で世界一周船の旅」と宣伝ポスターが大阪の町々に張り出されていますが、ここで得た軍資金がピースボート創設者、社民党の辻元清美、そして社民党、赤軍派へ流れているのではないか。 
反日運動の軍資金になっているのではないか。 
げんに反日運動にピースボートやここの事務局長の名が連なっている。

「いのちの風 bS31」の辻元清美氏
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=34301069&owner_id=783617

「ヒロさん日記」にピースボートの内情が詳しい。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/idx/?mycategory_id=31023

ピースボート 辻元清美
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%A5%D4%A1%BC%A5%B9%A5%DC%A1%BC%A5%C8%A1%A1%C4%D4%B8%B5%C0%B6%C8%FE&fr=top_v2&tid=top_v2&ei=euc-jp&search.x=1&x=12&y=14

ピースボート 赤軍派
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=sfp&p=%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%88%E3%80%80%E8%B5%A4%E8%BB%8D%E6%B4%BE&meta=vc%3D
  



自衛隊って・・・・神様みたいですね。

自分たちのこと ボロカスに言う人たちのためにも
命をかけて守ってあげるのですから・・・

そういえば 地震などで 自衛隊が炊きだしとかされるときも
必死で並んで 助けてもらってるのが

左翼のひとたち 笑


 

日ごろ、小学校で 先生の言うことに文句ばっかり言って
いうこと聞かない子供が

いざとなったら 「先生助けてー」と
言って一番に甘えてくることがあるけれど・・・・似てません??笑

こちらのブログみたら↓ 最低だな・・・ピースボート・・
気狂いピースボートと辻元清美
http://www.tamanegiya.com/pi-subo-to.html


このブログもすごいですね
辻元清美と日本赤軍とピースボートについて・・・
http://k2t2f.blog.ocn.ne.jp/tubaki/2005/10/post_d397.html


カトリック 正義と平和協議会

だから カトリックの名前つけて

こういう団体とつるむのやめてってば。

  ほんま 恥ずかしいから やめて。

注)私のようなクリスチャンや
バチカンに添う 日本の敬虔なカトリック信徒や
敬虔なカトリック神父様は、

カトリック正義と平和協議会 会長 松浦補佐司教さまとは
一切 関係ありませんので 誤解なきようお願いします。

 

















2009-05-15 04:28 | 記事へ | コメント(28) | トラックバック(0) |
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【特別号】 陸軍史あちらこちら−(11)  『「満洲だよ、満洲があればな〜」の声
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【特別号】 陸軍史あちらこちら−(11)                荒木肇
『「満洲だよ、満洲があればな〜」の声』
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▼はじめに

 戦前は軍部が暴走したといわれます。
 陸軍が悪かったという評価は、もうすっかり定着しています。なかでも、1931(昭和6)年の満洲事変の背景はすでに明らかになっているように、まさに関東軍の謀略でした。当時、遼東半島の関東州に司令部をおいた関東軍。そこには中央の統制にも服さずに、勝手に戦闘を開始した幕僚たちがいました。

 しかし、彼らがそうした行動を起こした理由があるはずです。また、それを追認した人たちがいました。喝采した人たちもいたのです。なぜ、彼らの行為は認められ、世論の支持を受けたのでしょうか?

 歴史を学ぶのは過去の人の賢愚をいうためではありません。やみくもに近隣諸国に謝罪する材料を集めるものでもありません。ましてや、父祖の行為を断罪するためでもないのです。結果を知っている私たちはたやすく裁判官になれますが、当時の人の状況を知らずに判決を下す人が多すぎるのです。

 どうして関東軍はあんな無茶をしたのでしょうか?
 そんなことは分かっている。もともと侵略的な軍隊なのだからという人がいます。軍隊とは元々そんなものなのだ、国民を守ったりはしないものだ。旧陸軍とはそういう体質をもっていたなどとまとめる人もいます。それは過去の出来事のたいていに適用できる便利ないい方です。ただし、それは運命論者だけに通用する論理でしょう。あえていえば、進歩的歴史観(これも死語に近い感じですね)をもっている人だけに共有できる認識です。

 近代国家の軍隊が、中央の統制に服さずに行動する。
 それには制度的な制約がありました。なんといっても戦前のわが国は近代的法治国家でした。軍が動くには天皇陛下の命令が必要でした。参謀総長は、「勅を奉じて伝える」という立場でした。陛下の命令があって初めて軍事行動を命令できたのです。それでは、間に合わない。そうした状況をつくり出そうとしたのです。軍が動けばカネがかかる。事変が拡大をし続けたのは、行動を追認してカネを送った人たちがいるからです。

 また、現場の関東軍司令官、越境して援護に出動した朝鮮軍司令官が、軍刑法にもふれるような行為(擅権ノ罪:せんけんのつみ:司令官が勝手に戦闘を開始した時には死刑)にふみきった背景には十分な動機があったはずでしょう。

 ところで、こうした満洲における関東軍の行動は、とても褒められたものではありません。それを認めた人々の価値観も、とうてい受け入れるわけにはいきません。
 しかし、もしも、自分がその場にいたら、あるいは当時の日本人だったらどうしたでしょうか。
 満洲事変にいたるまでの経緯や、時代相をくわしく見てみます。すると、あえて乱暴ないい方をすれば、日本人は立ち上がるか、しっぽをまいて満洲から逃げ帰るかしかなかったろうな。そんな気がしてきます。


▼関東軍とは、どんな組織だったか?

 平時の陸軍で「軍」を名乗れたのは、台湾軍、朝鮮軍、支那駐屯軍、そして関東軍だけでした。いずれも共通しているのは、当時の「外地」、いまふうにいえば植民地におかれていることです。もっとも、支那駐屯軍(天津軍:てんしんぐん)だけは、1900(明治33)年の北清事変のあとの条約で駐兵を認められていました。国際条約にしたがった居留民保護のための治安維持部隊でした。天津と北京に駐屯歩兵隊をおいていたのです。

 大学の先生たちの関東軍についての解説を読んでみました。私と同世代の東大文学部国史学科を出た方です。一般向けの解説書の中で、『満州守備の陸軍は「関東軍」として日本軍から独立した』と書いてありました。この記述にはびっくり、茫然です。それじゃあ、まるで中国の軍閥のようではありませんか。日本軍ではなかったようです。また、『韓国併合の後、軍部は、「韓国の次は満州を取る」と宣言しました』ともありました。どこの誰が宣言したのでしょうか。こういうデタラメが書かれているのです。

 最大の兵力をもっていたのは朝鮮軍です。2個師団を隷下にしていました。台湾軍には台湾守備隊と基隆(きいるん)、馬公(まこう)に重砲兵大隊があり、関東軍の隷下部隊は満洲鉄道警備のための独立守備隊と旅順重砲兵大隊だけでした。この重砲兵大隊とは、重要な港湾を守るための要塞砲兵部隊です。

 関東軍はもともと日露戦争の結果、中国から租借した関東州を守る軍隊でした。当時は、内地から1個師団が交代で派遣されていました。
 関東州を統治したのは関東庁(1934年まで)といわれた行政官衙(かんが)でした。その長を関東長官といいました。長官は南満洲鉄道線路を警務上取り締まり、満鉄の業務を監督しました。

 外国の土地の中を走る鉄道線路。その敷設権(ふせつけん)を手に入れた各国は、どこでも警備の兵力をおきました。線路の両側(決められた幅があった)、駅舎や機関庫、関連した設備、一部の市街地も含めて日本の領土と同じ扱いでした。
 各地におかれた6個の独立守備隊はそれを守る部隊です。独立という言葉がついているのは、平時の軍隊組織の中にあるのに、師団や旅団の中にないという意味になります。それぞれの守備隊の規模は、4個歩兵中隊で編成された1個大隊でした。独立守備隊は精鋭をうたわれていました。それはそうでしょう。周囲はすべて敵ばかり。治安は悪く、日本人を嫌う人だらけでしたから。いつも戦場にあった、そういう部隊です。
 隊員たちの襟には、鉄道のレールの断面と、それにかぶさる、ぶっちがいになった小銃の徽章が光っていたそうです。


▼国民世論の変化が若槻首相を追い詰めた

 関東軍司令官は親補職(天皇から直に任命される)の大将、もしくは中将でした。満洲事変のときには第2師団(司令部:仙台)が駐屯し、兵数は約14,000です。現在の自衛隊でも、災害派遣や海外業務用に指定された部隊がいます。当時は師団ごとに交代で派遣されていたのです。
 これに対して満洲にいた奉天軍といわれた中国軍は、ざっと13万から14万人といわれていました。兵力の比では1:10です。それが1931(昭和6)年9月18日、奉天の北大営付近、柳条溝で満鉄の線路が爆破されました。しかも現場には、あやしい中国人の死体があったのです。関東軍はただちに行動を開始します。日本の兵隊は強かった。あっという間に中国軍の兵舎を制圧。要地にあった中国軍部隊は敗走につぐ敗走。

 翌日の新聞には、『支那軍、満鉄の線路を破壊。関東軍は自衛のために交戦中』という速報が出ました。その19日の朝、若槻礼次郎(わかつき・れいじろう)首相は南次郎(みなみ・じろう)陸軍大臣に迫ります。
 爆破した支那兵を捕えようとしたら抵抗された。わが軍が身を守るための自衛行動というのは本当か。もしや、関東軍の陰謀ではないかと。もし、そうだったら国際的なわが国の立場はどうなるのか。実は若槻首相のもとには、事件の起きる前から不穏な情勢が伝わっていました。関東軍が軍需物資を集めている、何かをたくらんでいるのではないかという噂です。

 そして、首相の悪い予感はあたってしまいました。関東軍の幕僚たちは、自分たちで満鉄線に爆薬をしかけ、犯人として中国人の死体まで用意していたのです。
 若槻首相はただちに「不拡大方針」を出しました。その夜には若槻は元老西園寺公望の秘書である原田熊雄に自分の考えを打ち明けます。
 どうも現地の軍隊が「保障占領」の措置をとっているらしい。でも、元来はこれ、保障占領(相手に何らかの行為をさせるために相手の土地や財産をおさえること)は政府が決定し、軍に命ずるものであって、軍が独走するのはおかしいことだ。しかし、自分には軍をおさえる力がない。どうしたらいいのだろうか。

 翌20日、陸軍大臣は閣議で新聞報道と変わらない報告をしました。誰も納得しません。絶対に不拡大とするかという閣僚たちに陸相はそうすると約束します。
 ところが、21日には、今度は朝鮮軍が越境して戦闘行動にでました。軍隊に戦闘を命じることは天皇の権限です。参謀総長はあくまでも陛下のスタッフであって、命令も「奉勅伝宣(ほうちょくでんせん)」すなわち勅語を奉じて伝えるという形式をとりました。勝手に兵を動かす。これでは、まるでクーデターではないか。陸軍大臣は何をしているのか。閣僚は怒りました。

 しかし、ここで少し解説しておきますと、陸軍大臣には戦争を止める権限はないわけです。まず、命令を起案し、実行させる「参謀」たちの人事権がありません。参謀たちは、参謀総長が人事を握っています。同じように陸軍大学校を出ていても、陸軍省で行政をする人たちと、参謀本部で作戦運用ばかりしている人たちと、同じ制服を着ていても、まるで違う人種のようでした。
「陸軍」という統一体は実はなかったのです。すべての組織が天皇に直隷し、互いの業務規定だけがあっただけでした。

 それでも22日には、とうとう閣議は朝鮮軍の越境行動も追認。カネも出すようにする。カネを止めれば、現地軍は行動ができなくなります。戦争は否定すべき出来事ですが、そこで戦う軍人には罪はありません。
 若槻は天皇に「ハルピンや間島(朝鮮と満洲との国境地帯)には出兵させない」と上奏し、ひき換えに天皇からも朝鮮軍越境を認めてもらいました。23日には吉林からの撤兵も陸相にせまり、吉林以外には兵を出さないという言質をとります。不拡大方針を政府声明として24日には出すことができました。

 こうして機運は不拡大に進んでいきましたが、十月には若槻を追いこむ事件が発覚しました。軍部の一部による「十月事件」というクーデター計画です。すでに「三月事件」という未遂の事案もありました。若槻は自分の死を恐れる人物ではありませんでした。
 彼に何よりこたえたのは、国民世論の変化です。それまでロンドン軍縮条約を喜び、反軍、反戦をうたっていたマスコミが国民の戦争熱を煽り始めていたからでした。若槻は国民の意見と自分は異なっている。自分は支持されていないと自信を失ってしまったのです。


▼当時の日本人は満洲をどう見ていたか?

 ところで、満洲の語源とはと聞かれて正確に答えられる人は少ない。そう早稲田大学の小林秀夫教授はいいます。なぜなら、満洲は地名ではないからだそうです。満洲とは地名ではなく民族名であり、国名だったのです。清をおこしたアイシンギョロ・ヌルハチが、自国を「満珠(まんじゅ)」とし、民族名も「女真族」から満珠にしたのでした。これがいつのまにか満洲とされ、地名のように誤解され、「満州」と簡略化されるようになったのです。

 以下、講談社現代新書の『満洲の歴史』の記述によって、かんたんに満洲を知ってみましょう。歴史の教科書に「渤海(ぼっかい)」という国が出てきます。これが朝鮮民族の王朝か中国の地方政権なのかで2003年には大論争が起きました。もちろん、北朝鮮・韓国は朝鮮民族の王朝とし、中国の学者は中国の地方政権だったというのです。どちらの国も、領土問題主張するときは、はるか昔のことまでも利用します。そういう人たちなのです。近頃は、長崎県の対馬も歴史的には韓国の領土だそうです。

 その後、「遼」、「金」、「元」とこの地は支配者が変わります。つづいて「明(みん)」が中国を統一しますが、ヌルハチは「後金」を建て、瀋陽に都をおきました。このヌルハチを継いだ福臨(フリン:順治帝)が北京に進み、全土を統一して「清」を築きます。

 わが国では江戸時代の初めの頃、満洲は満洲(女真)族の聖地でした。王朝が始まったところですから、満洲旗人(きじん)といわれた貴族たちの住むところです。満洲族は8つの旗の下に軍隊編制をとっていました。正白旗(真っ白)、正藍(せいらん:藍色)旗などの4つと、その色に縁取りがついた4つの旗です。それに属する人を旗人と呼び、貴族にあたりました。その貴族たちは、けっきょく、中華地方に移っていきます。

 空白を埋めていったのは漢人(中華民族)でした。清朝政府も積極的に移民政策をとりました。1900年頃には、漢人人口は約1300万人といわれていました。
 その政治の仕組みは中国本土とは異なるものでした。中国の地方政治は省を2つまとめる総督、省の長官である巡撫(じゅんぶ)の下に布政使をおくのがふつうだったのですが、満洲の奉天、吉林、黒竜江、沿海の各省だけは軍政がしかれていました。それぞれ将軍、副都統(ととう)という武官が統治していたのです。
 清朝はその起こりが軍事政権であったのに、異常なほど「文」が「武」に優越していました。満洲と中華を区分したのが「山海関」なら、中華の人にとって関の外は「化外(けがい)の地」というものでした。

 世界経済に満洲が参加するようになったのは1860年のことでした。天津条約にもとづいて牛荘(ニュウチャン:営口)が開港されてからです。満洲の特産品である大豆三品(大豆、大豆油、大豆カス)が牛荘に集められ、積み出されるようになりました。漢人の満洲開拓はますます進むようになったのです。

 地方自治は漢人たちの自主性に任されていました。清朝の官兵や警察組織は、ひどく無力なものでした。農村の漢人たちが組織した武装組織は馬賊といわれたり、民団、保衛団、郷団、商団、自衛団などと称したりしていました。

 一方、ロシアはシベリアからの南下の機会をいつもうかがっていたのです。日露戦争は両国の軍隊が二年近い間、満洲の地で戦いを続けました。その前の日清戦争では、せっかく手に入れた遼東半島を露・仏・独の三国干渉で失い、国民は「臥薪嘗胆(がしんしょうたん:中国の故事)」の気持ちで耐えた結果のロシアとの開戦でした。多くの犠牲をはらって手に入れた満洲での利権。現在からみれば、侵略といい、植民地主義といい、帝国主義と断罪されますが、当時の人には分かりません。

 満洲の利権や土地は、まさに民族の尊い血であがなった正当な財産でした。


▼『帝国国防方針』の2回目の改訂

 日露戦後、陸海軍も国民も恐れていたのが、ロシアのリターン・マッチでした。幸いといえばいえますが、ロシアは革命で力を失いました。当面の危険はなくなりましたが、シベリアへの干渉も失敗し、共産主義ソ連邦がじわじわと力をつけていることが次の恐怖になったのです。

 世界大戦(1914〜1918)はわが国にとって遠い地で行われた戦争でした。もちろん、陸軍は青島(ちんたお:ドイツの租借地)で戦い、海軍は南洋、地中海で行動しましたが、直接、戦場を体験することができなかったのです。それだけに、陸海軍は来るべき戦争について真剣に研究、対処を考えるようになりました。

 なぜ、ドイツは敗れたのか。このことを当時の人は考えました。結論は、国家の経済力の差であり、ドイツは経済封鎖によって負けたのだというものでした。
 これまでの戦争は財源の多少が勝敗を決めた。いかに外国から借金ができるかが勝利への方程式だった。日露戦争が、まさにそれだったのです。それが通用しなくなった。『自給自足』体制を確立することが大切だという認識が広まったと加藤陽子東大教授は指摘しています。

 1907(明治40)年にできた『帝国国防方針』は18(大正7)年に第1回の改訂がされました。これの直接的な理由は、大戦中に行われた『対華21ヵ条要求』と、それへの反動として起こった中国での排日運動への対処です。初めて中国が、アメリカ、ロシアとならんで想定敵国となりました。

 続いての改訂は23(大正12)年に行われました。そこに書かれた世界認識をみてみましょう。

『国際連盟はできたけれど、アメリカが加盟していない。また、ワシントン会議で九カ国条約や四カ国条約は締結されたけれど、禍根(かこん)はなくなっていない』とした上で、『禍機うん釀の起因は主として経済問題に在り。惟ふに大戦の創痍癒ゆると共に、列強経済戦の焦点たるべきは東亜大陸なるべし』と予想しています。資源は豊富だし、人口もたいへん多い。有望な市場だというわけです。そして、もっとも警戒すべき相手は、アメリカになるというのです。


▼中国の真実の状況

 満洲について、あるいは関東軍について論じられるとき、たいていの論者がわが国の問題ばかりを語ります。ちょっと視点を変えて中国がおかれていた立場、状況を知ってみてもいいのではないでしょうか。
 加藤陽子氏は『戦争の日本近現代史』(講談社現代新書)で次のような指摘をしています。中国の財政を国際共同管理におかないためにはどうするか。それを参謀本部は考えていたといいます。そうです。当時の中国はどういう財政状況にあったのでしょうか。調べてみると、びっくりするようなことが分かります。
 1923(大正12)年といえば、わが国では関東大震災が起きました。大正バブルとでもいうべき好況が終わり、1920(大正9)年には株価の大暴落が起き、その痛手が癒えないうちに大震災です。そして、アメリカは日本からの移民を閉め出そうとしていました。排日移民法が出されたのがこの年4月の出来事です。

 その頃、1923年から翌年の春ころの情勢では中国では3つの勢力が並び立っていました。
 まず、直隷派といわれた北京をおさえていた呉佩孚(ご・はいふ)政権がありました。次に、奉天派といわれた段祺瑞(だん・きずい)と張作霖(ちょう・さくりん)の軍閥。これと連携しながらソビエト・ロシアと接近していた孫文(そん・ぶん)です。そして、加藤氏によれば、当時の中国は破綻寸前でした。歳入が4.5億元に対して歳出は6.5億元であり、内外債は30億元を突破しているという観測を日本陸軍参謀本部はしていました。

 外債の多くは1)賠償金、2)鉄道収入や鉱山の採掘権などを担保にした借款、3)実業収入を担保にした各省の借款。歳入の大部をしめた関税や塩税なども英米の管理下におかれていました。参謀本部が恐れた事態は中国が列国による共同管理状態になることでした。

 さらにその恐怖をあおる事件も起きました。23(大正12)年5月のことです。特急列車が私兵集団に襲われて、1人の英国人が射殺され、16人もの外国人が身代金目当てに拉致されたのでした。これに対して、イギリスは北京政府に対して犯罪者の処罰と、天津と浦口を結ぶ津浦線に会計主任と運転主任を送りこむことを要求しました。また、列国には共同して鉄道を管理しよう、漢口と上海へ出兵しよう、海軍による示威行動をとろうと呼びかけてきたのです。

 時代は進歩したモノだと思います。国民が数十人も拉致されても、「話し合い」で解決しようというのが現代です。どころか、こちらも過去悪いことをした。だから、謝るのだという。「進歩」した時代になったものです。80年あまり昔のこと、当時のイギリス人もアメリカ人も列国の人々も、当然の権利を侵された、犯人を処罰せよ、言うことを聞かないのなら軍事行動をとるぞと断固たる姿勢を見せました。なにがなし、幕末の外国人へのテロと、それへの報復、徳川政権への賠償請求を思い出します。

 次号は、いよいよ満洲事変を起こした動機、ソ連が弱体のうちに満洲と蒙古を取ってしまえという気分の背景。当時のわが国内状況などを資料を使って詳しく説明したいと思います。標題の『満洲があればなあ』という当時の人のつぶやきに込められた願いは何だったのか。そして、読者の皆さんは、関東軍の言い分をどう受けとめることでしょうか。(荒木肇)


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆荒木肇経歴
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。

◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日本陸軍と自衛隊」「子供もに嫌われる先生」
いずれも並木書房刊 http://www.namiki-shobo.co.jp/
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2009年05月13日(水)
◆映画 『 天使と悪魔 』 は宗教的に“無害”と バチカン機関紙
2009.5.15金曜日から

トム・ハンクス主演 
 
ダン・ブラウンのサスペンス小説 の

      
●「天使と悪魔」      が  世界同時公開!!




ダヴィンチ・コードは原作を読んで映画を見た人には
少しもの足りないという人も多かったようで、
しかも、カトリックからは、キリストをめぐる描写などについて
反発がでいました。

でも 今回の映画は、バチカンからは宗教的に無害と
御許しもあったということで 安心♪

かなりアクション要素が高くて、ストーリーやテンポ、音楽にスピード感があり、ラストの衝撃シーンは・・・と


************************************************************

トムハンクス演じるロバート・ラングトン教授が
カトリックに積年の恨みを持つ 秘密結社イルミナティの
復活による バチカン崩壊の危機に迫るという ストーリー



『ダ・ヴィンチ・コード』と同様、ロバート・ラングドンを主人公とする小説である。テーマは「ギリシャ的科学思想に対する批判と抵抗」である。教会が舞台になっているが、キリスト教との関係は薄く、むしろギリシャ的科学思想に対する批判がなされている(wiki)

●あらすじ [編集]
ハーバード大学のロバート・ラングドン教授は、ある日セルンの所長、マクシミリアン・コーラーからとある紋章についての説明を求められる。その紋章は、同研究所の科学者レオナルド・ヴェトラが何者かによって殺害された際、彼の胸に焼印として押されていたものだった。レオナルドは最近、核エネルギーを凌駕する反物質の生成に成功しており、その反物質も犯人によって盗まれていたことが判明する。ラングドンはその紋章を、伝説的な秘密結社・イルミナティのものと断定するが、犯人と結びつけることには躊躇していた。彼は手がかりを求め、殺害されたレオナルドの娘、ヴィットリア・ヴェトラとともにローマへと向かう。

一方ローマでは、新しい教皇を選出するコンクラーベの真っ最中であった。にもかかわらず、新教皇の有力候補(プレフェリーティ)の4人が揃って失踪していることに、コンクラーベ進行役の枢機卿であるモルターティは苛立ちを覚える。さらに、離れた場所では、ヴァチカンの警護を任されたスイス衛兵隊隊長、オリヴェッティのもとに監視カメラから奇妙な映像が映し出されていた。そんな中、前教皇の侍従、カルロ・ヴェントレスカのもとにイルミナティを名乗る者から突然の電話が鳴る。かつて科学者を弾圧したキリスト教会に復讐するため、1時間に1人ずつ、拉致した新教皇候補を殺害してゆくという。

殺害が行われる場所のヒントに気付いたラングドンは、殺害を阻止し、盗まれた反物質を発見すべく推理と追跡を開始する。






ガリレオ・ガリレイとの暗号と

●セルン(欧州原子核研究機構)
(スイスのジュネーブにある科学研究機関で、世界最大規模の素粒子物理学の研究所。)

●大型ハドロン衝突型加速器

セルンが建設した世界最大の粒子加速器。
ジュネーブからフランス国境をまたぐ巨大な円形の管の中で、粒子を加速・衝突させ素粒子にする実験が行われる。加速器でブラックホールを作る計画もあったが、電気トラブルで中断


**************************************************************

このような説明が 映画のサイトに出ていました。


大型ハドロン衝突型加速器は 

昨年の8月に こんなニュースがあり、↓
大型加速器による実験で、極小のブラックホールができ、それが反応を繰り返して巨大化しながら地球を飲み込んでしまうかもしれないという噂・・・この実験の危険性に対して、中止の訴訟がおきたり

インドの少女がネットで このニュースを知り
世界が破滅してしまうと本当に悩んで自殺してしまったり・・・
ということが おつるの記憶にあります。
実験は中止になったようですが・・・

2012年 マヤ歴の世界滅亡説に絡めたり スピリチュアル系の
方にも話題だったようでしたが・・・

こういう欧州原子核研究機構という実在の研究所の
大型ハドロン衝突型加速器という、タイムリーな話題が
ストーリーに織り込まれているところが 興味しんしんです。




欧州合同原子核研究所(本部・ジュネーブ)は10日、フランス・スイス国境にある世界最大の実験用粒子加速器「ハドロン衝突型大型加速器」(LHC)の運転を始めた。宇宙を誕生させた大爆発とされる「ビッグバン」直後の状態を再現し、宇宙や物質の起源を解明するのが目的。実験の過程でブラックホールも生成するため、「地球がのみ込まれる」との主張も飛び出し、欧州で大きな関心を集めている。

世界最大の加速器稼働 円周27キロ 宇宙の起源解明へ 仏・スイス国境 / 西日本新聞



映画の公式サイトなどは こちら

http://event.movies.yahoo.co.jp/theater/angels-demons/

http://angel-demon.jp/


◎『天使と悪魔』は宗教的に“無害”とバチカン機関紙

 【CJC=東京】世界中で大ヒットとなった『ダ・ヴィンチ・コード』の続編『天使と悪魔』について、バチカン(ローマ教皇庁)の機関紙『ロッセルバトレ・ロマノ』は、5月6日付の映画評論及び論説で、「非常に商業的で歴史的事実は不正確」だが、「教会にとって危険ではない無害なエンタテインメント」と評価した。
 バチカンは第1作『ダ・ヴィンチ・コード』のキリストをめぐるナゾや、宣教団体『オプス・デイ』に関する描写に問題があるとして、強く反発していた。
 「原作は両方とも、教会とある派閥の対立を描くというテーマは共通しているが、善と悪のパートが違う」と同紙は述べている。
 『天使と悪魔』は『ダ・ヴィンチ・コード』と同じダン・ブラウン原作小説をロン・ハワード監督、トム・ハンクス主演で映画化。続編ではあるが、時間的には『ダ・ヴィンチ・コード』よりも前の設定で、ローマを舞台にアメリカ人の学者ロバート・ラングドンがバチカンにまつわるナゾを解いていくというスリラー。
 製作の米ソニー・ピクチャーズは、昨年、重要なシーンに登場する歴史的建造物サンタ・マリア・デル・ポポロ教会とサンタ・マリア・デラ・ヴィットリア教会での撮影許可を、イタリア当局に申し込んでいた。ただ教会の使用許可はバチカンからも取得しなければならず、この映画に関してバチカンは許可を出さなかった



ユアン・マクレガーの
バチカンの危機に立ち向かう教皇様の侍従という役割、
かっこよさげです

ユアン・マクレガーといえば スターウォーズのオビ=ワン・ケノービが有名で、今回の映画では、科学と戦う神父様の役ですが
実の父親が 物理学の教師で宗教には まったく興味がないとか。
ロンドンからニューヨークまでバイクで世界一周の旅をした
ドキュメンタリーでも有名ですね




この映画は、宗教学の教授が、バチカン崩壊を防ぐために
バチカンに従う宗教者とともに、
イルミナティの悪の科学組織の秘密と戦うという
ストーリーですが・・・・


現在、日本シルクロード科学倶楽部
ホームページはこちら
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/SilkRoadJpScCb1Jp.html

では

正義の科学者である 札幌医科大学 高田純教授と
バチカンに従うクリスチャンの鶴姫 ジャンヌおつるは

正義の会員たちの協力のもと 中国共産党とその秘密の核実験
それに追随する日本の団体やマスコミとも 日々、戦ってますよ!!

会員募集中




それともう一つの戦い

カトリック正義と平和協議会というバチカンに添わない組織と
私たち、敬虔な信徒は闘っています。





映画はフィクションですが・・・・・

私たちの戦いは、ノンフィクション 現在進行中!!

 はやく 映画見たいなぁ





2009-05-13 21:50 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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高速道路で パニックぅ〜〜涙
週末の サッカーの試合の帰りみち


三位になって おめでとう気分で 充実感

真夏日で三試合で へとへとだけど  汗どろどろだけどー

早く帰って ビールが楽しみ〜 るんるん


と 阪神高速北神戸線を抜け 中国自動車道

渋滞してたら 三田に抜けて 猪名川町までいって帰ろうかなーと。
車 調子悪いしなぁ  でも あんまり渋滞してないみたい ラッキー♪

宝塚方面で帰ろうっと〜
   
と 西宮名塩あたりに来ると・・・ うわ 急に こみだしたっ

故障車が・・・・誰や 迷惑やなぁ ぷりぷりっ

のろのろ・・・渋滞・・・・・

なんだか おつるの車が 変な音・・・変な音???

  ぐるんぐるんぐるん ぷす。

うわ エンジンとまったし。
うわ ゆるい坂道で 渋滞して前に車いるのに

ブレーキ きかへんしっっっっ 

サイドブレーキしてーーーーーシフトをPにして〜セーフっ

あーーーやばいっ。

もう一度エンジンかけて・・・

  ぐるんぐるんぐるん ぷす。

ひえー またブレーキきかへんしっっっ  その繰り返しで・・・もう無理っっつ 

もう少し走ると トンネル   トンネルで 止まったら死ぬし。

今なら 路肩がある・・・路肩へ ノーブレーキで避難
カーチェイス。。。。
あーん どうしよう・・・・

しばし 思案するも ふと気が付くと
大渋滞で みんなが私を見ながら通り過ぎていく・・・のろのろ

しかも カーブしたところの路肩だから
どんどん ツーリングの巨大なバイクが ぶつかりそうに
後ろから向かってくる つぎつぎと・・・ 

ひえーーーーっ

発煙筒って どうやって たくのん???
車から降りるの 怖すぎるし 無理っっ 

JAFに電話しなきゃ、でも JAFは時間かかるから
JAFよりも先に
おまわりさんに 渋滞で迷惑かけてること  言わなきゃ。

110番に電話した。 はじめてや。

「事件ですか 事故ですかっ」との声

「あの〜 渋滞で迷惑かけてます〜」 と 間抜けなおつる・・・

事情を説明して 場所を説明して・・・

「では、発煙筒をたいて、二次災害防止、危険回避のため
 車から降りて 安全な場所に避難して おまち下さい」

 はいと返事したものの・・・・ふと考える

あーーーーーーサッカーのどろどろのユニフォームのままや
チーム名書いてあるし チームの恥さらしやん
しかも 半ズボンのユニフォームで はだしにつっかけ。
頭ぼさぼさで 顔は日焼けで 真っかっか。
これで 車から降りたら キチガイのおばちゃんやん 涙

と・・・とりあえず 上着のジャージだけは着よう。
チームの恥だけは さらすのはあかんわっっ しかし 暑っっ

汗だらだら。。。



こわごわ 車から降りる・・・

みんなが 見るようーーーーあーーーーーー恥ずかしいし
怖いようーーー
発煙筒・・・燃やし方書いてあるけど なんかわからん。
やっぱり 無理っっ

少し離れたところに 非常電話のマークが
そこまで行って ガードレールをまたいで
山の中の 草むらに避難。 なんか へびとかいそうやし・・

しばらくすると サイレンを鳴らしてパトカーが・・・

あーよかった。 と パトカーに走りよる・・・

「すぐあとからまた 一台きますから待ってください
 私たちは この先の事故へ行きますので」

発煙筒だけたいて、行ってしまった・・・

 い・・・いかないで・・ ひとりにしないでーー 

その間に JAFに電話・・・一時間かかるとのこと 涙

待つこと 数十分。

やっと パトカーがもう一台。 ああ 神様〜


「三角の板出してないし 自分で発煙筒たかないから
 罰金と 減点。 パトカーの後ろに乗ってください」 え??

・・罰金6000円って・・・・

パトカーの後ろで 犯罪者みたいな私。

「では 私たちはこれで。
 安全なところで JAFを待ってくださいね」

いやだ、行かないで〜怖いです〜という 顔を見てか
優しい若い 男前のおまわりさん二人は
おつるについててくれることになりました。
しかし 半ズボンで汗びっしょりで 顔まっかっかが 恥ずかしい。


そして 数十分 やっと JAFの登場。


おまわりさん さよならーーーー

おつるの車は無残にも牽引・・
スキンヘッドのJAFの おじちゃんの 助手席。

また よくしゃべるおっちゃん。

「あんた 見栄はって 外車なんか 買うからあかんねーん」
「見栄なんか はってないもん。おかねないから
 30万の中古車 ローンで衝動買いしたんやもーん」
「まあ 日本車も故障のときは 故障するんやけどなっっ」

いろいろ 話をしましたが

中国自動車道では 毎日事故や故障があって
先日は トンネルで40台の玉突き事故の処理を たった一人で
したらしいです。

この連休の大渋滞では、横浜や青森から来た人の故障車を
青森や横浜まで 連れて帰ったらしいです・・
牽引代金 70万円やって・・・・・
新幹線で来たらよかったのにね・・

JAFのおじちゃんって 正義のヒーローみたいやね。

結局 おうちまで乗せてもらって
会員なので 2800円ですみましたが、

もう 車が廃車・・・・ 涙

近所の中古車やさんで モビリオの中古車 買ったし。
また 30万円やし。 

また ローン地獄やし。  

罰金も払わなあかんしっ。



あーーーーーーーーーー 死ぬかと おもった。 

今度

三角板 買いにいこう・・・・・とほほ 
 

しかし なかなか スリルとサスペンスで
 ちょっとドキドキして おもしろかったかも

2009-05-13 00:13 | 記事へ | コメント(11) | トラックバック(0) |
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2009年05月12日(火)
神戸ユーハイムカップ バンヴェール兵庫 第三位☆
週末に 神戸しあわせの村で 

神戸家庭婦人ユーハイムカップ という
サッカーの大会がありました。

これは歴史のある大会で なんと今年は 第21回です。

朝から とっても暑くて 真夏日。


私のチーム バンヴェール兵庫は

最初 高砂レディースさんと 神陵台、ポッカーズ桜さん
合同チームと試合でした。

芝生のコートで 8人制です。

久しぶりの試合なので 私は体が重くてミスばかり・・・
後半から出場させてもらいました。

 メンバーは、最近、とっても練習熱心で
新人さんも メキメキ上手になっています。

(いつまでも おつるは 一番下手くそですが・・・笑)

ひろちゃんや 新しく加入した 元 宝塚バニーズの
新人 おたかちゃん、のすごいシュートで 

後半 点が入って 勝利!!!


第二試合は、北五葉ウィングさん

 北五葉さんは、人数が一名足りないのに

 がんがん攻めてこられて・・・ 

 たくさん、シュートしたものの 0−0の引き分けでした。


そこで 残念なことに

得失点差で 決勝には出られず・・・。

三位決定戦となりました。

  

第三試合は 木津ペッカーズさん

めちゃくちゃ 暑い中で 8人制とはいえ
アップと 試合で 走り続けて

みんな ふらふら・・・・

そんな中で 第三試合ですが・・・

チカラをあわせて頑張りました。

新人のセレブちゃんや センパイちゃん、ゴウちゃん
みんな大活躍でした♪ ♪

おつるも シュートしたけれど 枠はずしちゃった。残念・・・

とってもいい勝負でした。

新人 おたかちゃんの大活躍

感動しました。



久しぶりに汗いっぱいかいて、気持ちよかったです♪

他のチームの あこがれの先輩選手さんのプレーも
いっぱい見れました。

大好きなチームのこんなにも久しぶりに会えて
一緒に走れてうれしかった。

頑張って練習しても へたくそな私だけど・・・ 
いつまでも  がんばれたらいいなぁ。

表彰式

優勝は、神戸FCマミーズさん さすがです。

準優勝は、北五葉ウィングさん

そして 第三位 われらが バンヴェール兵庫。


盾と 表彰状がおくられました。

綺麗です。


来年は 優勝めざしてがんばりたいです


日焼けで 顔がまっかっか・・・・・・






で 充実した気持ちで わーい おうちでビール飲もうーと

車で 帰宅途中で とんでもない出来事が・・・・・・涙

つづく・・・


2009-05-12 23:27 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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2009年05月09日(土)
●カトリック正義と平和協議会(正平教 シナピス) 入管法改正案反対デモ 涙
5/8(土)、午後3時より 御堂筋で

カトリック 正義と平和協議会 
(カトリック正平教)
= カトリック大阪シナピス 
主催の反日っぽい デモが行われます。





クリスチャンとして ものすごく 恥ずかしい。

お願いだから カトリックの名前つけて
デモするの やめてほしい。

毎日新聞には、「市民団体」と書かれて。。。。。

市民団体・・・・・・・

 カトリック 大阪教区の 補佐司教
 
 松浦悟郎氏が 代表をつとめる 委員会が

 「市民団体」・・・・と 呼ばれちゃあおしまいや。

このカトリック大阪 シナピスというのは、、

カトリック正義と平和協議会 
カリタスジャパン大阪と 同一組織。



シナピスは、既存の大阪教区「正義と平和」協議会、カリタス大阪、カトリック大阪大司教区国際協力委員会(日本カトリック難民移住移動者委員会)、平和の手(シナピス海外プロジェクト委員会)
の社会活動4部門がひとつになり、
2002年4月社会活動センターとして再編成されたもの

先日の 北朝鮮のミサイル問題では、

非常に不可解な 麻生首相宛ての
抗議文書を発表した とんでもない団体。↓

●北朝鮮ミサイル問題  カトリック正平教の異常な抗議文書
おつるの秘密日記 〜http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/780/
 

そもそも、カトリックの中で多くの真摯で敬虔で
まともな全国の信徒さんたちが

カトリック正義と平和協議会の行動に憂いて
何度も何度も、政治的言動、偏向した反日行動をやめるよう
抗議しているにも関わらず、無視をし続け
カトリック信徒の大切な寄付金を使って行動している
いわば カトリックの名前を語りながら

カトリックの信仰とは相入れない 組織。

こういう団体と仲良しですね

民団・朝鮮総連・部落解放同盟・
バウネット
チュチェ キムジョンイル賛美思想のヒューライツ武者小路公秀
反天皇組織の天野氏、
911トンデモ説のきくちゆみ
グリーンピースにピースボート




その中で 日本カトリック難民移住移動者委員会は

松浦補佐司教の実の妹である

マツウラ・ビスカルド篤子氏が、
今回のデモを 必死で 呼びかけてる。

まあ 兄弟 仲のよろしいことで笑

カトリックの外国人のシスターが 
在留カードを持っていなかったから 逮捕される??笑という

超ありえない トンデモ本みたいなマンガを
チラシに印刷して 配ってるらしい。

 
残念ながら おつるは抗議に行けないのですが・・・

たぶん、この異常なデモに抗議する人が
行かれるのではないかと思います。



人権・平和だと言いながら
中国や 北朝鮮の暴虐には声をあげず、
カトリック正平教に属さない、
カトリックの神父の人権を侵害

だいたい、毎日新聞は
フリーチベットのデモなどに対して、
事前通知、広告的なこんな記事のせたことありません。
主催者の電話番号までのせて 広告って 

さすが 変態毎日新聞ね

まあ アサヒ新聞も明日のデモの様子は 喜んで記事に
するでしょうね。


ともに カトリック正平教、シナピスと戦う
私のおともだち Rickさんは

「シナピスさんが御堂筋パレードするそうですが・・・。
 シナピスさん、お願いです、やめてください」と記事に
 しています
http://blogs.yahoo.co.jp/gh_punks/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=2

(前にも書きましたがRickのお友達は外国人のほうが多いです。
そして入管の手続きなど色々手伝ったりするので社会制度的に不便さや問題点があることも承知しています。
ならばその不便さを解消するために何でもOKにしてしまうことが良いのかと言えば答えはNo!です。
Rickは少し前に本当に必要な活動かどうかを見極める事が大切だと書きましたが・・・。)

 Rickさんのおっしゃることは もっともです。

 おつるにも アメリカ人、イギリス人などの御友達がいますが
 誰も 文句言ってないよ。

 ビスカルド篤子さんは 自分の外国人の夫の
 個人的な問題を
 カトリックに持ち込んでるんじゃないのかなぁ〜
 やめてほしい。

私たちは、在日コリアン特別永住者以外の「合法」外国人にICチップつき「在留カ−ド」を持たせることに反対します。

在日外国人の犯罪の多発に対しては、どう思ってるのかな。

☆刑法全体、凶悪犯罪全体、粗暴犯罪全体、その他詐欺、横領、覚醒剤取締法、どれをとっても在日外国人の犯罪率が目立って高くなっている
http://web2.nazca.co.jp/midorinosono/index.htm





入管法改正案:反対であす市民団体がデモ 
「逆行の動き、納得できない」 /大阪

 ◇外国籍住民を一元管理
 法務省が外国籍住民の在留情報を一元管理する入管法改正案などに対し、府内の在日外国人や市民団体などが
「外国人を監視し、分断・差別や人権侵害を招く」と反発している。既に国会審議が始まっており、大阪市内で
9日、廃案を訴えるデモ行進をする。

 新しい在留管理制度は、短期滞在(90日以内)や特別永住者(在日コリアンら)を除く中長期滞在者に、
ICチップ内蔵の在留カードを交付。顔写真や氏名、生年月日、在留資格、期間などの情報を記載させ、
さらに外国人が所属する企業や大学、日本語学校などに就労・就学状況の報告を義務付け、法務省が情報を
集中的に把握する。

 カードの常時携帯や居住地を変更した場合の届け出を怠れば刑事罰を科し、在留資格取り消し理由になる
場合もある。

 在日中国人2世で「永住者」の在留資格を持つ徐翠珍さん(62)=大阪市西成区=は「戦前から日本に
溶け込んで生活している私たちが、いまだに住民として認められない」と憤り、チラシ配布の活動を続ける。

 徐さんはかつて、外国人登録の更新時に指紋押なつ(99年全廃)を拒否して逮捕された。
「現行の外国人登録証の常時携帯や切り替えがなくなり、地方参政権も得られるようになると期待したのに、
全く逆行する動きは納得できない」と話す。

 デモ行進は、午後3時に同市西区新町1の新町北公園(大阪厚生年金会館南側)に集合。御堂筋を通って
中央区難波5の高島屋大阪店までの約2キロを歩く。
問い合わせは、主催のカトリック大阪シナピス
(06・6942・1784)【立石信夫】

http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090508ddlk27040357000c.html




みなさーーーーーん

この カトリック正平教、シナピスは

バチカン、ベネディクト教皇様、正統なカトリック
正統なカトリック信徒、おつるのような敬虔なクリスチャンとは

関わりのない 組織なので お願いですから

誤解しないでください〜。 よろしくお願いします







2009-05-09 04:26 | 記事へ | コメント(12) | トラックバック(0) |
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スペイン最高裁のペドラズ判事より国際指名手配へ 中国の独裁者8人
王楽泉を含む8人の独裁者が国際指名手配の対象に - Friday, May 08, 2009


王楽泉を含む8人の独裁者が国際指名手配の対象に


RFA 2009年5月5日〜7日 (一部抜粋)

 スペインのバルセロナに本部を置くチベット応援団体の訴えを受け、5月5日にスペイン最高裁のペドラズ判事が中国の独裁者8人を人類に対する犯罪容疑で裁判に呼ぶことを発表した。 この8人の中には、チベット自治区党委員会書記の張慶黎とウイグル自治区党委員会書記の王楽泉が含まれている。

 スペイン最高裁のペドラズ判事が中国の独裁者8人に対して人類に対する犯罪容疑で国際指名手配の手続きをとったことは、5月6日に中国の司法当局に正式に通知された。

 以前、スペイン司法当局がチリのピノチェト元大統領を人類に対する犯罪容疑で国際指名手配にし、この国際指名手配によってピノチェト元大統領が1996年にロンドンで逮捕されたこ とがあった。

 世界ウイグル会議スポークスマンのデリシャット・レシット氏は、スペイン最高裁の行動を歓迎するとした上で、中国政府が人類に対する犯罪をチベットだけではなくウイ グルでも数多く犯しており、ウイグル領土では王楽泉が長年にわたってそれに指導してきたと主張した。

 一方で、中国外交部の馬朝旭報道官は、5月7日の記者会見でスペイン当局に抗議した。

ソース:
http://www.rfa.org/uyghur/xewerler/tepsili_xewer/xitay-wanglichuan-ispaniye-soti-05062009050706.html
http://www.rfa.org/uyghur/xewerler/qisqa_xewerler/wanglechuanni-tutush-05072009025023.html
http://www.rfa.org/uyghur/xewerler/qisqa_xewerler/xitay-ispaniye-soti-05082009033428.html


●世界ウイグル会議 ホームページより
http://www.uyghurcongress.org/jp/home.asp?mid=105872559
2009-05-09 04:18 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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米流時評さんブログより 「死人に口なし、戦慄のパンデミック・ドクトリン」
フリーチベットブロガーズの

大好きな 米流時評さんのブログから

豚インフルエンザについて ぞっとする記事

一部転載です。

 「死人に口なし、戦慄のパンデミック・ドクトリン 」

 ||| パンデミック・ドクトリン |||

 疫病クライシスで利するのは誰? パンデミックビジネスのショックドクトリン
 

伝染病蔓延はつくられた危機なのか? インフルエンザのフォロー・ザ・マネー



先月下旬の南北アメリカサミットのエントリ以来、新型ウィルスのニュースに感染していたのだが、どうも病原体のウィルスの創成そのものが怪しい。人工的に細菌ラボで創られたと推論する方が、複雑なプロセスで偶然にできたと説得するWHOの解説よりも、むしろ数千倍確率が高く、よほどすんなりと納得がいく。

そもそもWHOの事務局長マーガレット・ちゃんの母国、中国から、
WHO本部の即刻の指示と、感染国の緊急オーダーの挙国一致体制で、
数億ドルの医薬品のパッケージが、こうして世界中に発送されている状況は、
共同謀議? という疑問符を百個つけても足りない。
(トップの写真は、中国政府から要請のあった各国へ送られる医薬品の山
 パッケージに貼ってあるシールでは、WHOマークを五星紅旗がカバーしている
 という、あまりにもあからさまなロゴが、ことのすべてを物語るかのようだ。)

ジュネーブのWHO本部から世界銀行への要請で、緊急の医療援助用借款として
1.8億ドル(178億円)を供出することになったが、
これがわずか1日2日ですんなり通ってしまう、例外的な迅速処理。
各国政府からのタミフルやリレンザの発注も、
待ってました!といわんばかりの、見事な手際の良さである。

これは何かある。 ブッシュ前大統領が2005年に、
ネオコンの番頭役のようなポール・ウルフフォヴィッツを
世界銀行の頭取に据えた時点から、すべてがおかしい。

世界各国でやたらに大災害が起こる。難民が数百万人単位で発生する。
難民キャンプ村創成。国連の食糧供給による支配………

大災害 > 難民化 > 国連介入 > 世銀の援助資金 > 巨大復興救済事業

こうした一連の、災害がクリックして自動的に展開するプロセスは、
あまりにも恣意的である。
これでは、陰謀の疑惑の目で見られても仕方がないのではないか?

ここには、災害に直接関連する医薬品・食品事業から、
武器や警備機器を装備するセキュリティ事業も含めて、
「災厄ビジネス」とも言えるような、
ひとつの巨大なグローバル産業の構造が、すでに存在しているのではないか?

****************************************

詳しくは こちらを 
   http://beiryu2.exblog.jp/9698750/




写真の 国連のマークの上にかぶる 中国旗のマーク・・・


 四川省の地震では
各国からものすごい額の支援金と 寄付が中国へ

その四川省には もうすぐ カトリック正平教の
大阪教区のある神父が 視察に行くらしいですが・・・


その中国から 医薬品の山???? 




中国と 国連と・・・・????






2009-05-09 03:58 | 記事へ | コメント(5) | トラックバック(1) |
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2009年05月07日(木)
連休のお出かけ D ヒマラヤ国際映画祭  チベット難民世代を超えた闘い
神戸での ヒマラヤ国際映画祭の 最終日
http://himalaya2009.jakou.com/



チベット難民−世代を超えた闘い を見てきました。


チベット難民−世代を超えた闘い
Tibetan Refugees- A Struggle Beyond Generations
監督:田中 邦彦/2002/日本/108分

チベットが中国に侵略され、ダライ・ラマがインドへ亡命してから既に40年。インド北西部のダラムサーラに暮らす難民も既に3世代目だ。だが「第3世代」の未だ見ぬチベットへの思いは衰えを知らない。そして若い世代を中心にチベット解放への願いを込めた「平和行進」が今始まろうとしている。



会場についたのが 中途半端な時間だったので

新長田の商店街を散歩しました。

震災のモニュメントなどもあり、
もう長い時間がたっているにもかかわらず、
あちこちに 震災の傷あとが見えました。

会場に再度 入ると

tontonさんがーー きゃっ うれしい

実は着いてすぐに メールしたのですが
御忙しいのに 無理にお誘いしても・・・と思って
今 神戸の映画に来てますよとだけ お送りしたのですが

来てくださったんだーーーーーー

あえて めちゃくちゃ うれしかったです。

ついつい 映画館で ひそひそ声で
教会のいろんなお話が 花さきました♪

そして 映画。

チベット ダライラマ法王亡命から40年

チベット本土を知らず生まれて育ち

チベットの難民を助ける仕事をしながら独立を目指すため
平和行進を企画して実行する若者と

チベット仏教の僧侶となり厳しい修行を続ける若者の

ふたりを通して 現況のチベット亡命者三代目の姿をえがく
ものでした。

途中で、抗議のために焼身自殺をした人の悲しい映像があり

tontonさんが 横で泣いていました。
私も涙がでました。

また 平和行進での 若者のつらく悲しい思いのこもった叫びにも
二人で泣きました。

チベットの僧侶の

「正しい動機があれば どんなことであれ 結果は正しい」

ダライラマ法王の 

中国が民主化することが 一番大切だという言葉

民主化が チベットの解放につながるという言葉が

心に残りました。


映画を観終わったあとに スタッフをされていた
ゆうきさんと お話できました。

ゆうきさんはいつも明るくて こちらまで元気にしてくれます。


素晴らしい映画を見ることができて

私たちも 微力ながら これからも中国の民主化と
チベットの解放に向けて がんばりたいと心をあらたに
しました。

2009-05-07 01:10 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(1) |
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連休のお出かけ B カトリック三田教会 不思議な旅
最後に 三田にある カトリック教会へ

やはり 門構えは武家屋敷


それもそのはず 三田で有名な九鬼家の武家屋敷あとなのです


これが司祭館です


説明にはこうかかれています。


そして奥にある庭にはこのような古い説明板がありました。


読んでみると、この教会はフランスの聖人ヨハネ・ビアンネ
ゆかのの教会で ビアンネ様の生涯が書かれていました。

苦労して司祭になられたビアンネ様ですが、

フランス革命により 教会は荒廃がすすみ人々の信仰心はうすれ
熱心な信者は 
ゆるしの秘跡、聖体拝領も満足にできない状況で、

若者たちは享楽にふけり、
人々は働く意欲をなくし、道徳は地に落ちていました。

その荒廃した教会をたてなおし、朝早くから起きて祈り
誰ひとり来ない教会で毎日ミサを捧げました。
その彼の姿を見て ひとりまた ひとりと教会へ戻る人が増え
彼は 人々のために祈り断食し、親切にし、
そまつな司祭服を着て じゃがいもだけを食べ 堅いベッドで眠る
そんな彼のことは フランス全土に広まり

ゆるしの秘蹟を求めて 人々はこの教会へ殺到しました。

41年間の苦行と ゆるしの秘蹟を聞く厳しい生活の末
ついに 17時間に及ぶゆるしの秘蹟を聞いたあと 倒れて
亡くなったということです。




マリア様もいらっしゃいました。

そういえば
フランス革命といえば、現代では 自由や博愛、平等を求める
ために虐げられた市民が決起して 退廃した貴族を倒した
という部分のみが伝えられますが

ずっと私は フランス革命の胡散臭さを感じていました。

教会は荒廃がすすみ
若者たちは享楽にふけり、
人々は働く意欲をなくし、道徳は地に落ちて・・・
ゆるしの秘蹟や (口での)聖体拝領も受けられない・・・

フランス革命も共産主義革命のようなものですもんね・・

これは 今の現代の日本のカトリック教会と 日本のようです。
 
私は 聖堂で ヨハネビアンネ様に 日本の教会の荒廃と
日本の若者の同じ状況を憂いています
どうぞ お守りくださいと お願いしました。


この教会の聖堂には ちゃんと 聖水が置かれていましたよ


2009-05-07 00:06 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年05月06日(水)
連休のお出かけ A 龍と 猪名川の屋敷 不思議な旅
5/5 こどもの日

高速道路1000円で 日本中の高速道路が大渋滞・・・

遠出をする勇気はなし。 しかし ウダウダするのもなぁ


ちょっと近場のミステリースポットや 今まで
行きたくてもいけなかった近場のとこ 探検しよう・・と
思いたって・・・

相方とふたりで出発〜〜♪

以前から カトリック教会のホームページで見て
その武家屋敷風 門構えと カトリックというミスマッチの
写真を見て、一度行ってみたいと思ってた

カトリック三田教会を見に行こうーと。

三田に行くには、猪名川を超えて 宝塚の最北端の千刈ダムを
ぬけて 有馬富士を通る山道がすいているー

では、どうせ 猪名川町を通るなら

 あの場所へーーーーーーーっ 


あの場所というのは・・・

猪名川町の聖域、神域、と呼ばれる
猪名川龍神様の山
おつるが昔、助けてもらったことのある 命の恩人の仙人の
おじいさんのいるお山です

鶴姫伝説によれば
瀬戸内のジャンヌダルクも龍神と関係が
深かったそうです。

ここは、有名な出口王仁三郎という予言者と関わりのある場所で
http://www.hachiman.com/books/89350-175-5.html
※肝川は兵庫県川辺郡の寒村で、明治末期に全村が大本信者となった特異な地であり、教団内で「控えの地」として重視されたが、やがて支部長車末吉の妻小房に、村の禁足地「雨の森」の龍神が憑依、[肝川龍神]と称した 

とてつもないエネルギーのある山ということで
今でも、あらゆる宗教界の教祖が極秘に修行に来る山なのです。
秘密がいっぱいのお山なんですが

自然がとっても綺麗。 オオクワガタの産地でもあります

以前から おつるは何度も、クリ拾いに来たり
龍神さんに会いにきたりしてましたが
相方は 一度 いってみたいといいながら 
一度も来ていなかったので・・

実は 相方は、クリスチャンですが
1800年代のヨーロッパの神秘学とかが好きで、いろんな本を
読んでいて ミステリアスなことは私と同じで大好きです。

そして・・訪問

とっても静かでした。

綺麗で静かで やはりミステリアス。


てっぺんに登ると 
いきなり山の中から不思議なおばあさんが。
「よくおいでくださいました。どうぞお気をつけて」と
優しく声をかけてくださいました。
もしかして、龍の化身かしら・・・・・??

というわけで 相方と私は不思議な気持ちのままを後にして・・・・

***********************************************************
ほんとは 豊臣秀吉の財宝が眠る 多田銀山も近くだから
寄りたかったけど 雨が降ってきたのと
時間が足りないので とばす・・・・・


つぎは、猪名川町で有名な 文化財の屋敷を探しに。

ここは、清和源氏(源 満仲・頼光)
の系統を受け継ぐ多田院御家人の住宅で 
江戸時代の入母屋造妻入茅葺がそのまま残る屋敷です。

 
(注1)多田院御家人とは、平安時代に多田庄を開いた源満仲の家臣団の子孫たちで、鎌倉時代より源氏の祖廟である多田院(現在の多田神社)に奉仕する武士として、幕府によりその所領が安堵されていた。近世初頭に御家人筆頭格であった塩川氏の没落にともない無禄となるが、その後も多田院の守護とその誇りを守り続け、村々の指導者層となっていった。 

実は 私は母親から 猪名川町に母親のおばあちゃんの実家が
あって、母親は子供のころに何度か 遊びに来たことがあるけれど
いつか死ぬまでに 一度探して 訪ねてみたいと 言っていたのです

猪名川町を車でぐるぐる、いろいろなところで村人に聞いて
そして ようやくたどりつきました。

たどりついて写真をとって帰ろうとすると
前の畑で 畑仕事をしているおばあさんが・・・・

ごあいさつして 母親のおばあちゃんがもしかしたら
ここのおうちから嫁いだと・・事情をお話して
母親の めずらしい旧姓を名乗ると
「ああ、知ってます。確かにそうです
お会いできて嬉しい・・」と
それから いろいろな話をしてくださいました。

私のひいおばあちゃんは ここで生まれて育って
そして お嫁にいったんだなと思って・・・
なんだか胸がいっぱいでした。

自分のルーツを探す旅・・・・みたいで
しかも そのおばあさんに会えて感激でした。

「今度はお母さんをぜひ 連れてきてね」と言ってくれました。

***********************************************************

そして つぎは・・・三田のカトリック教会へ


つづきます
















2009-05-06 23:12 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
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連休のお出かけ @ 能勢アスレティック編
5/3は 小学生の甥っ子、姪っ子 ちびつる 連れて

アスレティックに

能勢の郷です。  能勢の郷は簡保がつぶれて民間が
経営をひきうけてリニューアル

ちびつるが赤ちゃんの時、ギャル娘が赤ちゃんの時から
何度も 遊びにきたところですが

今回 来るのは10年ぶりぐらい・・・

しかもアスレティックも 人生で数回目・・


しかし サッカーで鍛えてるんだから へっちゃらだよーと

思っていたら・・・・結構 甘かった。

でも ハマルよ。 アスレティっク

なんだかテレビの 筋肉番付とか サスケみたいなの。



食べ放題1800円の
バイキングで 一緒にお食事 ビール♪

おじいちゃんとおばあちゃんには お留守番して
もらって いざ アスレティっク出陣

ちびっこたちに かっこいいところを見せるべく
余裕でデキルふりをしてますが

実は 結構 必死っっ



甥っ子 姪っ子は 身軽です♪ さすが おつるの血ひいてるな



おつるは ビールでほろ酔いしながらー
そして だんだん 息切れしながら

「あーーーーーだんだん 脳内麻薬でてきたー」
「へんなおばちゃんが いくぞー」



大きな 網に つかまって


「スパイダーマン 参上ーーーーーーー」などど
叫んでいると

ちびつるや 妹が やめて・・恥ずかしいから・・・

すると知らない小学生の男の子がおもしろがって
あうたびに 「あっ スパイダーマンやー」


おつるは 今日から スパイダーマンになりました笑


42箇所のポイントは 生駒山とか 信貴山とか 千早赤坂とか
いろいろ大阪の名所の ネーミングになってます

フリークライミングみたいな岩のところで
ふざけてたら 足をすべらせて 後頭部打撲 ごぶんっって。
また タイヤブランコみたいなのからも すべりおちて
ごぶんっっ

全身傷だらけ   アスレティっクは 危険だ。

疲れた妹おみつとおつる へとへと






こんな空中自転車もあったよ↑ ちびつると姪っ子です
デモおつるは 高所恐怖症なので ご遠慮しましたが。

けれど 筋肉ぷるぷる・・・・

 でも結構 おつるは 

 くのいちか スパイダーマンか インディージョーンズかって
気分で 楽しめました。

みなさんも 機会があれば 冥土の土産に笑 
アスレティック体験  おすすめしまーーーーーす

●能勢の郷 アスレチック 
http://www.nosenosato.com/cgi-bin/nosenosato1HP/sitemaker.cgi?mode=page&page=page1&category=2

●能勢温泉
http://www.noseonsen.jp/index.html

 




2009-05-06 22:34 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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2009年05月05日(火)
◆高田 純 教授 「中国の核実験」の記事 中国語サイトでも次々と報道が!
おつるのブログに、中国掲示板からのアクセスがたくさんきています
こちらのサイトから↓
http://www.51.ca/bbs/showthread.php?threadid=201904

おつるは、中国語は読めませんが
この掲示板には「日本鬼子」などの書き込みもありますね笑

しかし、この掲示板のメインページを調べると

カナダの中国語ニュースのメインページを発見しました。
http://info.51.ca/news/china/2009/05/03/172196.shtml



中国核爆造成19万人死、129万人被害

加国无忧 51.CA 2009年5月3日 18:16 来源:日本《产经新闻》

中国在新疆维吾尔自治区所做的核子实验造成同自治区19万人死亡,129万人遭到幅射线伤害。

《产经新闻》引述札幌医科大学高田纯教授(核子防护学)的研究调查结果指出,曾在丝路附近观光27万名日本观光客也恐遭其影响。

高田教授自2002年8月开始调查中国的核子实验。根据高田教授的研究,1996年为止,中国曾经核子实验46次。高田教授根据爆发威力,放射线量,气象数据及人口密度来推算被害的情形。楼兰遗址附近曾经实施过三次MT级的核试爆,并放射高能量的γ射线、β射线、α射线,产生大量的"核尘"。

在天空飞扬的核子砂扩散到相当于东京都136倍的范围后开始"尘埃落定",造成住在附近的19万维吾尔族人突然死亡。129万人健康被害,包括死产、畸型的3万5千人,白血病3,700人以上,甲状腺癌13,000人。

中国核子实验的防护措施非常随便,也未给予当地的维吾尔人良好的酒疗措施,造成被害的129万人也大多死亡。新疆地区的原爆被害是广岛的四倍。高田教授表示,"这是人道史上最惨的例子。中国政府的隐?更是国家犯罪"。

另外,1964年到1996年之间,曾访问丝路的27万日本人都有可能受到核尘污染,高田教授认为,有必要对这些日本人做更详细的调查。



他の中国人サイトでも取り上げられているかと調べました。

「中国核爆造成19万人死」で検索すると・・・・

人间净土
http://zhenxiang.wordpress.com/2009/05/02/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%A0%B8%E7%88%86%E9%80%A0%E6%88%9019%E4%B8%87%E4%BA%BA%E7%AB%8B%E5%8D%B3%E6%AD%BB%E4%BA%A1%E3%80%81129%E4%B8%87%E4%BA%BA%E5%8F%97%E5%AE%B3/

看中国 (アメリカの中国サイト??)
http://www.secretchina.com/news/290673.html

广角新闻
http://www.popyard.com/cgi-mod/newspage.cgi?num=323187&r=0&v=0

北美中文游网
http://www.westca.com/News/article/sid=114927/lang=schinese.html

萬維読者
http://news.creaders.net/china/newsViewer.php?
nid=387780&id=893828

ANIMAX中国サイト
http://blog.youthwant.com.tw/CQQCCQQC/jenfa2009/1103/

KDS宽带山
http://club.pchome.net/topic_1_15_3594786___546793107.html

多維新聞網
http://www.dwnews.com/gb/Consumer/health/2009_4_19_17_47_28_696.html

英国泰晤士报
http://www.bullogger.com/blogs/wangchuan2008/archives/290864.aspx

铁血社区
http://bbs.tiexue.net/post_3507667_1.html

斗牛士新聞
http://www.donews.us/show/793.html

solidot
http://society.solidot.org/article.pl?sid=09/04/20/0852236&from=rss

Chinese Radio
http://chinese.irib.ir/index.php?option=com_content&task=view&id=8338&Itemid=83

 

まだまだありそうです。

 中国人の個人のブログにも・・・撮りあげられています

核実験による健康被害は、
中国国内の人にも知らせれていないのですから
ウイグルに隣接する中国国内の人間にとっても、無関心では
いられないはずです。



この中国の核実験の高田教授の記事が 
中国 国内の人々にも伝わり、

国民に対しても隠ぺい工作を続ける中国共産党からの
脱党者がどんどん増えて

そして
 

中国の民主化がすすみ、

中国共産党 崩壊へと つながることを 祈ります。





2009-05-05 13:56 | 記事へ | コメント(3) | トラックバック(1) |
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2009年05月04日(月)
●終身刑の成立を求めて 全国行脚のストッキ・アルベルトさんC
  終身刑の設立ではまだ半分
 「犯罪を生み出さない社会」にすることが究極の目標



3年以上にもわたり、終身刑設立のために私財を投げ打ち、文字通り東奔西走してきたストッキ氏。ここにきてその活動が少しずつ実を結び始めているものの、まだまだ道のりは遠い。シリーズ最終回の今回は、取り組んでいる活動の真の目的と今後の目標を語っていただいた。

3つの活動目標

私が今後取り組んでいきたいことは3つあります。ひとつは2004年から続けている終身刑設立に向けての署名活動です。皆さんにもぜひご協力していただきたいです。メールでもできます。今も全国から送られてきています。

 死刑制度については、私は賛成でも反対でもありません。しいていうならば、賛成の方が近い。死刑反対の人の気持ちもわかるよ。でも我々の気持ちもわかってほしい。確かに人の命は大切。でも殺された人の命も大切でしょう?

 もしくは犯した罪の数に応じてどんどん罰を追加していくシステムをつくってほしいです。私のケースなら、放火とふたりの命を奪った罪で無期懲役。さらに娘の将来4年間を奪った罪でプラス4年、10年後だったらその3分の1で3年、仕事を奪った罪であと3年、合計追加10年。無期懲役が終わったら、次の償いでさらに10年服役。それは賛成。そうすれば終身刑はいりません。でもその制度は日本にはありません。つまり現状の日本では、車を100台盗んでも、そのうちの一番高い車だけで判断されて、あとの99台は罪に問われない。

 私の場合は2人殺されてるから、それだけで判決を言い渡される。じゃあそれ以外の10人の殺人未遂は? 10軒の全焼を含む焼けた25軒以上の家はどうなるの? 彼らだって苦しんでいるんですよ。日本の法律を調べても、放火は10年以下の刑罰です。5年だとしても、25軒が焼けたらどうなる? 計算しやすいでしょ? そこだけでも無期懲役を上回ります。

 だから終身刑じゃなければ、犯した罪、一つひとつすべてに罰を与えてすべてを加算して最終的に量刑を決めるという制度が成立してほしいと思っています。目的はあくまで犯人の命を奪うことではなくて、人の命を奪った犯人を社会に出させないためですから。

 2つめは講演会です。頼まれれば全国どこでもいきます。もちろん講演料などは望みません。ただ、交通費と宿泊費などの経費だけ出してほしい。それさえ出してもらえればOK。関西圏内だったら日帰りだから無料でもいいです。

 私の講演会では、まず無期懲役と終身刑の違いを説明します。被害者の心、痛みと悲しみ、苦しみ、反省させる制度の必要性。最後にスイスと日本の教育の違い。ジョークを入れつつ話します。硬い話だけだとダメですからね。

 学校にも行きます。18歳未満は署名できないけど、若い人たちに、我々の痛み、犯罪に遭うとどういうことになるのか、話したいです。ひとりでも多くの人に知ってもらいたいから。それが犯罪の抑止につながる可能性もあるので。


悪魔として生まれてくる子はいない


3つめは家庭教育をやり直すこと。私にとって一番重要な問題で、これができないと終身刑を成立させたとしても、半分の成功でしかありません。再犯罪者の手による犯罪がなくなるだけですよ。刑罰よりも、もう一回心を直すべきではないか。もっと大元から犯罪者をなくすような活動が求められていると思います。中には死刑になりたかったから凶悪犯罪を犯したという者もいます。

 しかし、どんな悪魔のような凶悪犯でも、お母さんのおなかから出てくるときは、天使として生まれてきます。劣悪な家庭環境や家庭内での間違った教育で悪魔になるのです。子供は親や教師などの大人を見て育ちます。だから子供だけが悪いわけじゃない。私の家を放火した犯人も親の方にも責任があると感じました。

 だから原点に戻って教育を何とかしなければなりません。人や物に対する感謝の心、ありがとうの言葉を心から言えるように。他人を尊敬する気持ちの大切さ、そして人の命の大切さを感じられるように。他者を敬い、命の大切さが感じられれば、他人を虐げ、命を奪うようなことができるはずがありません。


 その家庭教育を変えるためにまずは講演会をどんどんやらなければと思ってます。それも親子で教える必要がある。まず子供を教える親。親の教育ができなければ、子供の教育はできません。毎日子供と一緒に生活するのは親ですから。そのためにやっぱり講演会が必要なんです。


2003年3月2日、東京で行われた「第2回死刑制度についての討論会」にパネラーのひとりとして参加し、終身刑の必要性を訴えた。会場までの移動手段はもちろんバイク


被害者があまりにも冷遇されている



今の日本は犯罪被害者に対してあまりにも冷たすぎます。事件の被害者になったために支払わざるを得なくなった総額はけっこうな額になります。殺された人の葬儀費用はじめ、火事になった証明書の発行、死亡証明書、燃えてなくなったさまざまな証明書、免許証、クレジットカード、印鑑証明書、銀行通帳などの再発行などにはすべてお金がかかる。

 私は被害者なのに、なぜ払わなければならない。冗談じゃないですよ。こういう費用は国から出してほしい。犯人も刑務所で懸命に働いてお金を払ってほしい。加害者の責任として。そういう制度も作ってくれるように全国を回りながらお願いしています。

 民事裁判で犯人を訴えて、その結果、犯人に損害賠償1億5000万円の支払命令が下されたけど、犯人は払えないから私は1円ももらえない。でも犯人の父親は土地持ち。でも土地を売ろうとしない。犯人の両親は法廷にも一度も来ませんでした。ひどいです。


日本を変えるため、政治家に


こういうおかしい状況を変えるために、ただ陳情して回るだけではなくて、私自身が政治家になろうと思っています。3年後に参院選に出馬を考えています。

 政治家になってまずは終身刑の設立を目指したい。そして、服役囚が刑務所で稼ぐお金を、ちゃんと3分割して支払わせるようにする。3分の1は国に返す(刑務所での経費)。3分の1は被害者の損害賠償として払う。3分の1は自分がいつか出所して社会復帰したときの生活資金とする。ドイツでは銀行マンが刑務所に貯金を集めに行くんですよ。たとえ服役囚が1万円もらっても3000円は国に返す、3000円は被害者に支払う、4000円は自分のために貯金するんですよ。社会勉強も刑務所の中にあるんです。

 もうひとつ変えたいのは、殺された被害者の葬式代はとりあえず犯人が捕まってる場合は、犯人が払う。捕まってなかったら国側が払う。被害によって失ったさまざまな証明書の再発行手数料もすべて無料にする。そういったことを政治家になって実現したいと思っています。
バイクで全国各地を回るのは莫大な経費がかかる。しかしわずかしかもらえなかった犯罪被害者給付金は1年目で使い果たし、仕事もしたくてもできない。貯金も底を尽き、活動の継続に赤信号が点灯しかかっている危機的状況の中、ストッキ氏はある重大な決断を下した。

2000万円、すべて自費


これまでの終身刑創設のための活動に2000万円使いました。もちろんすべて自費です。たまに教会に行ったときに寄付してもらうことがありますが、それらをすべて合わせても10万いくかいかないかです。

 活動資金は、家内と娘が殺される直前にできた法律で、国から被害者に最大3500万円の保証金が出る予定だったけど、でも国はお金がないから私は851万しかもらえなかった。そのお金は元々私のお金じゃない。死んだ人のお金ですからね。もちろん自分の生活のために使ってもよかったけど、亡くなった家内と娘のために何かできないのかと思って、この活動に回してしまいました。でも全然足りません。

 だからこれまでの活動費や生活費は22年間の貯金から捻出したんですよ。でももう少しでなくなるんです。あと半年以内に仕事が見つからないとたいへんなことになります。

 だから、終身刑創設のために全国を回る活動は私が勝手にやってることですが、資金的な協力が得られると非常に助かります。これ、今回初めて言います。これまで寄付を募ったことはありません。500円でも1000円でもいいです。みなさん、少しでも協力してくれると、私、うれしいです



すぐには変わらなくても、いつかは変わる
もうひとつ、大きな願いは、犯罪被害者に対して。被害者はもっと勇気を出して表に出てきてくださいと言いたいです。自分の権利、人権をもっと大切に、生かしてください。

 事件のことを思い出すのもつらいなんて思わないでほしい。どうせ動いてもなにも変わらないなんて思わないでください。亡くなってしまった被害者もそうは望んでいないと思います。すぐには変わらなくてもいつか、何かは変わる。事実、変わってきています。ある国会議員から連絡がありまして、議員の間で終身刑の新設について議論をしているということでした。新聞にも5月と6月に報道されました。今年の衆議院選挙終わったあと、終身刑導入について話し合うみたいですね。だから私の活動の影響はすごくあると思います。少しずつ、変わってきているのです。

終身刑の新設について議論をしている──2008年5月には超党派による新たな議員連盟「裁判員制度の導入の中で量刑制度(死刑と無期懲役のギャップ)を考える会」(仮称)が発足。仮釈放のない終身刑として「重無期刑」を導入しようとする動きが始まった。
ノウハウがわからなければいつでも連絡ください。何も怖くないですよ。確かに最初は怖いと思いました。こんなことやってどうなるんだろうと。でもやってみてわかったけど、全然怖くない。平気です。私の場合は「外人のくせに日本の法律に口出すな」という声はある。でもたいしたことない。その何倍もの、9万人分の署名や支持の声が届いているから。私にはたくさんの味方がいますから。


妻と娘が力をくれる

イタリア、スイスには帰るつもりはありません。私の国は家族がいるこの日本です。たったひとつの心残りはスイスにいる75歳のお母さん。心が痛いですね。常々日本に来てくれと頼んでいるけど、なかなか頑固で首を縦に振ってくれません。

 今、この活動をやめてしまったらすべて中途半端に終わってしまいます。だからどのくらいかかるかわかりませんが、頑張り続けるつもりです。当面の目標は終身刑創設のためのプロジェクトチームの発足です。

 とにかく無期懲役と死刑の大きすぎるギャップをなんとかしたい。死刑はいつかなくなると思う。それまでになんとかしないといけない。人の命を奪ったら自分の人生をかけてそれ相応の責任は取らなきゃいけない。

 私はあの事件でPTSDになりました。何度も自殺未遂しています。でも死ねなかった。この活動があるから生きていられる。夜になると涙が出てきます。でも朝になると元気が沸いてきて別の人間になります。その力は天から来る。亡くなった家内、娘が天から支えてくれていると感じます。

 彼女たちの死を無駄にしたくない。殺された妻と娘のため、私自身の正義を取り戻すため、今も苦しんでる多くの犯罪被害者のため、そして今の異常な日本を少しでもよくするため、命ある限り走り続けます。それが私がやらなければならない仕事だと思っています。


ストッキさんの部屋の壁には、亡くなった妻・公子さんと次女・友理恵さんの写真が貼られている

************************************

産経新聞 終身刑創設を求めて全国行脚
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/chiba/090421/chb0904212131009-n1.htm

東京新聞 大阪のアルベルトさん全国行脚 終身刑導入を訴え 国会議員事務所など訪問
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20090422/CK2009042202000076.html?ref=rank


四国新聞 終身刑創設に協力求める/妻子殺害されたストッキ氏
http://www.shikoku-np.co.jp/national/social/article.aspx?id=20060712000296

中日新聞 『終身刑を』4度目行脚 大阪のアルベルトさん 本社で協力訴え
http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20090415/CK2009041502000152.html

函館新聞 ストッキさん、終身刑新設求め全国行脚
http://www.ehako.com/news/news/7746_imode_msg.html

共同通信 法相に終身刑創設求める 妻子殺害されたストッキ氏
http://www.47news.jp/CN/200711/CN2007110201000521.html


他にも日本全国各地で ニュースとして取り上げられています


■署名・講演の問い合わせ
minervai@rhythm.ocn.ne.jp
携帯TEL:090-2505-1210
電話:072-762-3702
Fax:072-762-3703
住所:〒563-0036
大阪府池田市豊島1-5-27
シャーメゾン豊島106号

■募金口座
郵便振込口座
口座名義:ストッキ・アルベルト終身刑設立活動募金
口座番号:00990-7-107238

■署名協力
署名を希望する方は、

住所、氏名、サインもしくは捺印の上、〒563-0036 大阪府池田市豊島1-5-27 シャーメゾン豊島106号 ストッキアルベルト署名係まで送付してください。
 









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2009年05月03日(日)
●終身刑の成立を求めて 全国行脚のストッキ・アルベルトさんB
 事件以降は、地獄の日々、
 でも自分の人生に負けたくない
 泣きながらでも前へ


日本に来て29年。やりがいのある仕事を見つけ、結婚し、ふたりの娘に恵まれた。そんな幸せな日々がひとりの男によってある日突然奪われた。犯行の動機は「日頃のうっぷんを晴らすため」。こんな身勝手な動機でふたりの尊い命を奪っておきながら、犯人は無期懲役にしかならなかった。この信じられない判決がストッキ氏を全国行脚の旅へと向かわせた。




剣道の修業のため、19歳で来日


私が初めて日本に来たのは19歳のときです。今、53歳ですが、当初はまさかこれほど長く日本にいるとは思ってもみませんでした。最初は1年だけの予定だったんです。

 そもそもの来日理由は剣道の修行のためです。でも元々は柔道をやっていたんです。私は子供の頃、小児麻痺で片足が不自由で、よく友達にいじめられたんです。でも抵抗できなかった。そこでいじめっ子と戦うために、中学生のときに柔道を学び始めたんです。すると段々強くなって友達にも勝てるようになった。あいつは強いと思われて、いじめられなくなりました。

 そこで今度は同じ武道である剣道に興味を持って、18歳から学び始めました。剣道は奥が深く、剣道の本場の日本で修業したいと思うようになり1975年、19歳のときに日本の大学に留学しました。

 大学の剣道部に入部して修業していたのですが、やればやるほど剣道の奥深い魅力に取り付かれました。学び足りない、もっともっと学びたいという気持ちですね。それで大学卒業後も剣道の修行を続けたいと思い、日本に残ることにしました。


家族旅行に出かけたときの思い出の写真
 そのためには仕事をもたなければなりません。いろいろと探したところ、宮崎県の高校が語学教師の募集をしていたので、教員免許を取得して試験を受けて採用になりました。それで1980年、25歳のとき、京都から宮崎に移住したんです。そのほかにも個人的に語学教室を開いて、幼稚園児から大人まで、英語やドイツ語やイタリア語を教えていました。そこで公子さんと出会い、28歳のときに結婚したんです。1983年12月22日に長女の美由紀が生まれ、1992年の2月26日には次女の友理恵が生まれました。家族はみんな仲良しで、よくいろんなところへ旅行にいきました。一家4人、とても幸せな日々でした。2004年5月27日の夜、放火されるまでは……。


無期懲役では軽すぎる

日本には終身刑がないから、重い罪を犯したら、死刑か無期懲役。この差は大きすぎる。妻や娘の死に方わかりますか? 一番おそろしい死に方ですよ。私は、妻と娘を焼き殺した犯人の死刑を望んでいます。なぜなら犯人に二度と社会に出てきてほしくないから。無期懲役はいつか社会に出てきます(※1)。間違った死刑は反対ですよ。でも今の日本の法律で犯人を二度と社会に出てこられないようにするのは死刑しかないんです。裁判所は犯人を死刑にすると思っていました。私は裁判長に言いました。犯人を二度と刑務所から出られないような判決を出してくださいと。でも無期懲役になってしまった。

 私の家に火をつけて、家内と娘を殺した犯人は、それ以前にも刑務所を出たり入ったりしています。なぜ8回も刑務所に入ってなぜまた犯行に及ぶのか。刑務所が全く機能していない。

 また私の家を放火した後も、何軒も放火してます。犯人は法廷では私の家内と娘が死ぬとは思わなかったって言っていますが、獄中から私に送ってきた手紙には、私たちが放火によって死んでもかまわないと思っていたと書かれてあります。また、その手紙には放火をしたことを反省していると書いてありますが、人が亡くなったとわかってて、次も放火をやってるってことは反省してなかったってことですよね。だから法廷で自分の言ってることは嘘ですって言ってるのと同じじゃないですか。それでも裁判では死刑にはならない。


犯人からストッキ氏に送られてきた手紙


 また、犯行の動機を、仕事がうまくいってなかったから、借金もあってむしゃくしゃしてたから、精神不安だったからと語りました。そんな身勝手な動機なのに無期懲役で許される。冗談じゃない。アブノーマルだったから、普通じゃなかったから。それは当たり前でしょう。人を殺す精神状態が普通であるわけがない。そしたらいつが犯人の普通状態なの? それは弁護側も考えてほしいね。

 犯人は殺すとき、殺した後も何も感じていない。反省していない。許すべきじゃないと思います。


※1 無期懲役はいつか社会に出てきます───無期懲役といっても全員が死ぬまで刑務所の中で過ごすというわけではなく、服役期間が10年を超えると「仮釈放」の可能性が生まれる。とはいえ、近年では服役年数は長期化の傾向にあり、平成18年の平均服役年数は25年1カ月(無期懲役服役囚3人の平均)。さらに仮釈放者数も年々減少傾向にある(法務省調べ)。よって、巷に流布している「無期懲役になっても10年もすれば出所できる」という認識は間違い。しかし、社会復帰してくる可能性もあるので、死刑との差が大きすぎるという声も以前高い。政治の世界でも、2008年5月には超党派による新たな議員連盟「裁判員制度の導入の中で量刑制度(死刑と無期懲役のギャップ)を考える会」(仮称)が発足。仮釈放のない終身刑として「重無期刑」を導入しようとする動きが始まった。 


全国行脚開始

自分の身勝手な欲望を満たすために人を殺した犯罪者をなぜ生かさなければならないのか。なぜもう一回社会に出さなければならないのか。私にはいまだに理解できません。

 私は裁判のとき、最初から、検察に犯人を死刑にしてほしいとは言いませんでした。それは私のミスかもしれない。だから、その代わりに何かをしたかった。一度判決が確定してしまった以上、もう犯人を死刑にすることは不可能です。だけどこれから先のことを考えて、また、私たちと同じような思いをしている犯罪被害者のために、日本に終身刑を成立させたいと強く思うようになりました。私の家を放火して妻と娘を殺した犯人を含め、犯罪者たちは責任をとって、刑務所の中で死ぬまで反省してもらいたいのです。

 許すことも大事だという人もいますが、すべてを許すことはできません。それは無理です。でも犯人が心の底から反省してるのがわかれば、少しは許してもいいかなとは思います。しかし犯人が反省しているとは到底思えません。こんな状態で仮釈放されたらまた同じことをしますよ。だから一生、刑務所の中で反省してもらいたい。

 それで無期懲役が確定した2週間後の2005年7月14日から、仮釈放のない終身刑の創設を目指し、日本全国をバイクで回って署名活動を始めたんです。判決から14日以内に控訴できなかったから、その期間が終わってすぐにスタートしたわけです。47都道府県、すべて回ってます。ひとつでも外したら全国とはいえないから。

 判決が出たらこういう活動を始めようとずっと思っていました。どういう判決が出ても、たとえ死刑判決が出たとしても、日本には終身刑が必要だと思ったから、やろうと思っていました。

 確かにあの事件以来、毎日地獄で、今も同じだけど、負けたくないからね、人生に。こういう事件に巻き込まれて、どうしようもない、やむを得ない、しょうがない、そうは思いたくない。人生を投げ出したくない。自分にできることがあるなら、まだ望みを残してあるならば、それに懸けようと思った。



1周では終わらなかった

でも、当初はバイクで全国を回るのは、1周だけにしようと思っていたんです。でも苦しんでいるのは私たちだけではない。多くの犯罪被害者は泣き寝入りせざるをえない。活動を続けていくうちに、他の犯罪被害者のためにも続けなきゃと思うようになったんです。これまで全国3周回って、今も各地に出かけています。これまで走破した距離は約16万5000キロです。

 1周目は全国の皆さんに呼びかけるため。私たちの事件を知ってもらいたかった。なぜ何度も同じ罪を犯して、放火によって人を二人も殺しているのに無期懲役にしかならないのかということを訴えたかった。でも市民のみなさんに訴えるだけじゃなくて、法律をつくらないとダメだということが段々わかってきて、2周目は各県知事、市長さんを訪ねて、終身刑の必要性を呼びかけました。3度目は各都道府県の自民党、公明党、民主党の本部へ行って、終身刑の設立をお願いしました。法律を作るのは政治家だから、政治家を回ったわけです。

 現在、4度目の主な目的は講演会です。全国をしらみつぶしに回るのではなく、講演の依頼があったところに出かけていくという感じです。学校やいろんな市民団体などからの依頼が増えています。また、マスコミからの取材も増えました。

 最初はマスコミに全く相手にしてもらえなかったんですよ。でも今は新聞やテレビなど、多くのマスコミに取材に来てもらえます。発言の機会が増えてきました。集まった署名も9万5000人を超えました。4年間に渡り訴え続けてきた、活動してきたかいがあったと思っています。でも私たちの戦いはまだまだこれから。道のりは遠いからね。予想もつかないほど。


マスコミに取り上げられる機会も増えている


泣きながら走っている  

 全国各地を回るためにバイクを使っている一番大きい理由は、殺された次女の友理恵がバイクが大好きだったから。小さい頃は友理恵も美由紀(長女)もバイクに乗せて宮崎から関西まで何回も来ていたんです。

 日曜日に教会に行くときに友理恵ちゃんは雨が降ってもバイクで行きたいと言ってた。だからバイクに乗っているときに、後に友理恵ちゃんがいるなあと感じることがあります。しかし深く考えたら涙出るんですよ。そうしたら途中でバイクを止めないといけない。1回涙が出始めたら止まらないんですよ。ひどいときは30分も涙が止まらない。顔が真っ赤になってしまう。警察には飲酒運転と思われてしまう。だから涙が収まるまで待って、よし、また出発と、バイクを走らせます。


ストッキ氏はこのバイクで全国を回っている

放火犯がストッキ氏から奪ったのは愛する妻と娘の命だけではない。家、財産、そしてやりがいを感じていた仕事や長女の夢までもがたった一晩で失われてしまった。与えられたものはただひとつ、絶望。それでも気力を振り絞って前に進み続けたが、収入が絶たれた状況での活動の継続は困難を極めている。


仕事までもが奪われた
 

今はほとんど仕事はしていません。したくてもできないんです。放火される前は、高校で英語を教えていました。仕事をしなければ生きていけないから、学校に教師として復帰させてほしいとお願いに行きました。でも受け入れられなかった。学校の理事長には、「教壇に立ってかわいい子供たちを見ると、亡くなった子供のことを思い出して、教えることができないのではないか。もう少し時間が経ってからの方がいいのではないか」と何度も言われました。とりあえず連絡先だけ教えてくださいと言われ、それっきり。事件のことを伏せて応募した教師の採用試験も結果はいつも同じ。不採用。雇ってもらえない。

 あの当時は理事長のいうとおり、確かにすぐに復帰するのは無理だったかもしれない。ひどいPTSDだったから。でも1年後、再びお願いにいったけど、無理だった。

 まるで犯罪者みたいになってしまいましたね。被害者なのに。長女も精神的にひどいショックを受けて大学進学どころではなくなりました。そういう夢が一晩でバン!……なくなってしまいました。

 だから仕事もできない。どうやって生活する? 銀行強盗でもしましょうか。だって犯罪者は許されるでしょう? むしゃくしゃしてたからやった、でも許される。おかしいですよね。


 私はもうひとつ仕事をもっています。建築材、主にタイルの輸入の仕事で、15年前、平成5年8月15日に会社を設立しました。設立してしばらくは景気もよかったので、順調でした。

 将来はこの建築材の輸入業だけをやろうと思っていましたが、心の中に不安もありました。収入源がひとつだけだったら、それがダメになったらどうやって家族を養う? だから学校の教師をキープしながら、両方やっていました。ところが、家内と話し合い、両方はできないからとりあえず輸入業を優先しよう、それだったら仕事が多い関東に引っ越そうということになり、その準備をしていよいよ翌日に引越しというときに放火されたんです。そして全部、失ってしまった。

 事件後はPTSDになってしまったので、まともに仕事に取り組めなくなりました。さらに、昨今はユーロが高すぎるから仕事そのものができなくなっています。ユーロが安ければまだ少しは仕事ある。去年は売り上げゼロ。今年もまだゼロです。

 それから姉歯事件(※2)のおかげで、設計の審査の許可が降りるまでかなり時間がかかるようになっているのも大きな痛手です。待ち時間が長すぎるから、地方の小さい会社はそれまでもたない。いろんな設計事務所が潰れて、多くの人が仕事を失ってる。私も3つのプロジェクトを失ってしまいました。だから今、とても困っているんです。半年以内に仕事が見つからなければたいへんなことになります。

※2 姉歯事件──元一級建築士の姉歯秀次やヒューザーなどの建設会社が耐震強度を偽装していた事件。人命よりも儲けを優先して偽装を行った姉歯被告には懲役5年、罰金180万円の実刑判決が下された。 


 
バイクで全国各地を回るのは莫大な経費がかかる。2005年7月以来、3年2カ月でかかった費用は2000万円超。しかしわずかしかもらえなかった犯罪被害者給付金は1年目で使い果たし、仕事もしたくてもできない。貯金も底を尽き、活動の継続に赤信号が点灯しかかっている危機的状況の中、ストッキ氏はある重大な決断を下した。



Cへ つつぎます

つづきは
現在取り組んでいる活動の真の目的と今後の目標を語るアルベルトさん






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●終身刑の成立を求めて 全国行脚のストッキ・アルベルトさんA
 ●妻と娘の死を無駄にしたくない
 死刑と無期懲役の溝を埋めるべく
 終身刑の創設を求めて全国行脚


終身刑の設立を求めて、日本中を走り回っている男がいる。ストッキ・アルベルト53歳。イタリアとスイスの国籍をもつ外国人がなぜ日本の法律を変えようとしているのか。日本で地獄を味わった男の魂の叫び

終身刑の成立を求めて全国行脚 

在、終身刑の設立を目指して、全国をバイクで回っています。今年で4周目になります。集めた署名も、メールや郵送を含めて9万5000人に上りました。昨年、集まった署名を法務大臣に渡して、終身刑の必要性を話して、法律の改正をお願いしました。

 こういった活動をしているそもそもの理由は、2004年5月27日に私の家が放火されて、妻と娘の命を奪われたからです。

ある日突然最愛の妻と娘を奪われた

当時、私は宮崎で妻の公子と中学に上がったばかりの次女・友理恵と3人で暮らしていました。長女の美由紀は大学受験を控えており、実家から離れた予備校に通うため、独り暮らしをしていました。

 2004年5月28日、つまり放火された日の翌日、私たち家族は私の仕事の関係で、宮崎から千葉に引越しする予定だったんです。だから1階に梱包した荷物を運んでいて、2階はふとん以外からっぽ。そこで私と妻と次女は寝ていました。

 3人とも引越しの荷造り作業の後だったんだけど、みんな風呂に入らずにそのまま床に就いたんです。疲れていたんだろうね。こんなことは滅多になかった。さらに、ほとんどみんな同じ時間に眠ったんですよ。床に就いてから30分以内にみんな眠ってしまった。

 そしたら突然、「アルベルト、火事だ!」という大きな叫び声がして、目が覚めた。最初は火事じゃなくて地震じゃないかと思いました。家がすごく揺れてたんですよ。でもすぐに真っ赤な炎とバチバチ、バーンバーン!!という音が迫ってきて火事だとわかった。妻と娘が寝ている隣の部屋に「火事だ! 逃げろ!」と声をかけたけど、反応がないから、「2階から飛べ! 飛べ!」と叫んだ。私は無我夢中で目の前の窓から飛び降りた。そしたら隣の家との境にあるブロック塀に腹から落ちたんです。頭から落ちてたら死んでたかもしれない。それでもひどい火傷とケガはしましたけどね。

 でもふたりは死んでしまった。妻は46歳、娘は12歳でした。11時10分に放火されて、12時30分には全部なくなりました。

なぜ自分だけが助かったのか…
地獄の毎日


あの夜はたぶん、すべてが悪い方へ働いたんだと思います。もし、あの夜お風呂に入ってたら、もし、誰かひとりでも起きていたら、もし、雨が降ってたら……もしかしたら妻と娘は助かってたかもしれない。最悪の条件がそろってしまった。

 また、もしあの夜、長女が家にいたら……。でももっとひどいことになっていたかもしれない。それはわかりませんからね。助かったからって幸いだったともいえないしね……。

 あの火事の時に聞こえた「アルベルト、家事だ!」という声も、よく考えてみたら誰の声だったのか……。あのタイミングであの声が聞こえるのはありえない。もしかすると、すでに亡くなっていた家内の声だったのかもしれません。

 事件の後、人からはどうしておまえだけが助かったのかと非難されました。警察からもおまえが犯人なんじゃないかと疑われました。私だって思いますよ、なぜ私だけが生き残ったのか。私は本当に何もできなかったのか………もうあのときのことは思い出しくないし、話もしたくないんだけどね……でもそのときはもう家内が死んでるの、わかってた。声をかけても反応がなかったから。もうわかってる。何もできない、なおさら、悔しい。ごうごうと燃え盛る火が身体に当たってた。火にあと1メートル近かったら私も死んでいたかもしれない。あるいは何かできたかもしれない。それはわからないんですよ……。

 放火されて娘と妻を亡くしてからは、毎日地獄。それだけ。今でも同じ。だからPTSD(※1)になった。長女も。夜、眠れない。暗くなったら怖くなるし、不安になる。突然思い出がフラッシュバックしてくる。突然涙が出てくる。悔しい。苦しい。悲しい。ほんとに地獄。

※1 PTSD──Post-traumatic stress disorderの略。心的外傷後ストレス障害。災害、事故、事件などから被った精神的ショックから、断続的な不安や恐怖、情緒不安定、睡眠障害や記憶障害などが引き起こされる。

事件からまもなくして、ストッキ氏の家を放火し、ふたりの命を奪った犯人・竹山裕二(当時37歳)が逮捕された。竹山は事件の2年前に刑務所を出たばかりで、放火、窃盗などの罪で過去に6度の服役歴があった。動機は「借金や仕事などのうっぷんがたまってむしゃくしゃしていたから」──。こんな身勝手な理由でふたりの命を奪った犯罪者に裁判長が言い渡した判決は「無期懲役」。ストッキ氏は我が耳を疑った。

連続放火魔による犯行

この夜だけで、5軒の家が焼けてしまいました。ちなみに私の家の裏には貴乃花の奥さんの河野景子さんの実家がありました。

 犯人はこの夜に5件、その前にも数十件、その後にも4件放火してるんです。つまり、何も反省していないことの何よりの証拠です。この犯人は放火当日、私の家が焼けるのを、家内と娘が焼け死ぬのを見物してるんですよ。(※2)喜んで。それがとてもとても悔しい。

※2 【長女 美由紀さんの証言】
放火犯は放火の現場に戻るという話を知っていたから、放火の後も毎日、現場を見に行っていました。すると、挙動不審な男がいたんです。よく見るとこれまで2度ほど見た覚えのある顔でした。3回目に「何なの、あんた?」ってその男に怒って言ったんです。捕まえようと思ったら逃げられました。しばらくして刑事が犯人としてつかまえたのがその男だったんです。
 

 犯人が見つかってからは少しほっとしました。犯人が見つかってない被害者の方たくさんいるからね。それに比べればましです。

 でも逆に複雑な気持ちですね。犯人を殺したい。でも国は殺させてくれない。まとまらない気持ち。犯人が見つかって本当によかったのか、悪かったのか、今でもわからない。

まさかの無期懲役

最初、検事はこの放火事件で犯人を殺人罪で有罪にするのは難しいと言いました。放火によって人がふたりも殺されているのに何を言ってるんだと思いました。しかしあの当時ね、私は愛する家内と娘を失って、心がボロボロになってたんですよ。精神力がなかったんです。だから検事に任せようと思った。それが大きな間違いでした。

 検察側は判決が出る直前に、無期懲役を求刑したんです。それ、冗談じゃないんです。私は死刑にしてほしかった。検察は私に相談せずに勝手に無期懲役を求刑したんです。実際の判決も、求刑通り無期懲役だった。そこで私は大きなショックを受けました。

 無期懲役の場合、仮釈放で社会に戻ってくる可能性があります(※3)。なぜ、何軒もの家を放火して、刑務所を出たり入ったりして、妻と娘のふたりもの命を奪った犯人に社会復帰する可能性を与えなくてはならない? それは私には耐えられない。

 なぜ検察は無期懲役を求刑したか。その裏にはたぶん、司法取引があったんじゃないかと思います。早めに裁判を終わらせるために。私たちは死刑ではなく無期懲役を求刑するから、その代わりに、被告側に控訴しないでとお願いした。犯人はそれを承知したんじゃないですかね。でもその証拠がないんですね。このことを発表しても検察は知らないというでしょう。このことを教えてくれた人も公の場では知らないというでしょう。だから警察や検察と話をするときにはボイスレコーダーをもっていかないと絶対ダメなんですよ。それがあれば裁判をやり直すことができますから。

 無期懲役の判決が出たとき、私は犯人の死刑を求めて控訴するつもりでした。実際に検察にはお願いしたんですよ。でも検察は控訴してくれなかった。検察に見事にだまされてしまいました。

 日本の法律では、判決が無期懲役でも、やっぱり甘いと思ったら、判決後14日以内であれば控訴できるんですよ。もちろん私は判決直後から検察に何度も電話をしたり、出向いたり、控訴の嘆願書を提出したりしました。もちろん証拠もあります。何もしなかったわけじゃない。ほぼ毎日弁護士を通してお願いしてるんですね。でも取り合ってはくれませんでした(※4)。しかも検事は控訴の嘆願書が長すぎるからもっと短くしろと言った。これが一番頭に来ました。我々は犯人ですか?



ストッキ氏が提出した陳述書
なぜ検察はこういう対応をしたのか。いったん無期懲役を求刑してその通りの判決が出ているのに、やり直しとなるとメンツやプライドに関わる。訴訟もややこしくなるし、時間と手間がかかる。それを避けるためになるべく早めに終わらせようとしたってことでしょうね。

※3 無期懲役の場合、仮釈放で社会に戻ってくる可能性があります──無期懲役といっても全員が死ぬまで刑務所の中で過ごすというわけではなく、服役期間が10年を超えると「仮釈放」の可能性が生まれる。とはいえ、近年では勾留期間は長期化の傾向にあり、平均勾留期間は25、6年といわれている(法務省調べ)。また、仮釈放者数も年々減少傾向にある。よって、巷に流布している「無期懲役になっても10年もすれば出所できる」という認識は間違い。しかし、社会復帰してくる可能性もあるので、死刑との差が大きすぎるという声も依然高い。政治の世界でも、2008年5月には超党派による新たな議員連盟「裁判員制度の導入の中で量刑制度(死刑と無期懲役のギャップ)を考える会」(仮称)が発足。仮釈放のない終身刑として「重無期刑」を導入しようとする動きが始まった。

※4 取り合ってはくれませんでした─「電話をしても『電話では取り扱えません』。出向いたら門前払い。『いい加減にしてください』とまで言われました。いい加減にしてくださいと言いたいのはこっちです。まだ心の整理がついていない被害者に向かって、法の番人がよくそういうことがいえるなと。検察には上申もできないし、法律の説明もない、弁護士も取れない。それは法律違反だといわれたのですが、後々よく調べてみると両方ともできた。当時はそこまで考えることができませんでした。検察は我々が知らないってことがわかっていたんでしょうね。いいようにやられたという感じです」(美由紀さん)
 



長女の美由紀さんと




5カ月のスピード判決

実際、裁判にはものすごく時間がかかります。インターネットで1948年から2007年までの死刑判決か無期懲役が出た判決例を全部読みました。ほとんど何年もかかってます。しかし私の放火のケースはたった5カ月で終わりました。たった5回の裁判で全部終わってしまった。中国みたいな猛スピード判決。1カ月に1回の裁判でぽんぽん決まってしまった。その理由は、犯人は犯行を全面的に認めて裁判に協力したから。それも死刑判決が出なかったひとつの理由らしいです。

 当時は東京に引っ越していたんですが、月に1度、宮崎に裁判を傍聴しに行ってたんです。あのときは早く決まった方がいいと思ってましたけど、今考えるとやっぱりダメです。本当にこれでいいのか、考える時間がなさすぎた。

 私たちは放火によってふたりも愛する家族を失って、仕事も失った。何もかも失って、戦う力がなかった。今みたいな精神状態だったら絶対戦います。まだ私、終わってない。またぶつかりにいきますけどね。そのチャンスを待ってるんですよ。私は忘れませんよ。家内と子供の命を奪われたことは当然、絶対に忘れられませんよ。検察にしてみれば終わった事件かもしれないけど、残された私と長女の中では終わっていません。黙っていられません。

 今の日本の法律では被害者の心の痛みと苦しみは考慮してもらえない。あまりにもおかしすぎる。皆さんだって、いつなんどき犯罪被害者になるかわからないんですよ。ある日突然、日常が奪われる。愛する者が殺される。これは地獄ですよ。

 当然、このまま無期懲役では納得がいかないので、殺されている側の権利として、この事件を国際裁判にかけようと思っています。私がイタリアとスイスの国籍を持っているので、家内と娘もスイスの国籍を持ってるんですよ。娘は日本とイタリアとスイスの三重国籍です。だからスイス市民として、国際裁判で戦うことができる。もちろん長くかかるでしょうけど、やるつもりです。

 でもその前に日本の政府と国民に訴えかけて、終身刑が成立すれば、国際裁判で戦う必要はありません。私の望みは日本に終身刑を創設することです。そのために、無期懲役が確定した2週間後の2005年7月14日から、終身刑成立を目指し、日本全国をバイクで回って署名活動を始めたんです


ストッキ氏が全国を駈けずり回って集めた署名。これまでに9万5000人もの署名が寄せられた


Bへ つづきます・・・ 

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●終身刑の成立を求めて 全国行脚のストッキ・アルベルトさん@
今日、カトリック箕面教会に来られた イタリア人の
ストッキ・アルベルトさん

私は、ごミサでこの方のために祈りました。
涙が出てとまりませんでした。

こんな日本でごめんなさい。
日本を愛して 33年も暮らしておられて
日本人の奥さんと娘さんと 幸せに暮らしていたアルベルトさんに

日本人は なんてことをしたの。

そして 日本の法律は なんてひどい仕打ちをしているの。

こんな日本であることを恥じなきゃいけない。
こんな日本のままでは この方に申し訳ない。

こんな日本を作りだしているのは 日本人の責任です。



ミサのあと 
教会の出口で 署名のお願いをされるアルベルトさん↓



終身刑の創設を求めて全国行脚 ストッキ・アルベルトさん






奥様クララさんとまだ、12歳だった娘さんのクリステイーナさんを
放火により殺されたのが 5年前。 

犯人は事件の2年前に刑務所を出たばかりで、
放火、窃盗などの罪で過去に6度の服役歴があったのです。
動機は
「借金や仕事などのうっぷんがたまってむしゃくしゃしていたから」──。こんな身勝手な理由でふたりの命を奪った犯罪者に裁判長が言い渡した判決は「無期懲役」。

日本では、無期懲役の犯罪者というのは、
仮釈放で社会に戻ってくる可能性が十分にあるのです。
そして犯罪こを繰り返すという例が少なくない。

日本には 「終身刑」がないのです。

アルベルトさんは自分個人のためではなく、
昔は鍵もかけないでいられた、公園で安心して子供たちが
遊べた、そんな時代の 真の日本を取り戻すべく
全国をまわって 署名活動を続けておられます。

ただし、本来ならば、人権や政府への訴え、などに
耳を貸すべき 大阪教区 カトリック正平教シナピスはこの訴えを無視だそうです。 ひどい。


ストッキさんの真摯な訴えに耳を貸した党派、
死刑反対派、賛成派などの思想の違いを超えた議員による

「量刑制度を考える超党派の会」(会長=加藤紘一・自民党元幹事長)が2008年5月に結成され 全員一致で
無期懲役と死刑のギャップを埋める量刑の創設を議員立法で目指すことになったようです

ただ、議員のメンバーリストを ストッキさんが持って
おられたのですが、見せていただくと

自民党 中川秀直、太田誠一氏の名前があることに少し違和感が。
人権擁護法案や外国人参政権推進派と呼ばれる議員だからです。

メンバーは、私が調べると

★「量刑制度を考える超党派の会」の役員
自民(15人)
森喜朗、加藤紘一、平沢勝栄、古賀誠、中川秀直、太田誠一、川村建夫、杉村建夫、杉浦正建、尾辻秀久、遠藤利明、柴山昌彦、葉梨康弘、早川忠孝、小野次郎、古川俊治
民主(12人)
鳩山由紀夫、仙谷由人、土肥隆一、枝野幸男、金田誠一、川村たかし、近藤昭一、小宮山洋子、松本龍、笠浩史、大塚直史、細川律夫
公明党(3人)
浜四津敏子、大口善徳、漆原良夫
国民新党(4人)
亀井静香、自見庄三郎、亀井久興、長谷川憲正
共産(2人)
小池晃、笠井亮
社民(1人)保坂展人

また辻本清美の名前も・・・・・・

このメンバーは、死刑廃止議連のメンバーもおり、
その廃止論者の最終的な目標が「死刑廃止」であることは
懸念されます。
でも 森喜朗氏のような 死刑賛成派もおられ
日本の現状で 「死刑廃止」がすぐに成立することは
ありえないでしょう。

それよりも恐ろしいのは 裁判で
死刑を免れた 凶悪犯罪者が
無期懲役となり、数十年すれば 釈放されるという現実です。


「死刑廃止」のための議論ではなく
アルベルトさんが望む 真の「終身刑 成立」のための
法案に向けて 努力してほしいと望みます

「死刑廃止」については、
このアルベルトさんは 
カトリックとして死刑廃止という気持ちはあるが、
現在の日本の法制度について言えば、即 死刑廃止とは
いかないと。 死刑廃止に賛成することはできないと。

気持ち的には、犯人が釈放されたら
殺してしまたいぐらいの気持ち・・・ そりゃそうです。

私としては 絶対 死刑賛成です。
死刑は 絶対 必要だと思います

幼女殺人の宮崎や 池田小事件の宅間・・・
死刑以外 ありえませんもの。

そして 終身刑はあくまで 仮釈放なし
一生 刑務所ですごし、労働を課して 働いたお金は
被害者の救済にあてるというあう制度を望みます。









次のページに
終身刑の成立を求めて全国行脚
という記事の転載をいたします。
ぜひぜひ お読みください。
http://www.jinzai-bank.net/edit/info.cfm/tm/138/





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2009-05-03 21:46 | 記事へ | コメント(11) | トラックバック(0) |
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世界召命の日 箕面教会のミサ
今日は、サッカーの試合が急遽、なくなったので
箕面教会に母親をつれてミサに参加しました。

いつも早くから教会に来ているセバスチャンと挨拶。

聖歌隊の練習のあと、聖堂内を見渡すと
箕面教会の信徒さんではない、ご夫婦。
美しい奥様、綺麗なベールをかぶってらして・・・

どこがで お見かけしたことが・・・

あっ クゥ神父様の叙階式、玉造でご挨拶した大阪のご夫妻だわ

そして、昨日、夫が典礼準備の際に出会ったという
バイクで日本全国をまわられているイタリア人の方・・・

そしてミサがはじまりました。

今日は、後藤神父様がおひとりでの司式でした。

後藤神父様は、今日、来られたイタリア人の方の
亡くなられた奥様、娘さん クララさんとクリスティーナさんの
ために祈りましょうと 今日のごミサで
何度もお名前を唱えられました。

クララさんとクリスティーナさんが亡くなられたこと

私は亡くなられたお二人のことを想って涙が出ました。

後藤神父様のお話では 今日の福音での羊飼いが羊のために命を
投げたすということを 今の世の中のペットと飼い主との関係と
いうようなものではないと・・・

そうですね、今の飼い主は 都合が悪くなったら
簡単にペットを保健所に連れていったり 捨てたりするんですもの
愛玩のおもちゃとしてとしての感覚しかない人が多いです。
ペットを守るために命を捨てることができる人はいないだろう
この福音の羊飼いと羊のたとえは 
そんな関係ではないという後藤神父様のお言葉はよくわかりました。

神様の人間に対する もっともっと 大きな愛について 
お話下さいました。

でも・・・おつるは・・・
9匹の猫ちゃんたち、この子たちがもし車に轢かれそうになったり
猫嫌いの変質者に殺されそうになったりしたら

命を投げ出してしまうと思います。
おつるは猫ちゃんたちを 心から愛しています。

貯金が一円もない私たち夫婦ですけれど
猫ちゃんが 死にかけたら 今まで何度も真夜中に数十キロ離れた
夜間の救急病院に駆けつけて、10万円近いお金を支払ってます。
それにつきあってくれて 泣いてくれる相方にいつも
感謝しています。 

でも 神様の人間に対する愛は もっともっと深いのですね

といろいろ考えました。


ごミサの最後に お知らせとして

和田幹男神父様が 今日の「世界召命の日」の
教皇様からのメッセージを読みあげられました。

2009年5月3日 復活節第4主日 
神の呼びかけを信じること、すなわち人間の応答親愛なる司教司祭職にある兄弟の皆様
親愛なる兄弟姉妹の皆様

 復活節第4主日、2009年5月3日に祝われる司祭職と奉献生活のための世界召命祈願の日を前にして、わたしは「神の呼びかけを信じること、すなわち人間の応答」というテーマについて考えるように、すべての神の民を招きたいと思います。弟子たちを励まし、イエスはいいます。「だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」(マタイ9・38)。このことばは、絶えず教会のうちに響いています。祈ってください。主は、信頼して召命のために祈り続けることを切に望んでおられます。キリスト者共同体は祈りに生かされてはじめて、真に「神の摂理に大きな信仰と希望をもつこと」(使徒的勧告『愛の秘跡』26)ができるのです。
  司祭職および奉献生活への召命は、神からの特別なたまものです。それは一人ひとりの人間と全人類のための、愛と救いの大いなる神の計画の一部となっています。使徒パウロの生誕2000年を記念するこのパウロ年にあたり、わたしたちが特別な思いをはせる使徒パウロはエフェソの人々に宛てて次のように記しました。「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」(エフェソ1・3-4)。ですから、すべての人を聖性へと招くにあたり、御子イエス・キリストにより親しく従い、特別な奉仕者、証人となる者を、神ご自身がお選びになるのです。神である師は「自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるため」(マルコ3・14-15)ご自分で使徒を呼ばれました。使徒は次々に周りにいる他の弟子を集めて、その使命における忠実な協力者としました。このようにして、主の呼びかけに応え、聖霊の働きに従いつつ、はかりしれない数の司祭と修道者が何世紀もの間、教会の中で福音への奉仕に献身してきました。神に感謝いたしましょう。今もなお、神はご自分のぶどう園に労働者を呼び集め続けておられるからです。世界には司祭の数が著しく不足している地域があり、教会がその都度、困難や障害に遭遇していることは疑いようもない事実です。しかし、わたしたちは揺るぎない確信に支えられています。それは、時の流れの中で教会をみ国の最終的な完成に向けて力強く導く主は、慈しみ深い愛の秘められた計画のうちに、あらゆる文化と世代から自由に人を選び、ご自分に従うように招いておられるという確信です。
  したがって、まずわたしたちがすべきことは、家庭、小教区、さまざまな運動、使徒職を果たすための組織、修道会、教区生活のあらゆる部門で、神の呼びかけに対するこの思いを絶えず祈りながら持ち続けることです。仕えることに自らの存在すべてを惜しげもなく差し出し、救いの使命においてより親しくご自分と働く人を、「収穫の主」は絶えず求め続けておられます。このことを確信しつつ、わたしたちはすべてのキリスト者が神への信頼のうちに成長するよう祈らなければなりません。召し出された者が責任と確信ある対応をするために求められることは、傾聴し、賢明に識別し、神の計画に惜しみなく進んで従い、司祭や修道者の召命に固有の現実を真剣に学ぶことです。
  『カトリック教会のカテキズム』に明示されているように、神は自由に呼びかけ、人間の自由な応答を求めます。すなわち、すべての人のための神の計画を受け入れ、それと一つとなることをつねに前提とした前向きな応答を求めているのです。それはまた、わたしたちより先にわたしたちを愛してくださっている主を受け入れるという応答であると共に、召し出された者として、道徳的義務に従い、神に感謝をささげ、神が歴史の中で遂行される計画に協力する人となるという応答でもあります(n.2062参照)。
  聖体は、独り子のペルソナのうちにある、人間の救いのためのおん父の無償のたまものと、神のみ心のままに「杯」を飲みほす(マタイ26・39参照)準備ができていたキリストの完全性と従順を荘厳なしかたで表しています。その神秘を観想するならば、どのように「神の呼びかけを信じる」ことが実現し、それがどのように「人間の応答」に価値を与えるかを、より容易に理解できるでしょう。聖体とは、この世をあがなうための愛の計画の完成をもたらす完全なたまものです。イエスはこの聖体のうちに人間の救いのために自らを惜しげもなく差し出しています。わたしの愛すべき前任者であるヨハネ・パウロ二世は次のように記しています。「主キリストから教会が与えられた聖体のたまものは、たとえそれらがどんなに尊いものであれ、他のさまざまなたまものの一つではなく、特別にすぐれた意味でのたまものです。なぜなら、聖体によって与えられているのはキリストご自身、すなわち聖なる人間性におけるキリストのからだであり、キリストの救いのみわざだからです」(回勅『教会にいのちを与える聖体』11)。
  何世紀にもわたって、主の栄えある再臨のときまで、司祭はこの救いの神秘を永続させるために召し出されています。それは司祭が、おん父の自由な呼びかけとキリストの忠実な応答の間になされる「召命の対話」という卓越した模範を、まさにキリストの聖体のうちに仰ぎ見ることができるためです。聖体祭儀においては、キリストがご自分の役務者として選ばれた人の中で、キリストご自身が働いておられます。キリストは、信頼と感謝のうちに彼らの応答が高められるように支えておられます。彼らが自らの弱さを痛感し(ローマ8・26-28参照)、誤解や迫害というつらい経験をしているときすら(ローマ8・35-39参照)、キリストはあらゆる恐怖を取り除くために彼らを支えます。
  キリストの愛によって救われるという意識は、あらゆるミサにおいて、信者、とりわけ司祭のうちにはぐくまれます。その意識に駆り立てられ、彼らは、わたしたちのためにいのちを与えてくださったキリストに信頼して自己放棄せずにはいられません。ですから、主を信じ、主のたまものを受けることによって、わたしたちは主の救いの計画に従い、感謝の心をもって主に自らを委ねるように導かれます。それが実現したとき、「呼ばれた」人は喜んですべてを捨てて主なる神の教えに自らを差し出します。そこから神と人間の間の実りある対話が始まります。それは呼びかける主の愛と、愛のうちに応答する人間の自由との神秘的な出会いです。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」(ヨハネ15・16)という魂に響くイエスのことばに耳を傾けているのです。
  互いに愛を織りなす神の呼びかけと人間の応答は、奉献生活への召命にも美しく表れています。第二バチカン公会議は次のように示しています。「神にささげられた貞潔、清貧、従順の福音的勧告は、主のことばと模範に基づくものであり、使徒と諸教父ならびに教会の師と牧者たちが推奨するものであって、教会が自分の主から受け、また主の恩恵によって絶えず守ってきた神のたまものである」(『教会憲章』43)。
  前に述べたように、イエスはおん父のみ旨に完全に信頼して従うことの模範であり、すべての奉献生活者はその模範を見習うべきです。キリスト教のごく初期の頃から、多くの人がキリストに引きつけられ、家族、所有物、物的財産、そして人間にとって好ましいと思われるものすべてを捨て、喜んでキリストに従い、妥協することなく福音を生きてきました。このことは彼らにとって、聖性に深く根ざした学びやとなりました。今日でも同じように、多くの人が、福音の完成に向けてこの過酷な旅路を歩み、福音的勧告に従うと宣言するよう召されていると実感しています。このようなわたしたちの兄弟姉妹は、観想修道会、修道会、使徒的生活の会の中にいます。彼らは、神の民は「歴史のうちにすでに現存しているが天において完成されることになる神の国の秘義」(使徒的勧告『奉献生活』1)のうちにあることをあかししているのです。
  自分には司祭の役務を目指す価値があると、誰が考えることができるでしょうか。自らの人間的な力のみに頼って、誰が奉献生活を送ることができるでしょうか。神が率先してご自身の救いの計画を実行されていることはご承知かと思いますが、改めてもう一度繰り返します。人間は自らに委ねられた才能を、恐ろしくなって地の中に隠しておくような、臆病で取るに足らないしもべです(マタイ25・14-30参照)。神の呼びかけに対する人間の応答は、そうした人間の私情に従って行うものではありません。むしろ、主の招きに進んで従うことのうちに、人間の応答そのものが表れるのです。ペトロの場合もそうでした。ペトロは夜通し苦労しても何もとれなかったにもかかわらず、主のことばを信頼して、ためらいもなく再び網を降ろしました(ルカ5・5参照)。神への人間の自由な応答は、決して自分の責任を放棄することではありません。それはむしろ「共同責任」、すなわち聖霊の働きをとおしてキリストのうちに、キリストとともにある責任です。それは、わたしたちに豊かな実りをもたらすかたとの交わりとなるのです(ヨハネ15・5参照)。
  神の呼びかけに全面的に信頼する人間の応答は、ナザレのおとめマリアのことばに象徴されます。それは「アーメン」というすべてを受け入れる純粋なことばです。マリアは神の使いによって告げられた至高の神の計画に、謙虚に全面的に従うことをことばにしました(ルカ1・38参照)。マリアは即座に「はい」とこたえ、神の母、救い主の母となりました。この最初のフィアット、「おことばどおり、この身になりますように」の後、イエスが十字架に架けられる最後の時にいたるまで、マリアはそれを何度も繰り返すことになりました。福音記者ヨハネは記します。イエスの十字架のかたわらに立ち、マリアは罪なきわが子の壮絶な苦しみにあずかりました。死にゆくイエスがマリアを母としてわたしたちに委ね、わたしたちを子としてマリアに委ねたのは、まさにこの十字架上からでした(ヨハネ19・26-27参照)。ですから、マリアはとりわけ司祭と奉献生活者の母です。神の呼びかけに気づき、司祭職もしくは奉献生活の道を歩もうとするすべての人を、わたしはマリアに委ねたいと思います。
  親愛なる友人の皆様。困難や疑いを前にして落胆してはなりません。神を信頼し、イエスに忠実に従いなさい。そうすれば、イエスと堅く結ばれることによる喜びの証人になれるでしょう。おとめマリアは信じるがゆえに、あらゆる世代の人から幸いなかたと呼ばれます(ルカ1・48参照)。マリアのように、力あるかた、偉大なことをなさるかたを、その尊き御名のゆえに驚きあがめることができるように(ルカ1・49参照)、心をこめて励みましょう。マリアに倣い、天のおん父の救いの計画が実現するように、あらゆる霊的な力を尽くしましょう。

2009年1月20日
バチカンにて
教皇ベネディクト十六世






そして 初めて教会に来られた方のご紹介で
梅花の学生さんがお二人、お勉強に来られていて
「いつもの学校のミサとは違うので勉強になりました」と
言っておられました。

そのあと、大阪のご夫妻がごあいさつされて、
おつる夫妻と 先日のクウ神父様の叙階式で会ったこと
おつるブログのファンであると
そして和田神父様のことを、素晴らしい神父様だと
バチカンに添う教会が大切と

たくさんお話をされました。

おつるの名前が出てきて、少し恥ずかしかったです


ごミサのあと、イタリア人のアルベルトさんの人生を
賭けている思いをお聞きしました。
つぎのページに レポートします 
ぜひ お読みください。

そして 大阪のご夫妻と信徒会館で
たくさん お話ができて嬉しく思いました。
このブログのおかげで お知り合いになれたこと
本当に幸せです




さて 今日は、お昼に 壮年会でクウ神父様の歓迎会が
あるとのことで、

なんと アルベルトさんの大きなバイクの後部座席に
和田神父様が乗っかって・・・・
わたしは お見送り

和田神父様のヘルメット姿は スクープかも


かっこいいー


「昔 バイク乗ってたんやでーーー」と和田神父様 笑

うれしそうです











2009-05-03 20:45 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| キリスト教 カトリック |
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高田教授 講演会 「知られざる中国核実験の惨状」 日本会議広島  時局講演会
今月23日、日本会議広島が主催する時局講演会


「知られざる中国核実験の惨状 
 〜中国・北朝鮮の核兵器開発と日本の課題〜」

開催されます。

 日本会議会員外の一般も事前申し込みにより参加可能です。

是非、多数ご参加いただけたらと存じます。

主催 日本会議広島 

日時 平成21年5月23日 15~16時半 (14時から総会)

会場 広島国際会議場ラン(広島平和公園内)

参加費 1,000円

申し込み ファックス


日本会議広島事務局  082−831−6205




2009-05-03 02:48 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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「日台友好記念大会」、
kinaさんの日記より転載です。



「台湾人による『台湾国』建国の応援」が最大の目標ですが、台
湾との相互交流会や、台湾のアーティストを呼びコンサートを開
催するなど、若い人中心の楽しい会にして行きたいと思います。


皆さま是非お越しくださいませ!
(来場の方全員に、ささやかながら粗品を用意させて頂きます。)
   
特別ゲストスピーカー:作家・大学講師 竹田恒泰氏
           http://www.takenoma.com/profile.htm
             衆議院議員 西村眞吾氏
           http://wwwshingo.com/profile/index.html

平成21年5月16日(土)午後1:30 開場 2:00 開演〜4:00

主催 「日台友好記念大会実行委員会」

事務局:〒530-0047 大阪市北区西天満3-6-27,シャトー南森町903号
                    Tel&Fax 06-6809-6453 
お問合せ: t.ritouki@gmail.com

入場 :無 料

会場 :エル・おおさか2階 「エル・シアター」
  http://www.l-osaka.or.jp/pages/access.html     

      大阪市中央区北浜東3−14
   東から→京阪・地下鉄谷町線「天満橋駅」より西へ300m
   西から→京阪・地下鉄堺筋線「北浜駅」より東へ500m
   北から→JR東西線「大阪天満宮駅」より南へ850m
 
 





追記  

5/3の私の日記に


関西で
「台灣李登輝友の会・日本総本部」発足となっていましたが
訂正いたします。



主催からの連絡で
イベント名を「日台友好記念大会」、
主催者名は「日台友好記念大会実行委員会」に 変更に
なったそうです。


たいへん 申し訳ありませんが よろしくお願いいたします。


2009-05-03 02:29 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(1) |
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2009年05月01日(金)
高田教授 ◆正論5/1号必読◆ シルクロード核の砂漠観光の日本人被災調査
5月1日の産経新聞朝刊と同日発売の月刊誌正論 お読みください



放射線防護情報センター 
日本シルクロード科学倶楽部


プロジェクトJ5

シルクロード核の砂漠を観光した日本人の被災調査

放射線防護情報センターへの情報提供はこちらに
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/SSP-J5-f1.html


日本人のシルクロード観光者は核爆発期間中に27万人、それ以後を含めるとおよそ84万人と推定されている。

特に、NHKのシルクロード紹介番組で、日本人の観光数が顕著に増加した。
2009年5月1日情報受付開始
シルクロード科学プロジェクト 課題一覧詳しい情報は次をご覧くさい。

高田純著 「中国の核実験」医療科学社 2008年.

  高田純 「中国核の蛮行と日本人観光者のリスク」 正論 2009年5月1日発売号

「Death on the Silk Road」Filmmakers Library, Newyork.Death on the Silk Road


Jun Takada. Dose Prediction for Surface Nuclear Explosions,

Case Studies for Semipalatinsk and Lop Nur Tests, Proc. IRPA12,

Buenos Aires 19-24 October 2008.

放射線防護情報センターホームページ 中国の核実験

シルクロードでの核実験を一切触れないNHKの姿勢, 核抜きで過去のロマンのみを放送し、日本国民を危険な核の砂漠へ導いた.
NHKは責任を問われる! 意見・問い合わせシルクロードを観光したあなたのお友達に、このページを教えてください。


●中国の核実験アマゾン金子民雄氏の場合 
1995年ロプノル「シルクロードは核実験場所と観光地が同居した、世界に類を見ない地獄だ。その観光には、核放射線のリスクが伴う。特に一九九六年までの現地訪問のリスクは高く、それ以後も核ハザードは残留している」 JT

●シルクロードでの中国の核の蛮行は国際問題化する。
 世界遺産登録は論外
国境の町に胎児影響が生じるリスクを心配していたカザフスタン保健省の科学者へ、既に著者から「中国の核実験」の英語版が渡っている。

核爆発場と観光地が同居した世界に類のない異常な地域。 日本のNHKは、その核の砂漠の観光地化に率先して手を貸していた!

NHKシルクロード取材班は、1980年に無視できないリスクの線量を受けたと考えられる!楼蘭周辺での中共の核実験の存在を承知の上での愚行だった。 NKHシルクロード弟3巻26ページ参照


●シルクロードでの核爆発災害の事実と考えられるリスク

シルクロードの観光地では、46回総威力22メガトンの核爆発が、中国共産党により実施されていました。危険な核爆発は、1964年にはじまり、1996年まで続けられていたのです。そのため楼蘭遺跡周辺は核の砂漠と化しています。その周辺を観光地とすることは、許されることではありません。

現地を訪問した日本人をはじめ世界の多数の人々が、中国の核爆発からの核放射線により健康被害のリスクを負ったと考えられます。一部には、核爆発の瞬間に出会い、遭難死した場合もあるかもしれないのです。この実体調査は日本として急務であり、シルクロード科学プロジェクトとして取り組む重要課題のひとつと考えています。

中国共産党は、ウイグル人の暮らす居住区の近くで核爆発を繰り返しました。高田純の科学調査では、少なく見積もっても東京都の11倍以上もの広大な大地が核の砂で甚大な汚染を受けたと推定されています。19万人以上が急性死亡し、129万人以上が甚大な核放射線影響を受けたと考えられます。ノーベル平和賞候補となったウイグル世界会議の総裁ラビア・カーデル女史は、中国共産党機密情報には75万人が核実験で死亡したと訴えています。この数値と科学推定値とは矛盾していません。これは実験と呼べるものではなく、中国共産党の犯した核の蛮行です。

正論 2009年5月1日発売号(6月号)に関連する論文が掲載されています。

想定される観光者の5つのリスク

1 核爆発に巻き込まれ即死

2 核爆発を目撃し急性放射線障害で死亡

3 核爆発を目撃しないが、核爆発直後に核の砂を被り急性死

4 顕著に核の砂を被り、白血病、固形がんを帰国後発症する

5 妊婦が核の砂を顕著に被り、死産・流産、そして奇形の出産となる



リスク1~5の全ては、1996年までのシルクロード観光者群に対してである。リスク1~3の場合は、行方不明者となり、帰国していないかもしれない。1997年以後の観光者群には、リスク1~3は除外されるが、ゼロ地点に接近した場合にはリスク4、5があるかもしれない。


●中国共産党の犯した未曾有の核爆発災害を、一切口にしない批判しない日本の”反核”団体。
それらは、実は反核団体ではなかったことが証明された。
今、日本の役割が問われている。 上辺だけの反核運動、偽りの反核団体はいらない。 
未曾有の核災害が21世紀の今もシルクロードにある!

●一面的報道を今も続けているNHKは糾弾もの!!!

日本は”唯一の被爆国”ではないが、世界で最初の核被災となった国。

NHKは前世紀から21世紀に続く史上最悪のシルクロードの核問題を正視しろ!
国民を愚弄するな!


シルクロードを観光したあなたのお友達に、このページを教えてください



日本シルクロード科学倶楽部はプロジェクトを支援しています。 会員募集中! 

入会のご案内 http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/NSSCMem3.html



詳しい情報は次をご覧くさい。

高田純著 「中国の核実験」医療科学社 2008年.

  高田純 「中国核の蛮行と日本人観光者のリスク」 

正論 2009年5月1日発売号

「Death on the Silk Road」Filmmakers Library, Newyork.Death on the Silk Road
Jun Takada. Dose Prediction for Surface Nuclear Explosions,
Case Studies for Semipalatinsk and Lop Nur Tests, Proc. IRPA12, Buenos Aires 19-24 October 2008.

放射線防護情報センターホームページ 中国の核実験
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/NEDonSilkRoadJap1.html


2009-05-01 08:00 | 記事へ | コメント(3) | トラックバック(0) |
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●産経ニュース中国核実験で19万人急死、被害は129万人に札幌医科大教授が推計
産経ニュース 

●中国核実験で19万人急死、被害は129万人に
 札幌医科大教授が推計




中国が新疆ウイグル自治区で実施した核実験による被害で同自治区のウイグル人ら19万人が急死したほか、急性の放射線障害など甚大な影響を受けた被害者は129万人に達するとの調査結果が札幌医科大学の高田純教授(核防護学)によってまとめられた。被害はシルクロード周辺を訪れた日本人観光客27万人にも及んでいる恐れがある。

 5月1日発売の月刊「正論」6月号掲載の「中国共産党が放置するシルクロード核ハザードの恐怖」と題する論文で明らかにした。

 高田教授は2002年8月以降、中国の核実験に伴う影響を調査した。高田教授によると、中国の核実験は1996年までに爆発回数で46回。爆発威力や放射線量、気象データや人口密度などをもとに被害を推定した。

爆発では楼蘭遺跡の近くで実施された3回のメガトン級の核爆発で高エネルギーのガンマ線やベータ線、アルファ線などを放射する「核の砂」が大量に発生した。上空に舞い、風下に流れた「核の砂」は東京都の136倍に相当する広範囲に降り、その影響で周辺に居住するウイグル人らの急性死亡は19万人にのぼる。甚大な健康被害を伴う急性症は129万人のうち、死産や奇形などの胎児への影響が3万5000人以上、白血病が3700人以上、甲状腺がんは1万3000人以上に達するという。中国の核実験は、核防護策がずさんで、被災したウイグル人に対する十分な医療的なケアも施されておらず、129万人のうち多くが死亡したとみられる。

 広島に投下された原爆被害の4倍を超える規模という。高田教授は「他の地域でこれまで起きた核災害の研究結果と現実の被害はほぼ合致している。今回もほぼ実態を反映していると考えており、人道的にもこれほどひどい例はない。中国政府の情報の隠蔽(いんぺい)も加え国家犯罪にほかならない」と批判している。

 また、1964年から1996年までの間に、シルクロードを訪問した日本人27万人の中には核爆発地点のごく近くや「核の砂」の汚染地域に足を踏み入れた恐れがあり、こうした日本人への影響調査が必要と指摘している。



http://sankei.jp.msn.com/world/china/090430/chn0904301904007-n1.htm


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niftyニュース
中国核実験で19万人急死も…日本人観光客も被害か

2009年5月1日(金)17時0分配信 夕刊フジ
 サーチナニュース 中国情報局ニュース
株式関連材料:高田純教授調査、中国核実験で19万人急死

Yahooニュース

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090430-00000594-san-int
2009-05-01 07:20 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(1) |
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2009年04月30日(木)
●告知!「5月1日の産経新聞朝刊と同日発売の正論に注目!」
高田教授 日本シルクロード科学倶楽部ブログより 
転載させていただきます
http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/

 

 5月1日の産経新聞朝刊と同日発売の
月刊誌正論に注目ください!




 正論6月号に、中国共産党が引き起こしたシルクロードでの
核爆発災害に関する論文が掲載されます。

それに連動して、産経新聞が関連記事を大きく報じま
すので、注目ください。


倶楽部会員のみなさんは、それらの感想を、
倶楽部Gメールグループサイトへお寄せください。

本ブログで、一部紹介させていただきます。


札幌では、両紙とも即日には入手できませんので、
本人は、明日見ることは無理です。


なお、今夜から明朝にかけて、ブログとホームページで、
重要情報を発信しますので、こちらも注目してください。


 そして、これらの情報を拡散してください!


                    J博士



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●日本シルクロード科学倶楽部 会員募集中


入会申し込みは 
住所・氏名・電話・メールアドレスをご記入の上
こちらへ 入会希望としてお送り下さい。↓
silkroad.science.club@gmail.com


詳しくは、こちらをまずお読みください↓
日本シルクロード科学倶楽部 ホームページの
「倶楽部入会案内」をクリックしてお読みください。
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/SilkRoadJpScCbAbsJp.html

2009-04-30 20:58 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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【特別号】 陸軍史あちらこちら−(10) 荒木肇 『上等兵物語(下)』
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【特別号】 陸軍史あちらこちら−(10)                荒木肇
『上等兵物語(下)−−上等兵重視の功罪−−』
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◆ご挨拶

 先々週の土曜日、霧がかかる箱根山を見ながら御殿場線に乗っておりました。3年ぶりになりましょうか。板妻駐屯地にある第3陸曹教育隊にうかがいました。

 3曹教は東部方面隊の陸曹(下士官)を育てる部隊です。各部隊で行われた曹候補生の選抜試験に勝ちぬいた若者たちが入隊し、教育を受けます。また、上級陸曹、1曹や曹長になったベテランがさらにその識能をみがくための課程や、陸曹が入校する英語課程もあります。

 部隊のモットーは、「オレに続け、オレを見よ」です。基幹隊員(きかんたいいん:部隊の教官や助教、スタッフたち)がかぶる識別帽(しきべつぼう:部隊マークやロゴが描かれたキャップ)にも、それ(FOLLOW ME)が書かれています。
 陸曹は軍隊の骨幹。直にひきいる部下の若者(陸士)たちの先頭に立ち、いつも見られている立場。その覚悟と精神をみごとに表した標語だと思います。

 やはり卒業生である御殿場市議会議員のご挨拶、隊長の訓辞、祝電の紹介。その中にも陸上自衛隊の部隊を支える陸曹へのあつい期待がこめられていました。
 観閲行進はみごとな徒歩行進が主体でした。富士学校音楽隊がかなでる「陸軍分列行進曲」にのって、陸曹候補生たちが行進しました。まさに「歩武堂々」の進撃です。

 アトラクションでは、候補生たちが見せてくれた銃剣格闘、体力錬成に感動しました。正面にかまえた同期生の防具につきたてる小銃、銃床をつかった打撃、ふりかぶっての斬撃、徒手の攻撃・防御などです。その迫力。一人ひとりの気迫がこもった演技でした。

 自衛隊はいいな。強いな。信頼できるな。そんなことを全身で感じていました。体力の限界まで鍛える。あの苦難に耐え、強い心で、目の前の課題をのりこえようとする若者たち。彼らがいる以上、未来に失望する必要はない。そんなことを思ってきました。


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【特別号】 陸軍史あちらこちら−(10)                荒木肇
『上等兵物語(下)−−上等兵重視の功罪−−』
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▼上等兵は世間の中で実力を示した

 陸軍部隊の底辺をささえたエリートたち、それは上等兵でした。前回でも申し上げたとおり、入営した兵たちは「修業兵」に選ばれることを望みました。修業兵になれば、苦しい教育に耐え、上等兵に、できることなら1選抜(いっせんばつ)でなることを夢見て努力しました。それは、兵役をおえて帰郷してからも、身についた箔(はく)になるからでした。伍長勤務上等兵にでもなれば、郡長からも表彰されたともいいます。

 戦前社会でも兵役はたいていの人々にとって苦役(くえき)でした。現役兵が「運が悪い」「ついていない」という気持ちをもつのは、平時の軍隊では当然のことでしょう。明治末期から大正時代、現役兵として入営したのは壮丁の中では7人に1人くらいのものでした。
 中等学校以上の学歴のある人は、卒業までの徴集猶予(徴兵検査を受ける時期がおくれる)のせいもあり、多くは補充兵役に回され、実質的に免除を受けたようなものです。そうでなければ、1年志願兵の制度を使い、さっさと下士、士官になって現役を終えてしまう。

 現在の社会と大きく異なるのが、当時の人の「働き盛り観」です。厳しい農林作業や漁業などにしたがえば20代後半になれば「中老」のあつかいになりました。工場で働いても、現在のような年功序列重視ではなく出来高払いがふつうでした。17歳から20代半ばまでがもっとも稼げる時期だったのです。兵隊の給与といえば、いわば、小づかい程度でした。

 それだけに、現役の兵隊や、除隊した在郷軍人(ざいごうぐんじん:予備役・後備役にあった人たち)に対しての世間の尊敬や感謝の気持ちは大きかったようです。秋季大演習などでは、民家の宿泊先に困ることもありませんでした。
 もっとも、地域共同体の締めつけが現在とは比べものにならなかったほどきつい時代。心の底の本音はどうかわかりませんが、「ヘイタイサン、お疲れさま」という声援は一応、世間の代表的な声だったのです。

 ほほえましいのが、今も伝統として残る、自衛官への地域の声援です。九州や北海道では、いったいに自衛官への眼差しが暖かく、いわゆる都市部とはちがいます。久留米にある幹部候補生学校の学生たち(一般大や防衛大などを出て採用された幹候たちが9カ月の訓練を受ける)が徒歩行軍の行進中、地域の幼稚園児たちも日の丸をふって応援します。また、札幌などは別にして、北海道のどこでも住民たちは自衛官に対して親しみをもっています。

 みんなの代表として苦役を果たしてくれている。そういった軍人に戦前の人たちは感謝の心をもっていました。上等兵で帰ってきたというのは、同世代の中で優秀な人物だという証明になったのです。「人前で話すことができる」「指導力がある」「企画力があり、計画を立てることが上手」などと当時からいわれていました。

 明治後期から地域には在郷軍人会が作られ、そこの役員といえば、地域の名士の1人になりました。この役員も大方が上等兵出身者でしめられていました。もちろん、会長をはじめとする幹部もいました。それらは1年志願兵出身の少尉や中尉が務めました。でも、階級が上位の彼らも、下士適任証書ももっていたり、上等兵になって帰ってきたりした者には遠慮をするのが当然でもありました。

 大正時代には「青年訓練所」「実業補習学校」などが地方の村にはつくられました。小学校を出ただけの青年たちに、せめて夜学で実業を学んでもらおうというわけです。また、古くからの「若者組」の伝統をひいた「青年団」もありました。こうした場所の指導者になり、多くはボランティアで後輩の教育に尽したのも帰郷した上等兵たちでした。

 これらの活動や、彼らの立場が封建時代の遺風を残す村の社会に、近代的な民主体制をつくることに寄与したという指摘もあります。

 もっとも、私の学生時代の調査からすると、上等兵になれる人は、もともと地域の中で生活レベルは中以上の家の出身。高等小学校(義務教育の尋常科の上にあった2年間の課程)の成績も良い人が多かったのです。小学校の尋常科を出ただけの人では、なかなか軍隊の教育でもいい成績は残せないものでした。歩兵はまだしも、砲兵や工兵、輜重兵などでは技術教育や情報処理教育がされました。よく精神主義だったなどと誤解されていますが、当時の軍隊の教育はたいへん合理的でした。兵器や戦術はきわめて合理的であり、近代的であったからです。


▼田中義一(たなか・ぎいち)の兵営学校論

 1907(明治40)年、夏のことでした。1人の歩兵少佐が鎌倉の建長寺(けんちょうじ)をおとずれました。若い少佐は禅寺の食事、生活の様子などについて調査に来たのです。それまで、陸軍の食器は面桶(めんつう)とよばれていました。これは、うすい木を曲げて作ったもので、私たちが見る「わっぱ」のことと言っていいでしょう。この面桶から「下士官のそばを通ればメンコ臭い」と歌われたように軍隊の食事を「めんこめし」という風習が始まったらしいのです(『凩の時(こがらしのとき)』1985年:大江志乃夫から引用)

 少佐を派遣したのは、当時、「内務書」改正委員の1人だった、歩兵第3聯隊長の田中義一(たなか・ぎいち)歩兵中佐でした。内務書とは兵営生活を支配する法令です。陸軍はそれまでの内務書(1894:明治27年制定)を全面的に、わが国独自のものに改正しようとしていました。その中心人物が田中義一大佐(陸軍大臣、大将、立憲政友会総裁、首相)でした。

 田中義一(1864〜1929)は話題の多い人物です。陸軍長州閥の最後のリーダーともいわれました。萩城下の藩士の3男に生まれ、廃藩で実家は困窮。村役場につとめているうちに、反政府で蜂起した前原一誠の乱に加わる。逮捕され、許されてから代用教員。その後、陸軍教導団(下士養成学校)から士官学校へ進む。さらに陸軍大学校に学ぶ。日清戦争では第1師団副官で出征。参謀本部2部(情報)員のとき、川上操六(かわかみ・そうろく)参謀総長に認められ、1898年から4年間、ロシアへの留学を命じられました。

 ロシアでの田中の体験で大きかったものは隊附経験でした。1年間、モスクワにあるロシアの歩兵聯隊で将校たちとつきあい、下士や兵の暮らしを見ることができました。当時、エリートはドイツに留学したのです。田中はむしろ地味なコースを歩んだといえましょう。日露戦争が始まると、田中は満洲軍司令部作戦主務参謀として出征しました。相手であるロシア軍の内情をよく知る者として高く評価されていたのです。

 田中がロシア生活で痛感したのは、『軍隊は国民という海にうかぶ船である』ということでした。近代戦争は軍事・経済・政治が一体化して行われるものだ。ロシア軍は、そういう視点がなく、それぞれの部隊が歴史や伝統にこだわりすぎ硬直化している。
 兵や下士と将校たちは、それぞれが分断されて連帯感というものがない。将校の多くは貴族、地主出身であり、兵や下士は農奴の階層である。もちろん、20世紀になって農奴はないことになってはいるが、その伝統や慣習はなかなか消えるものではない。

 国民教育にも軍隊は無関心であり、ただ皇帝のためだけに存在しているように見えた。田中中佐のレポートは上層部を大きく動かしました。

 また、将校の内部にも、さまざまな違いがありました。エリートの参謀将校はほとんど部隊の現場を知らない。実兵指揮の経験がなかった。現場の隊附将校たちは独自性も発揮できず、参謀が伝える上級司令部の命令にただ従うだけだった。また、聯隊長は平時では、ほとんど経理事務ばかりに追われていた。そのため、指揮官としての訓練、経験にとぼしいということがあった。こうしたロシア軍の分析は、誰もが驚くとともに、その視点の斬新さに『目からウロコが落ちたり』(当時の「偕行社記事」から)というようなものでした。

 凱旋後、田中中佐は東京麻布にある歩兵第3聯隊長になります。そこで行われたのが、それまでの陸軍の兵営生活を大きく変えようとしたさまざまな実験です。建長寺に出かけた若い少佐も実戦経験がある陸大出身、軍務局軍事課員だった当時のエリートでした。改革の1つとして、食器がそれまでの面桶からアルミニウム製のわんに替わりました。『カネのおわんに竹のハシ』と兵隊たちからは不評でしたが、衛生的で、何より取り扱いが簡単になったのです。集団給食をすれば、食器はどうしても風情(ふぜい)より、効率重視になります。現在の学校給食の食器を思えば話はかんたんです。情緒の育成を考えれば、陶器製や木製の食器がいいことは分かり切っています。でも、食器を扱う人のことを考えれば、なかなか理想どおりにはいかないものです。

 田中委員が内務書改訂でうちだした方針があります。
1) 全軍画一(かくいつ)主義の原則
2) 精神教育重視の原則
3) 軍紀風紀の振張(しんちょう)の原則
4) 家庭修養第一の原則
でした。

 1)はどこの部隊でも、どこの機関、学校でも、日本陸軍は画一化されていなければならないということです。同じ命令が下ったら、どこの聯隊であろうと同じ事ができなくてはならない。2)、3)、4)はどれも同じ発想から出ています。『軍隊の内務は軍隊教育と並ぶ2本の柱である』、兵営は兵卒の学校であるとともに家庭でなくてはならない。各種の操典類(歩兵、騎兵など兵科ごとの行動基や方法の規準を示した)が軍隊教育の教科書なら、内務書は軍隊の家庭教育の修身教科書である。義務教育が国民教育の初等なら、軍隊教育は国民教育の中心になる。これを『良兵即(そく)良民』とする。

「兵隊あがり」という悪口がありました。「あいつは軍隊に行って悪くなった」という意味合いがあったのでしょう。横柄で、横着で、態度がでかい。それは、軍隊なんて悪いところだからだ……という解釈も1つ。もう1つは、誰が、いつ、どんな気持ちを代表してそれを言ったのかということを考えなくてはなりません。明治の中期には、そういう非難があったようです。おもに新聞や、当時の論説にも出てきます。

 旧来の秩序をこわしたというニュアンスで使われていることが多いようです。明治建軍のころ、士官や下士は士族が多く、兵卒は庶民が大部分でした。薩摩の武士などは「泥人形」などと罵りましたが、軍隊指揮官たちはそうはいきません。軍人の誇り、国家を守る使命の重さなどを教育しました。その中では、地域に残る江戸時代からの封建制の秩序を否定する教えも当然、行われたわけです。庶民の多くは、膝を曲げ、前かがみで歩いていました。

「膝を伸ばせ!姿勢を正しくしろ。お辞儀をするな!」という叱咤もされたでしょう。すでに「ひかがみ」という言葉も死語になりました。膝の裏側をさす言葉です。昭和戦前期には、とりわけ軍隊では『ひかがみを伸ばされた』などという言葉が使われていました。緊張させられた、叱られたという意味で使われていたのです。『班長殿ばかりか、曹長殿にひかがみを伸ばされた』などと昔の兵隊の日記に残っています。

 幼い頃から肉体労働をしていれば、前のめりになって、膝を曲げて力を入れるのがふつうです。それが固癖(こへき)になって、庶民の多くはまっすぐに立つことができませんでした。時代劇の登場人物は、みんな現代人の歩き方をしています。武士も左腰に刀をさしていました。大小でおよそ3キログラムの重さがあります。竹やジュラルミンでできた撮影用の刀をさしていれば、俳優さんも現代人の歩き方をしてしまうのです。

 帰郷した予備役の兵士たちは軍隊で近代的な思想の洗礼を受けていました。古い秩序を守っている地域社会、特に旧来の指導者たちにとっては、その態度、物言いがすべて気にくわないものでした。たかが、小百姓のくせに、旦那衆にさからう。腰をかがめて挨拶をしない。だから、兵隊あがりは……という非難が多かったのです。

 田中中佐は言います。軍隊で義務教育の補完をする。リーダーシップの訓練を受けた人間が、地域に帰れば指導者になる。まさに国民の義務を果たすときの必須教育が軍隊で行われなくてはならない。良い兵は、すなわち、地域に帰れば良い国民になる。
 さらには、戦時においては、彼らは予備・後備の軍人として現役部隊の補充をし、戦闘の中心となる。だから、在郷軍人もいつも軍隊の構成員であることを忘れてはならない。国民の模範としてふるまう、その言動はすべて陸軍の教育の成果であることを指揮官たちは肝に銘ずべきである。

 軍隊は国民の学校である。こうした気分が広がったのが、田中義一が主導した時代からです。1909(明治42)年、陸軍省軍務課長になり、11年には軍務局長で朝鮮2個師団増設問題を提出。17年には「大日本青年団」理事長。翌年には原敬内閣で陸軍大臣になり軍の近代化につとめましたがシベリア出兵問題で辞職。25(大正14)年に予備役編入後、立憲政友会総裁となり1927(昭和2)年に首相の大命が降下。自分をオラという、その口癖から「おらが首相」とあだ名されました。青年教育はじめ国民教育に強い関心を示した軍人でした。

 亡くなったのは、1929(昭和4)年、張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件の責任を取り辞職。その直後に体調をくずして死去しました。陸軍の起こした不始末をただした陛下からの詰問の後、ひどく落ちこんでいたという証言があります。


▼田中義一の上等兵教育偏重への批判

 1911(明治44)年の「偕行社記事」に田中少将は寄稿しています。
『軍隊教育に就て』という標題です。それによれば、軍隊内部の弊害はすべて上等兵から起きている。上等兵は兵卒の中の先任者であるけれど、まるで官階にあるかのように思っている者が多い。それは、下士(内務班長)が自らするべき仕事も上等兵に任せてしまうからだ。将校たちもまた、下士に命じるよりも上等兵を使ってしまう。そこで、上等兵は1・2等卒を自分の部下のように思うのだ。

 中隊では「上等兵候補者」に年間をとおして特別教育をする。そのため、下士と一般兵卒の間にはみぞができる。候補者から上等兵になった者は、すぐに准下士のようにふるまい、次のランクの者(2選抜や3選抜の予定者)は彼らだけで仲間をつくり、上等兵についで威張る状況が生まれる。

 だから、下士は下士らしく、兵卒は兵卒らしくふるまうことが大切であり、上等兵教育中心は改められるべきだと田中は主張しました。


▼うまくいかなかった理由は

 下士の不人気にありました。資本主義が発達した日露戦争の前後、永久服役の下士になろうという人は、ひどく少ないものでした。教導団の志願者はひたすら減る一方。上等兵の中から下士志願者をつのろうとしても、「家庭の事情」や「軍隊生活に不向き」を理由に拒否する人だらけ。結局、娑婆(しゃば:一般世間)に帰っても、まともな働き口がない人だけが下士になるといった世論の観察もありました。

 地方(娑婆)の優等生が上等兵になる。地方で優等生なら下士適任証書はもらいたいけれど、軍隊勤めはまっぴらという人が多かったのです。もともと軍人が不人気な社会で、陸軍は下士の待遇改善にも努めましたが不十分。結局、下士になるのは、必ずしも優等生ではなかった。それが伍長、軍曹で内務班長になっても権威が保たれるはずがありません。

 陸軍は最後まで、現役下士官の補充には苦労しました。現役兵の中から優秀者を教育して下士官をつくるシステムを作りましたが、それでも不足したのです。昭和の初めに、各種の少年兵制度がつくられたのも現役下士官の不足に対応したものでした。
 戦時中ですら、下士官候補者の募集に、『学歴は不問、将来は高等官たる少尉に20代後半でなれる』と書かなくてはならなかったのが陸軍の宿命でした。(荒木肇)




━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆荒木肇経歴
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。

◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日本陸軍と自衛隊」「子供もに嫌われる先生」
いずれも並木書房刊 http://www.namiki-shobo.co.jp/
2009-04-30 20:50 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自衛隊 / 戦争 |
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連休ですね♪  モッコウバラが満開です
ちょっと ひといき。

ゴールデンウイークですね

でも おつるはカレンダーどおりなので 明日もお仕事。

今日は久しぶりにゆっくりできました。

 猫ちゃんと ひなたぼっこしました。

家の前の神社で 猫のウメくんがコマ犬になってます。


最近 9匹の猫ちゃんの中では、ボスの座について
ちびっこ猫のチベタンやチョチョ、
そして 女の子のリリやジジ、ポロンを 敵から守るため
日夜 パトロールして 喧嘩しています。
今日もひとりで 高いところからみんなを見守ります。


お庭には、もっこうバラが咲きました。
私の憧れの もっこうバラが やっと育ちました。
といっても 何にも肥料もやらずに放置してましたが。
庭から外へ 元気にふわふわに たれさがっています。


小さい黄色の薔薇 大好きです



お庭には 殺虫剤はまきません。 可愛いテントウムシ発見


薔薇のつぼみにたくさん アブラムシ。
アブラムシを食べに テントウムシが来てるのね


へんな虫もいました。 なんて名前だろう。 カメムシ??


虫やありさんを 眺めると癒されます。
チベットのお坊さんは、蟻や蚊でも殺さないの。
私も生きているものが 殺せません。

窓から見た うちの隣の森です。

この森は、春は桜、今の季節は青葉、秋は紅葉です。





2009-04-30 00:25 | 記事へ | コメント(8) | トラックバック(1) |
| おつるの日常 |
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2009年04月27日(月)
和田幹男神父様の言葉 (箕面教会月報より) 真、善、美そして 聖
今日は、箕面教会のミサ 
箕面教会のお庭のマリア様です↓


クウ神父様が初めて おひとりでミサの司式をなさいました。
クウ神父様は落ちついて、ゆったりとした口調で
ミサでは、歌うところをすべて、美しい声と正確な音程で歌われ

説教では、生き変えることと 生まれ変わること
「復活」の意味、信じることと

聖なる言葉でお話をされました。

クウ神父様の初めてのおひとりのミサの オルガン担当を
させていただいて、感激いたしました。
クウ神父様は光につつまれているようでした。
私もオルガンにチカラをいただきました。

すばらしいごミサでした。
今日は、聖歌隊はグレゴリオ聖歌の アベマリアを歌いました。

和田神父様のリクエストで今日からは、
ラテン語聖歌の アドロテを練習します。



****************************
カトリック箕面教会月報5月号より

   真、善、美、そして聖

                             主任司祭 和田幹男



西欧では古来、真、善、美は超越的価値と言われてきました。

真について言えば、わたしたち人間は生まれてから死ぬまで学習するように、真を追い求めてやみません。
しかし、わたしたちが得た真は常にわたしたちを超えたところにあります。 

善についても、たとえば隣人に親切をしながら、
善を追い求めさせていただいています。
この親切をすることに物理的に限界がありますが、可能ならとことん親切をしたいと望んでいます。後期高齢者になったから隣人に
親切をしなくてもよいというように、
生きている限り善を追い求めなくてもよいとは考えません。

美についても、芸術家は死ぬまで美を追い求めますが、
美そのものは人生を超えたところにあります。

このように人間を超えたところにある 真、善、美に向かうものとして人間は造られているのです。
換言すれば、真、善、美への志向性が人間には
その誕生の時からインプットされているのです。

さてその真を求めて哲学者や科学者は心血を注ぎ、
善を求めて命をかけ、財産を差し出す人があり、
美を求めて、芸術家は人生を賭けます。

この真、善、美と並んでと言うべきか、その総合と言うべきか、

聖、聖性、「聖なるもの」があります。

この「聖なるもの」について、ドイツの宗教哲学者ルドルフ・オットーは、名著を残しました。
人間の心は生まれたときから、「聖なるもの」への志向性が
インプットされているのです。
その心の要求に応えるのが宗教であり、

その「聖なるもの」を一生かけて追い求めるのが宗教家ではありませんか

宗教が真摯に「聖なるもの」の追及をしなければ、
それはもう宗教ではありません

宗教家がその全生活をもって「聖なるもの」を追い求めるのでなければ、まやかしです。



今日のカトリック教会は宗教として、どうでしょうか。

教会は、聖なる死を遂げて復活されたイエスがおられる聖なる集いであることを忘れてはなりません。 
また神は聖なるものであらせられるから、その民も聖なるものでなければなりません
(レビ19の2)


              
*******************************

今日から堅信式に向けての和田神父様のお勉強がはじまりました。

私は2004年に 洗礼と同時に堅信を授かったのですが
先日、洗礼を受けた母親は、5/24(日)の北摂大会の
池永大司教様の 堅信式のために、お勉強をはじめました。

北摂大会では、オルガン担当です。
母親も授かる堅信式で オルガンを弾いて祈れることが喜びです。

帰りに、和田神父様に 月報の上記の記事に感動したことを
御話しました。

哲学者は真、芸術家は美、宗教家は聖・・・では
教育者はどうあるものでしょうかと 質問しました。

たまたま画家で芸術家のK夫妻もいらして
「ぼくは美に命を賭けてますよー」と言われました。

和田神父様は 教育者は 真、善、美、聖すべて兼ね備えて
いるべきでしょうねと言われて・・なるほど〜と思いました。
がんばらなくちゃ。

今日もお勉強できて 幸せです。




箕面教会のお庭 いつも綺麗です↑↓
綺麗に お花のお世話してくださる信徒さんに感謝♪


2009-04-27 00:22 | 記事へ | コメント(22) | トラックバック(0) |
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【転載】中国民衆を虫けらのように殺した中国軍 B
同じくcrep@FreeTibetさんの日記より


マイミクModerato@Free Japan さんのコメントです。
Moderatoさんのお父様の論文や、シベリア抑留時代の生のお話は大変勉強になります。
2008年7月の日記あたりから始まって、お父様の興味深い体験談などを読むことができます。先の大戦経験者の方のお話を伺えるなんて、とても幸運です。
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=15173212


これもとても参考になりました。
「満州国は日本の植民地ではなかった」 黄 文雄 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%9B%BD%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%83%AF%E3%83%83%E3%82%AFBUNKO-%E9%BB%84-%E6%96%87%E9%9B%84/dp/4898315364

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Moderato@Free Japan 2009年04月26日 19:56
日新報道 水間政憲氏の「南京の真相」という本があります。
<国際連盟は「南京2万人虐殺」すら認めなかった>

写真も多く(しみちえさんが載せた写真もあります)
英字でも書かれていますので、英語圏の人に読んでもらうのに最適です。

前に私の日記に書きましたが、父(戦争体験者)の論文を一部・・


先に満州の地は我が国が「侵略」したのではなく、寧ろ「開放」したとも云うべきものであったと記述したし、また現地の住民達が我が国に対して如何に感謝していたかに付いても一言触れておいたが、この項を終えるに当たって、私の体験を披露しよう。

1) ソ連軍不意の侵攻により、我々は徒手空挙に近い装備で悪戦苦闘を余儀なくされたが、この期間中には真夏の炎天下で、乾パン一粒も一滴の水も口にできない有様の時もあった。
   この様な苦境の中で満人農家の集落を通過する際、しばしば村中総出で握り飯を振舞われたことがある。 当時彼等にとって米は特別に貴重な食料であるし、通りすがりで二度と会うこともない我々に対してのこの遇しに付いて尋ねたところ「私達が今日まで平穏に暮らせたのは日本の兵隊さんのお陰です。 その皆さんが今大変苦労しており、ご恩返しするのは当然です。 握り飯だけで申し訳ありません」との返事だった。
  言われてみれば尤もなことである。 彼等は先祖代々馬賊を恐れ、土地の権力者の苛斂誅求に虐げられて、一日も安閑としたことはなかったのである。 そして日本の手による治安の安定と、新政府による適正な賦課以外は全く無い社会となったわけで、僅か12年間のことであっても彼等にとっては先祖代々経験したことの無い至福の歳月であったのは事実であろう。

2)今から30年程前、私達の戦友会は70人ほどで対ソ戦の古戦場巡りの慰霊ツアーを実現した。 7泊8日の旅であり、古戦場は正味4日間であったが、通過した各村落や小さな町での休憩の際、通訳兼ガイド兼監視人である中国人が、地元の人に「この人達は旧日本軍の軍人で、1945年この地でソ連軍と戦った人達である」と説明すると、物見高く集まっていた群集は一斉に大きな拍手で歓迎の意を示してくれた。 日ソ2国間の戦闘に捲き込まれて大変な迷惑を受けた人達も、その後に生まれた若者達も兎に角満面の笑みで親しみと懐かしさを表しており、反感・嫌悪の態度を示す人達が皆無であったのは、なんとも云えない気分であった。 もし之がソ連からきた旧軍人の一団であったら、果たしてこの様な風景が見られるだろうか。
   敗戦直後我々はこの道を全行程徒歩でソ連領まで進んだのだが、途中の村々には各戸赤旗を立てて占領軍歓迎の意を表していた。 しかし僅か数日のうちに地元民とソ連兵との間は険悪となっていたのを鮮明に記憶している。 日本兵とソ連兵との差異は年寄りから若者達へも十分伝わっていたのであろう。

3) 我々の主戦場となったこの地区一帯は、当時幼児や乳児であった日本人の孤児が特に多かった。 之等の孤児を救い、養ってくれたのは現地の農民達である。 しかもその数は半端ではない。 少なくても3千人は超えるだろう。
   中国人は義理にも厚いが一旦憎しみや恨みを抱くと日本人では想像もつかない残虐性を示すのが普通である。 その彼等が孤児達に示した人道的な対応は前述の通り、日本或は日本人に対する信頼感や親近感が如何に大きかったかという証左ではあるまいか。

4) 日本から満州の未開地に各県から開拓団が行っていたことはよく知られている。 そして之等の開拓団は満人農家の土地を奪って自分達の耕地にしたが如く云われているが全くの虚報である。
   元々持ち主のいない広漠たる肥沃な土地があり、何も他人の土地を横奪する必要など無かった。 そして日本の開拓団には短期促成で開拓団の中だけで認められた俄か医師と獣医がいて、近隣の満人部落にも大変役にたったこともあり、深い親睦関係が成り立っていたのである。 私の中隊にも開拓団出身の下士官や同年兵がいた。 それぞれ別の開拓団からの入隊者であるが、現役兵として入隊するため、その地を離れるに際しては満人部落から招待され盛大な歓送会を催されたそうである。 そしてその中の下士官の人は前記慰霊ツアーの後も村人達と文通による交流が続いていた。

以上
2009-04-27 00:06 | 記事へ | コメント(6) | トラックバック(0) |
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【転載】中国民衆を虫けらのように殺した中国軍 A
(続き)

●満州は中国の領土ではない

 つぎに、満州のことをみてみましょう。朝鮮半島の北隣、現在の中国人が「中国東北部」と呼ぶ地です。
 満州というのは、もともと中国に清朝をうち建てた満州族(女真族)の故郷です。清朝は満州族がつくった王朝であって、漢族は被支配民族だったのです。
 中国で「義和団の乱」(北清事変・一九〇〇年)が起きたとき、ロシアはそのどさくさにまぎれて、満州を不法に占領し、そこに居すわってしまいました。満州にロシアが居すわることは日本にとっても脅威でしたから、日本はロシアを追い出すために、日露戦争を戦います。
 日本は日露戦争に勝利し、満州からロシアを追放すると共に、満州を清朝に返してあげます。ジョンストン(満州国皇帝となった溥儀の家庭教師)の書いた『紫禁城の黄昏』には、日本が満州を清朝に取り返してくれたときのことが詳しく書かれています。
 日本はこのとき、満州における鉄道の権利と、遼東半島の租借権を獲得します。それは満州を取り返してくれたことに対する、清朝からのお礼の意味もありました。
 しかし、満州は当時、盗賊の跋扈する無法地帯であり、今日のイラクより治安の悪い所でした。そのため国際条約のもと、権益を守るために日本の「関東軍」がそこに駐留していました。今日でいう平和維持軍、守備軍です。
 この満州には、張作霖の一家が統治者として支配していました。関東軍は当初、この統治者と共同路線を歩もうとします。しかし張は、盗賊あがりの暴君で、満州の民衆にすさまじいばかりの搾取を行なっていました。盗賊がそのまま支配者となっていたのです。G・B・レーは、
 「張作霖一家が三千万民衆から搾取した収入は、南京政府の収入より多くなくとも之に匹敵するものであった」
 と書いています。さらに張の親子は、条約を無視して満州の経済権益を日本から奪い取ろうとするなど、露骨な背信行為に出てきました。それを目の当たりにした関東軍は、軍事行動を起こし、張の軍隊を満州から駆逐します。
 これが満州事変です。これは日本軍の武力侵略の第一歩であると語られていますが、実際のところ当時、日本軍による張の軍隊の駆逐をみた満州全土の民衆は、大喝采を叫び、日本に感謝したのです。なぜなら張の軍閥政権は、
 「軍費を捻出するために広大肥沃な満州の土地を荒らし、民衆の膏血の七、八割は軍費に充てられ、商民の三割はついに破産した」
 と言われたほど、ひどい搾取を行なっていたからでした。
 当時の諸外国の反応も、日本の行動はやむを得なかったとしました。アメリカ公使、ジョン・V・A・マクワリーは、張の行動は中国国民党政府が仕掛けたものであり、これは彼らが『自ら招いた』災いだ述べました。アメリカの新聞記者、ウォルター・リップマンも、
 「日本は激しい挑発に直面しながら、通常の国際的基準からすればきわめて忍耐強かった」
 と記述しています。当時のイギリス陸軍の元師も、
 「彼ら(日本)はひどい挑発を受けてきた。……彼らが満州で地歩を固めれば、それは共産主義の侵略に対する真の防壁となる」
 と述べました。
 さて、そののちこの満州の地に、日本の指導によって「満州国」がつくられました。満州国の皇帝となったのは、清朝のラスト・エンペラーだった溥儀です。
 清朝が滅亡したとき、日本の公使観に溥儀が逃げてきたのです。清朝というのは、満州人が中国を支配した王朝でした。ですから満州は、清朝を支配した皇帝の故郷です。溥儀は、自分の故郷の満州に帰り、そこに国をつくりたいと言いました。
 それで日本は、その希望を受け、満州に満州国を建国したのです。満州国では、皇帝が満州人であるだけでなく、大臣もひとり残らず満州人か清朝の遺臣でした。日本はその建国を指導したわけです。満州国はまだひとり立ちできる状態ではありませんでしたから、日本はその建国をバックアップしました。




               満州国の首都・新京。
               すばらしい国造りが進んだ。

●奇跡の国・満州国

 清朝が滅びたとき、満州人の皇帝が満州に自分の国家を建てるのは、きわめて合理的なことでした。満州国は、わずか一三年間の王国でしたが、世界史上、奇跡の国でした。
 そこには建国以降、年間一〇〇万人を超える人々がなだれこみました。人々は中国内地の略奪、虐殺、貧窮に満ちた生活を捨て、この平和な桃源郷を目指して移住してきたのです。
 一九三二年の建国時に約三〇〇〇万人だった満州の人口は、終戦時の一九四五年には、四五〇〇万人以上にも増えていました。現在の日本の人口の約半分もの人々が、そこに暮らしていたのです。もし今日の中国人がいうように、当時の満州が略奪と虐殺の地獄だったなら、絶対にこのような現象はみられなかったはずです。
 満州国では「五族協和」をかかげていました。いろいろな民族の人々が、満州国の平和と繁栄にあこがれ、自分もそれにあやかりたいと競ってやって来ました。そして彼らにより、この何もない原始的だった地が、きわめて短期間のうちに近代的な法治国家、平和国家、一大重工業国家として成長したのです。しかし、
 「五族協和といっても、実際は日本が指導した国で、その中枢には日本人が大多数を占めていたではないか」
 という批判もあるでしょう。けれども、これは満州国がひとり立ちする時までは、やむを得ないことでした。なぜなら日本人以外は、字も読めない人々がほとんどであり、教育もなく、国家の理念すら理解しない人々だったからです。
 そうした中、日本がリーダー的な役割をすることが求められたのです。そして実際、満州国には、様々な民族が年間一〇〇万人以上なだれ込み、共に国造りに励んだのです。




満州国の新京・日本橋町。満州国は、周囲からみると別天地であり、
様々な民族が年間100万人以上なだれ込み、共に国造りに励んだ。

 かつて盗賊的な軍閥に支配され、搾取にあえいでいたこの地は、満州国の建国によって全く生まれ変わりました。治安がみごとに確立され、つぎには近代的な司法制度、法律が完備され、賄賂の悪習も追放されました。
 政府の財政も確立されました。貨幣の統一もわずか二年間で達成されました。満州の総面積は、現在の日本の領土の約三倍あります。日本人はその広大な国土に、鉄道、道路、港湾、空港のほか、上下水道、治山治水、電力供給など、様々な国土開発計画を実施しました。
 首都・新京は、じつに先進的な百万人都市として建設されました。路面はすべて舗装され、東京にもなかった下水道が敷かれ、水洗便所が使用されました。また、以前は鍋・釜しか製造できなかった満州は、やがて自動車や飛行機まで製造する一大産業国家に変身しました。
 日本はそこに学校を建て、教育を普及させるとともに、病院を建て、風土病、伝染病を駆逐していきました。もちろん、まだまだ改革しなければならないものは残っていましたし、戦時経済のひっ迫した状況もありました。
 しかし全体的にみれば、そこは搾取や略奪のない、生命・財産の保護される平和郷であり、周辺地域から比べれば非常に優れたアジア人の王道楽土となっていたのです。
 もし日本が敗戦することなく、満州国が存続していたら、満州国は間違いなく、その後のアジアにおいて巨大な発展を遂げ、アジアの平和と繁栄に寄与する重要な国家となっていたでしょう。まさにアジアのアメリカ合衆国となっていたに違いありません。
 しかし日本の敗戦後、満州国は中国の一部(東北部)とされました。そして日本がそこに残した遺産は、その後の中国の重工業の九〇%を支え、中国の経済的基礎となりました。戦後の中国は、この満州国の遺産で食いつないだのです。

●日本の道義的行動

 今までみてきたように、日中戦争とは、中国人からの度重なる戦争への挑発を受けた日本が、やむなく中国の内戦を平定するために乗り出していった行動でした。
日本はその中国内戦に終止符を打ち、そこに、中国人による近代的国家をつくることを支援したいと考えていたのです。
 日本は中国を「侵略」したというより、同じアジアの同胞である中国の再生を願い、手を差し伸べたのです。
日本の進出は、中国の国民党軍や共産軍からみれば「侵略」だったとしても、中国の民衆からみれば「救済」だったのです。
 日本の願いは、自立した近代的民主国家となった中国と共同して、この東アジアに、共存共栄の経済圏をつくり出すことでした。
また共に、西欧やロシアによるアジア侵略に対する防波堤となることだったのです。
 それは、実際もう少しで可能だったでしょう。しかし、日米戦争で力をそがれた日本は、やがて敗戦を迎え、その願いも中途で挫折してしまいます。日中戦争において日本は決して負けてはいませんでした。ただ日米戦争で敗戦となったがゆえに、日本の努力は挫折したのです。
 それでも、日本がアジア各国に与えた独立心は、やがて育ち、実を結んでいきました。黄文雄氏はこう述べます。
 「大日本帝国は、八〇年にして人類史に計り知れない貢献を行ない、遺産をもたらした。負の遺産はほとんどない。『過去の一時期』に問題があるとすれば、それはただ日米戦争に負けたことだ」
 日本ほど、アジアの独立と繁栄のために貢献した国は、他にありません。日本がなければ、今日のアジアの独立と繁栄はなかったでしょう。
 その過程で、悪戦苦闘はありました。日本は中国において一番苦労しました。なぜこれほどまでに中国で苦労しなければならなかったのか。
その一つに、日本人と中国人の気質の違いがあげられます。
 かつて日本の明治維新を成功させたのは、武士たちの力でした。彼らは「至誠」を美徳と考える人々で、「私」に仕えず「公」に仕える者でした。そして彼らは、維新が成功すると、士農工商の階級制度を廃止し、自分たちも刀を置き、町民となっていったのです。誰もが「国民」という平等の世界に、甘んじて身を投じていきました。
 一方、中国の革命家たちに共通するのは、すさまじいばかりの「保身」すなわち「生き残りの哲学」です。
「夷をもって夷を制し」、他を蹴落として何としてでも自分が生き残る、という権力への強烈な願望です。
これは五〇〇〇年間、ずっと戦乱の世に生きなければならなかった中国人の身にしみついた性質なのでしょう。
 このとき、自分が生き残るためには民衆の命さえも顧みません。
中国の内戦では、おびただしい民間人が虐殺されました。
民間人に対する略奪、強姦も至るところで行なわれ、彼らは人々から、軍隊というより「匪賊」と呼ばれていたほどです。
 これは、日本の武士たちの戦いの様子とは大きく違います。
日本の戦国時代は、武士同士が戦ったものであり、民間人は殺しませんでした。
あの関ヶ原の戦いでも、百姓たちは弁当をもって山の上から戦闘を見物していたほどです。
 しかし中国の内戦では、革命家は民間人の死体を山ほどつくるのが常でした。共産党の毛沢東は、日中戦争および戦後の文化大革命、その他を通し、中国人同胞を数千万人殺しました。蒋介石も、先に述べたように数多くの民間人を犠牲にしています。
 蒋介石といえば、戦後、連合国の会議において、列強による日本の分割統治に反対し、天皇制存続を訴え、また日本への賠償請求権を放棄するなどをしてくれた人です。
そこには、西安事件以来、彼が不本意にも共産党の意向にそって日本軍と戦争をしたことに対する後悔もあったのかもしれません。
 賠償請求権を放棄してくれたことは、日本にとってありがたいことではありました。しかし、中国を焦土にしたのは日本軍ではなく、蒋介石であり、また毛沢東なのですから、日本に賠償請求する権利はもともと彼らにはないのです。
 また、日本は戦後台湾に莫大な資産をそのまま残し、蒋介石はそれを受け継ぎました。その結果、彼は賠償以上の莫大な富を手に入れているのです。
 蒋介石は戦後、共産軍に負けて台湾にのがれたとき、そこで「白色テロ」と呼ばれる恐怖政治を行ない、多くの台湾人を犠牲にしました。このように中国では、伝統的に「誠」よりも「生き残り」が強く優先されたのです。

●中国人の詐道

 この生き残りのためには、様々な策略が練られます。有名な孫子の『兵法』に、「兵は詐道なり」(兵の道はいかに人をだますかにある)とあります。黄文雄氏はまた、
 「日本人は『誠』の民族であり、中国人は『詐』(だますこと)の民族である』
 と述べています。戦乱がたえず、虐殺が日常茶飯事だった中国では、生き残るために「詐」つまり騙(だま)すこと、人を陥れることが何より必要な術とされたのです。奸智(かんち)にたける者だけが勝ち残る。袁世凱(えんせいがい)は、その奸智と裏切りの達人でした。毛沢東も奸智にたけ、日本軍を中国の内戦に引き込むことに成功しました。
 この奸智は、昔も今も中国人の気質として続いています。かつて新渡戸稲造は、中国人は「嘘をつくことを恥と思わぬ厚顔無恥な人々」だと嘆きました。ヨーロッパの大思想家カントやモンテスキューまでも、哲学や法学の大著の中で、「中国人は嘘つき」と説いています。
 残念ながら、それは今も変わりません。
中国共産党は現在も、たとえば「日本軍による南京大虐殺」という厚顔無恥な嘘を叫び続けています。
また、かつて自分たちが中国民間人に対して行なった殺戮を、すべて日本軍のしわざと叫び続けているのです。
 近代以降の中国では、むかし孔子や孟子が説いた道徳は力を失なっています。
日本人がこれまで何となく抱き続けてきた「中国は道徳性の高い国」との観念は、幻想にすぎませんでした。
 もともと聖人の出る国というのは、乱れた国なのです。
キリストがお生まれになったユダヤは、当時ローマ帝国の支配下にあって、圧制と暴虐が満ちていました。そこでキリストが敵への愛を説かれたのです。
 シャカが生まれたインドは、カースト制というひどい階級差別が存在し、そこでシャカは人間の平等を説きました。
一方、中国は昔から騙し騙される社会であり、弱みをみればつけこむ社会であるので、孔子や孟子が現われて仁や義を説いたのです。
 乱れた国だからこそ、世界的な聖人が現われたのです。
中国では、昔から家族倫理はあっても、公共倫理が希薄でした。
今も、中国の指導者からして、国の内外に嘘をつくことを恥とも思っていません。中国では、
「良心ある人は社会から疎外され孤立する」という諺が生きているほどです。
 ある日本人が中国に旅行に行ったときのことでした。町の商店に入ると、店員が、
 「だんな、うちの商品はみな本物です。他の店にはニセモノしか置いていませんよ」
 と言いました。そんな言葉を、どの商店に入っても言われる。
こんな商売上の嘘ならまだしも、「南京大虐殺」といった政治的な嘘を声高に叫ぶのは、日本人としては本当に困ったものです。
 さらに中国政府は、中国共産党がいかに人民にやさしく、日本軍がいかに残虐だったかという彼らがいう「正しい歴史認識」――私たちからみれば嘘の歴史を国民に教えています。
 また中国の歴史教科書には、元の時代の中国が日本を侵略した「元寇」に関する記述すらありません。
中国の教科書には、共産党を讃美する虚偽の歴史が書かれているだけです。
 中国は歴史の国です。とはいえ、中国の歴史は常に「勝てば官軍、負ければ賊軍」の観念で書き換えられてきました。
支配した者はいつも自己の歴史を美化し、また負けた者には対しては「賊軍」の仕打ちを加えてきたのです。
 勝った者が善玉であり、負けた者は悪玉とされ、負けた者には徹底的な糾弾と懲らしめが加えられました。
今日、中国の政治家が日本の政治家に対し居丈高なのでは、その伝統によるものです。
 もっとも、中国人のすべてがそうだということではありません。
民間レベルでいうと、最近の中国の経済発展と共に中国人が海外の人々と接する機会や、海外の情報に接する機会も増えてきました。
そして教養のある中国人も増え、それにともない、人格的に尊敬できる中国人も増えています。
 私自身、中国系アメリカ人や、中国系日本人の友人、中国に住む中国人の友人等がいますが、彼らは本当に尊敬できる人物です。
彼らのような人々ばかりだったなら、どれほどいいでしょうか。
けれども、残念なことに中国では、政治家や共産党員、また一般の商売人の中にはまだまだ、平気でウソをつく人々の多いのが実情です。
 クリスチャンも、こうした中国の実情に無知ではいられません。
中国はいまも独裁国家であり、自由と人権の抑圧された国です。
言論の自由も普通選挙もなく、経済発展はしているものの、体質的には前近代的な国家です。また、いまも台湾を武力統一する気持ちを持っており、その機会をねらっています。

(続く)
2009-04-27 00:03 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(1) |
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2009年04月26日(日)
●ローマ法王は日本軍を支持した 【転載】中国民衆を虫けらのように殺した中国軍 @
crep@FreeTibetさんに教えていただきました。
(しみちえさんの日記から)


    ↑画像は、日本兵らと遊ぶ中国人児童ら(1937年)

    日本兵たちは中国の民衆からは温かく迎えられていた。


映画「南京!南京!」監督、日本での上映を希望=虐殺と向き合って―中国
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=820274&media_id=31

 >「同作が日本人に影響を与え、多くの人々が中国にやってきて謝罪することを希望している」

確かに日本人でもまだ南京大虐殺があったと信じている人は多い。
実際は通常の戦闘行為で数十人が死んだだけだったというのが真相のようだ。
30万人という数は正確な数字ではないと中国人も認めている。
「それだけたくさんの人が殺された」ということを伝えたい怒りの表れ、なんだそうだ。

 > 「人間であるあなたがた日本人が動物に劣る行為を行った。
     そのことに向き合わなければならない」

  そっくりそのまま中国人に返します!

*******************

以下の文章を歴史教科書に載せるべきです。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi05.htmからコピペです。

●中国民衆を虫けらのように殺した中国軍

中国軍と、日本軍の間には、大きな質的差異がありました。
それは、中国軍は同胞である中国民衆を行く先々で強奪し、
また大量殺害したのに対し、日本軍は行く先々で彼らを救済しようとしたことです。
 中国では伝統的に、民衆とは、戦乱で虫けらのように殺される存在であり、
少なくとも権力者から愛護を受ける対象とはなっていませんでした。
梁啓超は、中国の民衆を「戮民」(りくみん 殺戮される民)と呼んでいます。
 たとえば、「国共合作」により共産軍と組んで日本との戦いを始めた蒋介石の軍隊は、
一九三八年、日本軍の進撃の道をはばもうと、黄河の堤防を爆破しました。
このとき、大雨が降ったこともあって一一の都市と、四千の村が水没し、
水死者一〇〇万人、その他の被害者六〇〇万人という大惨事となりました。
 しかも、それだけでは終わりませんでした。
この人為的水害の結果、黄河の水路が変わり、周辺に大飢饉が広がったのです。
そして、被災地で食糧不足に悩んだ中国軍部隊は、民衆から食糧の強奪を始めたため、飢饉はさらに深刻化しました。
その惨状をみた当時のアメリカ人記者は、
 「道ばたには凍死者と餓死者があふれ、飢えた人々は屍肉を食べていた」
 と報じています。
中国側はまた、事件直後から、堤防決壊を日本軍のしわざとして宣伝もしていました。しかし中国側のこの自作自演は、のちに外国人記者に見破られています。
 この堤防決壊のとき、日本軍兵士は一人も死にませんでした。
それはただ、中国人を大量殺戮しただけで終わったのです。
 堤防決壊の直後、日本軍は堤防の修復作業を行なっただけでなく、
被災した民衆の救助と、防疫作業を行ないました。
日本軍は、中国軍から虫けらのように扱われた中国民衆を、必死になって救済したのです。
 こうした中国軍の性格は、蒋介石の軍だけでなく、毛沢東の共産軍でも同様でした。
いや、共産軍はもっとひどいものでした。
共産軍は、民衆から「共匪」(きょうひ)すなわち共産主義の匪賊と呼ばれていました。
それは彼らが行く先々で、民衆に略奪、殺人、強姦を働いたからです。
 中国の軍隊は、共産軍でも国民党軍でも、基本的に軍隊というより、
ルンペンを寄せ集めたような集団にすぎなかったのです。
彼らが軍隊に入ったのは、占領地区で略奪が出来るため、食いっぱぐれがなかったからです。
 ですから中国の司令官は、ある土地を占領すると、最低一週間は兵士たちの好きなように略奪や強姦をさせました。
また、そうしないと司令官が殺されてしまったからです。
 日中戦争における戦闘は、たいていの場合、日本軍が攻めると中国軍が撤退し敗走する、という形で進みました。
ですから、激戦地を除けば、中国側が宣伝するほど日本軍に殺された中国兵の死者は多くはありませんでした。
 むしろ中国兵の死者の多くは、中国人が中国人を殺したものでした。
中国の軍隊というのは、兵士たちの後ろに「督戦隊」(とくせんたい)がいたのです。
督戦隊とは、後ろで「敵を殺せ、殺せ」と叫びながら兵士たちを戦わせ、
逃げる兵士がいると、その兵士を撃ち殺す中国兵です。
 つまり中国兵が中国兵を殺したのです。
中国史家・黄文雄氏によれば、
日中戦争時の死傷者は、日本軍によって殺された中国兵よりも、
そうやって督戦隊に殺された中国兵たちのほうが多かったくらいだといいます。
 また、中国兵は負傷すると、置き去りにされました。
ある戦場で、中国兵の一団が塹壕(ざんごう)の中で戦死していました。
それを発見した日本兵たちは、思わず涙を流したといいます。
なぜなら彼らの足には、逃亡防止のための鉄の鎖がつけられていたからです。
 日本軍と中国軍とでは、質の上でそれほどの差があったのです。




  道端に打ち倒されていた孫文の銅像に青天白日旗をかけてあげ
  る日本兵。中国の伝統文化への尊敬心から出た行為である。
  現地市民の間でも日本軍はシナ軍よりもよっぽど信用できるとの評価を得ていた。


●本当の人民解放軍は日本軍だった

また中国軍と日本軍の性格を大ざっぱにみるなら、次のように言うことができます。
 中国軍が通った地は至る所、はげたかの大軍が通ったように略奪されました。
さらに彼らは占領地域を去るとき、日本軍に何も残さないようにするため、「焦土(しょうど)作戦」を取りました。
 つまり退却のたびに、道路や工場、橋、潅漑施設、その他の施設を次々に破壊したのです。
そのため中国軍が通るところすべてが荒廃していきました。
彼らの行動の特徴は、略奪と破壊だったのです。
 それによって中国経済は破壊され、農業も工業も壊滅的被害を受け、人民は苦しむばかりとなっていました。
とくに悲惨だったのは、民衆の大半を占める農民たちでした。
 一方、そのあとにやって来た日本軍は、当初から農民たちの救済と、中国経済の再建に取り組んだのです。
日本軍が占領した地域は、中国本土の人口の約四〇%、また耕地面積の五四%に及びましたが、
日本はすぐにその地域での農業再建、道路や潅漑施設の復興、工場の再建などに取り組みました。
 日本は中国の住民の救済、治安維持、戦災復興などに取り組んだので、
それまで軍隊とは匪賊にすぎないと思っていた中国民衆は驚き、
日本軍を熱烈に歓迎しました。
統率がとれ、略奪や悪事を働かず、民衆を救う軍隊というものを、彼らは生まれて初めて見たからです。
 本当の「人民解放軍」は中国軍ではなく、日本軍だったのです。
 日本が占領地域でとくに力を入れたのは、農民の救済でした。
日本政府はすでに一九三八年に中国での農業復興の計画を発表し、実行に移しています。それは日本・満州・支那(中国)の三国が相携えて、互助関係を築くことを目的としたものでした。
 それにより、日本の占領地域での農業は飛躍的に増大しました。
日本人技術者が中国農民に、日本の農業技術を提供していったからです。
もちろん戦時下のため、悪戦苦闘はありましたが、それでも日本の努力は多くのところで実を結んでいました。




         中国人の子供や大人と共に正月の万歳をする日本兵たち(1938年)
         すでに日中戦争が始まっていた時である。

農業だけでなく、軽工業、重工業などの再建にも取り組みました。
日本はまた中国に鉄道を敷き、病院を建てました。
疫病の多かった中国の衛生事情の改善にも努めました。
さらに、絶望視されていた中国の製糸業を復興させたのも、日本の対中国投資によるものです。
 日本は、満州や、朝鮮、台湾などで行なっていた近代化建設事業を、
中国でも、すでに日中戦争のさなかから始めていたのです。
それによって占領地域のインフラ整備、産業の復興が行なわれました。
 日本政府の推計によると、一九三八年から終戦の四五年までの日本の対中国投資の累計は、約四七億円にも達していました。
当時の日本の国家予算は約二〇億円ですから、どれだけ巨額かわかるでしょう。
 これは戦争に使ったお金ではありません。
中国の国土と経済の復興に使ったお金なのです。
このように、中国軍が各地を焦土化し、同胞を虫けらのように殺していたときに、日本は中国民衆の救済と、中国の近代化のために働き続けていました。
 中国人民の本当の敵は、日本軍ではなく、中国軍だったのです。
中国軍は、蒋介石の国民党軍も、毛沢東の共産軍も、その頭の中にあったのは中国人民のことではなく、権力奪取のみでした。
しかし日本は、なんとか中国を救おうと奔走していたのです。
 ですから、中国の老人でこの時代のことを体験した人々の中には、親日的な人々が大勢います。
ふだんは中国政府の叫ぶ反日イデオロギーの中で大きな声では発言できませんが、
彼らは当時の日本人が中国人にしてくれたことを知っているのです。
戦後、日本人が中国大陸から引き揚げてくるとき、多くの日本人が帰りそこなって、そこに取り残されました(いわゆる中国残留孤児)。
しかしそのとき、残留日本人を助けてくれた中国人たちがかなりいました。
そうした中国人の多くは、戦時中の中国兵がいかに悪かったか、また日本軍が中国の民衆を助けたことを、よく知っていたので、日本人を助けてくれたのです。

●ローマ法王は日本の行動を支持した


 もともと、中国の内戦に巻き込まれたかたちで、中国内部に足を踏み入れた日本軍でした。
しかし踏み入れた以上、日本は、そこが共産主義国家になってしまうのを防ぐため、多大な尽力をなしました。
またそこに、欧米の侵略や搾取の餌食とならない自立した民主的国家が誕生するよう、手を差し伸べたのです。
 日本は中国を「自分の領土」とするために戦っていたのではありません。
日本は中国の「領土保全」をかかげ、誰からも侵略されない、中国人による中国人のための安定した国家がそこに誕生することを目指したのです。
そして日本と手をたずさえて、アジアを共産主義から守る防波堤になること、そこに一大経済圏が生まれることを目指しました。
 ですから、日中戦争(支那事変)が始まった年である一九三七年、一〇月に、当時のローマ法王、平和主義者として知られるピオ一一世(在位1922-39)は、この日本の行動に理解を示し、全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかけました。

法王は、「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」

 といった内容の声明を出しています。




ローマ法王ピオ11世。日本軍の行動を理解し、
全カトリック教徒に、日本軍への協力を呼びかけた



この声明は当時の日本でも報道されました(「東京朝日新聞」夕刊、昭和一二年一〇月一六日および一七日)。新聞は、

 「これこそは、わが国の対支那政策の根本を諒解(りょうかい)するものであり、知己(ちき。事情をよく理解している人)の言葉として、百万の援兵にも比すべきである。英米諸国における認識不足の反日論を相殺して、なお余りあるというべきである」 

 と歓迎の意を表しています。ローマ法王がこのように日本の行動に賛意を表してくれたことは、欧米の誤解や反日主義に悩まされてきた日本にとって、非常にうれしいことでした。
 けれども、そのピオ一一世も、やがて一九三九年には世を去ってしまいます。そのため欧米の反日主義や、日米戦争勃発を防ぐまでには至らなかったのです。


●共栄圏をつくろうとした日本

 一九三七年から始まった日中戦争でしたが、日本はすでに一九四〇年には、すでに中国の華北と、華中の一部を支配下におき、その統治を親日政権である汪兆銘(おうちょうめい)の南京政府にゆだねていました。
 日中戦争は八年間続いたと一般にいわれますが、実際には日中の戦闘は一年半あまりで終結し、あとは日本軍はそれ以上領地を広げようとせず、占領地域でのインフラ建設や、経済建設に集中したのです。
 その支配地域では、経済、財政、物価、治安が安定し、民衆の生活は他と比べると天国と地獄ほどの差がありました。
鉄道もつくられ、人々や物資の移動が容易になりました。
よく「日本軍は一方的に略奪と破壊をした」かのように語られることがありますが、実際は全く逆だったのです。
 だからこそ、汪兆銘の南京政府や、そのもとにいる多くの中国人は日本を支持し、日本と共同して、その地域の発展のために働いたのでした。
 汪兆銘の南京政府が支配する地域では、戦前にも増して平和と繁栄を謳歌していました。
その象徴が上海です。日中戦争中ですら、そのダンスホールや映画館はどこも満員という活況を呈していました。
 ロシアから逃げてきたユダヤ人たちの居住区も、この上海に設けられ、彼らはそこで安全に暮らしていました。
 一方、蒋介石や毛沢東が支配していた地域は、悲惨でした。
ただでさえ彼らの軍隊が入ってきたので食糧が不足したばかりか、略奪、搾取が横行したため、たちまち住民は地獄の生活へと転落したのです。
 もっとも蒋介石は、日本人のような規律ある生活習慣を目指した「新生活運動」を実施し、中国兵の乱れた規律を正そうと努力はしましたが、それでもなかなか実を結ぶことはできませんでした。
 日中戦争中、アメリカがいわゆる「援蒋ルート」を通して、重慶にいる蒋介石軍に様々な物資を送り届けていたことは、よく知られています。
兵器、弾薬、医薬品、食糧などですが、しかし山を越え、川を越えているうちに、重慶まで届いた物資は多くても当初の何分の一かに減っていました。
 それらの地域を支配する匪賊や、他の武装勢力に、通行料として一部物資を渡していたからです。
当時、日本の支配地域以外の中国大陸には、匪賊が約二〇〇〇万人もいたといいます。それは中国軍の約一〇倍に相当します。彼らは略奪で生計をたてていたのです。
 また無事に重慶に届いた物資も、国民党幹部のポケットに入ってしまい、他の者には行き渡りませんでした。
このように当時の蒋介石の政府が、米国の支援を食い物にしていたことは有名です。
 このように、日本の支配地域と、そうでない地域とでは中国民衆の生活に格段の差があったのです。
日本はすでに日中戦争のさなかから、中国を近代的民主国家として自立させ、アジアの同胞として共に相携えて共栄圏をつくるために、非常な努力を積んでいたからです。
 しかしその望みも、やがて日本が日米戦争で敗戦を迎えたことにより、挫折しました。
 そのとき、日本は中国につくった工場や施設、インフラなどを破壊することなく、すべて正確な資産リストを添えて、中国の未来のためにそのまま置いてきました。
それらは戦後の中国経済の発展の基礎となったものです。
 日本が去ったとき、中国では再び「国共内戦」、すなわち国民党軍と共産軍の内戦が勃発しました。
これは実質的に、日本が残した遺産の奪い合いでした。
そしてこの内戦での死者は、日中戦争中の死者よりも多かったのです。
 またこの国共内戦に共産軍が勝利し、中国を統一したとき、共産党はかつて自分たちがなした中国民衆への殺戮、略奪、搾取などを、すべて日本軍の悪行と宣伝して若者たちに教える教育を始めました。




   「中国無名戦士の墓」と書いた墓標の前で、慰霊祭を行なう日本兵(1938)
   日本軍は戦闘が終わると敵味方の区別なく、戦闘地にお墓を作ってきた。
   中国の文化にはこのようなものはない。

●「南京大虐殺」はなかった
今まで見てきたように、日本軍の進出は内戦の終結、平和の確立、共栄圏の建設を目的としたものであって、決して破壊や虐殺を目的としたものではありませんでした。
これは、国土の焦土化や、民衆の殺戮を平気で行なっていた中国軍とは、きわめて対照的です。
 日本には、もともとサムライの時代から、民衆の虐殺や焦土化の思想はなかったのです。
日中戦争は北京の近くで始まりましたが、北京は無傷でした。
武漢三鎮も無傷のまま。他の都市も全部無傷です。
日本軍は、都市を破壊する気も、住民を虐殺する気もさらさらなかったのです。
 日本軍は、都市に近づくときには必ず自由都市(オープン・シティ)宣言をしました。
降伏するなら、都市を破壊することもしないし、住民の安全を保証するということです。
歴史ある都市を戦場にし破壊していけないからです。
 日本軍は圧倒的に強かったので、たいていの都市では、中国軍はたいした抵抗をすることもないまま逃げ去り、都市は明け渡されました。
しかし南京で、中国軍は珍しく若干の抵抗をみせました。
 南京防衛軍司令官の唐生智が「俺に頑張らせてくれ」と言ったので、蒋介石も「頑張れ」と言ったのです。
彼が最後まで頑張れば、ある程度、中国軍の統制もとれたでしょうが、この司令官は情けないことに、途中で逃げ出してしまいました。
 司令官を失なった中国兵たちは、自分たちも逃げようとしました。けれども彼らの多くは、逃げる味方の兵隊を後ろから撃つ「督戦隊」に殺されました。また中国兵の中には、逃げれば督戦隊に殺されるし、残れば日本軍に捕まるということで、民間人を殺し、その着物をはぎ取って着る者たちもいました。
 こうした民間人に化けた中国兵は、それがばれたときに日本兵によって殺されることもありました。
そのようなことはありましたが、南京で、日本軍による住民の大量虐殺というようなことは決してなかったのです。




     日本軍による南京占領5日目の写真(朝日新聞)
     (右)武器も持たず中国人から買い物をする日本兵。
     (中上)南京に戻ってきて畑を耕す中国人農民。
     (中下)平和になって南京に戻ってきた中国人ら。
     (左)中華街の名物、街頭床屋。子どもも大人も手製の日の丸の腕章をして笑っている。
     「南京大虐殺」がなかったことを如実に示す証拠写真である。

 中国は、かつて日本軍は南京で三〇万人の住民を虐殺したと、宣伝しています。
しかし、これは中国共産党が流したでっち上げです。
なぜなら、もし南京大虐殺があったなら、南京の安全地区にいた外国人は必ず、そのことを世界に発信したはずです。
けれどもそのようなことはありませんでした。
 また、日本が南京に入る前にいた南京の人口は約二〇万人でした。
これはいろいろな調査で一致している数字です。
二〇万人の都市で、三〇万人を虐殺するのは不可能です。
 また、日本が南京を占領したあと、逃げていた市民たちが戻ってきて、一ヶ月後には人口二五万人になっています。
これは南京学会が緻密に調査して出した、信頼できる数字です。
また大虐殺が行なわれた都市に、住民が戻ってくるわけがありません。
 また南京大虐殺の「証拠写真」と言われるものも、今日ではすべて全く関係のない写真か、捏造によるものであることが、明らかになっています。
東中野修道著『南京事件「証拠写真」を検証する』などに、詳しく書かれています。
 何年か前、中国系アメリカ人のアイリス・チャンが、英語で『ザ・レイプ・オブ・南京』という本を出し、アメリカでハードカバーで約五〇万部も売りました。
これは日本軍が南京で三〇万人虐殺という蛮行を行なったと宣伝する本で、アメリカ人にウソをばらまいたものです。
 しかしそののち、彼女が書いたことや、そこに使った写真があまりにインチキであることが、多くの批判書によって明らかになりました。
そうした中、彼女は二〇〇四年の暮れに、ピストル自殺しています。
 その理由として、『ロンドン・エコノミスト』はその記事の中で、彼女は自分が書いたことがあまりにインチキと批判されたため、
それが「南京虐殺はなかった」と主張している人たちに有利に働いて、それを気に病んだのではないだろうかと推定しています。
 また、南京攻略の司令官だった松井石根大将には、こんなエピソードも残っています。南京攻略戦の最中、焼け跡から赤子の泣き声が聞こえてきました。彼は秘書の岡田尚に「捜して来い」と命じました。
 救助された赤子を、松井大将は温泉に入れ、毛布にくるむと、自分の目を細めて抱き上げました。
彼は、松井の一字をとって松子と命名してかわいがり、ミルクを飲ませて育てました。
南京の入城時には、岡田秘書がこの赤子を背負って入城しました。
 南京で、日本軍兵士による犯罪がまったくなかったわけではありません。
多少のものはありました。
しかし、それは戦後アメリカ占領軍兵士たちが日本で犯した犯罪と、同程度のものです。中国軍やロシア軍などが占領地で犯した横暴などに比べれば、はるかに小規模のものでした。当時南京に入った記者たちは、「南京市民の表情は朗らかだった」と証言しています。
なかには劉啓雄(りゅう・けいゆう)少将のように、南京戦で日本軍の捕虜になりながら、のちに汪兆銘の親日政府において和平救国軍軍長になった人までいたのです。

(満州についての記述がつづく)
2009-04-26 23:51 | 記事へ | コメント(5) | トラックバック(0) |
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◎ 坂井 孝正 個展(水彩)  5/10〜5/16 現代画廊にて
相方の叔父さん、画家の 坂井 孝正さんの

 坂井 孝正 個展(水彩) が 大阪現代画廊にて 開催されます。

叔父さんの絵は優しくて、夢の中の世界のよう
パリに何度も行かれて 
パリの風景をたくさん描いてこられた 叔父さんです

独特の雰囲気が大好きです






《作品解説》

*************************************************


ポン・デザーるからポンヌフを描く。

遥かにサン・ジャックの塔

若葉に囲まれた噴水、街角の楽奏、カフェの人々

白い光に包まれたパリの街

写実だが、幻想への世界にも思わせる。

否、パリの風景を借りた、抽象画に見えてくる。

不思議だ。

*************************************************




2009年5月10日(日)〜16日(土)

AM11:00〜PM7:00(土曜日は4時まで)




現代画廊 

場所
〒530-0047
大阪市北区西天満4丁目6−24
TEL/FAX (06)6361−6088

アクセス
 ■地下鉄御堂筋線   
  「淀屋橋駅」@出口より徒歩10分
 ■地下鉄谷町線、堺筋線
  「南森町駅」A出口より徒歩10分




お時間のある方はぜひ どうぞ。

すぐ近くには、中の島 薔薇公演があります。
5月は薔薇の季節ですから、お散歩にちょうどいいかも。
昨年行きましたが、綺麗でしたよ。




中の島の薔薇園

 
2009-04-26 22:16 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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『ちべっと寺子屋ふぉーらむ』  〜なにわ発・世界初チベット落語〜

『ちべっと寺子屋ふぉーらむ』 
應典院にて6771-7641(地・谷町九駅から西へ八分)

 
四月二十五日(土) 

十時・物販などの展示会場開場 
十二時・チベット昼食 
十三時半・特別法要 
十四時・記念講演(清風学園副校長・チベット密教研究者・
平岡宏一氏) 
十五時・チベット落語(桂七福師匠) 
十六時十五分・カフェトーク 
十八時半・映画「Undercover in Tibet(チベット潜入取材)」上映とトーク 


二十六日(日)
 
十時・平岡宏一氏によるワークショップ 
十三時半・特別法要 
十四時・落語 十五時十五分・記念シンポジウム 
十八時半・チベット音楽ライブ・漫談・トークなど
 
一日フリーパス千円(両日とも)


應典院【落語・シンポジウム・映像上映・音楽】
「ちべっと寺子屋ふぉーらむ」 
http://outenin.com/outeninevent/monthly/index.html 
「ちべっと寺子屋ふぉーらむ」チラシ
http://idisk.me.com/outenin/Public/20090425-26tibet_terakoya_forum.pdf
應典院
http://www.outenin.com/ 
落語でチベット@大阪-應典院
http://d.hatena.ne.jp/kuyu/20090129/1233673860
mixiコミュ「落語でチベット@大阪-應典院」 
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3964437
應典院 チベット
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4ADBR_jaJP238JP240&q=%e6%87%89%e5%85%b8%e9%99%a2+%e3%83%81%e3%83%99%e3%83%83%e3%83%88

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<「落語deチベット」実行委員会・この間の経過>
この催しは、2008年6月22日、「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」の事務局を務めていらっしゃる長野・長谷寺の岡澤慶澄住職からの僧侶からの應典院に投げかけられた提案が発端となっています。それは、チベット問題に慈悲の尊さを重ねて訴えていく上で、より豊かな関係性を取り結んでいくことが必要であるという気づきが元となっています。いかにして、共感また共苦の場をつくることができるか、その問いに応えていただいたのが、古典落語の他に、社会問題や人権問題を素材とした創作落語にも取り組んでいらっしゃる桂七福師匠でした。2008年10月より7回の実行委員会を重ね、チベット密教の専門家を2回にわたってお招きし、ネタのもとになるチベットの世界を学び、無関心層にチベット問題を「演じることで伝える」という挑戦に向き合ってきました。
そしてこのたび、一般のみなさまにお披露目ができるに至りました。
果たして、噺家は肩の凝るチベット問題をどう料理するのか、そのネタを共に作ってきたメンバーはどのような企画で花を添える企画を組み込むか。この興味深い「チベット問題の落語による世界への挑戦」を共に見届けてみませんか?

<日時>
2009年4月25日〜26日 10:00〜20:30(両日とも)

<参加費>
一日フリーパス1,000円(両日とも)
パスの代わりといたしまして入口でバッヂをお配りいたします。

<場所・連絡先>
 543-0076
大阪市天王寺区下寺町1-1-27 浄土宗應典院
 http://www.outenin.com/otenin_6_1.html
※地下鉄 谷町9丁目駅B番出口から西へ徒歩9分
※地下鉄 日本橋駅G番出口から東へ徒歩8分
 TEL 06-6771-7641     FAX 06-6770-3147
   info@outenin.com

<プログラム
---------25日---------
10:00〜展示会場オープン
12:00〜Tibetランチ(チベット岩塩おにぎり、テントゥクなど)
13:30〜特別法要  (日蔵合同法要)
14:00〜記念講演  (チベット密教研究者 平岡宏一さん)
15:00〜落語    (古典落語1席と創作落語「チョビット・チベット」)
16:15〜カフェセッション
18:30〜Tibetシネマ (『慈悲を生きる』『Undercover in Tibet「チベット潜入取材」』)
20:30 全プログラム終了
---------26日---------
10:00〜ワークショップ(話題提供 平岡宏一さん)
12:00〜Tibetランチ(チベット岩塩おにぎり、テントゥクなど)
13:30〜特別法要
14:00〜落語
15:15〜記念シンポジウム(岡澤慶澄さん、釈徹宗さん、秋田光彦さん)
18:30〜Tibetミュージックライブ&トーク(川辺ゆかさん、テンジンさん、小野田俊蔵さん)
20:30 全プログラム終了
(ゲスト・内容の都合で変更が生じることがあります)

詳しくはこちらのチラシをご覧下さい。
http://idisk.me.com/outenin/Public/20090425-26tibet_terakoya_forum.pdf

2009-04-26 02:27 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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ヒマラヤ国際映画祭 
ゴールデンウイーク中、京都、神戸で

ヒマラヤ国際映画祭が 開催されます。

パーティもあります。


詳しくは こちらへ 
美しい動画もあります

http://himalaya2009.jakou.com/home.html



ヒマラヤ国際映画祭とは


ヒマラヤの尽きせぬ魅力、価値を、ヒマラヤ関連の世界各国の秀作ドキュメンタリー映画を通じて世界の人々に伝えることを趣旨に始まった国際映画祭 − それが「Himalaya Film Festival (ヒマラヤ国際映画祭) 」です。

オランダのNGOであるヒマラヤ・アーカイブ・ネーデルランド(Himalaya Archief Nederland)が2003年よりアムステルダムで開催してきました。

「ヒマラヤ国際映画祭」は、”地球を考える ヒマラヤから考える”をコンセプトに、地球温暖化、民主化、紛争、チベット問題など、ヒマラヤから発せられている様々なメッセージを観客に届けてきました。世界規模でのさまざまな問題解決が求められている21世紀にふさわしい映画祭です。映画の舞台は、チョモランマ(エベレスト)を有するネパール、チベット、インド、ブータン、パキスタンに及び、さながらヒマラヤの雄大な自然と人が織り成す壮大なドラマを体験することができます。

2006年にはついに東京が世界第二の開催地となり、2008年10月31日〜11月3日は二回目となる東京の開催に多くの方々が参加しました。

そして2009年、この映画祭が「ヒマラヤ国際映画祭 WEST JAPAN 2009」として関西にやってきます。

  会 期:2009年 4/25(土)〜5/8(金)
  会 場:ウィングス京都、京都みなみ会館、神戸映画資料館




◆ ヒマラヤ国際映画祭が扱うテーマ
ヒマラヤの雄大な自然、登山などの冒険・スポーツ、人々の多彩な交流、環境問題、さまざまな民族の文化、各国の政治や経済の問題
◆ 各作品が扱う具体的トピックス
温暖化による氷河の融解、ごみ問題、経済発展と遊牧民などの伝統的生活の葛藤、チベット問題、カシミール問題、ネパール内戦、ブータンの「国民総幸福量」政策、各種人権問題、貧困等々


▼ミニイベント

●ミニトーク「ヒマラヤの旅」
  5/3(日)、6(水.振替休) @京都みなみ会館
  /ネパールの魅力を紹介
●ミニ座談会
  5/4(月) @神戸映画資料館
  /監督、スタッフや在日外国人らのトーク
●招待作品『ヒマラヤを越える子供たち』特別上映
  5/5(火.祝) @神戸映画資料館(16:50〜のプログラム)
  /中国から命がけで亡命する子供たちの奇跡のドキュメンタリー(29分)

2009-04-26 02:12 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
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